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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第四章 王都
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7 真剣勝負


 翌朝、未明。

 佐竹はいつもより少し早めに起きて、兵舎の四人部屋からそっと抜け出した。ユージェス以下三人の同僚は、まだぐっすりと眠っていた。

 いつもならもう少し横になっているのだが、今日ばかりは仕方がない。あのゾディアスとの立ち会いまでに、一度体を温めておく必要があるからだ。


 足音を忍ばせるようにして外へ出ると、早朝の空気はもはや冷たいものになっており、空はまだ夜の色だった。

 あの不気味な「兄星」も、見慣れてくるとなにか幻想的で美しいような気にもなってくるから不思議である。とはいえ「兄星」のほうでもこちらの勝手な感覚で、やれ「不気味」だの「美しい」だのと評価されたくはないだろうが。


 練兵場は、兵舎の建物に隣接している。そこは佐竹がいつも朝稽古のために使っている場所だった。大体五十メートル四方のスペースで、地面はむき出しの土のままになっている。周囲は杭で囲まれており、隅には各種練習用の武具を保管する粗末な小屋が建っている。

 別の隅には、ちょうど弓道場の的のような木の板が何枚か並べて取り付けられていた。弓の稽古もここで行なわれるためである。


 的の近くまでやってくると、佐竹は早速、いつものように木剣を何十遍か振り抜いた。ちなみに木剣は、この世界に着いてすぐに作ったあの不恰好な棒切れではない。兵たちの剣の練習のために準備されている、磨かれた立派なものである。もっともこれには日本刀のような反りはないので、いわゆる木刀とは少し違うものだ。

 十分ばかりそうやっていると、いつものように急速に佐竹は無心の境地へと(いざな)われていった。あとはもう、ゾディアスとの立ち会いのこともあの内藤のことさえも意識から遠のいて、ただ己と剣しかない世界に没入してゆく。


 やがてはその己さえもが、

 空気と溶け合い、無になりはてる――。


 ひと通りの稽古が終わって一息ついたとき、佐竹は練兵場の片隅に、すでに当のゾディアスが来ていたことに気がついた。彼は場を囲む杭の一本に(もた)れて腕を組み、楽しげな視線でこちらを見守っていた。


「…………」


 正直、驚きを禁じえなかった。

 あの巨躯をして、気を殺せばこれほどまでに自分の視界に入らずにいられようとは――。


(さすがにやるな……この男)


 勿論わかっていたつもりだったが、これは考えていた以上に気を引き締めてかからねばならないようだ。この男のあの軽い態度や口の悪さ、見た目の豪快さに惑わされると、思わぬ落とし穴がありそうだった。

 が、ともかくも気を取り直して、佐竹は彼に一礼した。なんと言っても、相手は一応、上官なのだ。

「……いらしていたのですか、千騎長殿」

 向こうは向こうで、また面白そうににやりと笑った。

「おお。朝からいいもん見せてもらった」

 こちらの手の内だけを先に見ようなど、上官としてどうかとは思う。だが、見られてしまったものは仕方がない。


 立会人の男が来るまで、二人は離れた場所に立ち、無言でまた木剣を振った。

 王宮内では、たとえそれが試合であっても立会人なしの戦いは禁じられている。それは私闘と見なされ、厳しい処罰の対象となるのだ。また、試合をする旨、事前の上への通達も欠かせない。そのあたりは今回、ひたすら書庫に(こも)っている佐竹の代わりにすべてゾディアスがやってくれたらしかった。


 ゾディアスは普段、戦場では巨大な戦斧(ハルバード)を使う。だが今回の試合では、佐竹と同じ長剣を使うとのことだった。

 そもそも彼の得物であるあの巨大な戦斧では、長剣と組み合うことそのものからして難しい。そんなものと組み合った途端、長剣などあっという間に手から弾き飛ばされるか、刀身を折られてしまうかのどちらかだからだ。

「それではつまらん」と、ゾディアスは笑って言うのだった。


 まもなく立会人の男がやってきて、二人はそれぞれ武器庫から気に入った長剣を選んだ。そしてその感触を確かめるように、互いに離れた場所で少しの間それを振り抜いた。

 立会人の男はダイスといった。ゾディアスほどではなかったが、やはりがっちりとした体躯、しかし多分に落ち着いた雰囲気の男である。同じく千騎長だということで、お互い戦友の間柄であるらしい。紺に近い髪色と青い瞳をしている。


「そろそろいいのか? お二人さん」


 ダイスは向き合った二人の間に立つと、特に何を気負う風でもなく、淡々と試合の説明を始めた。これがここでの試合の決まりごとであるらしかった。


「いいか、お前ら。分かってるとは思うが、真剣での試合だ。他とは違うぜ? 十分に気をつけろ」

 ダイスはゾディアスと佐竹を交互に見比べるようにしながら、ゆっくりと説明している。

「相手の体に傷をつけるな。すべて寸止めだ。俺ももちろん止めには入るが、時に、間に合わない場合もある。相手を傷をつけたら、その時点でそいつの負けだぜ。わかったな?」

「はい」

「おう」


 短く言って二人は後ずさり、互いに相手との()をとった。

 ダイスも静かに下がって距離をとる。


「双方、いいか。……では、始め!」


 合図の声があって暫く、二人はそれぞれに剣を構えたまま、ぴくりとも動かなかった。佐竹はいつもの下段の構え、対するゾディアスはいわゆる正眼の構え。だがもちろん、ここでは違う呼び方をするのだろうと思われる。

 ゾディアスほどの腕力ならば二刀流となっても十分に剣を振るえそうだったが、ここは敢えて得物を佐竹と同等にしたようだった。

 立会人のダイスも、二人がまるきり動かないことを不審がる様子はまるでなく、ただ黙って見ているだけだ。決して派手なタイプではないが、胆力といい落ち着きといい、さすがはゾディアスの戦友というべきか。


 沈黙のままに、時間だけが過ぎてゆく。

 佐竹の心は静かだった。

 先日の武術会で、あのナイト王に出会った直後とは雲泥の差だ。無心になるためにかなりの努力をする必要もなく、ただただ今は目の前の試合にのみ集中できている。

 心に波立つものは何もなかった。だがその濁らぬ目をもってしても、ゾディアスのどこにも打ち込む隙など見つからなかった。

 向こうのほうでも、静かに長剣を構えたまま、ただじっとこちらの()の流れを読み取っているように見える。


(……手強(てごわ)いな)


 分かりきっていたことではあったが、改めてそう思う。

 こちらから打ち込むとなれば、相当の覚悟をもっていかねばなるまい。恐らくはその瞬間に、即座に試合が終了するほどのレベルを感じる。それはゾディアスの方でも同様なのか、ごく落ち着き払った様子でいながら、一向に打ち込んでくる気配がなかった。

 その鈍色(にびいろ)の瞳には、いつかのような殺気はまるでない。むしろこの男の見た目からすればその目は意外なほどに静かで、むしろ凪いでいるようだった。


 佐竹は自分の勘が正しかったことを再認識した。こうして対峙してみて初めて、分かることも多いものだ。

 この男をその見た目や態度、得物の派手さで判断してはいけないのだ。何も考えずに大きな得物を振り回して哄笑しているようなイメージで当たってしまえば、確実に無残な敗北が待っていよう。

 むしろ冷静かつ理性的で、考え抜かれた剣(さば)きを想定しておかなくては、一手も二手も遅れを取ることになりかねない。


(…………)


 これは、我慢比べの様相を呈するようだった。

 夜が白々と明け始め、練兵場にも朝日の訪れが射し込んできた。

 それでも、二人は動かなかった。


 兵舎の中からさわさわと、起き出してきた兵たちの朝の身支度をするざわめきが聞こえ始める。

 人々の発するにぎやかな()が、ほんの少し、ほんのわずかに練兵場の気を乱した──。


 ――その刹那。


 ゾディアスが、突然動いた。


(……!)


 男はまるで何の気なしにといった風情で、すたすたと歩み寄ってきた。

 と思うと、なんと手にした長剣を明後日の方へ、ぽいと無造作に放り出した。


(な──)


 一瞬、気を呑まれて目を見張る。

 そこへいきなり足元の砂を足でぱっと蹴り上げられた。

 目潰しだった。


「く……!」


 こちらの長剣に強烈な足蹴りが入る。それはあっさりと跳ね飛ばされ、佐竹はあっという間に襟首を掴まれて、気がつけば激しく地面に叩きつけられていた。

 その巨躯に()し掛かられ、組み敷かれている。凄まじい膂力(りょりょく)だ。完全に四肢の自由を奪われている。まったく身動きが取れない。


「…………」


 砂が残って痛む瞳で睨み上げれば、ひどく楽しそうなゾディアスの笑顔がにかにかと見下ろしていた。

 相当、悪い顔になっている。


「だから言ったろ?『戦場じゃこうはいかねえ』ってよ――」

「…………」


 佐竹は呆れて、言葉を返す気にもなれなかった。

 言いたいことは分かるが、立会人まで呼んですることだろうか、これが。


「……それまで」


 ダイスは更に呆れ返った様子で、それでも一応、そう言った。

 そして盛大に溜息をつきつつ、ぼりぼり頭を掻きながらこちらに歩み寄ってくると、まだ佐竹の上にいるゾディアスに向かって吐き捨てるように怒鳴りつけた。


「馬ぁ鹿! てめえの遊びに付き合わすんじゃねえ!!」


 そのまま、どかっと戦友の背中に容赦なく蹴りを入れている。その衝撃がダイレクトに佐竹の体にも伝わって、いい迷惑もいいところだった。


(そういう事は、この馬鹿をどけてからやれ)


 心底そう思ったが、佐竹はそれでも黙っていた。

 ゾディアスはダイスを見上げて、またにやりと笑って見せた。

(わり)いな、ダイス。どーしてもこの坊ちゃんに、教えといてやりたかったもんでよ――」

 憮然とした表情のままの戦友を見やって、ゾディアスはちょっと肩を竦めた。

「そう怒んな。また奢るからよ」

「たりめーだ。夜じゅう飲み明かしてやらあ! 覚えてやがれ!」

 そう言い放つと、ダイスはもう後も見ないで、大股に兵舎の方へと戻っていった。


「……いい加減、どいて頂けませんか、千騎長殿」


 体の下で地の底から響くような声で佐竹が言うのを、それでもしばらくゾディアスは(とぼ)けた様子で無視していた。


「んで、わかったのかよ?」

「は?」

 怒り心頭の限りを込めて睨み上げるその目を見ても、ゾディアスは平気な顔だった。

「『わかったのか』って、聞いてんだよ」

「…………」


 さすがにゾディアスの言わんとすることは分かっていたが、佐竹は何も答えなかった。いや、正直、答えたくなかった。


「お前が『お綺麗』なのはまあ、お前の勝手かもしれねえが。向こうは別に、お前に合わせる義理はねえってこった。……忘れんな?」


 「向こう」というのは即ち、戦場で相対する敵兵のことであろう。

 眉間に皺を寄せて沈黙したままの佐竹を見下ろして、ゾディアスの目がぎろりと光った。

「返事が聞こえねえようだが? サタケ従士」

 佐竹はほんのしばし、その瞳を見返していたが、やがて静かな声で言った。

「……了解しました。ゾディアス千騎長殿」

「よし。……いい子だ」


 言うが早いか、ゾディアスは素早く佐竹の上から体を離して立ち上がった。そして佐竹を立ち上がらせるべく、何の(てら)いもない風でこちらに手を差し出してくる。

 佐竹は少し忌々しい気持ちでその手を見やったが、やがて素直にそれを握った。

 あっという間に引き上げられ、立たされる。


「んじゃな」

 ゾディアスはすぐに踵を返した。

 また例によって、顔の横で手を振って見せられる。

「顔、洗ってから書庫へ行きな。朝メシも忘れんなよ?」


 そして、またあのウインクが飛んできた。

 佐竹は一瞬、その背中をそのまま見送ろうかとも思ったが、やはり思いなおして声を掛けた。


「ゾディアス千騎長殿」

「……お?」


 ゾディアスが足を止め、不思議そうな顔で振り向いた。

 佐竹は姿勢を正し、真っ直ぐ彼の瞳を見つめてから、深く一礼した。


「ご指導、感謝申し上げます。有難うございました」

「…………」


 ゾディアスは、不意を突かれて思わず言葉を失ったようだった。が、やがてちょっと照れくさそうに頭を掻いた。


「おお。……ま、頑張れ」


 苦笑しつつ去ってゆく彼の背中を少し見送ってから、落ちている長剣二本を武器庫に戻し、佐竹もその場を後にした。

 すっかり目を覚ました兵舎から、下級兵たちの朝ざわめきが、早朝のさわやかな光に乗って楽しげに流れてきていた。

 

 

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