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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第二章 白き鎧
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2 算盤


「ユウヤ様! 玉ぁこんな感じでどうッスかね?」


 いかつい木工職人の男に呼ばれて、内藤はそちらを振り向いた。

 男から渡された、今できたばかりの木製の玉。手のひらの上のそれは、平たい円錐形を二つくっつけたような形をしている。表面は団栗(どんぐり)の表面のように滑らかな小麦色で、つやつやと光っていた。


「あっ、いいですね、これ! ハンスさん、いい感じですよ!」


 (つま)んでみて、内藤は嬉しそうに微笑んだ。もちろん、算盤(そろばん)用の玉である。

 クロイツナフト、ノエリオール宮に程近い、街なかのとある木工作業場である。

 そこでは日々、肩の筋肉の盛り上がった木工職人たちが鉋屑(かんなくず)の中でそれぞれに木を切ったり削ったり、表面を磨いたりしては家具や農具や食器などを製作している。

 ときおり明るく声を掛けあいながら額に汗して働く姿は、北も南もなんら変わりのないものだ。

 真夏の折がら、作業場の中はむんむんと蒸し暑く、入るとすぐに衣服が肌にはりついてくる。男たちはそこで、いつも流れる汗を拭いながらの作業だ。ただ、気温はそうでも、周囲は削られたばかりの木のいい香りが立ちこめていて、そこにいるのは気持ちが良かった。


 せまくるしい経理部門の部屋では作業ができず、内藤は算盤製作のため、サーティークに申し出てクロイツナフトの腕のいい職人を何名か紹介してもらうことにした。その上で、こうして彼らの工房に出向く形にしたのである。

 いま内藤の目の前で算盤の玉を製作中なのが、その中の一人、ハンスという名の熟練工だった。

 見たところ、歳は三十がらみ。健康的に日焼けした肌に、肩や胸の筋肉の盛りあがったなかなかの偉丈夫だ。ごく短く刈り込んだ髪はこの国特有の真っ黒な色をしている。

 彼のほかにも、木枠を作る職人、軸を作る職人などがそれぞれ手分けをして作業に当たってくれている。みな上半身が裸であったり、ごく粗末な単衣を着ているだけの素朴な姿だ。


「滑りを良くするためにゃあ、油とか松脂(まつやに)みてえなもんが必要でやしょうが……ひとまず、形と大きさはこんなもんで?」

「ええ、十分だと思います! ありがとうございます、ハンスさん!」


 内藤は、ここへ来た当初よりだいぶ髪が短くなっている。今が盛夏だということと、自分自身、長すぎるのがあまり好みではないからだ。それでつい最近、切ってもらったのである。

 今では向こうの世界にいた時とほとんど変わらない形になっている。ただ、かのサーティークが「あまり他人に耳は見せないほうがいい」とのたまったため、まだ多少は長めなのだったが。


 ちなみに、散髪はいつも身の回りの世話をしてくれている召使いの青年にお願いした。が、黙って任せていたら危うく前髪を眉の上で一文字に切られそうになって、かなり慌てた。それこそ、まるでそれが当然かのように。

 実際、文官たちにそういう髪型の者が多いのは確かだったが、内藤にそれは耐えられなかった。いやもう、いくらなんでも「ぱっつん」は勘弁してもらいたい。恥ずかしすぎる。あの佐竹にだって、多分ぜったい、笑われる。……いや、それはそれで見てみたい気がしなくもないが。

 ともかくも。仕方なく、内藤は青年にこと細かにヘアスタイルの指示を出して、何とか今のような形に落ち着いたのだ。


 内藤はいま、夏用の()(しゃ)のような風通しのいい生地で出来た水色の(あわせ)の衣を(まと)っている。手のひらで算盤の玉を転がして嬉しそうに笑っている内藤を、作業場の職人たちが面白そうに眺めていた。


「ああ……ほんと、きれいですねえ。いい匂いがするし」

「はは。そうですかい? そりゃよかった」


 ここに出入りして算盤製作の相談や見学をしているうちに、内藤は彼らとすぐに仲良くなってしまった。

 本来、北の国で王だったのはナイトであって、内藤本人は別にどうということのない、ただの庶民の高校生に過ぎない。他人に(かしず)かれるのにはどうも慣れないし、そんな下にも置かぬ扱いをされると、むしろ居心地が悪いぐらいのものだった。

 だから、ここで職人たちと日常そのままの気どらない会話をしているのは妙に心地よくて、内藤はとても好きだった。


 実は最初のうちは職人たちの方でも、この優しげな文官の青年を(いぶか)しげな目で見ていたものだった。それも仕方のない話だろう。なにしろいきなり現れて、「王命なのです」とかなんとか言って、見たことも聞いたこともないようなものを作って欲しいと頼んできたのだから。

 だが、今ではすっかりお互いに気心も知れて、何かと可愛がってくれるようにさえなっている。


 と、ちょうどそこで王宮の方から昼時の鐘が聞こえてきた。

 職人たちは手を休め、それぞれに肩を回したり伸びをしたりしながら、弁当を手に内藤の周りに集まってきた。


「ユウヤ様、今日はこちらで昼メシ一緒にしやせんか? 実は今日、二人分もってきてるんで」

「え、ええっ? いいんですか、ハンスさん。嬉しいですけど、でも──」


 内藤が目を丸くする。いつもなら近くの市場(いちば)まで行って、何かすぐに食べられるものを買ってくるのだったが。


「ああ、どうか遠慮なさらねえで。とにかくもううちの嫁が、『ユウヤ様にも食わせてさしあげろ』って、そりゃあうるさくってさあ」


 言ってハンスは自分の弁当用らしい鞄の中から、竹の皮によく似た包みを取り出した。中身は雑穀パンに、干し肉やら野菜や豆などを豪快に挟んだサンドイッチだ。もちろんここでは「サンドイッチ」などという名前ではなかったが。

 内藤は目を輝かせた。


「うああ、おいしそうだなあ……! 本当にいただいちゃってもいいんですか!?」

「もちろんでさ。ささ、遠慮しねえで、どうぞどうぞ」


 ずいと突き出された包みをありがたく受け取って、内藤もお相伴に預かることにする。


「うっわ、うま~い!」


 ひと口(かじ)って、思わず叫ぶ。口の中にじゅわっと広がる肉汁と野菜の香り。それらに絶妙に絡んだ甘辛いタレがもう堪らない。


「いいなあ、いいなあ、ハンスさん。料理上手の奥さんがいて~。ヨハンナさんでしたっけ? こないだ会った時、すんごく綺麗な人だったし。もう俺、めっちゃくちゃ羨ましい~!」

 心の底からそう言うと、周囲の職人たちはどっと笑った。

「なぁに言ってんスか、ユウヤ様! あなた様なら、どこでも引く手あまたでしょうに」

「お城勤(しろづと)めの文官様なんて、誰でも()りどりみどりでしょうがよ!」

 みな、突っ込みを入れまくって大笑いしている。

「そんなわけないですよ~! だって俺、ぜんっっぜん、もてないもん……!」

「またまたぁ、ご謙遜だねえ!」

「いや、ほんっとに! 本当なんですってば──!」


 至って真面目にそう言っているのだが、職人たちはやっぱりそんな内藤を見て、大爆笑するだけなのだった。


(……ああ。そうなんだよな──)


 南の国にも、こんな平和な庶民の暮らしがある。

 内藤は知らず、様々なことを思わずにはいられない。

 ちりちりとした胸の奥の痛みとともに。


 そしてふと、彼の顔を思い出すのだ。

 あの遠い世界から、自分を追って来てくれたクソ真面目な友達のことを。





 夕刻になってノエリオール宮に戻ると、一旦経理部門に顔を出す。そうして本日の成果を文官長に報告したら、内藤の一日の業務は終了となる。


 今後、算盤の試作品ができあがり次第、内藤はその使い方について王宮の人々に伝授する場を設けることも考えていた。そこには経理部門の文官たちはもちろんのこと、王立学問所などで算術分野の科目を教える教師たちも招く予定である。

 そのためには、ある程度の準備も必要だ。内藤自身、この世界の数字や数式の表し方についてしっかりと理解しておかねばならない。もちろん、それだけでは不十分だ。人にものを教えるとなれば、単に自分で分かるだけでなく、もっともっと深い理解が必要なのだから。

 そんなわけで、内藤は毎日自室に戻ると、書庫から借りてきた算術の書物を開いて自分の勉強にとりかかる。ここで夕餉(ゆうげ)の時間まで勉強するのが、今の自分の日課なのだった。


 サーティークは、例によって多忙な日々を送っている。

 様々な書類に目を通すのはもちろんのこと、治水工事や農地の開墾、干拓といった各地の検分、街の商業ギルドとの会合等々、ともかく多忙を極めている。毎日スケジュールは詰まりっぱなしのようだった。

 彼はもはや、精力的というにも余りあるほどの驚くべき「働き者」の王だったのだ。冬の間はどうしても動きにくくなるのもあって、特にこの夏の時期は忙しいらしい。


「いるか? ユウヤ。俺だ」

「うわ! ……え? まさか──」


 そんな事を考えていたら、扉の向こうから当の本人の声がして、内藤は飛び上がった。

 ちゃんとした返事もできないうちに、ぱっと扉が開かれる。

 もちろん、サーティークである。今日は王宮内での平服に黒いマント姿だ。

 内藤は慌てた拍子に、机の上の書物をばさばさと床に落としてしまった。


「わ、わわわ……」

「例の『ソロバン』とやらの進捗はどうだ? 直接お前に聞いたほうが早いと、さっきゾンデに言われてな」


 ゾンデというのは、経理部門の文官長だ。「ああ」と内藤は返事をした。


「えっと、今日で大体のデザインは決まりました。あとは部品を組み合わせてみて少し調整したら、一応お見せできる形になるんじゃないかと……」

 わたわたと書物を拾い上げながら説明する内藤を、サーティークは面白そうに見下ろしている。

「何か、いつ見ても慌てているな、貴様」


(いや、そーでなくて)


 がくりと肩を落とす。


(あんたが必要以上に慌てさせてるんでしょうが……!)


 ここへ連れてこられてから、もうひと月あまりになる。

 そうこうするうち、内藤は心の中だけではあるが、この王を「あんた」呼ばわりするまでになっている。もちろん、口に出して言ったことは一度もない。


 対するサーティークの方でも、なぜか今では手の焼ける弟にするようにして、内藤の世話を焼いたり気遣ったりしてくれるようになっていた。そして時おり、今のように突発的に部屋に急襲を掛けてくる。

 これは絶対に、自分が慌てておたおたするのが見たいがための故意によるものだ。そう内藤は確信していた。が、だからといっておたおたするのがやめられるかと訊かれれば、それは無理だと言わざるを得ないのがつらいところだ。

 そんな内心を知ってか知らずか、サーティークは机の上の書物を興味深そうに眺めやり、また内藤の方を見た。


「あまり根を詰めるなよ。時間があれば、俺もお前の『ご講義』を拝聴しに伺おう」

「いっ!? いいですよっ、そんな……!」


 速攻で拒否する。自分でも真っ赤になっているのが分かった。

 そんな、ただでさえ緊張するに決まっているところへ、最大級の緊張原因(ストレス・ファクター)を持ち込まないでもらいたい。

 が、サーティークは不満げに見返してきた。


「何故だ? 俺が見ていてはまずいことでもするつもりか」

「そっ、そういうんじゃなくてっ……!」


 ばたばたと顔の前で手を振る。


「き……、緊張するから、やなだけです……っ」

 ぎゅっと目をつぶって、恥を忍んで告白する。サーティークは呆れた様子で肩を竦めた。

「そなた、子供ではあるまいし──」


 が、言いかけて若き黒の王はふと口をつぐんだ。どうやら真っ赤になって俯いてしまった内藤をじっと見ている気配がする。

 少し、部屋の中に沈黙がおりる。

 やっと目を開けて恐るおそる見上げると、サーティークが不思議な目の色をして、黙ってこちらを見下ろしていた。


(……?)


 「なんだろう」と思う間もなかった。


(わ……!?)


 次の瞬間にはもう、ついと男の手が伸びてきて、内藤の髪をぐしゃぐしゃ掻きまわしていた。

 思わず首をすくめて、また目をつぶる。


「……まあ、そうびくつくな」


 サーティークの声は、深くて静かだった。

 それは誰かの声にそっくりだった。

 ぴしりと、体のどこかが(きし)んだ気がした。


「び、……びくついてなんか……」


 そうではなくて、ただ緊張するだけだと言っているのに。

 それに、その顔で自分を見つめないで欲しい。

 頭をぐしゃぐしゃとか、やめてほしい。


(だって……)


 それは、あいつが俺にしたことだ。

 深夜の、秘密の小さな部屋で。


 やっと会えて……言葉を交わして。

 オーロラの綺麗な夜だった。


 あいつと同じ顔をして、

 声をして──


(あいつと、同じことなんか……!)


 サーティークが目を見開いた。

 驚いた顔で内藤の顔を凝視している。


「そなた……」


 そう言ったきり絶句しているサーティークを見つめたまま、内藤もそこに立ち尽くしていた。

 ぱたぱたっと、胸元になにかが落ちかかる。


(あ……)


 それでようやく、自分が涙を(こぼ)していることに気づいた。


「どうした……? ユウヤ」


 サーティークの声が、明らかに戸惑った色を帯びている。その手が頭から離れていって、内藤はぶんぶんと首を横に振った。拳でごしごし、目許をこする。そのまま目のあたりを隠すようにして、ぐいと横を向いた。


「ちがっ……。俺、別にっ……!」


 夢中で言ったら、やっぱり日本語になってしまった。


(何やってんだよ、俺……!)


 自分の涙腺の(ゆる)さにいらいらする。

 サーティークの前で泣いて、一体どうしようと言うのか。

 それで何が、どうなるのか。

 目の前のこの男は、彼とは違う。


(ちがう、のに……!)


 と。

 顔を拳で覆ったまま、頭をぐっと引き寄せられて驚いた。

 何も見えないので分からないが、力をこめて抱き寄せられているのは分かる。

 サーティークの声が、頭のすぐ上で聞こえた。


「……泣くな。ナイトウ」


(……!?)


 驚いて目を開ける。

 見上げれば、やっぱりあるのはサーティークの顔だった。


(でも、いま……、『内藤』って……?)


 サーティークの黒い瞳は、ただ静かに内藤を見下ろしていた。

 その瞳の片隅に、ゆらりと虚しいなにかが(ひらめ)いた。

 ……ような、気がした。

 でもそれは、すぐにまたどこかへ逃げていってしまった。

 やがて男はにやりと口の()を引き上げた。その顔は(まぎ)れもなく、いつもの「黒の王」としての不敵な表情に戻っていた。


「まったく、子供みたいな奴だ。手を焼かせる──」


 言ったかと思うと、男はぽいと内藤を放り出すようにして体を離した。

 そうしてあっと言う間に踵を返し、扉の外に消えていった。



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