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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第六章 暗転
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6 南の血



 大股に王宮の廊下を行きながら、佐竹は考えていた。

 正直、ゾディアスにあそこまでさせる自分がただ情けなかった。

 彼はああして、自分に「頭を冷やせ」と言ったのだ。そのために、あの場から自分をひとまず引かせて、強引にも部屋の外へ出させたのだろう。


(……まるで、子供扱いだな)


 自嘲とともに、そんな心の声がする。

 いや、それは仕方がない。向こうは自分より(とお)以上も年上の、百戦錬磨の千騎長だ。

 これまで多くの若い部下を見てきた経験上、こうした手際には十分に()けてもいることだろう。自分に敵うはずがない。それはかの天騎長ディフリードとて同様のはずだった。


 今回のナイト王に関する一連のことでは、ゾディアスにしてもディフリードにしても、自分の前でさほどの精神的な動揺を見せてはいない。だが、それを「敢えて見せない」ことと心の中身は別問題だろう。彼らの忠誠心のほどを思えば、その心中がどれほどのものかは想像するまでもないことだ。

 それでも敢えて、彼らは王の前で顔には出さない。なぜならこのことで最も心痛を覚えるのはナイト王であり、ヨシュアであり、また佐竹であると分かっているからだろう。

 彼らは大人の男として、また王の臣下として、そこを(わきま)えているということだ。それだけ彼らには佐竹より、一日(いちじつ)の長があるということなのだろう。

 今から一気に十年もの歳月を飛び越えて、佐竹が彼らと同列になろうなど。そんなもの、もとより傲慢に過ぎる望みでしかない。


(ただ……問題は)


 敵は、それを待ってはくれぬということだ。

 ナイト自身があそこまでの覚悟を決めているというなら、ここで自分が迷うこと、躊躇うことほど、彼を侮辱する行為もあるまい。

 自分も彼と同様、ここで腹を(くく)るしかないのだ。

 たとえ自分が、生死によって実の兄弟を引き裂く死神の手先にならざるを得ないのだとしても。


 覚悟がなければ、迷いが生まれる。

 そんなものを纏った甘えた剣で、かの男と戦えるはずもない。


 佐竹は自室に戻って「氷壺の剣」を手に取ると、すぐには王の執務室には戻らずに、まず真っ直ぐに練兵場に向かった。

 午前のこの時間、そこでは兵の訓練のため、百騎長の男が三十名ばかりの部下たちを並べて剣術指南を始めたところらしかった。二十代半ばぐらいの、少しずんぐりした男である。気のいい兄貴風といった様子だった。


「お。珍しいのが来たな。どうしたんだ? サタケ」


 入ってきた佐竹を見るなり、彼はすぐに声を掛けてきた。

 その前に居並んでいた若い兵士達も、一様に振り向いてこちらを見る。例によってまた髪色のことで眉を顰める者もいるようだったが、佐竹はもう慣れっこだった。

 幸い、その百騎長は佐竹が兵舎にいた時の顔なじみだった。佐竹は足早にその(そば)に歩み寄った。


「お邪魔にはなりませんので、ほんの少しの間、片隅を使わせて頂きたいのですが。構いませんでしょうか」

「お? ……おお」

 相手を圧するような佐竹の眼光を見て、男はちょっと肩を竦めた。

「ってえか、新兵に見せてやっても構わねえか? 勉強になるだろうしよ」

「……ご自由に」


 静かに言って一礼し、練兵場の隅まで行って、佐竹は「氷壺(ひょうこ)」の鞘を払った。

 「うっ」と百騎長はじめ、他の兵たちが息を呑む。

 その形状もさることながら、氷の霧を纏うような刀剣の出で立ちが見る者を圧する力を持っていた。

 長身で文官姿をした黒髪の青年が、ノエリオール特有の剣を携えて練兵場に佇む姿は、その場になんとも知れない特異な空間を作り出している。百騎長と新兵たちは知らず、固唾を呑んで佐竹の姿を凝視していた。


 佐竹は周囲のそんな様子にはまったく意識を向けなかった。

 ただ、いつものように剣を下段に構え、静かにそこに立ち尽くした。

 しばし、目を閉じる。

 ただただ、心を研ぎ澄ませる。


(……迷うな)


 念じるのは、ただそのことのみだった。


 迷えば、負ける。

 道場で、竹刀で戦うのとはわけが違うのだ。


 あの男に勝とうなど、そんな大それた望みは持たない。

 ただ、負けることだけは許されないのだ。

 この肉と皮とを斬らせても、最後まで立っていられるだけでいい。


――そのために、剣を振る。


 それが今の、自分の覚悟だ。


 ぴう、と真空の生まれる音がして、「氷壺」が空間に弧を描く。


 まるで水面(みなも)を滑るような佐竹の「舞」を、兵たちは声もなく、石になったように立ち尽くしてただただじっと見つめていた。

 やがて佐竹の振るう剣先の動きが次第に激しさを増してゆくにつれ、兵たちの目は瞬きすらも忘れたようになった。


 それはまるで、明らかな殺意を持った何者かが、彼の目の前に立って凄まじい剣戟(けんげき)を繰り出しているかのように見えた。右に、左にと(たい)(かわ)しながら、佐竹の剣先は上段、下段、中段のあらゆる場所に、凄まじい速さで振りぬかれ始める。

 その切っ先など、誰の目にも見えなかった。

 そして時には、佐竹は相手がまるで蹴りや拳撃を繰り出したかのように跳び退(すさ)り、体を(ひね)った。それは今や、いつもの(かた)の練習などではなかった。確かに目前の実戦のための修練だった。

 佐竹の表情には常と変わらぬ表情が浮かんでいるだけだった。だがその体から発せられる気魄を、皆は明らかに見て取っていた。


 やがて。

 兵たちがはっと我に返った時には、佐竹は元のように地面に片膝をつき、姿勢を正して静かに呼吸を整えていた。額に玉の汗が浮かんでいる。やがてすっと立ち上がると、佐竹はすたすたと何の気負いもない足取りで戻ってきた。

 兵たちは声もなく、その姿を目で追った。

 しかし。


「おい。てめえ!」


 若い新兵の一人が、出し抜けに佐竹を呼び止めた。

 小柄で痩せた、薄緑色の髪の男だった。その声には明らかな怒気が含まれている。皆は驚いてその男を見つめた。佐竹が足を止めた所へ、男はずかずかと歩み寄ると、いきなりその胸倉を掴み上げた。


「てめ……その剣! その髪……!」


 それと同時に、ばらばらっと四、五人の他の新兵たちもそこへ駆け寄り、佐竹の周りを囲んでしまった。みな同様に殺気だった様子で、佐竹を睨みつけている。


「おい、お前ら!」


 百騎長の声も聞こえぬげに、兵らはみなぎらぎらした目で佐竹を()めつけ、今にも殴りかかりそうである。

 佐竹が黙って胸元を見下ろすと、胸倉を掴んだままの男の茶色い瞳が、怨念の限りを込めて佐竹を睨み上げていた。


「てめえ、なんでこんな所にいやがる……? 知ってんぞ! その剣は、あの南の兵隊どもが使う剣だ。この国で、そんなもん使う奴は一人もいねえ……!」


 一気に怒鳴り上げる。今にも殴りつけそうな剣幕だ。


「てめえ、敵の間諜か? なんでこんなとこにいる!」

「やめろと言うのに!」見かねた百騎長の男が止めに入った。「誤解だ! サタケはそうじゃない!」


 上官に肩を掴まれながら、男はなおも悲痛な声で言い募った。


「てめえがこの国の人間だっつうなら、なんでそんなもんを……!」

 男の目が、爛々と燃えている。

「俺の……俺の兄貴は……っ、去年の戦役で死んでんだッ! お前のその剣と、同じもんでズタズタにされてなあああ!」


 喉を絞るような絶叫が練兵場に響き渡った、その時。

 静かな低い声が背後から聞こえた。


「うるせえな。何事だ?」


 見れば練兵場の入り口に、がっちりとした体躯をした短髪の男が暢気(のんき)な様子で立っていた。ぽりぽりと顎など掻いている。

 百騎長が彼を見るなり、はっとして姿勢を正した。


「こ、これは! ダイス千騎長殿!」


 それは、あのゾディアスの戦友にして悪友の一人、千騎長ダイスだった。


「なにを騒いでやがるかと思って来てみれば……。お、サタケか」


 言いながら、「またお前かよ」と言わんばかりの目でちらりとこちらを見やる。ダイスはそのまま佐竹の周囲を囲んでいる新兵どもをじろりと見渡した。新兵たちはびくりと体を硬くして、一様に地面に目線を落とした。

 薄緑色の髪をした男も彼の姿を見て少しうな垂れ、仕方なく佐竹の胸元から手を放す。


「お前ら、勘違いするんじゃねえよ。そいつは南の出身じゃねえ。逆に、ずうっと北の方だっていうぜ。あのゾディアスのお墨付きだ、間違いねえよ」


 さも面倒臭そうにそう言いながら、ダイスはわしわしと歩み寄って来た。と思うともう、太い腕をぬっと伸ばして襟元を掴み、佐竹を青年たちの間から引きずり出した。


「ゾディアスが呼んでんぞ。こんなとこで遊んでねえで、とっとと戻れ。またぶん殴られっぞ?」

「…………」


 襟首辺りを掴まれたまま、佐竹は沈黙している。隣を見れば、意味ありげなダイスの碧い目があった。


「だがまあ、こいつらの目の前で、いきなりその得物はまずかったわな? 俺やユージェスならともかくよ。……今日のところは見逃すが、次はねえぞ。わかったな」

「…………」


 確かにそうだった。佐竹は少し黙ってダイスの瞳を見返していたが、やがて素直に頭を下げた。


「申し訳ありません、千騎長殿。自分の配慮が足りませんでした」


 サーティークとの戦いのことで頭がいっぱいだったとはいえ、思わぬ判断ミスをしてしまったようだ。佐竹は自分を戒めた。

 そんな佐竹の様子を見て、ダイスは長衣から手を放し、やや困ったような声で言葉を継いだ。


「そもそもお前、今は文官だろうがよ。そんなにほいほい、ここへ来ていい身分とも言えねえんだぜ?」

「……はい」


 ごく素直な佐竹の返事を聞くと、ダイスはその背中を軽くぽんぽんと叩いた。そしてぐいと後ろを振り向いて、新兵たちを睨み据えた。


「お前らもだ。他人を見てくれだけで判断すんな。常に客観的にものを見ろ。ここだったからいいが、戦場でなら命取りだぜ」

 若い兵たちも、びしりと姿勢を正して敬礼した。

「は!」

「戦場でサタケと行き会っててみろ。今頃、このうちの何人が無事に立ってられてたと思う。こいつを敵に回して困るのは、むしろお前らの方だと思うぜ? 俺は」

 ダイスはちょっと顎をしゃくって佐竹を示しながら、若い兵たちを睨みおろしている。

「………」

 新兵たちは、そう言われて一言もない様子だった。先ほどの佐竹の剣捌きを目にしていて、この台詞に否やを唱えられる者はさすがに一人もいなかった。

「最後に言っとく」

 ダイスは腕を組み、佐竹を含め、その場の皆を見回した。

「ここにいる全員、この場のことは一切他言無用だ。いいな」


 その一言で、ダイスはその場を終了させた。





「まことに、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした、千騎長殿」


 城の兵舎から王宮へつづく通路を行きながら、佐竹は再びダイスに謝った。ダイスは片手でそれを制した。


「いいってことよ。気持ちはわかる。相手はあのサーティークだ。俺らもいい年して、色々お前の肩に預けすぎだしな――」


 やや自嘲の含まれた口ぶりからして、ダイスは今回の件をすでに少しはゾディアスから聞き知っている様子だった。


「ともかく、もうズールが来て話が始まってるらしい。さっさと行きな」


 手短かにそう言うと、ダイスは王宮入り口手前の庭で佐竹と別れ、また他の所要がある風で足早にどこかへ行ってしまった。



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