6 玉の檻
「内藤……?」
突然、懐かしい声が耳朶を打って、俺は目を開けた。
(……?)
いつもと同じ、あの忌々しい<玉>の中だ。
あれからずっと、俺はこの中にいる。
このところは、もうずっと蹲って、外を見ようともしていなかった。
透明で柔らかいのに、絶対に外には出られない丸い檻。
誰にも、俺の声は届かない。
どんなに喚いても、叫んでも。
初めの頃は、それでも俺だって頑張ったんだけどさ。
声が枯れるまで喚いて、怒鳴って。
暴れて、叫んで、
それから、それから――。
……でも。
だれも、助けには来なかった。
だれも、許してはくれなかった。
後はただ……涙が枯れるまで泣いただけだ。
……それなのに。
目を上げるとすぐそこに、あいつが立っているのが見えた。
それは勿論、<そいつ>の目を通してだけど。
(さ……たけ……?)
俺は、思わず<檻>の壁に張り付いた。
間違いない。あれは、あいつだ。
背が高くて、目つきが悪くて。
ちょっと強面の俺のクラスメート。
……いや、クラスメートだった奴。
だって多分、もう何年も経ってるもんな。
今、クラスメートのわけないよ。
なんか変な格好してるけど。
顔は間違いなく、あいつのものだ。
(なんか……ずるいな)
ちょっと笑ってしまった。
なんでだよ。
お前、あの頃と変わってないじゃん。
高校生の時と、そこまで顔って変わんないもの?
ちょっと若作りしすぎなんじゃね?
「は、はは……」
久しぶりに出た声は掠れきってて、
声とも呼べないほどに錆びていた。
「なんで、こんなとこに居るんだよ……?」
<檻>の壁を通して見えるあいつの顔は、ちょっと驚いたみたいに、じっとこちらを見つめている。
ああ。
そんな顔もするんだな、お前。
「佐竹……」
もう一度あいつの名を呼んでみたら、
とっくに枯れた筈のものが、また性懲りもなく溢れ出た。
(……たすけて)
助けてくれよ――
俺の力では、この<檻>はどうにもできない。
どんなにしても、何をやっても。
絶対、絶対にぶち破れない。
あいつらが、俺をここへ連れて来たあいつらが。
俺を無理やりに閉じ込めて。
俺の体を、<そいつ>に与えた。
今では声も体も何もかも、<そいつ>が好きなように使ってる。
俺はただこの中で、それを他人事のように見つめている。
「佐竹………!!」
<檻>の壁を叩きのめし、掻きむしって絶叫した。
泣き喚いたって、構うもんか。
どうせ、誰にも見えないんだ。
誰も、見てはくれないんだ――。
その途端、またいつものように<檻>の周りが真っ黒になった。
まるで<檻>ごと、とぷりとどす黒い墨の中に浸けられるようにして。
俺はもう、子供みたいに泣きじゃくった。
そうやって泣きながら、ただただ、あいつの名前を呼んだ。
「佐竹! 佐竹えぇ――……!!」
……助けて。
たすけて。
お願いだ……。
だれか、
俺を助けてくれよ――。
◇
「おい。大丈夫なのかい? このお人……」
真っ青な顔色で気を失っているフードの青年を覗き込み、ケヴィンがそばにいる身分の高そうな中年男に尋ねた。ごく心配そうな顔である。
「なんか、すごく苦しそうじゃね? 病気でもあんのかい?」
青年は気を失ったまま、まだガンツの腕に抱かれている。その顔は何か痛みに耐えるように顰められ、ひどく辛そうなものに見えた。
「む、そ、そうだな……」
男はちょっと言いよどみ、きょろきょろと周囲を見回すようにした。そして懐に手を入れて何かを探ってみているようである。だが、どうやら自分たちの目を気にして、それを取り出さずにいるようだった。
ケヴィンが怪訝な顔になる。
(ど~もこりゃ……胡散臭えな)
いつも冷静なサタケがさっき、あれほどこの青年を手放したがらなかった理由が、ケヴィンにも何となく分かった気がした。どうもこの男、全体的に態度が胡乱で気に食わない。
ケヴィンは確かに、ガンツやサタケがやるような荒事には全く向かない。昔から体も小さく、腕も細くて、腕力なんかはからっきしだ。当然、子供同士でやる戦争ごっこなどの場面でも、大将級は絶対にやらせて貰えない。いつも下っ端のやられ役しか回ってこなかった口である。
が、そのぶん勘働きと、人を見る目にだけは長けているつもりだった。ついでに、ちょっと他人よりは口も回る。
弱い者が強い者らの中で身を守るには、他人の人となりを見抜く目が必須である。そして、たとえ辺境出身の田舎者であるとはいっても、それにかけては結構な自信も持っていた。
サタケのことにしても、そうである。
あの漆黒の髪色をしたちょっと強面の青年を、最初はミードの村人たちもノエリオールの出身者ではないかと懸念し、もちろん警戒もしていた。それはこの国の者として、至極当然のことでもあった。
しかし、意識を取り戻してからのサタケの様子をそれとなく観察してみて、ケヴィンにはすぐに分かったのだ。彼が見た目の近寄りがたさとは裏腹に、曲がったところのない、清い精神の持ち主であるということが。
それが証拠に、村の子供たちはすぐに、あの基本的に殆ど笑わない青年に懐いてしまった。彼の中に嘘がなく、実は心根の優しい男だということが、まだものの本質を見抜く力の残っている子供にはすぐに分かったのに違いない。
だからこそ、ケヴィンも今回のこの武術会の引率係に、自ら手を挙げたのだ。
あのサタケというちょっと変わり者の謎の青年のことを、もっと知ってみたくなったから。
……それに引きかえ。
(ど~もこのおっさんは、信用ならねえ)
先ほどからそれとなく観察するに、この男が心配しているのは青年の体調そのものではないようだった。どうやらこの事態に困惑し、それで自分に降りかかる、恐らくは「上」からのお咎めのことで頭が一杯のようにしか見えなかった。
(こりゃ~、駄目だわ)
サタケから頼まれたからなのはもちろんだ。だが、この男の人間性があまり信用できない以上、この青年の身柄は彼が戻ってくるまで、しっかり自分たちで確保せねばならないらしい。少なくとも、この男だけに任せておくのは危なすぎる。
ケヴィンは手早くそこまでの考えをまとめると、男とガンツに提案した。
「とりあえず、もちょっと静かなとこに行こうぜ。介抱するにも、ここじゃ無理だろ? 水も欲しいし、井戸のとこまで――」
と、ケヴィンは近くで小さな声がしたような気がして言葉を切った。
(……ん?)
それは、ガンツに抱かれた青年の口から聞こえたようだった。
(……なんだ?)
ガンツに抱かれていることで、たまたまケヴィンの耳の近くに青年の顔がある。そのことで、偶然にもそれは聞こえたようだった。この場でそれを聞いたのは、恐らくケヴィンだけだったろう。
「…………」
その途端。
はっとしてケヴィンは目を見開いた。
「ん? ……どうしたのだ?」
お付きの者らしい中年男に見咎められて、ケヴィンは慌てて手を振った。
「あ~、いやいやいや!」
誤魔化すようにして笑い出す。
「あははは、なんでもねーよ、うん! んじゃ、井戸のある広場まで移動すっかあ!」
無駄に明るい笑い声を響かせながら、ケヴィンは彼らを連れて、広場のほうへと歩いていった。
◇
佐竹が闘技場に戻った時、試合はすでに三回戦に入っていた。
人々の間を擦り抜けて、闘技場脇に設けられた、次の試合の出場者のための規定の場所に戻る。そこで地面に片膝をつき、背筋を伸ばした姿勢で静かに座った黒髪の青年を、周囲の人々は珍獣でも見るように無遠慮な目で眺めていた。
他のごつい体をした選手の男たちは、胡坐をかいたり立て膝をしたりして座りつつも、伸びをしたり首を回したり、あるいは肘をついて目の前の試合を面白げに見つめたりと、どちらかというとリラックスした雰囲気である。
が、佐竹の周囲にだけは、どこかぴんと張り詰めた空気が漂っているようだった。
ひそひそとあちらこちらで、明らかに彼について何事かを囁き交わす声が聞こえていた。それは彼の黒髪に関して、またはその不思議な剣捌きについてであるようだ。それらのいずれも、悪意や疑いを含んだものもあれば、好意的なものもあるようだった。
それらに加え、選手に向かって応援や野次を飛ばす声で周囲は騒然としている。
だが、そんな人々の怒鳴り声も野次も、またひそひそ話も、佐竹にはまったく聞こえてはいなかった。
つぶる寸前の状態まで瞼を下ろし、先刻からずっと地面の一点を見つめている。
今はただ、無心になろうと努めていた。
先ほどの試合では、特に何を焦る必要もなく、いつも通りに動けばよかった。
しかし、先ほどあの内藤らしき青年を見つけ、彼をケヴィンとガンツに預けてきてからは変わってしまった。自分にはもう「早くあそこへ戻りたい」という、強い気持ちが生まれてしまった。
それは即ち、雑念である。
客観的にその感情を見つめなおし、その上で今は一旦、それを脇に措いておかねばならなかった。
相手がどんな技量の人物であるとしても、試合において手を抜いて当たるのは、相手に対する侮辱であろう。だから佐竹はどんな時でも、相手に対して自分としての最高の集中力で当たることに決めている。
雑念があったのでは、そのレベルを保てないのだ。
かつて、あの山本師範もおっしゃっていた。
「若さは無論、力になる。が、時に足枷にもなりうるものだ」と。
……だとすれば、これが「若さ」という名の足枷なのだろう。
「次! ミード村、サタケ! 前へ!」
呼ばれて、すっと目を開ける。
そして音もなく立ち上がる。
そのまま、佐竹は流れるように闘技場へと足を運んだ。





