7 皆焼(ひたつら)
一連の話を聞き終えて、天騎長ディフリードはしばしの黙考を要した。
執務机の椅子に座り、組んだ両手を静かに口元にあてがっている。机のこちら側で彼を見やったまま、ゾディアスと佐竹は黙って立ち尽くしていた。
「…………」
ゾディアスと佐竹は彼に、これまでの経過を概ね包み隠さずに話した。
ズールがどうやら秘密裏に本物の国王の死を隠蔽し、勝手によその世界から影武者ともいうべき青年を拉致してきたこと。彼を無理やりに王座に据えたというくだりでは、さすがにその穏やかな菫色の瞳にも明らかな怒気が宿ったのがわかった。
「あのご老体で、よくぞそこまでやり果せてくれたものだよ、全く……」
その声は静かだったが、底流には確かな嫌悪感が見え隠れしていた。
内藤からの情報によれば、この事実を知っているのはズール本人と侍従サイラスだけのようだった。あとの人々はみな、そんな事実はまるで知らない。つまりナイト王に薬湯を運ぶにしろ、夜に寝所を抜け出す「内藤」の捕縛にしろ、すべてズールたちの命令に従っているまでということだ。
それが証拠に、深夜に捕まって大暴れする「内藤」を押さえ込みつつ、兵士たちはひどく申し訳なさそうな顔をしているらしい。
『申し訳ございませぬ、陛下』
『どうかお許しくださいませ』
『後生ですからお静まりくださいませ』──
そんなことを言いながら、みなそれは悲愴な顔をして内藤の四肢を押さえつけているという。考えてみれば彼らとて、辛い仕事を上から強要されているだけの、ただの被害者に過ぎないのだ。
つい、と顔の近くで指を二本立てるような仕草をし、美貌の天騎長は静かに言った。
「話は分かった。ゾディアスが言う事だ。私は全面的に信用する」
立ち上がり、緩やかに腰に手をあてる。ゾディアスよりは小柄だとはいえ、その姿は威風堂々たる将軍の気魄に満ちている。
「その『作戦』には、微力ながら私も参加させていただこう。……構わないよね? サタケ中級三等」
言ってディフリードは、その花の顔に見るも艶やかな笑みを刷いた。
「……幸甚です」
佐竹は深く一礼した。
なにが「微力」なものか。
天騎長といえば、今の軍隊でいうなら少将クラスの将軍ではないか。ひとたび有事ともなれば、彼の一声で一個師団が動くのである。これはこの国においては騎兵および徒歩の兵士、二万人のことを指す。これ以上に心強いことがあろうか。佐竹は正直、驚きを禁じ得えなかった。
ディフリードはこちらを見やって唇の笑みを深めると、ちらりと涼しげな瞳をゾディアスに向けた。
「しかし、珍しいな。お前がこんなに一人の男に入れ込むなんてね?」
ゾディアスはじろりと旧友の顔を睨んだ。
「……余計なこたあいい」
無骨な声で切り返した相手を眺めて、美貌の男は苦笑した。
「こういう事があるから、それなりの地位にはなっておけと言ったんだぞ? お前のこれまでの手柄なら、とうに竜騎長ぐらいにはなっているものを。まったく、昇進嫌いもいい加減にして貰いたいものだよ」
美しい眉を少し顰めて溜め息混じりにそう言うのを、ゾディアスは筋骨隆々とした腕を組んだまま「馬耳東風」とばかりに聞き流していた。時々、さも面倒くさそうに耳などほじってみたりしている。どうやらこれは彼らの日常茶飯事であるらしい。
やがて「そろそろお小言は終了か」と言わんばかりにゾディアスが口を開いた。
「そんじゃま、諸々、よろしく頼まあ」
「はいはい」
ディフリードの方でも分かっているらしく、少し肩を竦めて見せただけだ。
「細かいことはまた、後ほどで構わないかな? 私もなにかと、野暮用に忙殺されている身の上なものでね」
男がにっこり笑って話の終了を仄めかしたの見て、ゾディアスは即座に半眼になった。「けっ」と言わんばかりの顔である。ぐいと悪友の顔を睨みおろす。
「笑わせんな、ろくな用でもねえ癖に。どうせまた、貴族の女どもの尻でも追い掛け回すぐらいのこったろうが」
が、ディフリードは別に動じる風もなく、肩を竦めてさらりと笑っただけだった。
「おや、人聞きの悪い。放してくれないのは、あちらのお嬢さんがたの方さ――」
くすくす笑うその声をもはや完全に無視して、ゾディアスがその巨体を翻した。
「行くぜ、サタケ。ここにゃあもう用はねえ」
言われて佐竹はもう一度美貌の天騎長に礼をし、踵を返した。すると、もう歩き出しているゾディアスが言った。
「やっぱ、前言撤回するわ、サタケ。こいつみてえな大人になんなよ~? あれは超一級の『悪い見本』だかんな~?」
明らかに悪友に対して聞こえよがしの風情である。
「酷いなあ、長年の旧友に向かって」
何を言われようと、やっぱりディフリードはにこにこしていた。
ゾディアスはそれらすべてをもはや空気のように無視して、佐竹を伴い、大股に天騎長の執務室を後にした。
◇
「おお、戻ったか、サタケ」
ゾディアスと別れて書庫の扉を開けた佐竹を、文官長ヨルムスがすぐに呼び止めてきた。
「さきほど、警備の者から連絡があった。そなたを訪ねてきた者があるらしいぞ。ずぐ、城門まで行ってみるが良い」
「……自分を、ですか」
意外な報告に怪訝な思いを抱きつつも、佐竹は彼に言われるまま、すぐに城門に向かった。
この時間帯だと、まだ城の周りの堀の上に跳ね橋がおろされたままになっている。警備兵たちは一日中そこへ立って、城に出入りする人々の検問を行なうのだ。城勤めをしている者に会いたい場合も、ここで本人が出てくるまで待たされることになる。
もちろん相手がそれなりの立場の人間であれば、王宮内の応接用の部屋に通されるため、この限りではない。佐竹の今の身分では、まだそれは無理だということである。
城門では、槍を持った二人の警備兵に挟まれるようにして、懐かしい面々が佐竹を待ちかねていた。
まず目を引くのが、朴訥とした巨体の男。そしてその隣に、なにやら長い包みを抱えた細身で小柄な金髪の青年。
そして――。
(……?)
佐竹は、ある種の驚きをもってその隣に居た少年少女を見つめた。
ゆるいウェーブの掛かった長い桃色の髪と、美しい翠の瞳の少女。そして、燃えるような赤い髪にくるくると元気に動く紫色の瞳の少年。
その形容だけならば、確かにかれらはマールとオルクに間違いないはずだったが。
彼らの背丈は、もとのそれとは全く異なっていた。
ミード村にいたあの時、かれらはせいぜい七、八歳程度に見えた。背丈も小学校中学年ぐらいであり、完全に「子供」と呼んで申し分ない体格だったはずである。
それが。
今は二人とも、成人した男としては小柄なケヴィンより少し低いぐらいの身長になっているのだ。オルクのほうなど、もうケヴィンと大差ない。ぱっとみたところ、もう中学生程度といって差しつかえなかった。
そう、丁度、あのヨシュア王弟殿下と同じぐらいだろうか。
「あっ、サタケ……!」
誰よりも早く、マールがこちらを見つけて駆け寄ってきた。長い髪を揺らして、嬉しさに胸をはちきれさせんばかりの顔である。が、傍までやってきても沈黙したままの佐竹を見上げて、マールは早速不満そうな顔になった。
「どうしたのよ? サタケ」
「……いや。二人とも、随分背が伸びたんだな」
正直に感想を述べると、マールが怪訝な顔になった。
「え? 別に、こんなの普通だけど?」
(普通……?)
ほんの三ヶ月かそこらでこれほど成長するのが、この世界では普通なのだろうか。
そういえばミード村でもそんな話を聞いたことがあったような気がする。だが佐竹もその時は、まさかここまでだとは思わなかったのだ。
と、すぐ後からやってきたオルクも二人の会話に参加した。
「久しぶりだな~、サタケ! その格好、すっげえかっこいい!」
佐竹の文官姿を見てにこにこしている。何か自分のことのように誇らしいらしく、心底嬉しそうだった。
警備兵にちょっと礼をしてからこちらにやってきたケヴィンとガンツも、佐竹の姿を見ると目を丸くした。
「おお? それって文官の格好じゃねえ? 俺はてっきり、サタケは兵隊になるもんだと思ってたぜ――」
隣にいるガンツは黙っていたが、佐竹と目が合うと「元気そうだな」とばかりに静かに笑った。佐竹はそれに頷いて見せてから、ディフリードに言ったのと同じ言葉を彼に返した。
「……まあ、成り行きでな」
が、ケヴィンは途端に困ったような顔になって頭を掻いた。
「あ~……。でも、じゃあこれ、あんま意味なくなっちゃったかもなあ……?」
言いながら、手にしていた長い包みを見つめている。
「ほら、ウルの村の、すっげえ偏屈な鍛冶屋の爺さん、覚えてるだろ? あの爺さんが、どうしてもお前に渡してくれってさ……」
(……!)
佐竹は目を見開いた。
(それは……まさか)
「……見せてもらっても構わないか」
「ああ、もちろん。お前のだしな」
ケヴィンはすぐ、その包みを佐竹に渡した。
受け取ると、それはずしりと持ち重りがした。
(間違いない――)
これは、間違いなくそれだろう。
佐竹はそのまま、彼らを連れて兵舎脇の練兵場へと移動した。その中身を取り出すのに、さすがにこの場ではまずいからだ。それに、この場では門の警備兵らにもいらぬ迷惑を掛けることになる。
ケヴィンはじめ、ガンツ、マール、オルクもぞろぞろと佐竹の後ろについてきた。なにやら奇妙な一団を連れた長身の文官に、周囲の兵士達が不審げな視線を投げてくる。
と、元同僚のユージェスたまたま近くを通りがかった。
「お? サタケ、何やってんだよ? こんなとこで」
この短い銀髪の青年は、今では自分よりも上の階級になった佐竹に対しても、特に変わらず「タメ口」をきく。ゾディアスから誘われて一連の「作戦」で佐竹に協力することにしてからは、なおさらそういう風だった。
最初の時こそえらい目つきで睨まれたものだったが、付き合ってみればなかなかさばさばした気持ちのいい男だった。
ユージェスは佐竹の持っている長い布袋にさっそく目をつけると、紫色の瞳をきらりと輝かせた。
「それ、剣か? 俺も見に行っていい?」
「もちろんだ」
そうこうするうち、練兵場に着く。午後のこの時間帯は、弓や剣の稽古をする兵たちも多い。佐竹たちは彼らの邪魔をしないよう、その片隅にそっと入り込んだ。
細長い布袋を開けて、するすると刀を取り出す。
「え、その形……」
真っ先にユージェスがそれに気付いて、呆気にとられたような声を上げた。
が、すかさず隣から、ケヴィンが「しいっ!」と遮った。
それはまさしく、「日本刀」と呼んでよい形状だった。
鞘や鍔の拵は、やはり日本のものとは違い、装飾らしいものの何もない無骨なものだ。だがその鞘の反りのうち方はまぎれもなく、日本刀のそれだった。柄には滑り止めを施した布が硬く巻きつけてある。
佐竹は静かに、鞘から刀身を抜いてみた。
ちき、しゃりん……と、涼やかな音がする。
(……!)
息を呑んだ。
周りに居た皆も、それは同じだった。
刀身の放つ気のようなもので、滝の飛沫の傍へ寄ったときのような、なにか周りの気温が少し下がったかのごとき感覚があった。
その刀身は、この世の美を体現したかのような輝きを放っていた。
日本刀と同じく片刃であり、その刃文は皆焼で、まるで波から上がる水飛沫のように刃の面を白く彩っている。
ちなみに皆焼は、国宝である「へし切長谷部」と同じものだ。
またその地鉄は綾杉肌であり、峰がわを大きく波打ったような紋様がさらさらと連続しているように見える。
それはきりりとして、冴え冴えとした出で立ちの中にも、どこか聡明で孤高な雰囲気を纏う剣であった。
剣を志していたこともあり、各地の刀剣の歴史博物館などで本物を見たことのある佐竹にも、これが一見して素晴らしい仕事であることが知れた。
あのロトという刀鍛冶は、単に頑迷固陋で変わり者というだけの老人ではなかったのだ。
恐らく彼は長い間、その腕の素晴らしさを、どこかで思い切り発揮したいと願っていたものであろう。そしてその老成した職人としての技の結晶ともいえる一品を、自分がこれはと見込んだ剣士に託したいと願っていたのに違いない。
この剣を見ただけで、佐竹には老人の思いの全てがわかった。
剣が、すべてを語ってくれた。
「…………」
佐竹は声もなく、しばしその剣を見つめていた。
そうしてまた静かにそれを鞘に戻した。
ぱちり、とそれを戻した途端、周囲のみなも、ふうっと息をついたのが分かった。
佐竹は黙ってそれを両手で捧げ持つと、静かに剣に向かって頭を下げた。





