8 棘(とげ)
次々と群がってくる人々の輪からようやく抜け出して、佐竹は先ほどケヴィンたちと別れた路地に戻った。しかし、辺りを見回してみても、彼らの姿はそこにはなかった。
村の人々は武術会の会場に集まっていたためか、今この辺りに人影はなかった。
内藤らしき青年が失神していたことから、彼らがその介抱のために移動したのだろうと予測をつけ、佐竹は周囲を探しながら道を進んだ。
彼らはすぐに見つかった。井戸のある側の村の広場から彼らが歩いてくるのが見えたのだ。ケヴィンとガンツ、そしてあの紫色のマントの二人だ。
驚いたことに、あの青年はもはや意識を取り戻し、自分の足で歩いているようだった。今はまたフードを被り、表情はよく見えない。
「お、サタケ!」
彼の後を歩いていたケヴィンが佐竹の姿を見つけて、先に走りよってきた。
その表情が少し申し訳なさそうなものに見えて、佐竹は嫌な予感がした。
「悪い、サタケ。ちょっとなんか……まずい事に」
ケヴィンが皆まで言わないうちに、向こうの中年男が口を開いた。
「おお、先ほどの。……陛下、この者でござります」
言って隣の青年に向かい、佐竹を手で指し示す。
「おお、そうか」
言いながら青年が顔を上げた。
(…………)
佐竹は彼の瞳を見て、一瞬にして悟った。
内藤にそっくりのその青年の瞳には、もはや先ほどのような異変は何も残っていなかった。今はただ少し驚いたように、まるきり初対面の者を見るような目で、佐竹を見つめているだけである。
やがて青年は少し微笑んで口を開いた。
「先ほどは、そなたに大変世話になったようで申し訳なかった。礼を言うぞ」
それは明らかに高貴な者が使うような、上からの物言いだった。ただしその声は柔らかく穏やかで、言葉のわりに少しも高ぶった風ではなかった。
その目も声も、間違いなく内藤のものだった。しかし、彼が話す内容もその態度も、あの内藤とはまったく掛け離れていた。
「…………」
少し年上には見えるものの、それでも確かに内藤としか思えない男が、まるで見知らぬ人のように自分に話しかけている。
佐竹は彼に何と答えたらよいものかを迷った。こちらとしては、彼を初対面の人間だとは思えない。だが向こうでは明らかにそのつもりで挨拶をしてきている。
沈黙してしまった佐竹を詰るような目で睨んで、中年男が口を挟んだ。
「これ! ご挨拶せぬか、無礼者め。今はこのようなお姿ではいらっしゃるが、このお方は本来ならばお前たちなど、ご尊顔を拝することも叶わぬお方であらせられるのだぞっ!」
「おっさんは黙ってろよ」
ケヴィンがむっとしたように言い返した。中年男は、途端、いきりたった。
「な、なにをっ……!」
「よせ、サイラス。この者らは他でもない、私の恩人がたなのだぞ」
横からすかさず、青年が手を上げて男を制した。それはやはり静かで穏やかな声だった。
サイラスと呼ばれた中年男は、途端にはっと口を閉ざして顔を伏せた。とはいえ、いかにも不承不承なのは見え見えだった。
青年は再び佐竹を見ると、またふわりと笑った。穏やかで品のある、もはや十分に「美しい」と言っていいほどの笑顔だった。
そしてそれは明らかに、高校生だった頃の内藤にはなかった雰囲気だと言えた。
「『武術会』でのそなたの試合、少し見させてもらったぞ。素晴らしい腕前のようだな?」
「…………」
佐竹の胸になにか言いようのない、冷たい棘が刺さったような感覚があった。
目の前の青年の姿も、声も、確かに内藤でしかないというのに。
……彼は、違う。
この男は、内藤ではない。
敢えて言うなら、これは「内藤の皮を被った誰か」だ。
佐竹は様々に考えを巡らしながらも、ひとまず答えを返すことにした。
「……いえ。さほどのことは」
静かに会釈する。青年がまた微笑んだ。
「ご謙遜だね。若いのに、立派なものだよ。……ええと、済まない。試合中は、よく聞き取れなかったのだが……。名は、なんと言ったかな?」
(…………)
胸に刺さった棘が、さらにその数を増したような気がした。
(まさか、ここへ来て……お前に名を訊かれるとはな)
佐竹の眉間に、知らず、皺が刻まれた。ぐっ、密かに拳を握り締める。隣でケヴィンが心配げな顔で自分を覗き込んでいることにも気付かなかった。
「……佐竹、と申します」
佐竹は、いつになく自分の声が掠れているのに気がついた。それはもちろんごくささやかな異変だったので、誰にも気付かれてはいなかったが。
青年が頷いた。
「『サタケ』と言うんだね。あ……ええっと、申し訳ない。ちょっと変わった名のようなのだが、出身はどちらなのかな?」
佐竹の眉間の皺がさらに深くなった。
この青年も、他の者たちのご多分に洩れず、自分の出身のことを気にしているのだ。
「…………」
沈黙した佐竹の隣で、ケヴィンが「もう見ていられねえ」とばかりに慌てて横から助け舟を出した。
「こっ、こいつは俺らとおんなじ、ミード村の出身でさぁ! ちょっと変わった髪の色してっけど、間違いねえよ! んなっ? サタケ!」
ばしばしと佐竹の背中を叩きながら、努めて明るく言ってくる。佐竹は何も言わず、剣呑な顔のままちらりとケヴィンを見やっただけだった。
内藤の顔をした青年は、納得したように頷いた。
「そうか、ミード村の……。そういえば『武術会』の方はどうなったのかな? まだ試合は終わっていないのでは?」
青年がそう訊きかけた時、井戸のほうからどやどやと人の近づいてくる気配がした。見ればごつい体躯の男たちが四、五人、こちらに歩いてくる。よく見ればその先頭に、先ほどの対戦相手だった金髪の大男がいた。
確か、名をゾディアスと言ったはずだ。
男の方でも、すぐにこちらに気付いたようだった。
「お? さっきの兄ちゃんかい」
佐竹の姿を認めるなり、また男は破顔した。ひどく嬉しそうな顔である。
「さっきは済まなかったな? あっさり敵前逃亡なんかしちまってよ――」
ゾディアスは至極ざっくばらんな様子で、「これが戦場なら、まずもって死刑は確実だあな~?」などと、同行している男たちに軽口を叩いている。一緒にいる男たちも、纏う雰囲気が彼に非常によく似ていた。どうやら見たところ、同郷の兵士仲間とでもいった者たちらしかった。
──と。
「……んん?」
彼が何気なしにこちらを見やって、紫色のマントを羽織った青年の姿を認めた時だった。ゾディアスはぴたりと動きを止めた。
「……! これは――!!」
そしていきなり、慌てたようにその場に片膝と片方の拳を地面について、青年に向かって深々と頭を下げた。
ガンツやケヴィンはもちろんのこと、側にいた男たちも呆気に取られたようになって立ち尽くし、彼の姿を凝視した。
「なんだよ……? ゾディ──」
「陛下! このような場所にお越しとは思いも掛けませず、大変なご無礼を――!」
強面そのものの男の口から、唐突にすらすらとこんな兵士然とした敬語が流れ出て、佐竹ですら少し面食らった。
しかも。
(やはり、『陛下』か――)
もう認めざるを得なかった。
それでは先ほどのサイラスの台詞は、こちらの聞き間違いではなかったのだ。
そして、このゾディアスの態度からすれば。
それはもう、紛れもなく――。
「え、陛下……?」
「って、本当に?」
ゾディアスの言葉を聞いて、周りの男たちも急に顔色が変わった。慌てて彼同様に膝をつき、地面の上で次々と頭を下げる。
「なんだ、なんだ?」とケヴィンはおろおろし始め、ガンツはガンツで不思議そうに、そんな男たちを見下ろしていた。
紫のマントの青年は平伏する男らを困ったように振り返って、ちょっと頬を掻いた。
「あらら……。これは、まずいことになっちゃったね? サイラス」
首などかしげて苦笑する様子は、やはりいい大人の男としては少しばかり可愛げがありすぎるような感じもする。彼を見やって、サイラスはもう呆れるを通り越して脱力していた。深い溜め息と共に頭を抱え、それを横に振っている。
「はああ……。ズール閣下に、一体なんと申し上げたらよいのやら……」
青年は困った笑顔を湛えながらも、佐竹の方に向き直った。
「自己紹介が遅れてしまって、まことに申し訳なかった。ちょっと事情があって、そうはできなかったものだから。でも、もう隠しても仕方がないし。……いいよね? サイラス」
隣でサイラスが、頭を抱えつつも諦めたように頷いた。
そして、盛大に溜め息をついた。
青年は、柔らかな微笑を浮かべたままフードを脱いだ。
そうして、佐竹の目を真っ直ぐに見て言った。
「私の名は、ナイト」
静かで、優しい声だった。
「今は一応、この国の王をしている者だよ」





