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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
82/141

3 陵墓


「わわわっ! ほんっっとーにごめんなさい! アヒムさん……!」

「あ、いえいえ。お気になさらず――」


 いやもう、案の定と言うべきか。

 いきなり後ろから低い声を掛けられて、若い算術の講師は大事な教材をまた床に撒き散らしていた。

 お付きの青年も慣れたもので、手早くそれらを集めて拾い上げている。

 この事態の元凶たるヴァイハルトは、ちょっと呆れた顔をして、そんな二人を見下ろしていた。


「や、これは失礼。そこまで驚かれるとは思わなかったもので」


 一応、言葉の上だけでは謝っておく。実際は、明らかに意図的に足音を忍ばせて背後に近づき、相当な至近距離から声を掛けたというのにだ。もちろん、こうなることは(はな)から予想済みである。

 しかし国王サーティークばかりでなく、あの老マグナウトにまで気に入られているこの青年に良からぬ事でも吹聴されては、後々(あとあと)面倒なことになるのは自分である。予防線が多いに越したことはない。


「あ、大丈夫です。えっと……って、あっ!」

 やっと目を上げて、相手が誰であるかを確認し、青年はあらためてぎょっとなったようだった。急にまたあわあわと慌て始める。

「あっ、あのあの……。な、なんでしょうかっ……?」


 いい加減なやり方で胸に抱きしめながら立ち上がったのと、突発事態で頭が混乱したのとで、算盤や書物などの教材がふたたびばらばらと床に落ちた。

 ヴァイハルトはつい、半眼になる。「もうこやつ、いい加減自分で持つのを諦めればいいものを」などと思ってしまったのだ。

 しかしこの青年は、召使いに何もかも持たせるなどということは到底できない性分のようだった。自分専用の召使いなど、好きにこき使っていい存在のはずなのにだ。少なくともこの宮にいる人間ならば、間違いなくそう考える。


「あ、いえ。先ほどはつい、失礼な振る舞いをしましたもので。お詫びもせずに辞してしまい、申し訳なかったと思いまして」


 心にもない挨拶をつらつらと口に(のぼ)せながら、じっと青年を観察する。

 年はサーティークと変わらないほどだろうか。しかし、あの見るからに聡明で豪胆な王とは、印象からして雲泥の差だ。なんといっても、顔に考えていることが如実に出すぎるようである。

 今もこうして、彼が自分に対して抱いているらしい警戒心や恐怖心、戸惑いなどが手に取るように伝わってくる。とてものこと、隠し事やら悪だくみができそうではなかった。


「改めまして、申し訳ございませんでした。お許しくださいませ、ユウヤ殿」

「いっ、いえいえ、そんな……!」


 深々と頭を下げると、彼はまた、さらに驚いて戸惑ったようだった。慌てて顔の前で両手を振りまくっている。隣の青年はそれを見越してか、すでにすべての荷物を自分で持ってやっていた。

「あの、俺なんて……最近ここに来たばっかりですし。それで、なぜかこんな大役を任されてるしで。皆さんには、警戒されて当たり前なんで。しょうがないです……」

 真っ赤になりながら頭を掻き、消え入るような声でそんなことを言っている。


(…………)


 なんだろう。

 やはり激しい既視感を覚えて、ヴァイハルトは軽い眩暈がした。


(これで、レオノーラと無関係だと……? よく言ったな、あの男――)


 腹の底で鎮まりかかっていた炎が、ふたたびむらむらと燃え立ち始める。

 もちろん、当人も気づいていない可能性はあるのだろうが。


(いや、それにしても、これは――)


 が、ヴァイハルトは、ひとまず胸の内の苛立ちは脇へ()くことにした。


「そう……ですか? あ、いやいや、そんなことは。ご謙遜を──」

 自分でも、何を返事しているのかよく分からない。

「ともかく、申し訳ございませんでした」

 再度、深く頭を下げた。

「いやもう、ほんとにっ……!」


 周囲には、このちょっとした騒ぎを見て「何事か」とばかりにこちらを窺っている召使いたちや女官たちや文官らがいる。かれらの視線が気になるようで、青年講師はきょろきょろしながら余計に慌てたようだった。

 ヴァイハルトは、ふと思いついて顔を上げ、内藤の顔を覗きこんだ。


「……お詫びという訳でもありませんが」なぜそんな事を思いついてしまったのか、自分でもよく分からなかった。「もしお時間がありますれば、ちょっとお付き合い頂いてもよろしいでしょうか? ユウヤ殿」

「は……はひ?」

 真っ赤な顔のままきょとんと見返され、つい微笑んでしまう。


(やはり、……似ているな)


 ヴァイハルトの秀麗な笑顔を見て、青年はさらに耳まで赤くなったようだった。





「へ? 花屋さん……ですか?」


 いきなり予想の斜め上のことを訊ねられて、内藤は目を白黒させた。


「はい。先年まで利用していた店の主人が、残念ながら最近亡くなったとの話でして。自分はここのところ、あまり王都に戻っていませんもので、街の中のことにはずいぶんと不案内になっており……。別の店を探したいのですが、ユウヤ殿はよい所をご存知ないかと思いまして」

「ああ、それでしたら!」


 内藤は、ぽん、と両手を打ち合わせた。


「木工職人さんの奥さんが、市場で花も売っていると聞いたことがありますよ! 俺……じゃなくって、私で良かったらご案内しましょうか?」

「おお、よろしいのですか? それはありがたい」にっこり笑った青年は、サーティークとはまた違う、爽やかな美貌を備えていた。「で、そのついでと言っては何ですが。お詫びの代わりになるかどうかは分かりませんが、よろしかったら、ユウヤ殿をお連れしたいところがございましてね」

「え? ……お、私を、ですか……?」


 黙って頷き、再び微笑んだ青年将校を、内藤はしばし、不思議な気持ちで見つめ返した。

 この青年将校の、本当の意図はよくわからない。

 第一、午前中まであんなに自分を敵視していた青年だ。すぐに信用していいものかどうか、内藤にはよくわからなかった。


(だけど……)


 今朝から考えているように、もしこの王宮の昔の話を聞こうと思えば、その事件の中心人物に近い者からのほうが断然話が早いはずだ。まさに事件の関係者であるらしい女性の兄だというこの男なら、当然、相当のことを知っているはずである。

 誰かに相談しようにも、ここには元々、内藤が心から安心して相談できる相手などいない。

 一人で考え、一人で決めるしかないのだ。

 佐竹は、ここには居ないのだから。

 彼のことを思い出して、内藤の胸は一瞬、きりっとした痛みを覚えた。

 しばし逡巡して考え込んでしまった内藤を、青年将校はむしろ優しいと言えるほどの碧い瞳で覗き込んできた。


「……ご心配ですか? いきなり自分などと外出されるのは」

「え……」

 心中の不安をずばりと言い当てられて、内藤はどぎまぎした。

「別に、自分は結構ですよ? 先に、陛下や宮宰閣下にご相談なさっても。事前に許可を頂いておかれたほうが、何かと安心でもありますしね?」

 さらに素敵な笑みを深くして畳み掛けてくる。結構、有無を言わさぬ感じだ。

「あ、いえっ……!」


 内藤は思わず、首を横に振っていた。

 こんなつまらないことで、多忙なあのサーティークやマグナウトを煩わせるのは忍びなかった。それに、聞きたい話の重要な部分は、彼らにもあまり知られたくないことなのだ。許可など貰いに行けば、きっと理由を聞かれるに違いない。それにうまく答える自信はなかった。

 第一、これは絶好のチャンスかもしれないのだ。みすみす逃してしまうのはとても惜しい気がした。

 内藤はまっすぐに青年を見上げた。


「い、いいですよ。今日の講義は、さっきのでおしまいですし……」

「それは良かった。では、早速参りましょうか」


 ヴァイハルトはにこにこ笑ったままの顔で、ごくさりげなくそう言った。その瞳が一瞬、きらりときらめいたようだった。


「あ、あのっ、ユウヤ様――」


 いままで黙って聞いていたアヒムが、遂にたまりかねたように声を上げた。見ればひどく不安げに、心配そうな顔で内藤を見つめている。「本当に大丈夫なのですか」と、優しい瞳が問うていた。

 内藤は彼に頷いて見せた。


「大丈夫だよ、アヒムさん。すぐに戻ってきますよね? ええっと……ヴァイハルト様?」

「もちろんですよ。遠出をするわけではありませんので」

 ヴァイハルトはそう言うなり、ぐっと内藤の二の腕を掴むようにして、すぐにぐいぐいと歩き出した。痛いぐらいの力である。

「え、あのっ……」

「少し急ぎませんと。帰りに日が暮れてしまうと面倒ですので」


 強引なまでに足早に行きながらも、やはりにこにこしたままである。その場に取り残される形になって、アヒムはまた声を上げた。


「あ、あの、ユウヤ様……!」

「そなたは来なくてよいぞ。むしろ、皆に事情を説明しておいてくれ」


 ちょっと振り向いてそう言い捨て、ヴァイハルトはもはや内藤を引きずるようにして、大股にどんどん歩いてゆく。


「ユウヤ様っ……!」

「す、すぐ戻るからね! 心配しないで、アヒムさん……!」


 その声を最後に、二人の姿は通路の角を曲がって見えなくなってしまった。

 アヒムはしばし、呆然とそちらを見つめていた。が、やがてはっと我に返ると、まだ足元に散らばっていた残りの教材を拾い集め、慌てて廊下を戻っていった。





 ヴァイハルトの愛馬は、ほとんど白に近いような、ごく薄青い色の馬だった。名を「白嵐(ハクラン)」と言うらしい。彼自身が愛おしげにその首を撫でながら教えてくれた。

 内藤も自分の馬に騎乗して、二人はまず城の外、クロイツナフトの(いち)の広場へと向かった。ヴァイハルトはそこで、内藤に紹介された花売りから白い百合のような大きな花束を買い、再び馬上の人となった。


 そのまま連れ立って街の防壁を出、緩やかな坂道を下って、青年将校はやや北よりの道をとるようだった。真夏の時期はとうに過ぎているものの、それでも赤焼けた日差しはまだ夏のものだ。内藤は日よけがわりに、羽織ったマントのフードを深めにかぶっている。

 道々、ヴァイハルトは上機嫌だった。そして時々どうということもない話題で、楽しげに内藤に話しかけてくる。たとえば「無理にご自分のことを『私』などとおっしゃらなくてもいいのですよ」とか、「難しい敬語なども、どうかご無用に」といったような具合である。

 それが内藤にとって普段使い慣れない言葉であることなど、彼にはとうにお見通しらしかった。


「……そら、あれですよ」


 ヴァイハルトがそう言ったのは、王都の周囲に広がる農地や牧草地を抜けてゆく街道をほんの三、四十分も軽く駆けさせたころだった。前方を指差している。

 フードの(へり)を持ち上げてそちらを見て、内藤ははっとした。


(あれは……)


 それは、歴史の授業やテレビ番組などでも目にしたことのある風景とよく似ていた。

 農地が途切れて、周囲はひっそりと静まり返っている。全体の広さは、学校の運動場ぐらいだろうか、まわりをぐるっと人の背丈ほどの木の柵に囲まれ、広く整地された敷地の真ん中に、巨大なお碗を伏せたような白く光るものが見えた。

 土が盛られて、その上に決まった形に切り出した石が綺麗に並べられているようだ。それが全体で、ひとつの建築物のようになっている。

 一見して、内藤にはそれが「陵墓」と呼ばれるものであろうことが分かった。


(王様たちの……お墓ってこと……?)


 区画の入り口まで来ると、ヴァイハルトは慣れた様子でさっと下馬した。内藤もそれに(なら)う。入り口を警備する兵たちが青年将校を見てびしりと敬礼をした。

 今やヴァイハルトは、表情も言葉もなくしていた。

 先ほどまでの明るい様子など夢だったかのようである。まるで能面のような彼の横顔を見て、内藤は心の中に冷たい何かが涌いてくるのを覚えた。が、黙って彼についていった。

 ヴァイハルトは先ほどの白い花を持ったまま、静かに陵墓に近づいてゆく。

 見ると、真ん中の大きなもののほうではなく、彼はその隣にある、少し小さなもののほうへ歩いてゆくようだった。


(……あ)


 内藤は胸を衝かれたような気持ちになった。

 大きな方の陵墓にも華やかで豪華な献花がされていたが、こちらには可憐な桃色の花束が供えられているのに気づいたのだ。

 それは直感的なものだった。けれど内藤には、それが誰の手によるものかが分かった気がしたのだ。花はまだ瑞々しくて、今朝、手向けられたばかりのものだった。


 内藤は言葉をなくし、静かにそちらに近づいてゆくヴァイハルトに従って、やはり黙って歩いていった。

 ヴァイハルトは墓前にふと立ち止まると、すでに供えられている桃色の花をしばしじっと見つめていた。やがてその隣に自分の花束をそっと置くと、故人の名の彫られているらしい石版の前に片膝をついた。内藤もそれに倣い、彼の斜め後ろで両膝をつく。

 ヴァイハルトは(こうべ)を垂れて目を閉じ、そこに眠る誰かに何ごとかを語りかけている様子だった。

 内藤も、自然に両手を合わせて目を閉じた。



 ……やがて。

 音もなく青年将校が立ち上がった気配がして、内藤も目を開けた。

 立ち上がったところでふと見ると、ヴァイハルトは驚いたようにこちらを見ていた。


「そなた……」


 言ったきり、絶句している。

 その理由は分かっていた。目立たないように拭っておいたつもりだったが、やっぱり溢れてくるものを止めることができなかったのだ。


「……どう、したのだ?」


 ヴァイハルトが訊ねてくる。先ほどまでそつなく使っていた慇懃な敬語も、つい忘れてしまったようだ。ひどく戸惑った声だった。

 仕方なく、内藤は苦笑した。


「すみません……。なんか、思い出しちゃって──」ごしごしと目許をこすって、頭を下げた。「ごめんなさい……関係ないことで、こんな」

 ヴァイハルトは怪訝な目をしている。

「関係ない、とは?」


 鸚鵡返(おうむがえ)しに訊かれて、ちょっと黙りこんだ。

 こんな事は、ここでこの人に言っても仕方のないことだ。

 この人には、なんの関係もない。

 どこか遠い世界の、すでに失われた誰かのことなんて。


「いいから、言ってみよ。どうしたのだ」


 押し黙った内藤に、ヴァイハルトは静かな声で先を促した。

 内藤は、少し笑って首を横に振った。


「構わん。言ってみよ」


 今度は少し、強い声音だった。

 見上げると、彼の碧い瞳は悲しげだった。だが、決して怒ってはいなかった。

 むしろそこには、優しい憐れみの色が大いに浮かんでいるようだった。

 内藤は、それでも少し逡巡した。

 少しの沈黙。

 だが、やがてそうっと呟くように言った。


「俺も、もうずっと……母さんの、墓参りとか……行けてないな、って──」


 言ってしまったが最後、もう駄目だった。

 あとからあとから、どんどん雫があふれ出して止まらなくなってしまった。

 口許をおさえて、せめて嗚咽が洩れないようにするのが精一杯だ。


 それはそうだ。

 母が死んで、たった二ヶ月だったのだ。

 たった二ヶ月たっただけで、ここへ連れてこられてしまった。

 四十九日こそ終わっていたけれど。それから、もう七年も経つ。

 三回忌もとうに終わって、今年はもう七回忌だろうか。

 いや、それだって、もうとっくに終わっているはずだ。

 本当ならもう何度、母の墓前に花を手向けられていたことか──。


「…………」


 ヴァイハルトはそんな内藤を見つめて、呆然としているようだった。

 思わず肩にやろうとしたらしい手が空中でぴたりと止まり、ぎゅっと拳の形をつくる。彼には彼の、何らかの逡巡があるらしかった。

 そうして、そこに立ち尽くしたまま、微動だにしなくなった。

 聞こえるのはさやさやと、風が墓前の花を揺らす音ばかり。


 ──と。


「ユウヤっ!」


 背後で激しい蹄の音がした。

 それと共に、自分の名を呼ぶ声。

 内藤は目を上げた。


 ……サーティークだった。



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