8 少年と少女と
『名は自由につけよ』。
それが、ケヴィンが唯一、あの刀鍛冶の老人から預かってきた伝言だった。
剣の命名はともかく、その場で試し斬りなどするのはあまりに目立つので、佐竹は一旦、受け取った剣を自室に戻しに行った。ユージェスとはそこで別れた。
今では尉官と同等の身分になった佐竹は、小さいながらも王宮内に一応の個室を与えられている。とはいえ寝台と書き物机以外の調度は何もない。広さもせいぜい四畳半くらいであるため、この人数を招き入れるにはさすがに狭すぎた。
ケヴィンとガンツ、マールとオルクは街の宿をとっているということだったが、まだ少し時間があるという。それで佐竹は彼らを書庫へ案内することにした。もちろん文官長ヨルムスの許可は取っている。
「うわ~、すっげえなあ! こんなに沢山の書物なんて初めて見たぜ~!」
書庫に入った途端、真っ先に口を利いたのはやっぱりケヴィンだった。他の皆は一様にぽかんと口を開けている。
佐竹から「皆の仕事の邪魔にならなければ、どれを見ても構わない」と言われ、皆は恐る恐る書庫の中に足を踏み入れた。これは図らずも、この場所が一般的な大人や子供にとって使いやすくなっているかどうかを検証する丁度良い機会にもなった。
「もし、探したい書物を見つけるのに分かりづらいこと、探しづらいことがあれば遠慮なく言って欲しい」
言って佐竹は仕事の書類を片手に、彼らのあとについて歩いた。
「ねえねえ、サタケ! 物語はある? 綺麗な絵がたくさん載ってるのがいいな!」
マールはもう目をきらきらさせて、ひどく楽しそうだった。
「い~っぱい覚えて帰って、お婆ちゃんに話してあげるの!」
うきうきした足取りで書架の間を跳ねるように歩き、時々、踊るようにくるりと一回転したりしている。そうすると桃色の髪とスカートがふわりと広がって、古色蒼然たる書庫の中でそこだけが若々しく瑞々しく、まさに光り輝くようにも見えた。
書架の前にいた若い文官たちが、ちょっと眩しげな顔をして作業の手を止め、マールをぼうっとなって見つめている。
オルクはそんな彼らをじろりと見やると、ひどく不機嫌な顔になった。マールとは対照的である。
「マール。そんな、はしゃぐなよな。サタケ、物語の棚ってどこにあんの?」
少し苛立つような声だ。佐竹は書架の縁やその側面を指差して見せた。
「あそこに書物の主題を書いた掲示がしてある。書庫の入り口には内部の見取り図も貼ってある。できるだけ、自分で探してみて貰いたい」
「ふ~ん。……だってさ。行こうぜ、マール」
「…………」
そう言って振り向くと、マールがちょっと膨れっ面をして自分を睨みつけていたので、オルクは面食らった。
「ん? なに、どうしたんだよ、マール――」
言いかけたオルクの服の袖を、ケヴィンが「しょうがねえな」とばかりに掴んで引っ張った。
「いいってことよ。俺らは、あっち。さ、行きましょ行きましょ……」
そうして有無を言わさずにオルクを引きずり、ケヴィンはガンツと共に他の書架の方へと歩いていった。
「って、おい? なんだよ!? ケヴィン……!」
まったく状況の読めていない約一名の声が、書架に遮られて不意に聞こえにくくなった。
三人の姿が書架の陰に隠れて見えなくなってしまってから、マールはふうっと息をついた。そして、あらためて佐竹に向き直った。背が高くなったとは言っても、長身の佐竹からすれば、まだ胸のあたりに頭がある感じである。
「ほんとに久しぶりね、サタケ。元気だったの?」
「……ああ」
他の三名から――いや、正確には二名から――意図的にマールと二人きりにされたらしい。そのことに怪訝な顔になりながらも、佐竹は答えた。
「村の皆は変わりないか? お婆さまは」
佐竹が最も気になったのはそのことだった。あの高齢の祖母を、マールはあの家に一人で置いて来たのだろうか。
「大丈夫。ちゃんと面倒見てもらえる人、頼んできたから。それより――」
ぴょん、と飛び跳ねるようにして、マールは佐竹の隣に立った。少し上体をかがめて背中で手を組み、斜め下から見上げてくる。
「なんだかびっくりしてたよね? 私たちのこと見て。サタケの世界じゃ、子供はそんなに早く大きくならないの?」
その瞳はひどく楽しげだった。
「まあ、そうだな」
たった三ヶ月で四、五歳分も成長するなど、向こうの世界ではまずありえない話だ。
「ふ~ん……。そうなんだ」
マールは、ちょっと得意げに胸を反らして見せた。
「ミード村の掟じゃ、私、もう大人よ? 結婚だってできるんだから!」
「……そうなのか」
なぜかその「結婚」の二文字が妙に強調されているようにも思えたが、佐竹は聞き流しただけだった。特に理由はなかったが、自分に直接関係があるとは思えなかったからである。
見た感じでは、彼女の成長の度合いからして、結婚まではまだ早すぎるような気もする。だが、地球でもそういう早婚の習俗がないわけではないので、別段おかしな話でもないのだろう。佐竹はそう納得し、いつもとなんら変わりない声で静かに返事をした。
「なら、早くお婆さまを安心させて差し上げられるな」
そのままゆっくりと書架の間を歩きながら、手元の記録と書架の中身とを突き合わせる作業を続ける。
そんな佐竹を見て、マールの機嫌はまた悪くなったらしかった。
突然黙り込んでしまった少女を、佐竹は再び見下ろした。
「どうした、マール」
「…………」
見れば、うつむいてまた頬をぱんぱんに膨らませている。佐竹はちょっと首をかしげた。羽ペンを持った手で軽くこめかみの辺りを掻く。
(……まあ、こういう所なんだろうがな)
きっとこの場にあの巨躯の元上官がいたなら、「そこが朴念仁だっつうのよ!」とでも言って、また大笑いするのに違いない。佐竹はわずかに肩を竦めた。
だが、だからと言って。
一体、自分にどうしろと――?
と、佐竹はとある書棚の前で足を止めた。
「マール。物語の棚なら、ここだぞ」
やっぱり口をついて出るのはそんな、目の前の事実を述べる言葉だけだ。
「あ、……ほんとだ」
マールもそう言って、一度は棚に目をやった。だがすぐにまた佐竹を見た。
「……ね。サタケ」
真っ直ぐに下から見上げられて、佐竹もその翠の瞳を見返さざるをえなかった。無言のまま、彼女の言葉を待つ。
「サタケって、好きな人……いる?」
「…………」
ある程度は予想していたが、思っていた以上に直球な質問が飛んできた。
佐竹は少し考えたが、すぐに、「正直に答えるに如かず」という結論に至った。
「……いや」
申し訳ないが生まれてこの方、「惚れた」の「腫れた」のにはまったく縁がない。確かに向こうから言ってこられた経験は何度かあるが、それもその場で断るばかりでここまできている。
大体、互いにまともに話をしたこともないのに一方的に好意を寄せてくる、その経緯が理解できない。相手が一体、自分の何を見て好意を寄せているのかがまったく分からないのだ。単に容姿だけのことだというなら、それこそ言語道断である。
マールは、顎に手をあててそんなことを考えている佐竹の顔を、じいっとしばらく見つめていた。
「じゃあ……サタケ、『大事な人』は?」
「…………」
佐竹は目を上げた。翠の瞳と再び目が合う。
マールの目は真剣そのものだった。
桃色の髪の少女は、もう一度、ゆっくりと質問を繰り返した。
「『大事な人』は、いる? サタケが『絶対助けたい』とか……『守りたい』とか、そういう人」
「それなら、いる」
即答だった。
「……!」
マールの目が見開かれた。
佐竹の目は、ただ静かにその瞳を見返した。
それだけは間違いがない。
自分はそのためにこそ、ここへ来た。
自分が今、ここにいる理由はただそれのみだ。
(……だが)
先日ゾディアスから「彼を救えばこの国が滅ぶのかも知れぬ」と聞かされて、今、自分の信念は揺らいでいる。
この望みを叶えんがためだけに、目の前のこのマールやオルクや、ケヴィンやゾディアスなど、多くの人々の命や生活を犠牲にしてしまうかも知れないのだ。
そんな選択は、とても出来るものではなかった。
それであの内藤を、このまま一生苦しめることになるのだとしても。
もちろん自分は、たとえそうなったとしても彼の傍を離れるつもりだけはない。少なくとも彼がここで生きる覚悟をもって、ここで生きてゆける道を見つけるまではだ。
こうしてここに自分が来てしまったことで、却って彼の中には無駄に「希望」が生まれてしまったことだろう。七年もの間とじこめられてきた真っ暗な闇の中で、ただそれだけが、彼にはたった一筋の光に見えたに違いない。
(……だからこそ)
それが「希望」などではなかったとわかった時の、内藤の絶望は測り知れない。
もしかすると今度こそ、それが彼の背中を押すかもしれないのだ。
……あの、高い尖塔の窓の縁から。
眉間に厳しい皺を刻んで考え込んでしまった佐竹を、マールは黙って見つめていた。
長い長い沈黙があった。
やがてマールは、ちょっと笑ってぽつんと言った。
「……そう。わかった」
佐竹が目を上げると、マールはなんでもなかったように、もうにこにこ笑っていた。
「ごめんね? サタケ。変なこと聞いて」
「…………」
こちらがまだ一言も言わないうちに、マールはくるりと踵を返した。
「じゃああたし、そろそろ帰る! もうきっと、外は暗くなっちゃってるしね。オルクとケヴィンたち、どこいっちゃったのかなあ?」
言うなり、ぱたぱたと書架の間の通路を走って行ってしまう。呼び止める暇などあればこそだった。
城門まで送っていく間も、マールはにこにことケヴィンやオルクに話しかけてはいたものの、佐竹には何も言わなかった。いや、顔を見ることさえなかった。
城門の警備兵の前まで来ると、皆はそれぞれ、佐竹に別れの言葉を告げた。
マールも一応、明らかに目を合わさないようにしながらも「じゃ、元気でね?」とだけは言った。少し、変な声だった。
四人がもう暗くなった街の通りを宿に向かって歩み去るのを、佐竹は黙って見送った。
◇
「元気そうで良かったよな? サタケ」
「やれやれ、やっと肩の荷が下りた」と言わんばかりの表情で、ケヴィンが暢気にそう言った。
「ああ」と言葉少なにガンツが返事をした。
日中の時間が非常に短くなりつつあるために、街はすっかり夜の装いになっている。
所々で燃やされている松明と、家々から洩れ出る明かりを頼りに、四人はゆっくりと宿に向かっていた。道ゆく人影は、かなりまばらになっている。
オルクは、城門を出てから急に黙り込んでしまったマールをちらちらと見ていた。あの書庫を出てきてから、彼女の様子が明らかにおかしかったからだ。
今もマールは唇を真一文字に引き結んで、怖い顔をしてずんずん歩いている。何を話しかけてもいっさい聞こえてもいないようだった。
「あの、さ……。マール……?」
おずおずと何度目かになる呼びかけをしてみる。マールはやはり、答えなかった。
が、オルクがちょっと肩を落として足元に目をやった途端、いきなりマールが立ち止まった。すぐ後ろに居たオルクは、彼女に突き当たりそうになって慌てて立ち止まり、その場で奇妙な蹈鞴を踏んだ。
「うわっと! な、なんだよ……!?」
マールは今度は、そこに彫像のように立ち尽くして動かなくなっていた。
「な、なに? どうしたんだよ……?」
さらに後ろにいたケヴィンも、怪訝な声を出して立ち止まった。隣にいたガンツも同様である。
「…………」
と、オルクは、マールの肩がひくひくと震えているのに気が付いた。
「マ、マール……?」
恐る恐る、名を呼んでみる。
「……カだ、あたし……っ」
ひび割れた声が、微かに聞こえた。
その途端、細い肩の震えが急に大きくなって、マールがぱっと顔を覆った。
「バカ……だああぁ……っ!」
喉を引き裂くような声だった。
その次に、ほとばしるような泣き声が湧いて出た。
それは、本当に街じゅうに響き渡るような声だった。
男三人はただただびっくりして、呆然とそのマールを見つめた。
マールは彼らなどまるで居ないかのように、両腕で顔を覆って棒立ちになり、ただもうわあわあ泣いていた。
ひたすらに、子供のように。
三人の若者は、どう声を掛けていいものかも分からずに、道の真ん中で喉も枯れよと号泣している美貌の少女を気の毒そうに見つめていた。
そして時々互いの顔を見ながらも、萎れてうなだれるばかりだった。





