1 調査
<白き鎧>捜索のための先遣隊がミード村に着いたのは、出発してから三日目のことだった。
思いもかけぬ訪問客に、村の人々は色めき立った。相変わらず冬の空は暗く、夜と変わらぬ様相である。人々はみな村の入り口に戸惑った顔を集め、王都からのこの珍しい客人を迎え入れた。
人々の最前列にいるのは、もちろんあの村長の老女、ルツ婆である。彼女はあの時となんら変わらず、小柄な体ながらどっしりと落ち着いた態度だった。そうして温かくも重々しい様子で、馬や馬車から下り立った人々に深々と頭を下げている。村人たちもそれに倣っておずおずと礼をした。
先遣隊の部隊長であるディフリードは、ルツに向かって華麗な一礼を披露すると、「大切な話があるため、すぐに村の要人を集めてくれるように」と頼んだ。誰も目立った声は上げなかったが、女たちはもちろんのこと、男たちまでも、彼のあまりの美貌に驚き、息を呑んでいるのがわかった。
ほかの村人たちはそこで一旦解散となり、ディフリード、佐竹、文官長ヨルムスとマールのみがルツの家へと案内された。
ちらりと見やると、自分たちに道をあけてくれている村人の間に懐かしい顔が見えた。ケヴィンやガンツ、それにオルクだ。三人はこちらにちらちらと控えめに手を振ったり、合図を送ってくれている。
佐竹は彼らに少しだけ会釈を返した。ケヴィンはひどく嬉しそうで、顔中でにこにこと笑っている。彼は佐竹の昇進を、わが事のように喜んでくれているようだった。
ルツの家の広い客間でみなが一同に会したところで、ルツの娘ナオミが例によって付き人バシスを伴ってしずしずと現れ、客人たちに茶を運んできた。人数が多いため、マールもついと立って手伝いをする。
前回、佐竹がマールと二人で訪ねた時とは違い、今回は王宮からの訪問客側が所謂「上座」に座っていた。
ひと通り茶がいきわたって落ち着いたところで、ルツの正面で胡坐をかいたディフリードが静かな声で話を始めた。
ディフリードの説明は、簡潔、かつ明瞭なものだった。佐竹が聞いていた限りでは、重大なことで包み隠したことはほとんどないようだった。
ナイト王があの南の王サーティークに掠め取られた下りでは、長老たちはもちろんのことだったが、さすがのルツも慄然とした様子を隠さなかった。
「以上のような経緯です。もちろん陛下は、この活動にあたって皆様に十分な褒美を下されることをお約束なさっておられます。調査が本格的に始まれば、ミード村の皆さんにはいろいろとお手数をお掛けすることになろうかと思いますが、どうか是非、ご協力のほどをお願い申し上げたい」
最後にそう言って、ディフリードはルツに頭を下げた。彼の言葉遣いは終始一貫、至って丁寧なものだった。少なくとも、「これは王の命令だから」と上から圧し掛かるような風情は一片たりともなかった。
彼の話が終わって、村の長老たちが互いの顔色をさぐるように見交わし始めたとき、マールはディフリードからの目配せを受けて頷き返し、初めて口を開いた。
「どうか、私からもお願いします、ルツ婆さま。これは王国にとって、とっても大事なことなの。それはつまり、この村にとってもそうなの」
それだけ言って、まず深々と村の人々に向かって頭を下げる。そんな女官姿のマールを、ルツは目を細めて眺めた。それはどこか嬉しげにも見えた。
「頑張っておるようじゃの、マール嬢や。元気そうでなによりじゃ」
しわがれた、温かみのある声だった。
「それにしても、こんなに早う、また顔が見られるとは思うておらなんだわのう……」
くつくつと、面白げに喉奥で笑っている。ルツの後ろにいた長老連中も、僅かににやりとしたり、意味ありげな咳払いをしたりしていた。マールは真っ赤な顔になり、頭を上げられなくなってしまったようだった。
どうやらマールはこの村を出てゆく際に、皆に相当な啖呵を切ったり、「出世できるまでは帰らない」等々の捨て台詞でも残してきたのかも知れない。それはいかにも、勝気で芯の強いマールならやりそうなことだった。
ルツはまずディフリードに断ってから、しばし後ろにいる長老たちと話をする時間を取った。その後、改めて彼に向き直った。
「ディフリード竜将閣下さま」
「はい」
ディフリードは、あえてルツに対しては相当の礼を尽くして対応するつもりらしく、言葉づかいを崩さなかった。本来、彼の身分からすれば、特段そんな必要はない。これはかなり殊勝なことだと言えただろう。
もしかすると、いかに高齢とはいえ相手が女性であることも理由のひとつなのかもしれなかったが。
「お話の段、重々わかりましてございまする。ミード村の皆みなは、此度の王家のご決断に賛意を表し、村をあげてのご協力を惜しみますまいぞ」
「おお、それは」
ディフリードの花の顔がほころんだ。
「村長どののご英断、幾重にも感謝申し上げます。どうぞ諸々、よしなに御取り計らいのほど、重ねがさねお願い申し上げる」
そう言って頭を下げ、にっこりと菫色の瞳で笑いかけた。
話が終わってルツの家を出たところで、佐竹とマールは待ち構えていたケヴィンに捕まった。
「久しぶりだな! サタケ。いや~、また昇進したみてえだなあ。おめでとうよ!」
隣に立つ巨躯のガンツも、にこにこと笑いかけてくる。佐竹は改めて二人に礼をした。
「先日は、色々と頼みごとばかりで申し訳なかった」
「いやいや、そんなの、いいってことよ!」
ケヴィンはひらひらと手を振って、ちょっと恥ずかしそうに頭を掻いた。
「結構、すったもんだしたけどよ。あの刀鍛冶の爺さんも、なんとか金子は受け取ってくれたから心配すんな」
「手数をかけた。済まない」
佐竹はまた一礼する。ケヴィンはさらに激しく手を振って見せた。
「いやいや! んで、村のほうへの金子は、今のところルツ婆さまが保管なさってら。必要なけりゃあお前に返すっておっしゃってたぜ?」
「……そうか」
一方、ケヴィンの後ろにいたオルクは、マールに近寄ってその姿をまじまじと見つめていた。
マールは王宮付きの女官のする旅装の姿で、結い上げた髪に小ぶりの女官帽をつけ、短めのグレーのワンピースに下穿きと短靴という出で立ちである。今は外しているが、旅の間はその上にフード付きのマントを羽織ることになっている。
「なんか……、マールじゃねえみてえ……」
どこか不満げな様子のオルクに、マールは必要以上なほどにつんとして、腰に手を当てて見せた。
「なによ。なにか文句ある? これが王宮の制服なんだからしょうがないでしょっ!」
それを聞いて、オルクが明らかにげんなりと肩を落とす。その背中を、ガンツが「まあまあ」といわんばかりにそっと叩いた。
ルツの家の前の小さな梯子の所で、脱ぎ履きの面倒な長靴をやっと履き終わったらしいディフリードが、背後のちょっと離れた所からそんなやりとりを少し観察していたが、やがて柔らかな声を掛けてきた。
「楽しそうなところ、済まないね。少し休んだら、すぐにも調査に向かうとしよう。いいかな? サタケ」
「もちろんです」
「あっ、あのっ……。私は……??」
自分の名が呼ばれなかったことにすぐに気づいたのだろう。マールが声をあげた。
「ああ、マール嬢は申し訳ないんだが、ここでお留守番をしていて貰えるかな?」
白い手袋をした指先をまた頬の辺りに沿えながら、にこやかにディフリードが言う。
「え……でも──」
食い下がろうとするマールを、ディフリードは指一本で制して見せた。
「この先は、獰猛な野生動物も多いと聞いているからね。お可愛らしいご婦人を伴っての散策には、少しばかり野暮が過ぎるというものだよ」
「…………」
マールはそれでも不満げに沈黙して、足元を見つめてしまう。ディフリードはふわりと微笑んだ。
「そんな甘い道ゆきは、また次の機会に譲るとしよう。いい子だから、ここで待っておいで。必ず、埋め合わせはさせていただくよ」
全身から花の香りを振りまくようにして片目をつぶり、男はそんな台詞を吐いた。彼の背後で、いつの間にかその周囲に集まっていた村の女たちの「きゃあっ」という黄色い声が上がる。
さすがに佐竹は慣れたもので、一連の歯の浮くような台詞を聞いても冷ややかな目で秀麗な上官を見やっただけだった。が、目の前のケヴィンとガンツ、それにオルクは、完全に顎が外れそうな顔になっている。それはもはや、宇宙人でも見ているかのような顔だった。もちろん彼らにそんな概念があればの話だが。
ディフリードは美麗な笑みは崩さないまま、言葉を続けた。
「それに、君にはここで、村の方々と王宮の兵ら、文官らとの間を取り持つという大事なお役目がある。どうか君には、全力でそちらのほうに当たってもらいたい。両者に大きな揉め事など起こらぬよう、くれぐれもよろしく頼むよ?」
最後の一言には、柔らかながらも有無を言わせぬ響きがあった。むしろこちらがディフリードの話の肝なのであろう。それを聞いた途端、マールの表情もぴりっと引き締まった。
「……はい。わかりました」
ようやくはっきりと頷いたマールにひとつ頷いて見せると、ディフリードは佐竹と共に兵たちの所へと戻っていった。
◇
<召喚の間>には、恐らく馬でならものの二時間もあれば着くものと思われた。しかし、昼間の時間帯にも関わらず、空は夜間と同じ色だ。そのうえ周囲は鬱蒼とした森である。そこに森を闊歩する野獣どももうろつくとなれば、移動には慎重を期さざるを得なかった。
一行は佐竹、ディフリード、ヨルムスと文官たちを中心に、護衛の兵士が五名ついている。みな騎乗し、丹念に足元の小道を確認しつつ、森の奥へと進んでいった。護衛兵のうち三名は手に松明を持っており、それぞれ隊の先頭、真ん中、殿を歩ませている。
気温は低く、吐く息は白くなっている。一行はみな、防寒用マントのフードをかぶって馬を進ませていった。時おり梟によく似た夜鳥の声が、森の静寂にふうふうと響くばかりである。
この世界に落ちてきてすぐ、傷だらけの体で歩いたその道を、佐竹は細かく思い出しながら慎重に進んで行った。
実のところ、ズールから託された「<白き鎧>覚書」の中にも、あの<召喚の間>への行き方に関する記述があった。そのため、実際はそれと自分の記憶とをつき合わせながらの探索となった。
何度かの試行錯誤はあったものの、やがて目の前にあの岩山の姿を認めて、佐竹は馬を止めた。出発して二刻ほどが過ぎていた。
少し明るい夜色の空を背景に、あの岩山がぬっと大きなシルエットを見せていた。
「あれだと思われます、ディフリード閣下」
「ふむ。意外と早かったね」
佐竹が指差す岩山を見やって、ディフリードも感慨深げに目を細めた。
そのまま岩山の麓に辿りつくと、一行は馬を護衛する者を二人ばかり残して、岩棚の坂道を登っていった。
坂道の突きあたりで洞穴の存在を確認し、みなは佐竹を先頭にして、ゆっくりとその中に入った。中は以前と同様、つもった土埃のにおいがしている。
<召喚の間>に入り、佐竹は持っていた松明の火を置かれた松明台に移した。内部がほわりと明るくなる。初めてここへ来た面々は、一様に驚きを隠せない様子だった。ディフリードは腰に手を当て、ぐるりと場を見渡して言った。
「なるほどね……。ここが、君が初めて来た場所なわけだ」
佐竹は黙って頷いた。
ヨルムスは早速、しゃがみこんでいる。足元の円陣になった古代文字らしき呪文に興味を引かれたのだろう。手にした古代文字に関する巻物を広げながら、床の埃を丁寧に手で拭うようにして、もう読み取ろうとし始めている。他の文官たちも早速その作業を手伝い始める。
「最初に自分が倒れていたのが、この辺りです」
佐竹はそちらを指し示しつつ、ディフリードとヨルムス以下、他の文官たちに当時の状況をより詳しく説明した。
「古代文字については、いま手元にあるこの資料で、ある程度までは読み解けぬこともなさそうでございます。ひとまずは、ここに書かれてあることを調査してみようと思いまする」
文官長は、なにかむしろ楽しげなうきうきした様子でそう言うと、またすぐに床の文様解読に取りかかった。この初老の文官は、この年になって初めて研究者としての血が騒ぎ出したといった風情だった。
他の文官たちも、そんな文官長ヨルムスの姿を微笑ましく感じているようだ。彼のそばについて、あれこれと積極的にその補佐をしてくれている。
ディフリードは、佐竹だけをそっと呼んで、洞窟の入り口まで一旦戻った。
「問題は、このあとの<鎧>本体だが」
「はい」
「日が差さない時間帯がこう長いと、恐らくは相当な困難が予想される。思ったよりも時間がかかることは覚悟せねばならないだろうね」
「……はい。そのように思います」
それは、佐竹自身もかねて懸念してきたことだった。ズールから受け取った「覚書」には、もちろん<白き鎧>へ至るまでの詳細な道順や目印なども記されていた。だが、明るい時期ならいざ知らず、この暗い中でそれら目印を探すのはかなりの難行になるだろう。それは容易に想像された。
「とは言え、時間はない。<鎧>の秘密を解き明かすことは、現時点において、この王国の最重要優先課題だ。一刻の猶予も許されない。我々はそれでも、なんとしてもこれをやり抜くほかはない──」
眼下に広がる針葉樹の森を見下ろしながら、ディフリードは腕を組み、静かな声でそう言った。
「こちらの調査と平行し、すぐにも<鎧>の探索を始めるとしよう。後発部隊の要請を掛ける。今度は当然、あの最近いやいや竜騎長になられた気の短い御仁にも、ご出馬願わなければな……?」
上官は皮肉満載ながらも華麗な微笑を浮かべ、ひそやかな笑声を漏らしている。佐竹は彼を、少し呆れたように横目で見やった。が、特に何を言うでもなく、黙ってひとつ頭を下げただけだった。





