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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第五章 秘密
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3 昇進



 翌朝。

 佐竹は朝一番で、書庫管理部門の文官長ヨルムスに申し出た。


「自分を、本日より正式にこちらに配属していただきたく――」


 目の前で一礼している佐竹を見て、ヨルムスはしばし呆然としていたが。 

 次の瞬間、彼の持っていた書物がすべて、ばさばさと足元に散らばった。

 それでもぽかんと開いた口が動き出すまで、優に十五秒ほどはかかった。


「……そうか! そうか!! それはいい! よくぞ申し出てくれた――!!」


 そこからの文官長ヨルムスは、天にも昇るような喜びようだった。

 大声で笑い出し、手をうち叩き、部下の青年たちの手を握る。もはや一緒に小躍りせんばかりの勢いだった。文官長としての威厳もあらばこそだ。

 異動願いの報告は、すぐさま「ナイト王」にも上げられた。

 そして即日、受理された。


 佐竹は晴れて正式に、書庫管理部門の文官として召し抱えられる運びとなった。

 以降、佐竹の階級は文官としての呼び名に変わり、「中級三等官サタケ」ということになった。これは武官としての階級で言えば十騎長と同等であり、すなわち三階級の昇進に等しいことになる。もちろん、つい先日城にやってきた兵士としては異例中の異例の昇進であった。しかも、武官から文官への転向など、まずあるものではないという。


 これと同時に、佐竹は王宮内の宿舎へ移動となった。文官は武官よりも遥かに人数的に少ないことと、扱う仕事が王宮内に集中するため、そちらに文官専用の宿舎を与えられることになっているのだ。

 実は佐竹がこの仕事を希望したのも、かなりの部分、それが理由でもあった。普段からなるべく後宮の近くにいるほうが、何かと内藤との連絡もつけやすいと踏んだのである。

 制服も文官用の長衣(トーガ)に変わった。その階級として決まっている深い紺地の布に少し金糸の縁取り刺繍の入ったものである。

 佐竹は一般的な文官たちよりも遥かに背が高く、また鍛えた体躯はいかにも機敏そうで、顔立ちも至って精悍である。その珍しい黒髪とも相俟(あいま)って文官としては相当異色の存在に見えた。


 何よりも、他の文官たちとは違い、剣の腕も確かだという噂はとうに城内に広まっている。そのため、中にはいざというときに王族の守護に馳せ参じることまで期待する向きもあるほどだった。

 もちろん噯気(おくび)にも出さなかったが、もしそうなれば佐竹にとっては願ってもない話だった。それはつまり、それだけナイト王の、つまりは内藤のそばにいられるということだから。


 ともあれ、この一風変わった黒髪の青年の異例の昇進と異動について、文官たちには驚かぬ者とてなかった。

 普通、一般的な兵士の徴用は、辺境など貧しい農家の三男坊や四男坊といった者たちからが中心である。当然ながら彼らの識字率は高くはなく、各種学問に至ってはもはや「何をか言わんや」といった状況である。畢竟(ひっきょう)、彼らには下級兵としての道しか残されていない。

 文官になれるのは、ここアイゼンシェーレンのような都市部にある学問所などできちんとした教育を受けられた者だけだ。そして彼らはもともと、裕福な家に生まれた貴族や商人の子弟に限られる。

 こうして見れば、最下級の武官として徴用された者が転身して文官になるなど(ほとん)ど天文学的な確率であることは想像に難くない。この辺りの事情は、残念ながらこの世界においても地球のそれとさほど変わらないのだった。

 佐竹はそのことに思い至るとき、何かやるせない苛立ちを覚えずにはいられなかった。


 知識と情報は、力だ。

 弱い者が身を守るためには、どうしてもその「武器」が要る。

 この世には、生まれた場所そのものに左右され、身を落としてゆく人々が多すぎる。

 ただそこに、知識と知恵さえあったなら。

 それでその中の一体どれほどの人々が、自分の身を守ることができることか。そしてその貴重な知識を、えてして時の為政者たちは、敢えて民衆に与えようとはしない。


 もちろんナイトはそのような傲慢、狭量な王ではないだろう。

 しかし、だからと言って今のところ、このことに明確な価値を見出しているわけでもないようだ。それはこの書庫を見た瞬間から佐竹にも分かっていた。だからこそ、自分はここの整備を急いでいる。

 知識と知恵は、ここで埃を被っているだけでは何の役にも立たないものだ。それらは読まれ、利用されてこそ価値がある。

 そして利用されるためには、「利用しやすくする」作業が不可欠なのだ。


 いずれはそれが、民衆のものになる日が来るだろう。

 そうすれば、それはこの国の文化を、文明を下支えする力となる。

 この国の未来のためには、更なる国民(くにたみ)の教育こそ必須なのだ。

 国民の心に真の栄養を与えられない国など、ただ早晩、滅び去るばかりのことだろう。

 ともあれ、例えばミード村にいたマールやオルクのような少年少女でも、いずれはこれら知識の宝庫を無償で利用できるようになること。それが今の佐竹にとって仕事上、当面の目標といえるのかもしれなかった。

 それはまさに、この国の「図書館」の黎明である。


(……そういえば)


 久しぶりに彼らの顔を思い出して、佐竹はほんの少し一人ごちた。

 あまりきちんとした挨拶もせず、遂にあれっきりになってしまったが。皆、元気にしているのだろうか。

 特にマールは、なにか最後まで納得のいかない顔をしていたようだった。

 あんな可憐な容姿ではあるが、あれで結構、芯の強い少女である。一旦こうと思ったら、なかなか引かない頑固さもあり余るほどに持っている。

 今後、あまり無茶なことをしなければいいのだが。





 ゾディアスは、激怒した。

 そして凄まじい勢いで、(うな)りを上げるようにしてやってきた。

 佐竹の異動が正式に発令された、その日の午後のことだった。


(……来たか)


 巨躯のもと上官が大股に廊下を歩いてきた時点から、佐竹にはもう分かっていた。

 それでも何食わぬ顔をして、作業の手を止めるでもなく、書架の前に立てた脚立の上で手元の資料を眺めていた。

 次の瞬間、ゾディアスは、書庫の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできた。


「くぉら、サタケ! 出て来いや――!!」


 鬼神の形相とは、このことだった。

 全身から強烈な怒気の(ほむら)が立ちのぼっている。


「ひ、ひいいいっ……!」

 

 そうした()の流れにはとんと(うと)いはずの文官の青年たちですら、何に()されているのかもわからずに後ずさった。

 「出て来い」も何も。入って目の前に見える位置にいた佐竹にとって、その台詞は無用のものだった。ちらりと手元から目線を上げると、ごく冷静に答えを返す。


「なにか御用でしょうか、千騎長殿」


 飽くまでも、しれっとした物言いである。

 ゾディアスは佐竹の言などまったく無視してずかずかと脚立に歩み寄ると、いきなり手を伸ばしてきた。胸倉を掴み上げようとしたのだ。

 が、今回は佐竹も簡単に捕まるつもりはなかった。その巨大な手を水魚の如き滑らかな動きでするりと(かわ)す。そのままひらりと脚立から飛び降り、ゾディアスに向き直った。


「……!」


 ゾディアスが負けじと次々に伸ばす腕を、佐竹は難なくひょいひょいと躱した。そうやって彼から逃げる風を装いつつ、さりげなく書庫の奥へと誘導する。


「こンの、クソ餓鬼……! ちょろちょろしてんじゃねえ――!!」


 ゾディアスは更に怒りを増幅させて怒鳴り上げ、大股にどんどん追ってくる。

 佐竹には実のところ、この男に内密の話があった。が、この場では人目がありすぎる。そのまま逃げる風を装って、書架と書架の狭間、文官たちのいる側からは見えにくい位置までやってきた。

 と、物陰に入った途端、いきなりゾディアスが動きを止めた。

 振り上げていた手をすっと下ろして腕を組む。


「……んで? 何の話があんだ、俺に」

 見れば先ほどまでの形相が噓のように、いつもどおりの顔に戻っている。

「…………」

 もと上官の態度の豹変に、佐竹は少し閉口した。


(やっぱり食えんな、この男)


 最初にここへ来たのはもちろん、佐竹が彼に相談もなく異動願いを出した事への怒りからだったのだろう。だがこうして状況を見て、即座に違う判断と行動ができる。なかなか大したものだ。

 さすが、百戦錬磨の千騎長殿は機を見るに(さと)い。

 佐竹は簡潔に言った。


「ここでは話せません。どこか、場所を変えられればと」

「ふん? 勿体ぶるねえ」


 ゾディアスはちょっと苦笑したが、小声でごく手短(てみじか)に落ち合う場所と時間を指定すると、いきなりまた拳を振り上げた。


「っつうわけで、一発だけは殴らせろ?」


 もはや満面の笑みである。

 佐竹はうんざりした顔になった。

 半眼になってその拳骨を見つめる。


 そもそもそんな岩の塊みたいな拳で殴られたら、下手をすれば首の骨まで折られかねない。

 佐竹は「まあ無駄だろうな」とは思いつつも、溜め息まじりに言ってみた。 


「こう申してはなんですが。自分はもう、あなたの部下ではありませんので――」


 が、やはり最後まで言わせてはもらえなかった。

 あっという間にその拳骨が振り下ろされて、次の瞬間、佐竹はその巨大な拳に頭頂部をしこたま殴られていた。

 ごんっ、と鈍い音がした。


「……!」


 ゾディアスとしては、相当手加減はしてくれたようだ。

 が、それでもかなりの痛みだった。


「…………」


 顔を(しか)めて恨みがましく睨み上げてくる佐竹の目を、ゾディアスの鈍色(にびいろ)の瞳がさも楽しげに笑って見下ろした。


「これに懲りたら、俺の目の届かねえとこであんま勝手な真似すんな?」

「…………」

「んじゃ、あとでな」


 それだけ言ってまたちょっと片目をつぶって見せると、ゾディアスはくるりと(きびす)を返し、来たとき同様、旋風(つむじかぜ)のように去っていった。


(やれやれ……)


 少し頭に手をやって、その背中を見送った。

 だがこの時、すでに佐竹は決意していた。

 もちろん半分は賭けのようなものだと思う。

 しかし、そろそろ潮時のような気がしていたのだ。


 ……あの男に、すべての事実を話すための。

 


佐竹の文官としての階級は「中級三等官」ですが、武官としては十騎長と同等、つまり少尉・中尉のクラスとなります。

ゾディアスさんは、まださらに二階級上ということですね^^

詳しくは、第四章4節「王都アイゼンシェーレン」のあとがきもどうぞご覧下さいませ。

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