5 伝説
「白き鎧」と、「黒き鎧」。
それはここフロイタールと、南の国ノエリオールの双方で、太古の昔から語り継がれてきた伝説だ。
そもそもそれを、事実として認識している人々がどれほどいるのか。その辺りのことはよくわからない。少なくとも一般の民たちは、それを完全に御伽噺や昔話の類だと認識しているだけだろう。
「鎧の稀人」とは、その有名な御伽噺に出てくる人物のことなのだ。そういう訳で、その名前や意味について、この国で知らぬものはないのである。
もちろん以前ゾディアスが言ったように、もともとフロイタール王国ではなかった辺境の部族や小さな村など、そうした文化が浸透していない地域も存在する。
また王宮内でも、それを事実と知っている者は限られている。
王族と宰相、それに上級文官と、将官クラスの武官の一部のみであろうか。
それが実際に何であるのか、ゾディアスもよくは知らない。「鎧」と名がついてはいても、実際に鎧の形をしているのかどうかも不明だ。そんな不確かな情報でさえ「たまたま知っていた」という程度に過ぎない。実は、元同僚で現在は天騎長まで上り詰めている、とある悪友がそれとなく教えてくれたからなのだ。
それは、この世界ができた当初から存在してきた。
二つあるうちのひとつである「白き鎧」は、この国の北方のとある場所に厳重に管理されながら安置されている。その位置はまさに極秘中の極秘。この国でも国王と宰相しか知る者はないと言われている。
そのあたりの状況は、南のノエリオールでも同様だろう。
「……んで、これも聞いた話だが――」
ゾディアスは中庭の樹木に凭れて話を続けている。佐竹はその隣で、黙って腕組みをしたまま聞いていた。
「その『鎧』には年に一度、人の『生気』みてえなもんが必要らしい。……要は『人身御供』が要るんだと。まあ、言葉は悪いがな――」
その瞬間、佐竹の瞳が刺すように光った。彼が嫌な予感に襲われているのは、ゾディアスにもすぐに見て取れた。
「わかるよな? それが、『鎧の稀人』の真の意味なのよ。この国じゃ、その役目を果たすのは昔から国王陛下と決まってる」
「…………」
「そしてそれを怠ると、とんでもねえ『災厄』がこの国に降りかかる……と、伝説ではそうなってるな」
佐竹の表情は、これ以上ないほど厳しいものになっていた。
ゾディアスはそれを横目で見つつも話を続ける。
国王は年に一度、その「鎧」の元に向かって秘中の秘とされる儀式を行なう。
毎年、そこから戻ってきて数日は、王は床から起き上がれぬほどに疲弊しているそうだ。それがどれほど過酷な役目であるかは想像に難くない。
「ノエリオールの『黒の王』が、同じようにやってるかどうかは分かんねえ。だが、まあ似たような儀式はやってるはずだ。『黒の王』自身も、あっちの『鎧の稀人』らしいからな」
「……それが、『サーティーク』――」
確認するように佐竹が言うと、ゾディアスは口の端を歪めて笑った。
「そうだ。よく知ってんな」
沈黙している佐竹を眺めて、ゾディアスはちょっと顎を撫でた。
「そのサーティークが何を考えてんのかは分かんねえ。だがとにかく、ああやって毎年毎年、狂ったみてえにこっちの国に攻め込んで来やがるのも、『鎧』の件が関わってると俺は見てる」
佐竹は黙って、ゾディアスの言葉を聞いている。
「そうでなきゃ、説明がつかねえわな? 特段、向こうの国が滅茶苦茶に貧しいとか、資源や穀物がとれねえとかいう話は聞いたことがねえ。なのにわざわざあの『赤い砂漠』を越えて、兵隊連れてよ。兵站も糧秣の確保も馬鹿にならねえやな。え? そう思わねえかい――?」
「…………」
考え込んでしまった佐竹をゾディアスはしばらく面白そうに見下ろしていた。が、やがて空をちらりと見やってちょっと伸びをした。さも「そろそろ夕餉の時刻だな」と言わんばかりだった。
「ま、俺が知ってるのはこんくらいまでだ。後はてめえで調べるんだな」
ゾディアスは「これで話は終わり」とばかりに踵を返した。が、佐竹はすぐに呼び止めた。
「千騎長殿」
「ん?」
ゾディアスが振り向くと、佐竹はやはり、厳しい瞳のままこちらを真っ直ぐに見ていた。わずかに逡巡した様子を見せるも、やがて口を開く。
「先ほどのお話ですが」
「あ? ……ああ~、あれね」
ゾディアスは、先ほど彼にした意地の悪い質問のことを思い出す。
「もし、自分が内藤を救い出すことで、この国が本当に滅ぶということになるのでしたら――」
そこで佐竹は少し言葉を切った。
見れば、硬く拳を握り締めている。
「……その場合は、やむを得ません。この件は、諦めるしかないかと考えます――」
静かだが、ゾディアスにはそれが腸を掻き毟られている人間の出す声のように聞こえた。
「さすがに、ひと一人の命と一国の民すべてを天秤に掛けるわけには参りません――」
佐竹の声は、僅かだったがひび割れていた。その顔もやや青ざめている。それは、ゾディアスが初めて見る彼の顔だった。
「…………」
ゾディアスは少しの間、沈黙して唇を引き結んでいる青年を見ていた。が、やがて首をかしげてにやりと笑った。
「だあから。もちっと、余裕持てって。何もまだ、そうと決まった訳でもねえだろうよ――」
「…………」
それでも佐竹の表情は硬かった。
ゾディアスはちょっと困ったような顔で佐竹の前に戻ると、どす、とその巨大な拳を、軽く彼の胸に押し付けた。
「そのために、俺が一枚噛んだんだ。頭が凹んでたんじゃあ、しょーがねえや」
「……?」
怪訝な顔で目を上げた佐竹に、ゾディアスがまた片目をつぶった。
「だろ? 少なくともこの『作戦』じゃ、アタマは間違いなくおめえだよ」
「…………」
「お前の『ナイトウ』とやらを救う。この国も守る。俺らはどうにかして、その道を探すしかねえ。そうだろうがよ? え? 大将」
言いながら、ゾディアスはさらにどすどすと佐竹の胸に拳を軽く当てた。
「だから、暗え顔すんな。大将がんな顔してたんじゃ、せっかくの幸運まで逃げっちまわあ――」
佐竹は少し視線を上げた。
「千騎長殿――」
が、ゾディアスは、言いかけた佐竹の言葉を手を上げて遮った。
「それやめろ。ゾディアスでいいわ、もう。面倒くせえ。どーせお前、すぐにまた昇進すんだろーしよ」
「いえ。……そのようなことは」
謙遜する佐竹の言葉を、ゾディアスは完全に聞き流した。
「こっちでもまあ、信用できる野郎をもうちっと見繕っといてやる。さすがに二人じゃ、いざって時に動けねえしよ」
そう言いながら腕を組み、さも何でもないような風情で、首をあちこちに振ってはこきこき鳴らしている。
「こっからこっから。みんなして知恵を絞りゃあ、なんかは変えられることもあらあな――」
明るく向けられた巨躯の男の笑顔を見返して、佐竹はただ、沈黙していた。
が、やがてきちんと姿勢を正すと、黙って深々と一礼をした。
ゾディアスはそれを見下ろしてにかっと笑うと、今度こそ踵を返した。そうして兵舎の方角へ向け、大股に歩き去って行った。
◆◆◆
禍々しき「鎧」の前に、長い黒髪の男が傲然と立っている。
長身で、余すところなく鍛え上げられたその体躯。
王族の着る鎧の上に、漆黒のマントを流している。
目つきは鋭く、その全身には、日々闘いに明け暮れてきた者だけが放つ抜き身のような殺気を纏いつかせていた。
だが、今、精悍なその横顔には、明らかな焦慮の色が濃い。
「伝説などと……。世迷言を……!」
低く呟くその声は、慙愧の色を隠せない。
それは、怒りであり、悲しみであり。
もはやどんなに悔やんでも取り戻せぬものへの悔悟であり――
だが、そうして忌々しげに零れる独白を、いまは傍で聞く者とてない。
「いつまで、そのような妄言に惑えば……!」
この世の均衡だと?
それを守らんがための「稀人」だと――?
「笑止……!」
男はぎしぎしと軋るような歯の奥から、そう呻いた。
と、手にした刀がぴう、と一瞬の閃光をきらめかせた。
隣にあった松明台が、音もなく寸断されてがしゃりと散らばる。
すべてを壊す。
何を措いても、破壊するのだ。
……そして、かの王を奪い取る。
二度と、あの「鎧」の力など使えぬように――。
とうとう出たか…この人が^^;
とんでもないことゆーてはりますが…どうなるんでしょう(作者の台詞とも思えない…)。





