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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
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8 婚礼


 サーティークが初めてレオノーラと出逢った日から、一年後。

 二人の成人を機に、その婚約の儀が王宮にて(おごそ)かに執り行われた。


 そしてさらに一年後、しめやかに婚礼の儀が行われ、賑々(にぎにぎ)しくも披露の宴が催されて、レオノーラは正式な王太子妃としてめでたく王宮に迎えられる運びとなった。

 この日、次期正妃の座を虎視眈々と狙っていた全国津々浦々のお年頃の娘たちが、一斉に落胆したことは言うまでもない。なにしろ選ばれた少女は体の薄い、さしたる色気があるわけでもない、ましてや間違っても「美少女」などとも呼べないような、ごく平凡な貴族の娘に過ぎなかったのだから。


 実は周囲の重臣たちからも、「なぜあの娘を?」という疑問の声は多かった。

 あろうことか、レオノーラの実の両親ですらも「なぜ我が娘を?」と夫たるサーティークに聞いてきたことがある。このときには、さすがの王太子も堪忍袋の緒が切れた。そして「貴様ら、いい加減にしろ」と妻の両親を怒鳴りつけたものだった。

 当時、「レオノーラが選ばれるなど当然のこと」と言い放ったのは、この国広しと言えどもその兄ヴァイハルトただ一人だったことだろう。しかしそう言う本人は、逆に妹の輿入れをひどく渋っていたらしい。

 レオノーラ本人の弁によれば、本当にギリギリまで、この妹の「大出世」を寿(ことほ)いでくれなかったのだと言うから、まあ大人げない話である。


 ともあれ、サーティークはそれら反対の声のすべてを無視して、レオノーラを己の妃とした。

 ちなみに、当の国王陛下である父・ナターナエルと、王妃である母・ヴィルヘルミーネは、二人とも「息子が自ら選んだ人なら構わない」という立場を貫いており、ひと言の文句も挟まなかった。もっとも実際にはなによりも、「あの忠臣ザルツニコフの姪ならばなんの心配もない」と考えたらしいけれども。


 レオノーラは、幸せそうだった。

 サーティークもレオノーラもそれより少し前に十一歳となり、無事に婚礼の儀式も終えて、速やかに二人の王宮での生活が始まった。

 なお、「十一歳」とは言っても、地球の人々の体格とは違い、すでに地球人でいうところの十四、五歳程度の体つきになっている。そのことは、内藤もよく知っている通りである。フロイタールで言うならば、丁度ヨシュアと同じぐらいの頃ということになるのだろうか。


 レオノーラは、晴れて王太子妃となってもまだ、どうして自分がこんな立場に迎えられることになったものか、いまひとつ理解できていない様子だった。

 この少女に言わせれば、ある日突然王太子から「俺の妃にならないか」と訊ねられ、天にも昇るような夢心地のまま「はい」と答えてしまっただけのことらしい。まあそういう訳なので、いったいサーティークが何をもって自分を正妃にと望んだのやら、本人には皆目(かいもく)分からないらしかった。


 だからなのか、レオノーラは召使いや女官たちにもいつまでも敬語を使って話をし、王太子妃としての鷹揚な立ち居振る舞いや言葉遣いからは程遠かった。そうして単なる貴族の娘だった時となんら変わらぬ、素朴な様子で毎日を暮らしていた。

 そればかりではない。相変わらずサーティークの前に出ると、もう真っ赤になって右も左も分からないような状態になり、そこらの調度にぶつかって転倒しそうになったり、持っていたカップを落っことしては盛大に割ってしまったりと、粗忽具合にも磨きが掛かっているような有り様だった。


 だが、そうして日を過ごすうち、サーティークの目に狂いがなかったことは次第に誰の目にも明らかになっていった。


「レオノーラ様は、まことお可愛らしゅうございますわね」

「それに、とてもお優しい方ですわ」

「何より、変に偉ぶったり、高ぶったりして我が(まま)などひと言もおっしゃらないのが素晴らしゅうございます」

「わたくしたち使用人どもにまで、いつも本当に細やかに、お心を掛けてくださいますわ──」


 日がたつほどに、それが召使いや侍女たちの口癖のようになっていった。

 そのような下々の忌憚(きたん)のない声を聞いて、父王と王妃はことのほか喜んだ。なによりも、自分の息子の人を見る目を喜んだのであろうと思われる。


 もっともこのとき、王はすでに、宗之の体を借りた姿となっていたのだけれども。





「え~っと……陛下?」

 夜の尖塔のてっぺんで、内藤が不満げな顔で確認している。

「なんだ」

 サーティークはそっぽを向いたままだ。すでに半眼になっているところを見ると、すでに質問の見当はついているらしい。

「つまり、やっぱり……その、お二人の『とっても大事なあれやこれや』については、お話しして頂けない、と……?」

「当然だ。大体、それを聞いてどうするつもりだ」

 サーティークは腕組みをしたまま、殺気のこもった目で夜空を睨んでいる。その声は、これ以上ないほど剣吞だった。

 内藤は、ぽりぽりとこめかみのあたりを掻いた。


(ん~~~……。まあ、仕方ない、かあ……)


 そして、あっさりと諦めた。

 これに関しては、きっと相手が佐竹でも同じ反応だろうと思う。

 あの友達もきっと、そんなごくごく個人的な艶めいた話のあれこれを、わざわざ人に語ったりはしないだろうから。


「分かりました……。えっと、どうぞ、続けて下さい……」


 渋々そう言った内藤を、サーティークはじろりと睨んだ。

 そうして再び話を始めた。





ノエリオールの歯車が狂い始めたのは、その翌年のことだった。

<黒き鎧>の儀式において、遂に父王がお倒れになったのである。もっとも、宮宰マグナウトと宮中伯筆頭の老人バシリー、それにサーティークだけは知っていた。それが本物の父王ではなく、すでに異界から来た「影武者」の体を借り受けた、偽りのお姿なのだということを。

 それでもどうにか儀式の場からお戻りになった父王だったが、そのまま長く病の床に臥せってしまわれ、翌年の春、遂に身罷(みまか)られてしまったのだ。

 何も知らない母、ヴィルヘルミーネの悲嘆は、ひと通りのものではなかった。彼女は愛する夫の死の床の傍らで、ただ呆然と虚空を見つめるようにしていた。

 母はただただ、ひたすらに悲哀の中を漂っていたのである。


 だが、サーティークの思いは複雑だった。

 父の病床を見舞うとき、彼は父王ナターナエルであることの方が多かった。だが時おり、あの宗之の意識が戻ることもあったのだ。

 彼は、その最期の瞬間まで、その素顔をサーティークにしか見せなかった。サーティークにはその頃には、彼のわずかな仕草や目つきによって、それが父であるのか宗之であるのかを判断することができるようになっていた。

 宗之は、たとえ自分の意識が戻っている場合でも、母や事実を知らない家臣たちの前ではナターナエルとしての振る舞いをやめなかった。すでに死相の浮かんでいる青白い相貌で、それでも静かに微笑んで、「何も言うな」という眼差しを、そばにいるサーティークに向けていた。

 とてもたまらず、その病室を飛び出して、この尖塔に駆け上がったのも一度や二度のことではなかった。


 サーティークはそこで、ただ一人、宗之のためだけに泣いた。

 それは、誰にも、そう、あのレオノーラにでさえも、

 決して見せられない涙だった。



 国全体が賢王を失った深い悲しみに包まれてから数日後、父王の葬儀は厳かに執り行なわれた。春先のノエリオール宮は、しばし火が消えたような静けさに包まれた。

 そしてその悲嘆のうちにも、即座にサーティークの王位継承の儀が行われ、ここに正式に、第三十五代ノエリオール国王、サーティークが誕生したのだった。

 サーティーク、十二の年のことだった。

 気性が激しくて気丈な母は、父王の亡き後、急に元気をなくし、食欲も落ちて言葉少なになってしまった。もとは相当に派手で明るい性格だった王太后殿下が塞ぎこみ、部屋に閉じこもりがちになってしまわれたことで、ノエリオール宮はさらに暗い霧に覆われたかのように、重苦しく沈みこんだ。

 だから、御殿医からその知らせが届いた時、王宮の人々はより以上の深い喜びを覚えたものだった。

 それは王宮にとっても王国そのものにとっても、大いなる歓喜の瞬間だった。


 先王崩御の、その年の暮れ。

 レオノーラが懐妊したのである。 


 



「…………」


 内藤は、黙って仄暗い部屋の中を見回していた。

 さやさやと、秋の匂いを(まと)った風が窓から迷い込んでくる。


 宗之の命が尽きようとしていたまさにその時、まだ少年の面差しを残したサーティークは、ここに居たのだ。

 そう思うと、喉の奥がひりひりと痛みだすのをどうにも止められなかった。

 今こうしていてさえ、内藤には、その頃のサーティークが今の彼の姿に重なるような気がした。その時も、彼はやっぱりここに座って、かの人のことに思いを馳せていたのに違いない。

 ふと目が合うと、サーティークの瞳は相変わらずの黒曜石の輝きを灯したまま、静かな色を湛えていた。

 やがてその唇が、端を少し引き上げたようだった。


「……そなたが泣くことはない」

 穏やかな声でそう言われて、内藤は慌てて目を(こす)った。

「ごっ、ごご、ごめんなさい……!」


(駄目だ。ここでまた動揺しちゃ……!)


 もうこれ以上、話を中断されてしまうわけにはいかない。

 内藤はぐっと下腹に力をこめ、気合を入れなおして、続くサーティークの言葉を待った。



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