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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第六章 暗転
56/141

12 冬至の日 ※

※ R15 残酷表現ありです。ご注意ください。


 もちろんその<門>は、すぐに開きなどはしなかった。

 想定内だったとはいえ、それでも待つのは(つら)い時間だった。巌流島の例を引くまでもない。こういう場面では、待つ側よりも待たせる側のほうにはるかに精神的な利があるのだ。


 <門>が開くと想定されるナイト王の背後には、常に武勇の兵が三名立っている。彼らは座っている王と背中合わせになる形でその場所を固めていた。白刃を抜きつれたまま、金属製の大盾を立てた状態だ。三名とも、兜を被った奥の目をぎらぎらと光らせており、緊張と殺気を放散している。

 この場所は時間を切って交代することになっていて、担当する順番は事前に簡単なくじで決められた。ここでの護衛には、まさに寸刻も切ることのできない息詰まるような緊張感が強いられる。それに長時間耐えられる人間などいないからだ。


 佐竹、ゾディアス、ディフリードは、ナイト王と対面するようにしてずっと目の前に立っている。ズールはナイトの椅子の脇に小さな腰掛けを置いて、そこにちんまりと座っていた。

 老人は時おり王とちょっとした会話をしたり、侍従や召使いを呼んでは王に茶菓子などを運ばせる以外に、さしてすることもない様子であった。

 呼ばれてやってきた者の方が、いい迷惑そのものだった。彼らは一様に蒼白で、あまりの手の震えのために盆の上の茶をこぼしてしまっては、かえって何度もこちらとあちらとを往復する羽目になった。サイラスなどはその最たる例だ。


 大広間には、最初に集められた百名のほか多くの兵が待機している。王の傍の護衛ばかりでなく、こちらもみな一定時間で順ぐりに入れかわっていた。まことに下世話な話ではあるが、この長丁場の中、途中何度も用を足しにいく必要があるからだ。寒い折柄でもあり、みな生身の人間なのだから仕方がない。

 広間の外側にある通路や中庭などにも、さらに下級の一般兵がひしひしと詰めている。王を逃がす経路の先には、幾重(いくえ)にも扉の閉まる部屋を準備してある。いざとなればそこへナイトを逃げ込ませる予定だった。


 「冬至の日」が始まって丸々三刻ほどもの間、事態は一向に動かなかった。

 本来なら、すでに朝日が昇ってきていてもおかしくはない時刻である。しかし真冬のこの時期、フロイタールの太陽はこの国にいっさい顔を見せることはない。真っ暗な朝の空には、ぼかっとあの巨大な「兄星」が大きな顔を晒して居座っているばかりだった。


 佐竹はその永遠にも思える時間、ひたすらに気持ちを集中させていた。

 実は剣の鍛錬の一環で、山本師範の勧めもあり、近隣のご住職にお願いして禅の指導を受けたことがある。しかし、まさかそれがこの世界へきてこれほど役に立つことになろうとは。無念無想の境地は、こうした即、命に関わる極限の場面にあってこそ、よりその力を発揮する。

 佐竹は何時間たってもさほど動くこともなく、鞘を払った「氷壺」を手にして半ば目を伏せ、静かに佇んでいた。隣にいるゾディアスもディフリードも、そして目の前のナイト王も、そんな彼を驚きをもって眺めていた。

 彼の周りにあるのは、ぎらつく緊張と殺気をまとい付かせて落ち着かない周囲の兵どもとは全く異なる空間だった。静謐としかいいようのない空気が、佐竹の周りにだけ現出しているようだった。それは、穏やかな水面(みなも)を思わせた。

 近くでその姿を目にしている兵たちは、佐竹を見ているだけで何か心の安堵めいたものを覚えるらしかった。やがて時間の経つうちにいつのまにか、その場にいる皆が自然と、彼を見つめるようになっていた。



 やがて。

 その時は、突然やってきた。

 ナイトの背後に向かって周囲の空気が僅かに動き始める。

 それを感じて、佐竹はふっと目を開けた。


(……来たか)


 眼前にあの<暗黒門>が、今まさに開かれようとしていた。





 その瞬間、その場の皆に電撃のような緊張が走った。

 その<門>は、そこにまったく出し抜けに開いたという感じだった。

 何の前触れも、違和感もない。<門>はまるでそれが当たり前であるかのように空間に割り込んで、真っ黒な皿をすうっと広げたようだった。それと共に周囲の空気が吸い込まれ始め、あの聞き覚えのあるバチバチと耳障りなプラズマの音が立ちはじめた。


「……陛下。こちらへ」


 佐竹は落ち着いた声で呼びかけた。

 ともかく、自分の指示には即刻、従ってもらう。そのように、事前に話はつけてある。ナイトは背後の異様な空気を感じ取って蒼白になってはいたが、ひとつ頷いて立ち上がり、こちらへ歩きかけた。


 ──と。


「お待ちあれ。白の王」


 <暗黒門>から、若く張りのある男の声がした。

 次の瞬間、椅子の後ろに立っていた兵三人がその場にばらばらと崩れ落ちた。

 見ればみな盾ごと胴を真横に両断され、胴と下肢が切り離されている。すでに絶命している者もいたが、中にはまだ何が起こったのかもわからずに、何もなくなった自分の腹の下を手でまさぐって引きつった声を上げている者もいた。

 床には三人分の血の池が、大量のインクを零したように広がり始めた。

 湿った鉄の臭いが、むっと鼻をつく。

 佐竹は吐き気を(こら)えてその先を睨みつけた。


 ナイトは後ろを振りむかなかった。事前に何度も話し合ったことだったからだ。背後の兵士はこの務めのために命を落とした。ならば王の使命は、この場で何があっても生き残ること、奴に連れ去られぬことなのだ。

 ナイトは蒼白な顔で、ズールとともに足早にこちらへやってくる。佐竹はもちろん、ゾディアス、ディフリードも得物を構え、ナイトを素早く背後に隠しつつ<門>より現れる「客人」を迎え撃つ体勢になった。


 しかし。

 次の瞬間、真っ黒い塊がその<門>から宙に飛び出したてきた。と思うともう、こちらの頭上を飛び越えて、ひらりとナイトの真横に飛び降りた。

 凄まじい跳躍力だった。


(……!)


 漆黒の長い髪。鋭い眼差し。精悍な風貌。

 黒いマントに黒い鎧のその男は、紛れもなく、黒の王その人だった。

 手にした刀は、すでに先ほどの血に(まみ)れている。


(サーティーク……!)


 佐竹は目を見開いた。

 彼の姿は、恐ろしいほどに自分に似ていた。

 上官二人と佐竹はすぐさま攻撃に移ろうとした。が、次の瞬間、動きを止めた。


「……!」


 仰天して一瞬動きの止まったナイトの首に、黒い鎧を纏った腕がすでにがしりと巻きつけられていた。がらん、とナイトの兜が床に転がる。

 そのままぎりぎりと首を締め上げられて、ナイトが目を()いた。


「く、あああッ……!」

「ああっ、陛下……!」


 隣にいたズールが、驚愕のあまりにその場にへたり込んだ。

 顔を歪めて彼の腕をかきむしるようにしているナイトの耳に口を寄せ、サーティークは楽しい遊びでもしに来たかのように囁いた。


「お約束どおり、御身を頂戴しに参ったぞ」


 そしてちらりと周囲を睥睨すると、にやりと口角を引き上げた。


「過分のご歓待、(いた)み入る」


 ちょっと小馬鹿にしたような会釈をすると、サーティークは血刀をナイトの首元にあてがって、ぐいと<門>の方へと足を踏み出した。まさに傍若無人の豪胆さだった。

 ゾディアスもディフリードも、王の体を盾にされては手の出しようもなく、悔しげな目で彼に道を空けざるをえなかった。が、もちろん、少しの隙でもあれば打ち込めるよう、じっと様子を窺っている。

 と、ふとサーティークの黒い瞳がこちらを向いて、佐竹の視線と交わった。


「…………」


 さすがの黒の王も、一瞬、言葉を無くしたようだった。


「貴様は──」


 驚きに目を見張り、じろりと佐竹の全身に視線を走らせる。

 互いの視線が火花を散らすようにしてぶち当たった。


「……ふむ」


 何を納得したのか、サーティークは口許の笑みを深くした。

 その意味は分からなかったが、佐竹はひと言、低く言った。


「断っておくが。そいつは、本物の陛下ではないぞ」

 サーティークはそれを聞いても、別段顔色も変えなかった。

「ご忠告、感謝する。……だが、すまんな。知っているよ」


 それはやはり笑みを含んだ、馬鹿にしたような声音だった。以前のことから考えれば、この男がそれを知っているのは当然なのかも知れなかった。

 サーティークはじわじわと<門>の傍へと後退しながらも、油断なく周囲を見回している。この場の誰にも、彼に向かって打ち込む隙など見つけることはできなかった。首を締め上げられたナイトはひどく苦しげで、早くも顔色が悪くなってきている。


「へ……陛下……!」


 床にへたりこんでいたズールがようやく正気に戻り、這うようにしてそちらへ近づこうとした。


「やめておかれよ、ご老体。年甲斐のない振る舞いは」

 片頬に笑みを貼り付けた悪鬼の形相で、サーティークが牽制した。

「また、痛い目にお遭わせするぞ?」


 ズールは構わず、(かが)んだ姿勢のま、どんどんそちらに近づいてゆく。その皺だらけの細い腕がすっと懐に入ったのを見て、佐竹は思わず叫んでいた。


「よせッ……!」


 が、間に合わなかった。

 次の瞬間、老人は懐剣を逆手に持って、サーティークめがけて突っ込んでいた。それは、老人とはとても思えぬほどの素早さだった。

 ……だが。

 それには何の意味もなかった。

 老人の薄い胸は、あっという間に黒の王の白刃に貫かれていた。

 締め上げられているナイトの喉から、言いようのない悲鳴が上がった。


「じ……、じいい────っ!!」


 老人は胸を貫かれていながらも、震える両手でその(やいば)(つか)を握りこむようにした。微かな声が、真っ赤な滴りと共にその口から流れ出た。


「へい……か、お逃げを……」

「ちっ……!」


 サーティークが舌打ちをして、力任せに老人の体を振りほどこうとした。

 老人は、急速に虚ろになってゆく瞳で、ただナイトだけを見つめていた。

 そして最後に、明らかにナイトではない誰かに向かって言った。


「あなた様には……まことに、まことに……申し訳、なき……ことを……」


 そこまでだった。

 老人の腕はだらりと垂れて、もう二度と動かなくなった。

 サーティークがすぐさま刀を振りぬくようにして、老人の(むくろ)に足を掛け、刀から引き抜いて床に蹴り落とした。老人の軽い身体が、まるで虫でも潰すようにぺしゃりと床に叩き落とされた。


(……!)


 その瞬間。

 佐竹の内部で何かが燃え上がった。

 それはごうっと音をたてるようにしてサーティークに迫り、()の男の顔をちりちりと()いた。

 かの男もすぐにそれに気付いて、驚いたようにこちらを見やった。

 次の刹那。


 ぎいんっ――


 二人の刀が激しく火花を散らしていた。

 両手の佐竹に対して、片手をナイトに取られているサーティークは、右手一本でその剣戟を受け止めていた。ぎりぎりっと互いの力が手許で(せめ)ぎあった。

 そんな風でありながらも、サーティークは頬の笑みを消さなかった。


「……何を怒る? 黒髪の男よ」

 囁く男の声は、驚くほど冷静なものだった。

「かの者は、そなたの(かたき)なのではないのか?」


 静かな、腹に響くような低音である。

 その言葉は何故か、全てを知っているかのような響きを含んでいた。

 黒曜石のような瞳の中に、不思議な炎がちらちらと燃えていた。


「…………」


 その目を無言で睨み返している佐竹を、サーティークは少し哀れみの籠もった目で見やったようだった。

 と、背後から野太い胴間声が響き渡った。


「サタケ! 無茶な真似すんなァ!」


 ゾディアスだった。

 それを聞いて、なぜかぴくりとサーティークの片眉が上がった。


「……訊いてもいいか?」


 手許での凄まじい力の駆け引きなどどこ吹く風といわぬばかりの余裕の顔で、サーティークはさりげなく言った。


「貴様の、もうひとつの名は? ……なんという」


(……!)


 驚くべき質問だった。佐竹は一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。

 この世界に来てからというもの、ただの一度たりとも、自分に「もうひとつの名」を()いた者はいなかった。

 だが、なぜ目の前この男は、自分にそれを訊くのだろう。

 男は佐竹の逡巡になど、まるで頓着しない様子だった。

 そして、再びにやりと笑いながらこう訊いた。


「『ムネユキ』、という名に……聞き覚えは?」


(……!)


 佐竹の目が、これ以上ないほどに見開かれた。


(な……に?)


 一瞬、その動きが止まる。

 こいつは今、何を言った――?


(『ムネユキ』……だと?)


 サーティークはその間隙(かんげき)を見逃さなかった。

 ぐん、と渾身の力を篭めて佐竹の刀を身体ごと押しやり、さっと身を翻す。そうしてナイトの首を締め上げたまま、あっという間に<暗黒門>へと走りこんだ。


 それは一瞬の出来事だった。

 誰にも、どうすることもできなかった。

 <暗黒門>はいつものように、出来た時と同じようにして何事もなかったかのように消え失せた。

 あとには身体を切り離された三人の兵士の死体と、哀れな老人の躯が転がっているばかりだった。

 ゾディアスもディフリードも兵士たちも、誰も、何も言わなかった。何百人もの人々がひしめき合っているはずの大広間は、水を打ったように静まり返っていた。



 佐竹は微動だにしなかった。

 胸を刺し貫かれて絶命している老人の(むくろ)の脇で、

 ただ、虚空を見つめて立ち尽くしていた。


 ──「ムネユキ」。


 かの王の残したその名だけが、いつまでも耳の中で(こだま)していた。



第一部 フロイタール編 完



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