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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第六章 暗転
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7 ズール


 王の執務室に戻ると、すでに宰相ズールと侍従サイラスが部屋にいた。すでにある程度の話は終わっているらしく、皆は明らかに佐竹を待っていた様子だった。ナイトは先ほどと同様、執務机の向こう側に座っている。

 ゾディアスはその苛立ちを隠そうともせずに胸の前に腕を組んで仁王立ちになっていたが、佐竹が部屋に一歩入るなり目を剝いた。


(おせ)えぞ、てめえ。なにやって――」


 が、言いかけてこちらを見た途端、男はぴたりと口を閉ざした。こちらの表情から、何やらある程度のことを察したらしい。そうしてちょっと肩を(すく)めただけで、ふいと向こうを向いてしまった。

 そんなゾディアスをちらりと見やって、佐竹はナイトに向き直り、改めて一礼をした。


「遅くなりました。申し訳ございません」

「あっ……。お前は」


 サイラスが驚いたように声を上げた。相変わらず、小柄でふくふくとよく肉のついた体つきである。隣に立つズールらしき老人も、(いぶか)しげにじろりと佐竹を見やった。


「この者は……?」

 聞き覚えのある、情の薄い錆びた声音だった。

「佐竹と申します。以後、お見知りおきを」

 しれっと言って、佐竹はこちらにも軽く一礼をした。


 初めて会った気はしなかったが、やはりズールは佐竹にとって、初めて目にした人物だった。

 老人はこの城でこれまでに見た、どんな文官よりも豪華な織地(おりじ)と刺繍の施された紫の長衣(トーガ)を身に纏っていた。その上からは明らかに国王よりも派手な装飾品を身につけている。この国でいうところの金銀宝石の(たぐ)いが、じゃらじゃらと音をたてんばかりに老人の胸や首を飾りたてていた。

 もっともナイト王自身が普段からほとんどそんなものを身につけない人なので、そこはある程度仕方のない話なのかもしれない。


 ズールは顎の尖った細面(ほそおもて)の老人で、肌は土色かと見紛(みまご)うばかりに黒かった。暗く澱んだ皮膚の中で、灰色の目だけがぎらぎらと生気を放ち、一種、異様な雰囲気を纏っている。

 真っ白で癖のない髪は耳の上と後頭部のみに残っており、それを後ろにゆったりと流していた。同じ色の髭が、やはり長く伸びて口許を隠している。

 頭頂部は禿げ上がっているようだったが、そこに分厚いフェルトのような材質の、これまた凝った飾り紐つきの宮廷帽を乗せている。全体に、なにか尖った印象を受ける老人であった。


「そなた、その黒髪……。それにその、声……?」


 老人は呆気に取られたようにしばらく佐竹の顔を凝視していたが、次第にその表情が驚愕に染まってゆくのが分かった。

 佐竹はその顔をしばらく黙って見つめていたが、やがてほんの少し、口角を片方だけ上げて言った。


「……『俺だ』」


 それは、あの日、あの時、この老人に向かって発した言葉だ。

「……!!」

 ズールが目と口をこれ以上ないほど大きく開いた。

「お……おおおお!」


 わなわなと震える痩せた指で、佐竹の顔を指す。枯れ木のような体がよろりとよろめいた所を、サイラスが慌てて後ろから支えた。

「か、閣下……?」

「おのれは! ……おのれは……!」

 見開かれた灰色の目は、鈍く濁ってはいたものの、佐竹を凝視してぎろぎろと光っていた。

「あ……あの<産道>を、よもや……通り抜けて!?」

 その目がまさに「信じられぬ」と語っていた。佐竹が最初に抜けてきたあの腐臭に満ちた真っ黒の空間を、どうやら<産道>と呼ぶらしい。


「そいつが、『誰だ』ってんだい? 宰相閣下」


 ズールの二歩ばかり手前に立っていたゾディアスが、老人に向き直り、にやりと笑いながらそう訊いた。少し意地の悪い声だった。


「こっ……この者は、この者はっ……!」

 まだぶるぶると震えながら、ひたすらに佐竹を凝視して、ズールは二の句が継げないようである。

「閣下、一体……?」


 隣に立っているサイラスは、ズールの体を支えながらきょろきょろと辺りを見回し、一体何が起こっているのか全くわからないといった様子だ。


「もしや宰相閣下におかれましては、この者の『正体』をご存知なのですかな? それはそれは、さすがのご見識」


 問うたのはディフリードだ。男はこれ以上すっ(とぼ)けられないほどのすっ惚けようで腕を組み、手袋をした指を頬に当て、にこにこと笑っている。

 その輝くような笑顔は、まさにそこで花がほころんだかのような華やぎだった。どうやらこの男も、やるとなったら相当底意地の悪いことをする性格であるらしかった。


「よろしければ、ここな不明の我らに、ご教授願いたいのですが――?」

 そして非の打ち所のない、貴族めいた会釈までしてみせる。

「ぬう……!」


 そこで初めて、ズールは今にも口にしそうになった「その男」の名を、ようやくのことで飲み込んだようだった。

 執務机の向こう側で一連のことをじっと静かに眺めていたナイトが、ここではじめて口を開いた。


「……爺、済まない。もう、大体のことはわかっているのだよ」

 老人は驚愕の顔のまま、再び前を向いた。

「へ、陛下……!」

 ナイトは悲しげな微笑を浮かべたままで、ズールとサイラスを交互に見つめた。

「そなたが私や、国のため……そしてあのヨシュアのためにと、色々図ってくれたことなのだとは思っている。しかし──」

 老人は無言で、ふと視線を落としたようだった。ナイトは言いにくそうに言葉を続けた。

「これは、いけない……。そう思うよ、爺。どこか他所(よそ)の世界に生きる人々にまで、我らの(ごう)を背負わせるなど──」

 あとは辛そうな表情のまま、首を横に振っている。

「私は、もう……彼らにどうやって詫びればよいものかも、わからぬよ……」

 組み合わせた手に額をつけ、顔を隠すようにして俯いたナイトを見て、老人はぶるぶると全身を震わせ始めた。


「……で、ござりました……」

「ん……?」

 微かな声を聞き取って、ナイトが目を上げた。

「あ、あの時は……まさに、この世が崩壊せんとする殺所(せっしょ)だったのでござりまする……! ほ、他にこの爺いにできることなど、何もござりませなんだわ……!」


 鉄錆の声が、布を引き裂くような響きで執務室に轟いた。

 言ってしまってから再びがたがたと震えだし、老人は棒立ちになった。サイラスがその体を抱き留めるようにして停止している。部屋にいる一同は、しばし物も言わずにそれを見つめていた。

 ナイトがようやく少し溜め息をついて立ち上がり、サイラスからズールの体を引き取ると、その手を取るようにして共にソファに座った。そして蒼白な顔のサイラスに、ひとこと「水を」と申し付けた。男は慌てて、執務机の上の水差しから陶製のカップに水を注いで持ってくる。

 ナイトはそれを受け取ってズールに勧めた。


「……落ち着いてくれ、爺」


 穏やかな声でナイトが言った。その声には、責める調子はひとつもなかった。


「正直なところを申せば、今、この部屋の中には、そなたを責めたいと申す者も確かにいるよ。しかし……」

 カップを握った老人の(しな)びた手を、ナイトは両手で包むようにして握りこんだ。

「私は、この国に、王宮に、長年仕えてきてくれた爺が、まさか自分の私利私欲や私怨のためにこのようなことをしたのだとは思っていない。……そう、露ほどもだ」

 静かな優しい瞳で、ナイトは老人をまっすぐに見つめている。老人はわずかに戸惑ったように視線を落とした。

「確かにそなたは、王国のためを思うあまりに、少し家臣たちに厳しく当たるところがあるからね。あまり皆から好かれていないのも知ってはいるけれど──」


 そこでなぜかゾディアスが、軽くこほんと咳払いをした。ついと明後日の方を見たようである。佐竹はちらりと、そちらを見やった。


「だからと言って、この国の宰相たるそなたが、性根(しょうね)からの悪人などであるはずもない。そのような人物を、私が……まして父が、この何十年ものあいだ重用するはずがないではないか?」

「…………」


 老人はその言葉を聞いて、しおしおと項垂(うなだ)れたようだった。

 ソファを囲むようにして立った家臣三人と佐竹は、ただ黙って彼の痩せた背中を見ていた。白いマントを流したその肩が、ひくひくとまた震えているようだった。

 ナイトはじっとズールの表情を確かめるように見つめていたが、やがて穏やかな声でこう尋ねた。


「爺。教えてもらいたいのだ。わが国に存在する、あの『白き鎧』とはいったいなんだ? 七年前、私になにが起こったのだ? そして……そなたは、その時なにを行なったのだ……?」

「…………」


 自分の膝頭を見つめたまま動かなくなってしまった老人を、ナイトはまたしばらくの間見つめていた。そして躊躇いながらも、とうとうそれを老人に告げた。


「申し訳ないのだが、あまり時間は取れないのだよ。あの黒の王が、冬至の日にここへ来ると言っている」


 老人がかっと目を見開いてナイトを見た。

 その目は言いようもなく血走っている。


「な……なんと……?」

 ナイトはもう一度、繰り返した。

「黒の王、サーティークがここへ来るのだ。……この私を、貰い受けると」


 がちゃんと鋭い音がした。

 カップが老人の手から転がり落ち、石床に当たって割れたのだ。足もとの毛織の絨毯に広がってゆく染みを見ながら、老人はぶるぶると全身を震わせていた。


「あ……あの者は、また……!」


 佐竹は目を上げた。


(『()()』……?)


 そう言うからには、以前も同様のことがあったということになる。


(なるほど、それで──)


 だからこそ、老人は最初のあの時、佐竹の声を聞いて驚いたのだ。

 その姿を見て(おのの)いたのだ。 

 ナイトも同じことを考えたようだった。


「爺、どういうことだ? 『また』というのは……もしや、以前にも?」

「さ……左様でござりまする。陛下──」


 ズールは痩せた両手でぴたりと顔を覆ってしまった。


「あ、あの者は……あの者は、『鎧』の秘密を解き明かすのだと申して……! 今のままでは不完全ゆえ、それを完成させるには、畏れ多くも陛下の御身が必要なのだと……!」


 佐竹はもちろん他の三人も、息を詰めて老人の言葉を聞いている。

 とうとう、ズールは頭を抱えて絶叫した。


「その上であの者は、全てを壊すつもりでおるのです……! 『鎧』も、この国も……いいや、なにもかもを──!!」


 そして遂に、老人の話が始まった。



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