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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第一部 第三章 武術会
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4 再会


「相変わらず、ウルの村は賑やかなものでございますねえ……」


 フードを目深に被った小さな影が、疲れの(にじ)んだ声音で隣に立つ人物に囁いた。さもうんざりしたような声である。中年の男のようだった。

 周囲はその言葉どおり、武術会に集まった人々でごった返している。男や女の笑声や怒鳴りあうような威勢のいい声が飛び交って、熱気が(みなぎ)るようである。


「ああ、ここは本当に活気がある。来るといつも、楽しい心持ちになるよ」

 同様にフードを被って顔を隠したもう一人の人物は、それよりはずっと若く、柔らかな声音でそう答えた。

「まあ、今日が『武術会』の日だから、ということでもありましょうが……」

 中年の声の人物はそう答えると、少し周囲を見回すような素振りを見せた。

「どうぞ、お気をつけ下されませ。いつものように、これは飽くまで『お忍び』なのでござりまするゆえ……」

 若い方の声が、ちょっと苦笑する。

「分かっているよ、サイラス。なに、顔さえ隠していれば大丈夫さ」

 あとはもう黙ってしまい、二つの影は道行く人々の間を縫うようにして、そろそろと武術会の会場のほうへと歩いていった。





 フードを被った二人がそこへ着いた時、会場ではすでに何組かの試合が終わったところのようだった。


 高さ一メートルほどの丸太と、そこに渡した綱で円形に囲われた即席の「闘技場」で、それは行なわれることになっている。その直径は十メートルほどであろうか。

 試合を観戦する人々は、その綱から更に二メートルほど離れて張られた綱のところまでしか入ることを許されない。今は、そのぎりぎりのところまで老若男女が詰め掛けて、出場者たちに向けてやんややんやの歓声を上げていた。


 「武術会」は、どの村でも、大抵はトーナメント形式で行なわれる。一回戦で勝ち上がった者が、他の勝者と対戦して勝ち上がる、簡単なルールである。

 武器は、長さと太さを指定された木製の棒が一本のみと決まっていて、素手で戦いたい者についてはそれでも構わない。体術としては腕、足、頭のどこを使っても構わないことになっているが、噛みつくことは反則となる。

 勝敗には、三通りの決め方がある。試合の途中で審判の者が試合を止めて決める場合と、どちらかが「参った」と言った場合。そして、闘技場からどちらか一方の体が出てしまった場合の三つである。勿論、この場合は、体の出てしまったほうが負けとなる。


 盛り上がっている人々の間からそっと覗いてみると、次の仕合いは小山のような体躯をした農民らしい男二人の対戦だった。二人とも武器は使わず、ただその巨大な腕どうしをがっきと組みあわせて、ひたすらに力押しで攻め合っている。

 やがてじりじりと片方の足が闘技場の外へと押し出されて、試合は終了。沸き立っていた歓声が、勝敗が着いた途端、いっときおさまる。

 周囲を囲んでいる人々の顔は、どれもきらきらと楽しそうに輝いていた。

 そんな彼らの様子を見て、フードの青年はちょっと一人ごちた。


(こういう皆の楽しみに類することは、やはり折々(おりおり)やっていく必要があるな──)


 青年にとって、人々の喜びは我が喜びと同じものである。こうしてときどき市井にいる彼らの幸せそうな表情を見ることで、またこちらも元気を貰い、次の仕事に打ち込めるようになるのだ。


「おお。……ご覧なされませ」

 隣からサイラスの低い声がして、青年は目を上げた。


(……?)


 見れば、いま闘技場の中には、これまでとはちょっと毛色の変わった青年が立っていた。周囲の人々も、その容姿を見て驚いている様子である。


 何より目を引くのは、彼の髪の色だった。

 短めの漆黒の髪。それはかの恐怖の南の国、ノエリオールでしか殆ど生まれないはずの髪色だった。

 そして、静かな光を湛えた黒い瞳。

 背は恐らく高いほうだろう。多分、自分より拳ひとつ分ぐらいは高いはずだ。

 しかし、この場に限ってはそうとは言えない。なぜならほかの参加者は彼よりも、普通に頭ひとつ分は大きいからだ。

 何より彼は、他の参加者と比べて体全体がずっと細身だった。

 相当な田舎から出てきた者らしく、ごく粗末な貫頭衣に長上着(ローブ)(まと)い、上から腰帯を巻いている。その腰が、他の選手たちとは比べ物にならないほどに華奢に見えた。

 もちろん、身体のどこも引き締まって、鍛えているらしいことは遠目にも分かる。だがそれでも周囲の牡牛のような体躯の選手たちに比べると、まるで大人の中に一人だけ子供が混ざっているかのように頼りなく見えるのだった。

 彼はその手に、大会指定の木剣を何気なく携えている。


──その時。


 彼を目にした瞬間。

 どくっと胸の鼓動が跳ね上がった。


(なん……だ?)


 そしてまた、ぴりっとあの頭痛を覚える。


「あ、つ……!」

「陛下、いかがなされました」

 隣からサイラスの声が心配げに聞こえてくる。

「あ、いや……大丈夫だ」


 小声で言い合ううちにも、目の前の試合は始まっている。

 黒髪の青年の相手は、やはり巨躯の男だった。隆々とした胸筋を見せびらかすように、上半身は裸のままだ。銀髪をまるで鶏の鶏冠(とさか)のような形に刈り込んでいる。彼は素手のまま戦うようだった。明らかに相手を舐めている風情である。


 「はじめ!」という審判の声と共に、二人は互いの動きを見ながらじりじりと闘技場の中を回り始めた。黒髪の青年は、銀髪の男の押し出しにも、その野獣めいた目つきにも特に()じる様子もなく、ただひたすらに静かな表情で相手の動きだけを見ているようだった。

 黒髪の青年の剣の構え方は、あまりこのあたりでは見たことのないものだった。どうやらそれが彼の常のスタイルであるらしい。特に気負った風はなく、ただ自然にその切っ先を地面に向けている。

 なぜか彼の周囲にだけ、不思議なほどに静まり返った静謐(せいひつ)な空間が生まれているように見えた。


 ……と。


「おおおっ!」


 銀髪の男がひと声吼えて、猛然と黒髪の青年のほうへと突進した。その動き方からして、彼は相手の武器をもぎ取って軽々とその身体を抱え上げ、場外へ放り出すつもりなのだろうと思われた。

 しかし。

 彼の目算は、まったく当たることはなかった。

 黒髪の青年は、まるで水の流れるごとくにその突進をするりとかわして、手にした木剣を軽く――そう、「軽く」としか見えなかった――とん、と大男の首筋に当てたようだった。


 ……それで、すべては終わっていた。

 銀髪の大男はその場でちょっと蹈鞴(たたら)を踏んだかと思うと、次の瞬間、どうっと派手な音を立てて、もう地面にうつ伏せに倒れていた。

 審判がすかさず走りよって男の顔を覗きこんだ。途端、さっとその顔色が変わる。男はすでに昏倒していた。


 何が起こったのか分からないまま、周囲は一瞬、しんと静まり返った。

 黒髪の青年は、審判が勝敗を決するまでその場に残ってはいなかった。軽くその場に一礼して、すぐにくるりと踵を返す。そのままこちらに向かって歩いてきた。

 やがて審判が黒髪の青年の勝利を宣言すると、どっと人々の歓声が沸き起こった。

 やんやの喝采。だが、青年はそんなものには何の関心もない様子で、どんどんこちらに向かってくる。

 ふと、その黒い瞳と目が合った。


「……?」


 フードの青年は唐突に、不思議な気持ちに襲われた。

 まるで、心の臓を誰かにぎゅうっと掴まれたような。

 そんな、不可解で(たま)らないなにかがこみ上げた。


 向こうの方でもどうやら様子がおかしかった。

 試合中あんなに静かな、まるで水盤の水面(みなも)のようだった黒髪の青年が、自分と目が合った途端、ぴたりと動きを止めたのだ。

 彼はしばらく、絶句しているようだった。

 その目はただただ驚いたように見開かれて、自分をじっと凝視していた。


 そして(ようや)く、押し殺したような声が聞こえた。

 それは深くて、低くて……そして、静かな声だった。


「……内藤……?」


 その瞬間。

 周囲の喧騒はぴたりとやんだ。

 消えたのではない。聞こえなくなったのだ。


「…………」


 フードの青年は、ただただその青年と見つめあった。

 胸の奥に潜む何者かが、貪るようにしてかの青年の姿を見ているような気がした。

 なにかがざわざわと、胸の奥底から不穏なものを告げ知らせている。まるで、嵐の前触れのようだと思った。


「陛下……?」


 サイラスが驚いたように声を掛けてくる。

 そっと隣を見ると、彼はさらに驚愕したように目を見開いた。


「へ、陛下……? い、いかがなされました──」


(え……?)


 男が何を驚いているのかよくわからず、青年はまた、黒髪の青年のほうへと視線を戻した。すると、相手のほうでも少し、驚いたような風情が見えた。

 その静かな黒い瞳が、それでもひたとこちらを見つめている。


「……あ」


 そこでようやく気が付いた。

 自分の手のひらに、何かがぽたりぽたりと落ち続けていることに。

 彼は黙って、それを見下ろした。


 自分の目から、熱い雫が次々に溢れては(こぼ)れ続けていた。

 青年はただ、呆然とそれを見つめた。

 それにどんな意味があるのか、まったく理解できなかった。


 ……なのに。

 雫のほうでは一向に、止まってくれる気配はなかった。


『どこからくるんだ』

 この、胸をかきむしられるようなひどい痛みは。

『いったい、どこから──』


 ……が、やがて。


 青年の意識は、いきなりふっと遠のいた。

 目の前があっという間に真っ暗になる。


 そして。


「内藤……!」


 遠くで、彼の声が聞こえた気がした。



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