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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第一章 南の国
64/141

7 王都クロイツナフト


 翌朝。

 内藤はサーティークに叩き起こされ、半分寝ぼけ(まなこ)のまま、ほとんど強引に湯浴みと朝食をさせられた。


「早く済ませろ。時間が惜しい」


 言いようは至って素っ気ないが、男は特に機嫌が悪い様子ではなかった。

 目を覚ましたとき、内藤はちゃんと靴も脱いだうえ、体に上掛けも掛けられていた。察するに、どうやら昨夜はこの王の手を随分と(わずら)わせてしまったようだ。それに気づいて、さっそく血の気が引くのを覚えた。


「あっ、あのっ……。俺、昨日──」

 知らぬ間に眠ってしまったことを()びようしたその言葉を、サーティークはあっさりと遮った。

「今日は家臣どもと合流する。食べたらすぐに出立だ」

 まるで「聞こえんな」とでも言わんばかりだ。


 男は昨日着ていた鎧をひと(まと)めにして荷造りし、馬に(くく)りつけるよう村長らに指示を出している。ここから先は、彼も平服で行くようだった。

 内藤は慌てて階下に下りた。裏口から表に出ると、井戸のそばに大きめの(たらい)が置かれていた。村の女たちが、すでに湯を張って準備してくれていたものらしい。そこでざっと体と頭を洗い、用意されていた清潔な衣服に着替える。ほとんどカラスの行水だ。

 その後すぐに一階の食堂らしき一室に飛び込んで、固めのパンのようなものと、雑穀や芋、豆などが中心の雑炊のようなもの等々を急いで口に掻きこんだ。「いただきます」と「ご馳走様」の間は、ものの五分ぐらいのものだった。


「ふっ、ふひはへん……!」


 雑穀パンを(くわ)えた状態でばたばたと戸口から飛び出ると、村長となにやら話をしていたサーティークが振り返った。彼はとうに出立の準備を終えて、青嵐と共に待っていたようである。


「来たか。お前の馬を借りておいた。ここからは、これに乗れ」

「え……」


 見れば青嵐の隣にもう一頭の馬がいる。今は村長が手綱を握っていた。

 青嵐と比べると、いかにものんびりした様子の馬だ。もっさりとして牧歌的なその(たたず)まいから、どうやら農耕馬らしいと見当をつける。体色はごく薄い空色だ。尻の辺りにぽつぽつと花柄のような斑点がある。一応、革製の古ぼけた鞍や(くつわ)などがつけられていた。


「で……でも俺、乗馬なんて──」

「『習うより慣れろ』だ。これ以上、俺の青嵐に無理をさせるな」


 いきなり尻込みし始めた内藤を、サーティークは有無を言わさず鞍の上に押し上げた。そう言われてしまったら、もう一言(いちごん)もなかった。昨日は成人した男を二人も乗せて、青嵐はさぞかしいい迷惑だったことだろう。そのぐらいのことは内藤にだって分かっていたから。


 来たとき同様、村長たちからまた顔も見えないぐらいに深々とお辞儀をされ、内藤とサーティークは村を後にした。

 サーティークは平服の上に黒いマント姿である。内藤は村で調達したという、駱駝色(らくだいろ)のフードつきマントを着けていた。なんだかんだで、どうやらこの男には世話になりっぱなしの内藤である。


 王都へ向けては街道が整備されているらしい。森を抜けて草原に出たあたりから、それははっきりと物流のための意味を持っていることが明らかになり始めた。

 要所要所には砦や村落、宿場町や小都市といったものが存在している。街道を進むにつれて、農作物や工芸品などを運ぶ人々の往来も増えてくるようだった。もちろん、サーティークの姿を認めた途端、人々は一様に驚嘆して馬や馬車などから飛び降り、道の端に寄っては平伏したりお辞儀をしたりして彼を通す。

 サーティーク自身は特にそれらに手を振るなどはいっさいせず、顔色も変えないままに堂々と通り過ぎるだけだ。内藤はその後ろについて、また身の縮む思いで彼らに向かってぺこぺこしながら馬を歩ませた。


 道々、サーティークは内藤に簡単な乗馬の手ほどきもしてくれた。幸いこの農耕馬はおとなしすぎるほどおとなしい性質で、ごく扱いやすかった。三時間もたつと内藤も「止まる」に「進む」、方向転換、そして速歩(はやあし)程度までなら何とかできるようになっていた。

 とは言えそれだけでも、緊張のために手のひらも背中も汗びっしょりになってしまったのだけれど。


「ふむ。少しは見られるようになったぞ、ユウヤ」


 楽しそうにそう言って、黒髪の王はまた笑った。草原を駆ける若き王らしく、その手綱(さば)きはまさに見事なものだ。内藤ですら、ちょっと見惚れるぐらいだった。

 そして道中、彼に訊ねられるまま、内藤は色々な話をした。


 自分の住んでいた世界のこと。

 家族のこと。

 佐竹のこと。

 どうやってこの世界にやってきたのかということ。

 そして、佐竹がここにやってきてからのこと。


 もちろん、北の国フロイタールの軍事上の状況や機密に類するようなことは、ある程度はぼやかした。あまり話すべきではないかと思ったからだ。とは言え実際、内藤は「ナイト」の下で眠っている時間の方が長かったこともあり、あの佐竹ほどそのあたりの事情に精通していないのも事実だったけれども。

 ひとつひとつをゆっくりと聞いてゆきながら、サーティークは時折、なにか考え込む風だった。


「『アキユキ』……というのか、あの男」


 まず気になったのは、佐竹の名前のことらしかった。馬上で顎に手を当て、何ごとかを思い巡らすようである。

 隣で馬を歩ませつつ、内藤はちょっと逡巡した。実はさっきから、どう言ったものかと考え続けていたのだ。そして挙げ句にこう言った。


「あのっ、サーティーク……さん?」

 その語尾を聞いて、サーティークはちょっと変な目で見返してきた。

「……そんな呼ばれ方をしたのは初めてだ」

 内藤は途端に焦る。


(そ、そっか……! この人、王様なんだもんな?)


 一国の王を、さすがに「さん」呼ばわりはまずかったか。

 今のこれは、ひょっとすると即座に「お手打ち」にされても仕方のない場面だったのかも知れない。内藤はさらに焦った。


「あ! え、えっと……すみませんっ! ダメですよね? ごめんなさいっ!!」

「駄目ではないが、……奇妙だな」

「えっと、じゃあ……『サーティーク様』?」


 そう呼ばれた途端、サーティークは明らかに驚いたような顔になり、こちらの顔をまじまじと見返してきた。


「え? こ、これも駄目でした……? ああっ、じゃあどうしよう──」

 しどろもどろになって頭を抱えてしまった内藤を、サーティークはしばし黙って見つめていたが、

「……いや。そう呼ばれたのは久しぶりだ」

 それだけ言って、押し黙った。


 そこからしばしの沈黙があった。

 周囲はすべて、沈むことのない太陽光が降り注ぐ、のどかな田園風景である。その街道を、二頭の馬が速歩で歩きすぎてゆく。

 放牧されているらしい牛や羊のような生き物の暢気(のんき)な鳴き声。農作業をする人々の何かを言い交わす声。そして馬たちの蹄の音。それ以外、何も聞こえない。

 内藤は俯いて、サーティークの横顔をちらっと見やった。

 佐竹にそっくりのその端正な横顔には、暗い陰が浮かんでいた。

 彼の脳裏に去来しているものが何であるかはわからない。しかし。


(どうしようかな……)


 内藤は考えている。

 名前に「様」を付けただけでこんな反応になるのだとしたら、こう呼ぶのはやっぱりまずいのではないだろうか。ではそれ以外に、自分が彼を呼ぶとしたら、一体どうすればいいのだろう。


 ──と。


「陛下ああああ────ッ!」


 彼方から野太い大音声が響き渡って、内藤はぽん、と拳で(てのひら)を叩いた。


(そっか! それか!)


 そう思ってから、ふと目を上げる。


「……ん?」


 声の主を目で探すと、それは街道の彼方から()せ寄せる騎馬の一団らしいと分かった。総勢三十名ほどの騎馬の兵士だ。それがこちらに向かってまっすぐに駆けてくる。みな黒いマントと甲冑姿であるようだ。

 先頭にいるのはどうやら、将軍クラスの人物であるらしい。がっしりとした体躯に黒光りする甲冑を(まと)った、不敵な雰囲気の男だった。頭には甲冑と同じ色の兜を被り、サーティーク同様、肩から黒いマントをなびかせている。

 兵らはあっという間に目の前までやってくると、サーティークの手前十メートルほどのところで全員下馬した。次いで兜を脱ぎ、全員ざっと片膝をついて臣下の礼をとる。


「ご無事のご帰還、なによりにございます、陛下!」

 今はもうサーティークもいつもの表情に戻り、男を頼もしげに見下ろした。

「出迎え、大儀」

「はっ……」

 将軍らしき男は深々と王に礼をすると、頭を上げてちらりと内藤を見やった。

「して、陛下。そちらの御仁は」

 サーティークも内藤を見やったが、今度は少し考える風だった。

「……そうさな。『思わぬ拾いもの』とだけ言っておこうか」

「は?」


 男は我が耳を疑ったような顔でサーティークを見返した。が、怪訝な目をしながらもそれ以上は何も訊かない様子だった。臣下の立場であれこれと王に詮索するのは不敬にでもあたるのだろうか。

 内藤はすぐに下馬して、将軍ら同様、地面に膝をついた。


「な……いえ、祐哉(ゆうや)と申します。どうぞ、よろしく……」


 危うく苗字の方を名乗ってしまいそうになるが、なんとかそう言って一礼する。このあたりの礼儀作法は、ナイトの中にいたときからある程度は分かっている。もちろん佐竹がこちらに来てからは、彼に教わったことも多かったけれど。


「ああ、いやいや……」


 困ったように相手も礼をし、後ろの兵たちも同様に頭を下げてきた。

 と、サーティークがすかさず言った。


「俺の客人だ。ゆめゆめ、粗相(そそう)のないように」


 その一声で、一同の態度がさっと、さらに改まったようだった。隊長の男があらためて、また内藤に一礼をした。


「ご丁寧に、(いた)み入ります。ザルツニコフと申します。陛下の御許(おんもと)、非才の身ながら天将を拝命いたす者。以後、どうぞお見知りおきを。ユウヤ殿」


 生真面目そのものの挨拶は、彼の人柄そのままのように聞こえた。

 幅広のがっしりとした顎と鼻は、その意志の強さを物語っている。顔の彫りは深く、黒髪に髭を蓄えていた。鶯色(うぐいすいろ)の瞳は理知的でありながらも、野性味を帯びて炯々(けいけい)としている。

 一見して、勇猛果敢な大将軍そのものといった風貌だった。


「こっ、ここ、こちらこそ──」


 身が(すく)むような気持ちになって、内藤はますます小さくなり、さらに頭を下げた。


「挨拶もほどほどにしておけよ。いい加減にせねば、日が暮れるわ」


 一人馬上でそう言ったサーティークは、先ほどの暗い表情などまるでなかったかのごとくに、爽やかな笑顔を浮かべていた。





 王都に至るまでは、そこから更に二日を要した。

 途中、宿場町や小都市などで泊まりながら、内藤は同行する兵士たちと次第に打ち解けて話もできるようになった。それにつれて少しずつ、この国の内情が分かってきた。


 結論から言えば、フロイタールとの大きな差はない。

 国は基本的に農業や林業、牧畜業によって成り立っている。そこここで産出される鉄鉱石などの地下資源によって鍛造・鋳造の技術もそれなりに進歩はしているが、いわゆる手工業どまりであって、地球でいうところの産業革命にまでは至っていない。と、大体そんなところだろうか。

 印刷技術の面でも、銃やボウガンなどの飛び道具の生産技術の面でも、ほとんど進展はしていないらしい。要するに、北の国とどっこいどっこいという感じに思われた。


 王都クロイツナフトは、フロイタールのアイゼンシェーレン同様、やはり大河の近くにあった。名を、ヴォルナ川というらしい。ただし周囲は草原ではなく、巨大な赤みの強い岩がごろごろとした地形の間に、ひときわ盛り上がった巨大な丘をそのまま利用したつくりになっている。

 その丘の縁に高い防壁を建てまわして、街全体が周囲を睥睨(へいげい)する様相を呈していた。中心部に王城の高い尖塔が見えるのも、フロイタール宮を思い出させる。

 人口はアイゼンシェーレンよりは少なく、五十万人程度とのことだった。それでも、十分な巨大都市だ。


 一行は王都に至る岩の多い急坂を登っていった。防壁の大門に至って衛兵に門を開けさせると、まっすぐに王城に向かって進んでいく。

 兵の一人が先触れをして、街の人々はサーティークがやってくる前からみな、あの村人らと同様に道を開けては礼をしていた。

 しかしそれも、やっぱり北の国で聞かされていたような「恐怖の王」に対するような態度とは違う。飽くまでも「尊敬の念」や「敬愛の念」の表れとしての礼のように内藤には思われた。

 街の人々の表情には、暗さやかげりは見えなかった。ちらりと見えた街の市場は大勢の人々で賑わっているようだったし、街のあちこちから老若男女の笑いあう活気のある声が響いてきていた。


(来て、実際に見てみなきゃ、わかんないことってあるんだなあ……)


 それらのものを見聞きしながら、内藤はきょろきょろしつつ、そんなことを考えていた。


 王城に着くと、サーティークはすぐに将軍たちと別れて馬を下りた。そのまま内藤だけを伴って、どんどん王宮内へ入っていく。

 王宮の造りそのものも、驚くほどに北と似ていた。まるで鏡で映したように、互いの文化のありかたは似通っているようだった。

 廊下を大股にゆくサーティークに少し小走りになりつつ付いてゆくと、やがて目の前に小柄な老人が現れた。顔じゅう皺だらけで、どこに目があるのかもよくわからない。それほどに高齢の人物だった。

 服装からして、文官の高官であるようだ。髪も眉も長い髭も真っ白だったが、髪の毛はもうほとんど残っておらず、そこにちょこんと文官の飾り帽を乗せている。服装も装飾品もごく質素な雰囲気で、飾り気のない人柄が(うかが)われた。


「お戻りあそばされましたな、(わか)。国王ともあられるお方が、そうそう王宮を空になさるものではありませぬぞ」


 落ち着いて控えめな、深く知的な声だった。老人は一度、サーティークの背後にいる内藤を皺の間からちらりと見たようだったが、特に何も言わなかった。


「おお、(じい)。戻った。留守居役、ご苦労だった」

 黒髪の王はごく親しげな態度で老人にそう言うと、内藤を振り返った。

宮宰(きゅうさい)、マグナウトだ。聞いての通り、王たる俺をいまだに『若』呼ばわしてくれる、喰えん(じじ)いだ」

 そんな憎々しげな台詞とは裏腹に、サーティークの声には温かみが(にじ)んでいる。

「こちらはユウヤ。以後、この王宮預かりとする」

「……ほ」


 老人が、改めて驚いたようにこちらを見た。

 内藤は慌てて老人に礼をした。


「ユ、ユウヤです。よろしく……」

「こやつについては、爺には(のち)ほど詳しく話す。とりあえずは、ゆるりと休ませてやってくれ」

「……はは」


 老人が一礼すると、サーティークはまたにやりと意味ありげな笑みを浮かべて内藤を一瞥した。


「どうやら逃げるつもりはないようだが。とりあえず、目は離さんように。ではまた後ほどな、ユウヤ」


 言い捨てるようにそれだけ言うと、サーティークはもうマントを翻し、再び大股に宮殿奥へと歩み去っていった。

 


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