表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/141

プロローグ



「いかぬ……。いかぬ!」


 まばらになった白髪をかき乱し、老人が一人うろうろと歩き回っている。

 黒いマントの頭巾(フード)で顔は見えない。

 しわがれた声は悲愴に裏返り、ひび割れて、もはや狂気の様相だ。


 (あか)りらしい灯りといえば、石壁に備え付けられた灯火だけ。

 仄暗(ほのぐら)い部屋の中央部には石造りの寝台が据えられている。

 その上に、ちらちらとゆらめく燭台の灯に囲まれて、高貴なお方が横たわっていた。

 まるで眠るような、穏やかで清らかなお顔であった。


 ……だが。

 その方の頬は青白く、もはや息もなさってはいなかった。

 

「いかぬ……。いかぬのじゃ……!」

 

 世界のすべては、平衡を保つことによって存在しうる。

 この「高貴なお方」がお隠れになってしまっては。

 この世でなにより重要な、大きな土台が、()()が崩れ去る。


「そのようなことは許されぬ。どうあっても。どうあってもじゃ……!」


(だが──)


 だが、魔道は。

 魔道に手を出すのだけはまずい。


(あのような力に頼ってしまっては――)


 (のち)のこの世に、より絶望的な(ひび)をもたらす可能性もある。

 老人はその禿頭(とくとう)の皮膚を、血も滲まんばかりにかきむしった。


「じゃが……じゃが、だからと言って……!」


 いったい、背に腹が替えられようか。

 今まさに、世が()わろうとしている土壇場で?


 目の前に、回避できる可能性がありながら。

 むざむざとこの自分に、ここでただの傍観者たれと言うのか。


 「はいそうですか」と、この世を終焉に至らしめよとでも――?


 老人は頭巾(フード)の下で、血走った(まなこ)をぎょろつかせた。

 呼吸は荒く、今にも止まるばかりに喘ぎを漏らす。

 そこにはもはや、選択の余地などなかった。

 あらゆる事象(こと)が、その事実を物語っていた。


 やがて。

 老人は、だらりと両腕を脇に落とした。

 それはあらゆることを諦めた人のようにも見えた。

 石造りの寝台の上の、高貴なお方をじっと見つめる。


「ゆ、許されよ……わが君」


(どうか、すべての(とが)は、ここなわが身に──)


 (ただ)れた(まなこ)をゆらし、ゆっくりと部屋の隅に目をやる。

 そこにはこの場で唯一の、白く清らかな光があった。


 美々しく飾られた祭壇の上。

 白銀に輝く甲冑が一領(いちりょう)、静かに安置されていた。




◇◇◇




 なにが起こったのか分からなかった。

 脳内の血管が全部、()き切れてしまいそうな衝撃。

 今にも命を絶たれそうなほどの吐き気。

 そして、真っ黒に口を開けた背後の恐怖──。


(いや……だ。いやだ)


 じわじわ、じりじりと、()()()が俺の中に押し入ってくる。


「やめ……、いやだ……いやだああああッ!」

「内藤……!」


 視界がすさまじい高速転換をくり返して、どれが本当の映像なのかも分からない。

 それでも、真っ黒な嵐の向こうに、やっと見えたのはあいつの厳しい顔だった。

 あいつに(かば)われるようにして、その後ろにいるのは洋介。

 小さな俺の弟だ。

 洋介はもう真っ赤な顔をして、ランドセルの肩ベルトを両手で必死ににぎりしめて、ずっとわあわあ泣きわめいてる。


「にいちゃ……、にいちゃああん……!」


 ──だめだ。

 来るな。


 俺は今にも消し飛びそうな自分の意識を、必死でその場につなぎとめた。

 そして、喉から声を絞り出した。

 あいつに向かって頼んだんだ。

 そのほかに、もうできることなんて何もなかった。


 お願いだ。

 お願いだ。

 どうか、守って。

 

(佐竹……!)


 どうか……どうか。

 俺の弟を、守ってください──。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ