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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第五章 秘密
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2 約束



 深夜のフロイタール宮。その薄暗い廊下の隅で、佐竹は泣きじゃくる内藤の頭を抱きしめたまましばし立ち尽くしていた。

 幸い周囲に人の気配はなかったが、内藤は一向に泣きやめない様子だった。それどころか更に嗚咽が大きくなってきて、佐竹はさすがに困って眉根を寄せた。


(……ここでは、まずいな)


 周囲を見回し、ある程度の見当をつける。そうして佐竹はまだ泣いている彼の腕を掴み、近くの空き部屋に入った。

 そこは古びた調度類に布が掛けられ、雑然と置かれただけの部屋だった。今は使われていないらしい。佐竹は静かに扉を閉めた。そうして手にしていた燭台を布の掛かった小さなテーブルらしきものの上に置くと、内藤をやはり布の掛かった長椅子の上に座らせた。


 内藤はそれでも、なかなか泣きやむことが出来なかった。

 今まで溜まりに溜まったものが、一気に噴き出してしまったのだろう。

 佐竹はその隣に座り、黙って彼が泣き止むのを待っていた。

 やっと少し嗚咽が収まってきた時、内藤は涙まみれの顔をちょっと恥ずかしそうにごしごし拭った。


「は、はは……。泣きすぎ? 俺……」

「…………」


 そんな事はないだろうとは思ったが、佐竹は何も言わなかった。内藤がこれまで耐えてきた孤独で苦痛に満ちた七年もの歳月を考えれば、そうまで泣くのも無理はない。

 そもそも自分がもう少し早く来てやっていれば、彼をここまで苦しめることもなかったのだ。だから少なくとも今の自分はこの内藤を、(わら)ったり馬鹿にしたりできる立場にはない。

 と、内藤が少し震えているのに気付いて、佐竹は自分の上着を脱いだ。


「……着ていろ」

 ぼすっと、ぞんざいに彼の肩にそれを掛けてやる。

「あ、……ありがと……」


 目元も鼻もまだ赤くしたままで、内藤は嬉しそうにちょっと笑った。裸足の足が冷たいのか、長椅子の上で(うずくま)るような姿勢で座り込んでいる。まだ時々しゃくりあげてしまうのを、何とか堪えようと必死のようだった。


「あ……あのさ」


 何とか声を静められてきたところで、内藤は恐る恐る佐竹に尋ねた。

 佐竹が見返すと、彼は一瞬、躊躇した。


「洋介は……? 大丈夫だった? あの時――」


(……当然か)


 あの時、あの状況で。

 洋介がその後どうなったのかなど、内藤には分かるはずもなかっただろう。この七年というもの彼はずっと、それを心配しながら過ごしてきたのに違いない。

 佐竹は不安げな内藤の顔に、しっかりとひとつうなずいて見せた。


「……恐らくは。最後までは見届けられなかったが、きっと無事でいるはずだ」

 そして、あの時洋介に言ったことと、その時の状況を説明した。

「そ……そっか。良かった……」


 内藤は心から安堵したように大きく息を吐いた。その顔は、やはり優しい兄の顔だった。

 その顔を見て佐竹はまた、眉間の皺を深くした。胸のあたりにきりきりと鋭い痛みを覚える。それは、彼をこんな目に遭わせた者らへの怒りであると同時に、自分の不甲斐なさに対する腹立たしさでもある。


 少なくとも今すぐに、彼をここから救い出すことは不可能なのだ。

 こんな状態の「ナイト王」を連れて、衛兵の目を盗んで城の外まで通り抜けられるはずもない。もし見つかれば、ゾディアスをはじめとするここの兵ども数百名にあっという間に囲まれるだけだろう。

 それでも自分一人でなら、どうにか道を開くことは可能かもしれない。だが、さすがに内藤を連れてとなると、いかに自分でも相当無理な話になってくる。

 更に、もし運よくここから出られたとしても。

 たとえばその逃避行の最中(さなか)、内藤に「ナイト」としての意識が戻ったなら。その途端、佐竹は他でもない彼本人から糾弾され、捕縛されるのは目に見えている。下手をすれば、そのまま処刑ということさえありうるだろう。


 やがて静かに、佐竹は尋ねた。

「時間は、どれぐらいある」

「……え?」

 内藤は不思議そうに目を上げた。

「『お前がお前でいられる時間』だ。他にも色々、聞いておかなくてはならん事がある。なるべく手短(てみじか)に頼みたい」

 佐竹の声は冷静だった。

「あ、……うん。えーと……」

 内藤は、まだ赤みの残った目をぱちくりさせて、しばし佐竹を見つめていたが、やがてちょっと呆れたように苦笑した。

「なんか……。相変わらずなんだな、……お前」


 佐竹はひとつ、溜め息をついた。自分に言わせれば、今は彼にそういう「感想」を述べさせている時間すらもが惜しい。

 それであっさりと会話を質問形式に切り替えた。


「夜には、お前に戻れる時間があるんだな? それは毎晩か」

「あ、うん……。でも、毎晩じゃない。『運がよければ』って感じかな……」

「時間さえ決まっていれば、ここで会うことは可能なのか?」

「た、多分……。見張りに見つからなければ、だけど……」


 そんな調子で、佐竹は優先順位の高い方から、内藤を質問攻めにし始めた。





 話を要約すれば、こうだった。

 七年前のあの日、こちらの世界へ連れてこられた当初から、内藤の意識はもう「ナイト」としての意識下に抑え込まれていた。つまり、例のあの<玉の檻>のごときものの中に閉じ込められていた。

 それはちょうど、多重人格の症状を引き起こしている患者の意識と近いのかも知れなかった。内藤のほうではナイトの意識を認識しているが、どうやらナイトは頭の中にいる内藤の存在には気づいていない。


 普段表層にいる「ナイト」は、初めからすでにナイト王としての記憶や振る舞いを身につけていたらしい。「内藤」の体を乗っ取った後も大した苦労もなく、すぐにナイト王としての生活を始めたようだ。

 彼のそばにはいつも少し気味の悪い老人がいて、何かとナイトの身の回りのことに目を配っている。確か、名をズールといった。王宮内での役職は宰相だということである。そしてその老人は、何かといえば例の謎の薬を運ばせて、ナイト王に飲ませるのだった。

 それは、「内藤」としての意識がはっきりしている時ほど顕著だった。

 そんな時、ナイトは決まってひどい頭痛に悩まされる。老人は「お(つむり)のためのお薬」などと言っていたが、とても信じられなかった。なぜならナイトがそれを飲んだ途端、「内藤」の意識はたちまちぼんやりとして酷い眠気に襲われ、何もわからなくなってしまうから。


「だからきっと、あいつが全部知ってるんだと思う。俺をこっちに連れてきたのも、多分、そのズールってやつ」

「ズール……か」


 佐竹は顎に手をやりつつ、その名を心に(とど)めた。


(まだ顔を見たことはないが――)


 直感的にだが、佐竹は自分がその老人をすでに知っているという気がしていた。


(そして恐らくは、向こうも俺を――)


 内藤は少し首を捻りながら、ちょっと自信なさげに言葉を継いだ。


「あ、それと。そいつがなんだかよく……『白き鎧』がどうのこうの言ってる。『国の宝』だとか、『この世の守り』だとか……。俺にはよくわかんないけど。あ、あと『鎧のマレビト』……? が、どうとかって――」


(……!)


 佐竹は目を見開いた。


 『鎧の稀人(まれびと)』――。

 

 ゾディアスも、確かそんな話をしていたはずだ。

 やはり、それはこの一連の出来事に、大きく関わる事柄であるのに違いない。


(文献を調べるとすれば、まずはそこからか――)


 そんな決意を抱きつつ、佐竹は内藤の話を続けさせた。

 ナイトが眠りに就く夜には、内藤の意識が比較的表層に出やすくなる。しかし、ナイトが寝る前に少しきつめの「薬湯」を飲んだりすると、それも難しいことが多い。

 ただナイトのほうでも「今日はそんなに体調が悪くないから」と、ズールの持ってくる薬をこっそりと飲まないこともある。そんな時はチャンスだった。内藤は体の自由を取り戻し、今夜のように自分の意思であちこちを歩き回ることすら可能になる。


 そんな夜には大抵こうしてベッドを抜け出し、時には衛兵の目をうまく盗んで、後宮の外にまで出てくることもある。

 だが、それはいつも、城の中の誰かに見つかるまでの話だ。

 それに、寝床に王がいないことが知れるとすぐに、侍従や女官や警護兵たちが自分をくまなく探し始める。だから内藤がこの体で動き回れるとしても、せいぜい二時間が限度だった。もちろん、衛兵に見つかるような経路はいっさい使えない。


「今夜も、……そろそろ、戻らなきゃ……」


 膝を抱えた姿勢のまま、消え入りそうな声で内藤が言った。自分でそう言っておきながら、また顔を歪めて少し涙ぐんでいる。

 そして、心配そうに佐竹を見上げた。


「佐竹も、俺と一緒にいたりしたらまずい。もし見つかったら……きっと、とんでもない罰、食らう――」


 そう言いながらもどうにも離れがたい様子で、内藤は着ている佐竹の上着を握りしめ、隣から動こうとはしなかった。そうして床の一点を見つめたまま、所在なげに、ゆらゆらと体をゆすっている。

 彼にしてみれば、佐竹は(ようや)く会えた元の世界の人間なのだ。できることならこのままずっと、傍に居たいに決まっている。それは無理からぬ話だった。


「もう、行った方が……いいよ」

 彼の瞳に、また見る間に涙が溢れ出した。

「<あいつ>も、いつ目を覚ますか、わかんないし……」

 掠れた涙声でそんなことを言う。

 <あいつ>というのは、どうやらナイトの事らしい。

「…………」

 佐竹の胸は、また痛んだ。


(この()に及んで、人の心配か)


 佐竹は一時(いっとき)、眉間に皺を寄せたままそんな内藤を見つめていた。

 が、やがて静かに頭を下げた。


「……済まない。今すぐ、お前を救い出すのは不可能だ」

「え、佐竹……?」


 ようやく会えた友達から、今度はいきなり頭を下げて謝られて、内藤はびっくりしたのだろう。出かけた涙もすっとひっこんだようだった。そうしておたおたと困った顔になる。


「あ、あの……」

「だが、必ず方法を見つけ出す」


 頭を上げると、佐竹は戸惑ったような内藤の目を真っ直ぐ見つめてそう言った。

 内藤はちょっとぽかんとしたような顔になって、じっとその目を見つめ返した。

「佐竹……」

 佐竹は、内藤の肩をぐっと掴んで言葉を継いだ。

「もうしばらく、耐えて欲しい。もう少し、腰を据えて準備する必要がある。向こうの世界に帰る方法を調べる必要もな」

「…………」

「お前もできるだけ、そのズールとかいう奴の情報を集めるようにして欲しい。俺は多分、そいつには会わない方がいい。ともかくまだ、情報が足らなさ過ぎる」

「…………」

「失敗は許されない。……わかるな?」


 内藤はしばらく黙って考えていたが、佐竹の真摯な眼差しをじっと見つめて、やがてこくこくと頷いた。その拍子に、また涙がぽろりと零れた。


「……よし」

 佐竹は片手で、内藤の伸びた茶色の髪を、少し乱暴にがしがしとかき回した。

 まるで、子供にするように。

「これからは俺も、毎晩ここに来るようにする。時間は同じだ。だから、お前が来られる時には来るといい。……できそうか?」


 内藤はもう何も言えないらしく、くしゃくしゃの顔になって、ただぶんぶん頭を振った。 


 それから二人は、更に細かい打ち合わせをした。

 そして別々にその部屋を出ることにした。

 内藤はまだ不安そうな顔ではあったが、最後に佐竹の手を両手で握った時には、少し晴れ晴れとした顔になっていた。


「ありがと……。佐竹」

 内藤はそう言って、初めてふわりと微笑んだ。

「助けに来て、くれたんだよな……?」


 佐竹は何も言わなかったが、握られた自分の手をちょっと困ったような顔で見つめて、やがてぼそっとひと言いった。


「……洋介との約束だからな」


 そんな不器用な友達を、内藤は嬉しそうに見返した。

 そしてぽつりと、こう言った。


「俺、……良かった」

「……?」


 佐竹が怪訝な目で見返すと、やっぱり内藤は目を伏せたまま、静かに微笑んでいた。

 そして、まるで何でもないことを言うような声音で、さらりと言った。


「ほんとはさ、俺……何度か、意識が戻ったとき、あの塔の窓から飛び降りてやろうか、とか……思ってた」

「…………」


 佐竹が、絶句した。

 目を見開き、内藤を凝視する。

 内藤が言った城の中にあるその塔は、優に三十メートルはある。

 その意図がなんであるかは明らかだった。


「実際、何回か……窓の縁に、ちょっと足も掛けた。……でも、下見ちゃうと駄目だよな? あれ。やっぱり怖くなって、やめちゃった──」


 はは、と乾いた小さな笑いが漏れる。

 佐竹は二の句が継げないままだ。

 きつく唇を噛み締め、血の滲むほどに拳を握り締めている。

 内藤に握られたほうの手も、彼の手を折れそうなほどに握り締めていた。


 そうだ。

 内藤の状況を考えれば、いつそうしていても、おかしくはなかったことだろう。

 ……しかし。


 険しくなった佐竹の顔を静かに見つめながら、内藤は穏やかに微笑んでいた。

「でも……良かった。ほんとに……そうしなくて良かったよ」

 そしてまた、佐竹の手を強く握り締めた。

「本当に……ありがとう」


 最後にひと言そう言うと、内藤は後ろ髪を引かれるように、何度も後ろを振り返りながら、先にその部屋を後にした。

 内藤が部屋を出て行ってから、佐竹はしばらくそこで待った。やがて周囲に人のいないのを確かめてから、そっとその部屋を出ると、足音を忍ばせて何事もなかったかのように兵舎に戻った。


 

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