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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第一章 転落
7/141

5 暗黒門 ※

※多少、残酷シーンありです。苦手な方はご注意くださいませ。



 周囲の空気を巻き込んで、道の上の落ち葉や小さなゴミなんかが、ころころと背後の真っ黒な円い穴に向かって吸い込まれている。

 何もない空間に、いきなり暗闇の門が開いたかのようだった。


(なんだよ、これ……!?)


 ばちばちと、その円の周囲にプラズマが走って、薄紫色に跳ね散っている。

 「それ」はいかにも、この世のものではないものが、周囲の空間を無理やりに押し広げて割り込んできた感じがした。そこから溢れ出るきな臭い毒を含んだような空気に、なにかの腐臭も混ざって、俺はまた胸がむかつきはじめた。

 まだ明るかった筈の夏の空が、今は真っ黒なフィルターがかかったようになって、周囲のすべては、滲んだような紺色の世界に変貌していた。


「内藤!」


 佐竹が叫んで、こっちに腕を伸ばしている。佐竹は、持っていた鞄も荷物も、すでに道の上に放り出していた。

 その腕の意図がやっとわかって、俺はつないでいた洋介の手を放し、ランドセルごと後ろからぐいっと佐竹の方へ押しやった。ほとんど、突き飛ばすぐらいの勢いだった。


「行け……、洋介!」

「わ!」


 強く押されて前のめりになり、危うくこけそうになった洋介を、佐竹が前から受け止めた。即座に自分の体を盾にして、洋介を後ろに隠す。そのまま素早く抱き上げて、なるべく離れた所まで一旦さがり、洋介を傍の電柱の陰に隠してくれた。

 佐竹は洋介に「そこにいろ」とだけ言ってすぐに戻ってくると、今度は俺に手を伸ばした。


「早くしろ、内藤!」

 佐竹が叫ぶ。


 と、また頭の中であの声がした。


(こた)えよ、我が(あるじ)憑子(よりまし)よ》――


「し、……らないよ、そんな、ことっ……!」

 また激しい頭痛が始まって、俺は頭を抱えた。

「くぁっ……!」

 頭が割れる。

 まるで、このまま四散するのではないかと思えるほどだ。


 やめろ。

 やめろ……!


(知らない、知らない……知るもんか――!!)


 ほっといてくれよ。なんだっていうんだよ……!

 俺の世界は、ここなんだ。

 お前らの都合なんか知らないよ……!


《偽りを申すなよ、小僧》


 はっきりとした老人の声が、耳元で聞こえた。


(な……?)


 俺は目を開いた。周囲には誰も見えない。

 だが、その声は明瞭に、耳元でまた聞こえた。


《儂はさきほど、はっきりと聞いたぞよ――?》

「な……、なにを、だよ……」


 心臓が、張り裂けそうに高鳴っている。

 もう、爆発するんじゃないかというほどに。


(……いやだ)


 ほとんど本能的に、そう思った。

 その先は、聞きたくない。


 嫌だ。

 言わないでくれ。

 聞きたくない。

 わかりたくない!


 それだけは――。


 ……だが。

 その声は、どこまでも非情だった。


《おぬしは言うたぞ。『ここから逃げ出したい』、とのう……?》


 俺は、目を見開いた。


(………!)


 途端、ぷつりと何かがはじけ飛んで、

 視界が暗転し、目の前の景色が急速に遠のいていった。





 内藤の背後に現れた謎の空間は、びしびしと周囲の空間を軋らせて、いまだ膨張し続けていた。


「早くしろ、内藤!」


 佐竹は手を伸ばしてもう一度叫んだが、内藤の耳には届いていないようだった。

 内藤は両手で顔を覆って前かがみになり、体を丸めている。そのまま背中から、背後の空間に次第に吸い込まれかけているようだ。


「ちっ……!」


 佐竹は奥歯を噛み締めると、彼の腕を掴むため、その近くに駆け寄った。

 が、ほとんどそれと同時に、空間の中から真っ黒な何かが溢れ出はじめた。


(………!?)


 佐竹は、我が目を疑った。

 それは、ひどく不恰好な、真っ黒い腕だった。

 全部で十本はあるのだろうか。関節から関節までが異様に長く、また大きく太い腕だった。普通の人間の、太腿の太さぐらいはあるだろうか。そこに生えた爪も異常に長く、五センチは優にあった。

 それらの腕が内藤の背後から、まるで蜘蛛の脚のように生え出てその体を囲い込もうとしていた。


「内藤!」


 佐竹は構わず、内藤の腕を掴んだ。

 が、彼の顔を覗き込んで、一瞬、息を呑む。


 内藤は、自分の顔に血が滲むほどに爪を立てていた。耳をすましてみれば、なにか、小さな声で呟いているようだ。指の間から垣間見えるその瞳は空ろで、まったくこちらが見えてはいないようだった。


「……だ、いや、だ……」


 そんな声が、僅かに聞き取れた。

 内藤の体を抱きこもうとする黒い腕どもを腕と拳で払いのけ、足で蹴りつけながら、佐竹は内藤の肩を掴みこんで、その耳元に怒鳴りつけた。


「しっかりしろ、内藤! 俺の声だけ聞け!」


 とにかくここから、一刻も早く離れることが先決だ。

 何が起こっているかの判断など、後でいい。

 佐竹はそのまま、内藤の首にも反対の腕を回し、その体をじりじりと「暗黒門」から引き離しにかかった。

 しかし。


「がああああああッ――!」


 突然、内藤が絶叫して、両腕で佐竹の体を突き飛ばした。凄まじい力だった。

 そして再び顔を覆い、今度は背中を反り返らせて、まるでのた打ち回るかのように体を(しな)らせている。


「やめ……、いやだ……、いやだああああッ!!」

 その苦しみようは、さすがの佐竹ですら、目を覆いたくなるほどだった。

「……くる、な……」

 喘ぎながら、内藤が喉を振り絞るようにして叫んだ。

「入って、……くるなああああ――ッ!!」

「………!」


 佐竹は、ほとんど本能的に理解した。内藤の「内部」に、何かが浸食してきているのだ。内藤はいま、それと闘っているのだろう。だが。


(それは、何だ……?)


 が、考える(いとま)などなかった。

 内藤は苦しみ、喘ぎ、目の前でのた打ち回っている。その体を、またしてもその()()()どもが、もぞもぞと囲い込み、締め上げて、その「暗黒の門」のなかへと引きずりこもうとしていた。


(こいつら……!)


 やつらは、内藤を掠め取ろうとしているのだ。どこへかは分からない。ただ、ここではないどこかへだ。それだけは確かだった。

 理由などわからない。

 わかるはずがない。


 ――だが。


 佐竹の目が、激怒のために燃え上がった。

「貴様ら……ッ!」

 

 むざむざと目の前でそんな真似をされて、俺が黙っていると思うのか――!


 と。


「うあああああ――っ!」


 背後で、悲鳴のような泣き声が上がった。

 咄嗟に振り向けば、洋介が電柱の陰で棒立ちのまま、火のついたように大泣きを始めていた。


「にいちゃ……、にいちゃあああん……!」


 真っ青な顔で、目をこれ以上ないほどに見開いて、洋介がぼろぼろと泣いていた。

 その足ががくがく震えて、いまにもへたり込みそうに見えた。


 無理もない。実の兄が、目の前でわけのわからない「罠」にかかって、ここまで苦しみ、のた打ち回っているのだ。しかし。

「動くな、洋介! こっちに来るな!」

 佐竹も、今はそう言ってやるしか、出来ることもなかった。


 と、洋介の声を聞いた途端、内藤の動きが止まったようだった。

「…………」

 なにかが聞こえる。

「…………」

 それは、掠れた内藤の声だった。

「……た、け……」


 その声に振り向いて、佐竹は絶句する。

 顔を覆った指の間から見える内藤の目は、全体が白濁したようになって、もうどこに瞳があるのかも分からなかった。

 その目からだくだくと溢れている涙は、血の色だった。

「…………」

 佐竹は唇を引き結び、眉間に皺を刻んで、内藤を見返した。

 押し殺した声で答える。

「……なんだ」

「……すけ、の、こと……」


 よく聞こえない。

 佐竹は、黒い腕どもを跳ねのけつつ内藤に近づくと、その口元に耳を寄せた。


「…………」


 最後の声が、微かに聞こえた。


(………!)

 

 次の瞬間、怒りに理性が吹き飛んだ。


「おまえら……!」


 佐竹は、いまや内藤の体に十重二十重(とえはたえ)に巻きついている黒い腕どもを掴み上げると、次々と力任せに捻り上げはじめた。

 元剣士の握力を馬鹿にしてはいけない。黒い腕どもは、べきばきと音を立てては力を失ってゆく。それは確かに、佐竹の手の中で、やつらの骨の砕ける音だった。


《ギエアアアアアア――!》


 暗闇の中から、途端にくぐもった悲鳴が聞こえた。いくつかの腕は闘志を失ったかのようにだらりと垂れると、ずるずると暗闇のなかに戻ってゆこうとし始めた。

 佐竹は間髪いれず、残りの腕も脇に囲い込んであらぬ方向へと体重をかけ、力を込める。

「ふっ……!」

 再び、べきべきと骨の砕ける音がした。また、闇の門の中から醜い野獣のような悲鳴が湧き起こった。


《誰じゃ……!》

 鉄の錆びたような、老人の声が轟いた。

《邪魔をする者は、誰じゃ……?》


 佐竹は我知らず、口の()に笑みがのぼってくるのを覚えた。

 普段、ほとんど笑うことなどない自分が。

 なにか、不思議な気持ちがした。


 そして、ひと言、こう答えた。


「……俺だ」


 不思議なことに、そこからしばしの沈黙があった。

 やがて。


《その、声は……》

 鉄錆の声は、愕然としたような色を含んでいた。どういうわけか、ひどく狼狽しているようにも思われた。


《……まさか》


 と、暗闇の円盤の中に、次々と巨大な「(まなこ)」が、ねっとりとした泥の中から浮き上がるようにして、ぬぷりぬぷりと浮き出てきた。真っ黄色で充血した、ぎょろぎょろとしたその眼は、直径が優に三十センチはあった。全部で十はあるようだった。

 その眼が、一斉に、ぎょろりと佐竹の姿を捉えた。

 佐竹も、黒い腕を抱え込み、不敵に笑ったままの顔で睨み返した。


 「(まなこ)」どもは、佐竹の姿を認めると、明らかにその目を剝いた。


《ぬうう……!》


 老いたその声には、凄まじいまでの驚愕が現れていた。

 まるで、「信じられぬ」と言わんばかりだった。


《まさか、そなた――》


(なんだ……?)


 まるで、もともとこちらを知っていたかのようなその声の物言いに、佐竹はふと、奇妙な感じを抱いた。それでつい、笑った顔のまま、鎌をかけた。

「どうした? あんたの知り合いにでも、似ているか?」 


 声は、それには構わず、先を続けた。


《サーティーク……!!》


 そこには、確かに恐怖が混ざりこんでいた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ひぇぇぇ!:;(∩´﹏`∩);: 凄い展開に……っ!! 異世界らしきところに連れて行かれそうになるこの場面。さらっと異世界転移や転生する物語と違って、それまでの主人公たちの生活や思いが…
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