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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
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1 献花


 真夏の墓標に手向(たむ)ける花は、すぐに萎れてしまう。


 あの赤い太陽にじりじりと()かれて、

 水盤の水もすぐになくなってしまうからだ。


 だから、この季節、自分は毎日ここに通う。

 かの人が(うしな)われたその季節、その目の前が、決して寂しくはならないように。


 その子も、共にそこにいる。

 母の顔すら、知るはずもない子だが。

 いまはその温かな胸に、抱いてもらえているのだろうか……。


 かの人たちが喪われて、もう八度目の夏が来た。

 

「今年の王宮には、なにやら妙な奴が居てな。……けっこう騒がしいぞ」


 もの言わぬ冷たい墓石に、そんなことを語り掛ける。

 微笑みながら言えるようになったのは、それでもつい最近のことだ。


 背後で自分の存在を誇示するように、青嵐がかつりと前掻きをする。

 首を振りたてて(あるじ)を待つその姿を見返って、最後にもう一度、その石の(おもて)に手を当てた。

 ひやりとした感触が、夏の掌に心地よい。

 滑らかな表面に刻まれた名に、最後にひと言、言葉を掛ける。


「……また来る」


 いつものようにそう言って踵を返す。

 あとはもう、振り返らない。

 自分には、やらねばならないことがある。

 それをやり(おお)せるまでは、ここに立ち尽くすことは許されないのだ。


 別に、慌てる必要はない。

 いつかはだれでも、そこに()く。

 少し待たせることにはなるが、そんなに先ではないはずだ。


 ……あれを、壊す。

 あのような(むご)い形でお前たちを奪ったあれを、

 この地に残したままでは死ねぬ。


「待っていよ……レオノーラ」


 精悍な姿をした蒼き馬の、蹄の音が遠ざかる。

 巨大な王の陵墓の脇に、こんもりと設けられた小ぶりの墳墓。

 その前で、供えられたばかりの桃色の花だけが、可憐な花弁を風になぶられて揺れていた。





「ご精が出ますな、ユウヤ殿」


 王宮の廊下で宮宰の老人に呼び止められて、内藤はぴくりと足を止めた。

 クロイツナフト、ノエリオール宮。

 朝餉のあと、講義の部屋へと向かう途中である。後ろには、いつもの助手兼召使いのアヒムも立っている。二人とも、両手に教材を山のように抱えていた。


「あ、マグナウト閣下……おはようございます」


 慌てて礼をした拍子に、またばらばらと教材が床に落ちて散らばった。あまりにも毎度のことなので、アヒムも慣れっこになっているらしい。もはや顔色ひとつ変えないで、黙ってそれらを拾い集めてくれる。

 マグナウトは親しみやすい皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして微笑んだ。この老人、相当な高齢なのだが、いまだこの王宮における政務の第一人者として、ここに仕え続けているらしい。

 王宮内の噂によると、その能力、人柄ともに、なかなかの人物であるらしかった。サーティークの祖父に当たる王の代からこの王宮に仕えてきた、まさにこの国の生き字引と言って差し支えない人物であるという。

 しかし本人を見る限り、そんな様子はかけらもない。好々爺然とした表情を崩す風もなく、一見するとどこにでもいる優しげな老人としか見えないのだった。


「『算盤と算術』のご講義の評判が、なかなかによろしいようですな。さすが、陛下が見込んだお方だけのことはござりまする」

「あ、ええっ!? と、とんでもないですっ……!」


 びっくりして顔の前で手をふる内藤を見て、老人は苦笑したようだった。

 驚いて跳び上がった拍子に、再び内藤の胸元からばらばらと物が落ちる。それをまた、アヒムが黙って拾い集めた。


「わ、わわ……、ごめんなさい、アヒムさん……!」

「いえいえ。どうぞお構いなく」


 ほっほ、と老人がいつものように楽しげな笑声を漏らす。

「ご謙遜を。これはまことの事にござりまするよ。ユウヤ殿のご講義は非常にわかりやすいと、もっぱらの噂にござりまする。なにより、そのお人柄もござりましょうな。少しも高ぶったところがなく、大変質問もしやすいと──。いやはや、素晴らしきことではござりませぬか」

「い、いや……、それは……」


 内藤は、恥ずかしさにいたたまれなくなる。

 そもそも自分のどこに「高ぶる」理由があるのだろう。王族だったのはあのナイトであって、自分はただの、庶民の高校生に過ぎないのだ。本来、「先生」などと持ち上げられて、自分よりずっと年上の家臣たちから頭を下げられるような立場ではない。


「分かりやすいっていうのも、その……。俺、自分も結構、算数とか数学とか苦手だったからだと思いますし。だからそれはもう、全然……」


 そうなのだ。

 内藤自身、もともと決して理数系の科目は得意なほうではなかった。しかし、だからこそなのかも知れないが、講義を聞きに来てくれる人々が「分からない」「どうしてこうなるのか」と質問してくる内容が、自分のこととしてわかるようなのだ。

 「ああ、俺もそこ、わかんなかったんですよね~」などと言いながら、「でもこうやって考えたら、ある日突然、わかった時があって……」と説明する。そうすると、聞いてくれるほうでも納得してくれることが多かった。そうして、それを随分と分かりやすいと思ってくれるらしかった。

 老人が笑みを深くする。


「それそれ。そこが、貴方様の素晴らしいところなのでござりまするよ。無用に居丈高な者の話など、だれが聞こうと思いましょうか。相手の(つまず)きや悩みどころが真にわかる者こそ、教師に相応(ふさわ)しいと申せましょう」

「え? あ……いやいや、俺なんて──」

 耳まで赤くなる内藤を、老人はにっこりと優しい瞳で見つめている。

「これは余計なことかも知れませぬが。ユウヤ殿は、もう少し、ご自分に自信をお持ちになられてもよろしゅうござりまするぞ? それに、何の(ばち)が当たりましょうや」

「いやいやいや! とんでもないッス!」


 内藤はつい、まるでバスケ部にいた時のような口調に戻ってぶんぶんとかぶりをふった。それと同時に、老人の前から少しずつ後ずさって離れていく。しまいに廊下の壁にぺたりと背中がくっついてしまった。


「……何をやっとるんだ、そんな所で」


 呆れたような声がして目を上げると、外出着にマント姿のサーティークが、廊下の向こうから歩いてきたところだった。どうやらたった今まで、馬でどこかへ行っていたらしい。

 それを見て、ふと老人が悲しげな目になったようだった。たまたま目の端でそれを捉えて、内藤はちょっと不思議な思いがした。


(なんだ……?)


 が、老人は何事もなかったように、すぐにいつもの様子に戻って若き王に礼をした。

「お帰りなされませ、若。いえ実は、今ユウヤ殿にご講義の盛況なること、お(たた)え申し上げていたところにござりましてな……」

 にこやかに語るその様子は、実の孫を遇する祖父の姿に他ならない。

「ふむ? そうらしいな」

 サーティークもちょっと首を傾げると、なぜか嬉しそうな目になった。

「経理部門の者どもも、大層な喜びようらしい。(ちまた)の学問所からも、教師どもが続々と話を聞きにきておるそうではないか。重畳(ちょうじょう)、重畳」

 言いながら、サーティークはさっと内藤の側に近づいた。そのまま力任せにばしばしと背中を叩いてくる。内藤は咳き込んだ。

「あいっ、たたた……」

 そのまま肩を掴まれ、耳元に口を寄せられる。

「その調子で、ぜひともこのノエリオールを算術によって盛り立てよ。内政における財務と、戦における兵站(へいたん)の調整は国力の鍵だ。せいぜい役に立ってくれよ」

「あ、はい……」

 よく考えもせずにそんな返事をした内藤だったが、サーティークはそのままにこにこ笑いながら、最後に恐ろしいひと言を放った。

「……いずれ、フロイタールを滅ぼすためにも、な」


(……!)


 一気に、冷水を浴びせられた気がした。

 内藤はぎょっとなってサーティークの顔を見返したが、若き黒の王の顔はにこやかに笑っているだけだった。しかし、その目はやっぱり、笑ってなどいなかった。


(そ……そうか。俺って――)


 今さらのように、自分の馬鹿さ加減が嫌になる。

 サーティークの言うとおりではないか。財務の計算効率が上がることは、すなわちノエリオールの国力増強に直結する大事なのだ。サーティークがフロイタールを滅ぼそうと考え続ける限り、その力はそのまま、かの北の国への脅威になる。

 つまり、実際の武器を使うわけではなくとも、計算技術の向上は、この国の大いなる武器のひとつになり()るのだ。


(お、俺って……ほんっっとーの、大馬鹿かも……!)


「……若。何も今、そのような」


 真っ青になって震えだした内藤を気の毒げな視線で見やって、老人が見かねたように静かに言った。しかし、サーティークはちらりと老人を見やり、皮肉な笑みを口の()(のぼ)せて鼻を鳴らしただけだった。


「本当のことだ。今さら、建前を並べてどうなる」


 やや、ささくれたような声音だった。

 いつものサーティークとは、少し様子が違うようである。

 内藤は恐るおそる、彼の顔を(うかが)った。


 この国に連れてこられて、はや数ヶ月。

 その間、内藤が特にこの王から手酷い目に遭わされたことなど、実際には一度もない。むしろ下にも置かぬ扱いで、大事にされすぎていると言ってもいいほどだ。

 最初のころ、内藤があれほど恐怖していた黒の王は、実は相当に理性的で冷静な王だった。そして意外なことに、人の気持ちの機微も分かる人物でもあった。

 その点、姿はそっくりでも年上なだけあるからなのか、あの「ハイパー朴念仁」の佐竹より、ずっと付き合いやすい男だとも言えるかもしれなかった。それどころかこの王は、あの少しとっつきにくい友達と同じように、厳しい中にもさりげない優しさすら垣間見せてくれることもある。まあ、これについてはかなり気まぐれなことのだが。


(でも……。やっぱり『サーティーク』なんだよなあ──)


 このごろは彼の飛ばす冗談にも慣れ、家臣の人々ともかなり仲良くなって、ともすると内藤でさえ忘れそうになってしまうのだが。しかしそれでも、彼はフロイタールの長年の仇敵なのだ。

 そうして、普段は人を食ったような皮肉な笑顔の下に隠しているが、実は何事かに対する燃えるような怒りをその腹の中に隠し持っているようにも見える。

 今がちょうどそうであるように、時々それが、何かの拍子にふと表に顔を出すようなのだ。


(どうして、なのかな……)


 彼の怒りの根源は、内藤にもまだ分からない。

 もしかすると、隣の小柄な老人なら何かを知っているのかもしれなかった。だが、つい最近敵国フロイタールから来た自分などに、そんな大切なことを易々(やすやす)と話してもらえるとは思えなかった。

 実は内藤は、ここで仕事をしながら少しずつでもそれを聞き出したいと思っていた。しかしそれは予想通り、王宮のトップシークレットに属することらしく、普段話のできるような低い身分の者ぐらいではまったく知りもしなかったのだ。

 ただ、それでも今から十年ほど前に、この王国を揺るがすような大きな事件があったことは、皆からなんとなく聞かされている。だがそれについてはこの王宮において、非常な禁忌とされているらしい。話の先を訊ねてみても、誰も詳しいことは教えてくれなかったのだ。


 と、廊下の先からよく響く高い靴音が聞こえた。軍服の長靴(ちょうか)による音である。目をやると、ひとりの武官らしき青年が廊下をこちらへ歩いて来るのが見えた。

 服装からして、将校クラスであるらしい。黒いマントを翻しながら、ぐんぐんとこちらに迫ってくる。

 そちらを振り返ったサーティークは、やや驚いたようだったが、すぐに明るい笑顔になった。そこにはもう先ほどまでの暗い(かげ)りは、微塵も残っていなかった。


「ヴァイハルト! 戻ったのか」

「は、陛下! たった今、戻りましてございます。マグナウト閣下も、お変わりなきようで何より──」


 青年は、サーティークとマグナウトに背筋の伸びた一礼をきりりと返して、ちらりと内藤たちの方を見やった。

 少し癖のある亜麻色の髪をやや長めに伸ばした、若々しい青年である。年のころ、背の高さとも、サーティークと同じぐらいだろうか。爽やかで品のある面立ちは、さぞや貴族の女性がたには受けが良さそうに思われる。涼やかな湖畔の色を映した碧い瞳も、理知の光をともして明るかった。

 しかし。

 青年は内藤を目にするや、いきなりキッと表情を固くした。


「陛下。もしや、そちらが……?」

「ああ、紹介する。ユウヤ中級一等だ。先日来、算術の講義を受け持ってくれている」

「あ。よよ……よろしく……」


 内藤が慌ててぴょこんとお辞儀をすると、青年将校はさも仕方なくという風に軽く会釈を返し、再び内藤を()めつけた。

 三度(みたび)、内藤の手からがらがらと教材が滑り落ちた。


「ヴァイハルトと申します。現在は陛下より、天騎長を拝命いたしております。以後、お見知りおきを」


 本来は低くて柔らかなはずの声音も、内藤に対してだけはひどく冷ややかで固いものに聞こえた。


(こ、……こわっ!)


 その眼光には、明らかに殺気のようなものが宿っている。内藤は知らず背中の毛を逆立て、身を(すく)めた。この青年は、何故かどうやら最初から、自分に対してあまりいい感情を抱いていないようだった。

 と、マグナウトがさりげなく内藤とヴァイハルトの間に立つようにした。


「ささ、ユウヤ殿。講義の時間に遅れまするぞ? そろそろお行きにならねば」


 明らかに内藤を(かば)う様子だ。内藤はありがたく、その言葉に甘えさせてもらうことにした。

「あ、はい。そうでした……! あの、では俺、これで――」

 慌てて一同にまた礼をすると、内藤は急ぎ足で、助手のアヒムと共にその場を後にした。







 若い文官二人が立ち去るのを少し見送ってから、亜麻色の髪の青年将校はサーティークに向き直った。眉間に皺を寄せている。


「陛下。あのような者、そうそう容易(たやす)く信用なさっては──」

「わかっている。気を許したつもりはない」


 ヴァイハルトが言いかけるのを、若き王は片手で制した。

 それでも納得した風でない青年を見やって、サーティークが苦笑した。


「そう心配するな。役に立つから利用させて貰っているまで。今後もなにかと、役立つ場面もあるやも知れんのでな──」

「は? それは……」


 が、サーティークはもう何も言わず、にやりと軽く口角を引き上げて見せただけだった。そのままマントを翻し、大股に執務室へと去っていく。

 その背中を見送って、宮宰マグナウトが少し息をついた。


「ヴァイハルトよ」

「……は」


 青年が姿勢を正してそちらを向くと、老人の思わぬ厳しい視線にあった。ヴァイハルトはぴくりと眉を上げた。


「どこで何を聞きかじってきたかは知らぬが。……あまり、何でも性急に判断するものではあるまいぞ」

 老人の声は、先ほどとは全く違う色調を帯びている。今は憂慮に加えて、明らかに青年を(とが)める色が濃い。

 が、青年のほうは不満げだった。

「……と、おっしゃいますと」


 老人は少し言葉を切って、じっとヴァイハルトの碧い瞳を見つめた。


「陛下は、あのお方にだけは、かつてのような笑顔をお見せになられる。考えてもみよ。そのようなことはこの王宮で、あれ以来、絶えて久しくなかったことじゃ……」


 噛んで含めるかのような、ゆっくりとした口調だった。ヴァイハルトは沈黙したまま、老人の顔をじっと見つめている。老人の目は、今度は昔を懐かしむような、しかし悲しげな色を湛えていた。


「そう、かつてこの王宮で、そなたの妹御(いもうとご)に向けておられたような、心よりの笑顔をの――」

「……!」

 青年が瞠目(どうもく)した。

「まさか……そのような」

 老人は、驚愕している青年をじっと見返して沈黙している。

「いや、しかし……かの者は」

 言い募ろうとする青年将校を、マグナウトは目だけで制した。それはいまや、鷹のように鋭く、雄々しい光を湛えている。


「どこから救いがもたらされるか。それが、神ならぬ身にわかろうか……? ましてや、そなたのような若者が──。どうなのじゃ? ヴァイハルト」

 青年はもう一言(いちごん)もなく、ただ床の一点を見つめている。

「分かったら、拙速に口出しをするでない。あまり目に余るようなれば、この爺いが許さぬぞ」

 青年将校は、(まなじり)を決して押し黙ったままである。

「よいな、ヴァイハルト」

 それだけ言うと、老人もまた、何事もなかったかのように表情を穏やかなものに戻し、軽い足音を立ててその場を去った。



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