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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第一章 南の国
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6 白夜


 そこから馬で数時間かけて、サーティークは内藤をとある村まで連れて戻った。それでもまだ、山間部から少し抜け出ただけのことである。

 周囲を森と林に囲まれた、のどかで小さな村だった。フロイタール王国同様、村のまわりには獣よけの防護柵らしい大きな杭がずらりと立て並べてある。さらにその周囲には、様々な柵でかこった農地が広がっていた。作物そのものは、フロイタールで見かけるものとさほどの違いはないようだった。


 単純に感覚的なことだったが、そろそろ夕方の頃合いのはずである。だが、ぼわっと赤いこの惑星(ほし)の太陽は、一向に地平線に沈む様子がなかった。

 内藤はそれで初めて、ここが南の国であり、こちらでは今が夏至の時期であることを思い出した。つまりこれは、所謂(いわゆる)「白夜」なのであろう。


 村の入り口に辿りついた頃には、内藤はすっかり尻が痛くなっていた。乗馬にまったく慣れない上、道中、時おり挟んだ休憩以外、(ほとん)ど馬上にいたためである。


「あ、(いた)たた……」


 サーティークに手を貸されて馬から降りた途端、口から出たのはそんな言葉だった。つらそうにそのあたりを(さす)っている情けない格好を見て、黒髪の王が苦笑する。


「慣れないうちはそんなものだ。今日はここに泊まる。ついて来い」


 青嵐号を村の農家の男に預け、世話代としていくばくかの金子を渡すと、サーティークは黒いマントを翻し、大股に村の中心部へと歩いていった。内藤も仕方なく、てくてくとそのあとをついてゆく。

 土を(なら)しただけの通りには、それまで村の子供たちが無邪気に走り回っていたのだったが、大人たちはサーティークの姿を見ると、慌てて子供たちを呼び戻した。そうして子供らを家に入れ、自分たちは深々とお辞儀をして彼が通り過ぎるのを待つ様子である。


「あっ。ど、ども……」


 自分まで人々から一緒にお辞儀をされてしまうことが申し訳なくて、内藤はその一人ひとりにいちいち頭を下げつつ歩いた。

 と、サーティークが振り向いた。


「しかし、変わっているな。貴様」

「へ?」

 ぽかんとして立ち止まると、男は呆れたような顔になった。

「少しぐらい、『逃げよう』などとは思わないのか? 俺は一応、敵国の王なんだがな」

 片手を軽く腰に当て、少し首をかしげるように内藤の顔を見やっている。


(あ~……)


 「そういうことか」と得心しつつ、ちょっと自分でも不思議に思う。

「う~ん……」

 腕を組み、こめかみあたりに指をあて、首をかしげて考えてみた。

「でも、あの……。こう言ってはなんなんですけど。別に俺、どっちの国の人間でもないですし……」

「まあ、それはそうだろうが」

 やっぱりサーティークは変な顔だ。

「えっと……。なんか、変ですかね? 俺……」

 困って頭を掻く内藤を、サーティークは珍獣でも見るような目でじっと見た。が、やがて「まあいい」と肩を竦めた。

「それより、ユウヤ」


(……う)


 一瞬、返事を躊躇する。


「え~っと……。はい」


 なんだか、どうも尻の辺りがくすぐったい。内藤はこの男からこう呼ばれることに、まだ慣れることができなかった。

 佐竹はもちろん元の世界のどの友達も、またここの世界の住人たちも、基本的にみな自分のことを「内藤(ナイトウ)」と呼ぶ。普段、下の名前で自分を呼ぶのは父親ぐらいのものだろう。ちなみに母は「ゆう君」だったが、これはそもそも論外である。

 サーティークが怪訝な目になった。


「なんだ?」

「あ~。えっと……。あの、どうして俺のこと『ユウヤ』って……?」

 男が合点が行った顔になる。

「『ナイトウ』と呼んで欲しいということなら、生憎(あいにく)と賛成はできんな。少なくともこの国でそう呼ぶのは、そなたのためにはならんと思うぞ。『ナイトウ』はあの北の王の名と、あまりに音が似すぎている」

 それはまあ、そうなのだが。

「そちらの国で俺がそうだったように、こちらでも『ナイト王』の評判はいいものではない。家族の命をそちらの国に奪われた者にとっては、間違いなく(かたき)でもある」


 サーティークの声はどこまでも淡々としていた。が、それだけにその事実は内藤の胸に迫って、説得力のあるものだった。

 なるほど、そういうことなのか。

 納得しかかった内藤を見て、男はきらりと目に悪戯(いたずら)っぽい光をうかべた。


「なんなら、今ここで大声で呼んでやろうか? 刃物を持った村の男たちが、(またた)く間にお前を取り囲むようなことになってもいいなら、だが」

「え……遠慮しておきます……」


 内藤はもはや、がくりと肩を落としてそう言うしかなかった。

 




 その夜。

 内藤はサーティークと二人、村長の家の一室に泊まることになった。そちらとは、事前に話をつけていたらしい。村長以下、その家の者たちは、みなまともに彼の顔も見られないほどに頭をさげて、まさに平身低頭の(てい)でサーティークを出迎えた。

 村長の家は、やっぱりフロイタールの田舎でよく見かけるような木造の家屋だった。二階建てで、近隣の家々からすると相当大きなものである。

 サーティークは特に内藤を拘束する風もなく、村長にも「ただの旅の連れだ」紹介したのみだった。村長は王の要請を受け、二階の大きめの一室に寝台をもう一台入れてくれた。

 つまり内藤は、どうやらサーティークと同室にされたようである。


(え~……。同じ部屋かよ? この人と?)


 内藤は心底困ったが、一応「捕虜」の立場である以上は仕方がないかと、早々に諦めざるを得なかった。

 サーティークはそんな内藤にはお構いなしに、部屋へ続く階段をどんどん上がっていく。内藤も仕方なくそのあとに続いた。

 部屋に入ると、そこは独特の爽やかな木の香りがして、ゆったりと気持ちのいい空間だった。二つの寝台をはじめ、椅子やテーブルなどの調度品はごく簡素な木製のものだ。決して華美ではないものの、すべてが清潔に整えられていて、久しぶりに落ち着いて休めそうな感じだった。


「下で湯浴みの準備をしてくれている。あとでお前も使うといい」


 サーティークはそう言うと、手慣れた様子で着ていた鎧を次々に外し始めた。下に着ているのは内藤のものと大差ない、半袖の単衣に下穿きだ。


(あ……)


 なんとなしにその体に目をやって、内藤は驚いた。

 袖から出ているサーティークの腕には、引き締まった筋肉の上に、無数の古い刀傷が走っていたのだ。それは、この男の戦いに明け暮れてきた半生を物語っているかのようだった。恐らく体のほかの部分にも、多くの傷が残っているのに違いなかった。


「……刀傷が珍しいか?」

 サーティークが少し笑ってこちらを見ている。内藤の視線に気付いたらしい。

「北の王は荒事をあまり好まれないとは聞いているが。どうやら本当らしいな」

 独り言のように言う声も、やや皮肉めいたものである。

「あっ、いえ……」

 内藤は慌てて目をそらした。そのまま遠慮がちに片方の寝台に座り込む。

「ご、ごめんなさい……」

「別に謝る必要はない」


 素っ気なくそう言うと、サーティークは愛刀だけを持って扉に向かった。が、ふと思い出したように足を止め、振り向いて内藤を指差した。


「一応は、言っておく。……()()()()()

「は……? はあ……」


 何をいまさら。そう思って、つい呆れたような声が出てしまった。サーティークはまたにやりと笑った。


「無論、試してみたいなら止めはせんがな。そして万一、この俺から逃げ切れた(あかつき)には、褒美を取らさんこともない。何なら、そのまま自由の身にしてやっても構わんぞ?」

「…………」


 どれだけ自信があるのか知らないが、もはや言いたい放題である。というか、とんでもなく矛盾している。「逃げ切れた」相手に、いったいどうやって「褒美を取らす」つもりなのだ、この王は。

 内藤は呆れるを通り越して脱力した。


「はあ、それはどうも……」

「まあ、無理だと思うがな」


 かかか、と楽しげに哄笑して見せたかと思うと、豪胆な若き王の姿はもう、扉の向こうに消えていた。

 内藤はしばらく呆気にとられて、その扉を見つめていた。


(なに言ってくれてんだよ、あの人は……)


 と言うか、佐竹と同じ顔で大笑いとか、本当に心臓に悪いからやめてもらいたい。何かものすごく見てはいけないものを見てしまった気持ちになるのは何故なのだろう。


 そもそも、内藤はあの男から逃げようなどと、少しも考えてはいない。

 たとえこの場から逃げられたとしても、馬にも乗れない自分がどこまで逃げ切れるものだろう。あの駿馬(しゅんめ)にかかったら、あっという間に追いつかれるのが落ちだ。大体、右も左も分からないこの国の、どこへ行けばいいというのか。

 今は確かにあの男一人だ。だが彼がひとたび国許に戻れば、そのひと声で動かせる兵たちがそれこそ何十万人もいるのである。彼はこの国の王なのだから。一体どんな人間なら、彼の放つ追手から逃げおおせられるというのだろう。

 今はなぜだかこうして意外にも紳士的に扱われてはいる。しかし一度(ひとたび)自分が逃げたとなれば、以降はその限りではないかも知れない。この国の王都まであとどのぐらいの行程があるのかは知らないが、ずっと縛り上げられたまま連れて行かれる羽目にでもなったら、それこそ目も当てられないではないか。


 ──『障らぬ神に祟りなし』。

 今はまさに、そんな気分だったのだ。


「はああ……」


 思わず肩を落として溜め息をつく。ぽすっとベッドに倒れこんだ。

 いつから眠っていないのかはわからない。だが数時間前まで「ナイト」のものだったこの体は、ずっとひどい疲労を訴えていた。「内藤」としての意識が戻ってからというもの、ずっとだ。

 体を横にした途端、まるでそれを裏付けるようにして、激しい睡魔が襲ってきた。

 こんな危険に満ちた場面だと言うのに。それでも心のどこかで何となく「あの王なら大丈夫」という声が聞こえるのだ。そこに、なんの根拠があるというわけでもないのに。単純に、あの友達と顔が似ているというだけだというのに。

 内藤はそっと目を閉じた。


 サーティークは、自分に聞きたいことがあると言っている。

 でも、それはこちらも同じだ。

 彼には聞いておきたいことが色々あった。


 なぜ、北の国を攻めるのか。

 それも、あれほど理知的なあの王が。

 どうしてああまで狂ったように、「赤い砂漠」を越えてくるのか。

 なぜ、<鎧>の秘密を解き明かそうとしているのか。

 そして、それを壊そうとまでしているのか──。


 サーティークの為人(ひととなり)がわかってくるにつれ、内藤の中でそれらの疑問がどんどん膨らんできている。

 彼がもしも血に飢えた、ただの歪んだ殺戮者だったなら。

 もしもそうであったなら、こんな風には思わなかった。

 だが彼は、そうした者からは程遠い。


(そりゃ、そうだよな……。だって、あれだけ佐竹に似てるんだから──)


 それもやっぱり、何の根拠もないことだった。だが内藤には、彼と佐竹がまったくの無関係な間柄だとは思えなかった。

 あの二人には、なにかしらの繋がりがきっとある。

 それが一体なんなのか、そのことも知りたかった。

 そして、もし本当に繋がりがあるのなら。

 彼ら二人を、決して戦わせてはならないのだ。


(そんなひでえこと……、させらんないよ──)


 ほかならぬあの佐竹が、あんなにまでして自分を助けに来た挙げ句、自分の血縁者と殺し合いをするなどと──。

 そんなことには、きっと自分は耐えられない。


 もちろんあのサーティークに、すぐに話して貰えるとは思っていない。

 だから、彼と共に王宮に行ってみる。そこでできることを探してみるのだ。

 自分がもし、ここで佐竹たちの役に立てるとしたら、もうこんなことぐらいしか残ってはないのだから。


 それが今の自分の決意だし、覚悟なのだと思っている。

 せっかくこうして、この体に戻れたのだ。

 助けられてばかりいるのではなく、なんとかみんなの役に立ちたい。少しでも、ほんのわずかでも構わないから。


「佐竹の、役に立ちたいよ……」


 ぽつりと(つぶや)くこの声を、聞く者はだれもいなくても──。





「ユウヤ、待たせた」


 サーティークがそう言って部屋の扉を開けたとき、内藤は返事をしなかった。

 見れば当の青年は、寝台の上で静かに寝息を立てている。どうやら座った状態から横に倒れこんだものであろう。体をよじった、不自然な寝姿だった。

 夜であるにも関わらず、白夜の続くノエリオールの空は明るい。窓から入る陽光が、その寝顔を照らしていた。


 サーティークはふつりと黙ると、足音を忍ばせてその寝台に近づいた。寝台の脇に立ち、少し首を傾げて彼の寝顔を覗きこむ。

 その目に宿るのはやはり、何かを逡巡するような色だった。

 手にした愛刀の(つか)を少し、握り締めるようにしている。


 やがてちょっと溜め息をつくと、サーティークは内藤の足に手を伸ばした。そこからそっと短靴(ブーツ)を脱がせ、寝台の上に乗せ直す。彼を楽な姿勢に整えてから、掛け布を引き上げ、その体に掛けてやった。

 そのまま寝台の(ふち)に座り、男はまた少し青年の顔を眺めるようにしていたが、やがて自分の寝台に戻った。そうして何事もなかったかのように、静かに愛刀の手入れを始めた。

 ちき、かちゃりと静かな刀の音だけがする。

 と。


「…………」


 向かいの寝台から微かな声が聞こえた気がして、サーティークは手を止めた。


「さたけ……」


 どうやら、寝言のようだった。

 男は沈黙したままそちらを見やった。が、やがて刀を鞘に戻して机に置くと、(おもむろ)に立ち上がって窓の日よけ布を掻き合わせた。

 夜の日の光が遮られ、部屋は薄闇に包まれた。

 サーティークはそのまま自分の寝台に横たわると、壁の方を向いて目を閉じた。



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