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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第七章 帰還
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仮面

第二部 第七章 帰還


    4  仮面



「ユウヤ様! ユウヤ様はどちらに――?」

 ばたばたと、王宮の廊下を駆けてゆく足音がする。

 それと共に、サイレンのような幼子の泣き声も通り過ぎていった。廊下の隅で掃除に勤しんでいた若い女官たちが、目を丸くしてそれを見送っていた。



「いやあの、いま授業中ですから……って、え!?」

 算術の講義中である講義室の教壇で、内藤は一瞬ぎょっとなった後、ちょっとうんざりした顔になった。


(あ〜〜……。またかよ……。)


 講義室の扉から飛び込んできた妙齢の女官の腕には、オレンジ色の髪色をした赤ん坊が布にくるまれて抱かれている。

 それも、今まさに「ギャン泣き中」の真っ只中だ。

 女官の縋るような目と目があってしまい、内藤は青ざめたまま笑顔をひくつかせた。


(しまった……。手伝いすぎちゃったかも、俺……。)


「あ、えーと……、ごめんなさい、皆さん。アヒムさん、ちょっと後、お願いできます?」

「は、……はい。後は練習問題の演習を行なって、答え合わせのあと、解説をすればよろしいのですよね?」

「あ、うん……。課題はいつも通りでいいと思うから。ごめんね、頼める?」

 顔の前で神々を拝む仕草をしてみせると、アヒムはちょっと苦笑して頷いた。

「はい。大丈夫ですよ。どうぞ、王太子殿下のことをよろしくお願い致します」

 言って一礼してくれる。

「ほ……ほんっと、ごめんね……!」

 内藤は、足早に講義室入り口まで歩いて、女官の手から大泣きしている王太子殿下を引き取った。内藤が抱いた途端、講義室に響き渡っていた赤子の泣き声がぴたりと止まる。

「おお……」

 と、室内で算術の授業を受けていた男たちが、老いも若きも感心して声を上げた。


(……いや。『おお』じゃないから。)


 内藤はがくりと肩を落とした。


 どうも先日から、こういう事が増えている。


(俺に懐かせすぎるのも問題なんだけどなあ……。どうしよっか、これ。)


 王宮の廊下を、子守担当の女官と共に王太子殿下の部屋へと戻ってゆきながら、内藤は思案している。


 佐竹と共にこの王宮に戻ってきて、もう二十日あまりが過ぎている。目を覚ましてからの佐竹の容態はずっと似たようなもので、その間、内藤は今までどおりに算術の講義をうけもつ傍ら、時々この王太子殿下の世話を手伝っていたのだったが。

「本当に、申し訳ございません……。近頃、ユウヤ様でなければ、どうしてもお泣き止みにならないことが増えてまいりまして――」

 ほとほと困って申し訳ない気持ちを全身で表現しつつ、女官は内藤の隣をとぼとぼと歩いている。くだんの王太子殿下は、泣き疲れてとうに内藤の腕の中で眠ってしまっている。

「いや〜……ははは……」

 内藤も、性格上あまり強くは責められず、ただ笑うしかない。

 と、目の前から書記官らしき文官数名と共に大股に黒いマントを翻して歩いてきた青年王が、変な顔をして足を止めた。


「……ユウヤ。何をやっとるんだ」

 じろりと隣の女官を見る王の目は、内藤とは打って変わって責める気分満載だ。

「あっ、あのっ……、申し訳――」

 女官が必死に謝ろうとするのを遮って、内藤は彼女の前に出た。

「あ、あああの、俺がちょっとまた、『抱かせて貰いたいな〜』って無理言っちゃって――」

 サーティークは、そんな内藤の言い訳など一ミリも信じている風はなかったが、軽く肩を竦めただけだった。

「……まあいい。丁度今から、アキユキの見舞いに行くところだった。そのままお前もついて来い」

「え? ……は、はい――」

 どちらにしても、講義の後で行くつもりではあったが、一人ではかなり敷居が高い気がして、またぞろ廊下の途中あたりで散々に躊躇するのは目に見えていた。


(そうだな……。丁度いっか。)


 そんな訳で、内藤はこれ幸いと、サーティークの後について行くことにした。



                ◇



 佐竹に与えられている寝室の隅には、いつものあの大男が傲然と立っていた。

 何故だか知らないがこの男も、佐竹が目覚めてからこっち、なにか異様に機嫌が悪い。要するに、彼に名前を忘れられていたのは、なにも内藤だけではないということらしかった。


 サーティークと内藤が部屋に入った時、佐竹はこの国ふうの濃紺の上着を着て、大きな窓辺の桟に腰掛けていた。体調のほうはもう殆ど戻っているらしく、立ち居振る舞いにも元通りの切れが戻ってきている。近頃では、部屋にいるこの巨躯の男と、剣の鍛錬も少しずつ始めていると聞いている。

 ただ、記憶のほうだけは、どうやら相変わらずだという話だった。

 内藤は恐る恐る、精悍な友達の姿を盗み見た。


「陛下。……ユウヤ」

 佐竹は入ってきた内藤を見るなり、少し表情を動かしたようだった。それは、安堵のようでもあったし、戸惑いのようにも見えた。しかし、それは勿論、内藤が腕に抱いている赤ん坊のこともあったのかも知れなかった。

 内藤は、彼が使う自分の呼び名に少し痛みを覚えたが、特に何も言わなかった。


 佐竹は窓辺から離れると、記憶を失くす以前と少しも変わらぬ美しい一礼をして、サーティークを見た。青年王がざっくばらんな調子で声を掛ける。

「見舞いに来た。具合はどうだ」

「は……。お陰様で」

 控えめに返事をする声も、すっかり元通りの張りを取り戻している。

「アキユキ。今日はちょっとそなたに相談があってな」

 サーティークがまた、どかりとソファに座って、早速本題に入った。勿論、すでに人払いは済ませてある。

「他でもない、この王太子の名のことよ――」

 自分の隣に内藤も座らせて、サーティークはわが子の顔を目で示した。佐竹は応接セットの傍まで歩いてくると、立ったまま赤ん坊の顔をちょっと覗きこむようにした。

「お名、……ですか」

 「なぜ自分に」、と言わんばかりの佐竹の顔を見返して、サーティークは苦笑した。

「そなたに相談と言うからには、もう、ひとつしかないであろう? 『ムネユキ』の名を頂きたい。構わんだろうか」

「…………」

 佐竹は、ちょっと言葉を失ったようだった。腕を組み、顎に手をあてて考える様子である。内藤ははっとして、思わず尋ねた。

「え、佐竹……。もしかして、お父さんのことも忘れてる、……とか?」

「ああ……いや。それはないが」


(……そうなのかよ。)


 何か、内藤はむっとする。まあ、家族と友達を同列に考えてはいけない、ということはわかっているが。何より、培ってきた時間と深さが全く違う。


(でも……。なんかやっぱり……むかつく。)


 内藤は、知らず、頬を膨らませていた。壁際のゾディアスが、少し呆れたような目でこちらを見ている。

 当の佐竹は生憎と、そんな内藤の表情には気付かぬ風だった。そして、いつも通りの静かな声でサーティークに聞き返した。

「よろしいのですか? こちらの国には、あまり馴染みのない名だろうと思うのですが」

 サーティークはゆったりと笑っただけだった。

「そのようなこと、問題ない。そなたさえ了承してくれるなら、これ以上の名はないと思っている。……どうだ」

 佐竹はまた少し考えたようだったが、やがてひとつ、頷いた。

「……光栄です。父も喜ぶかと」

「有難い。礼を言う」

 サーティークはにっこり笑ってさっと立ち上がると、佐竹に向かって礼をした。

「それでは早速、その名で呼ぶこととしよう。今日からこやつは、『小ムネユキ』だ」


 そして、そのまま内藤の手から眠っている王太子を抱き取ると、相変わらず部屋の隅で巨大な彫像になっている男に向かって声を掛けた。

「貴様、ちょっと話がある。ついて来い」

 片手で赤ん坊を抱き、ちょいちょい、と顔の前で指を揺らしている。まるで「掛かって来い」と言わんばかりのジェスチャーだ。

「……ああ?」

 ゾディアスは、そこで初めて顔を上げ、ぎろりと青年王を見た。が、かの王の意味ありげな黒い瞳と目が合うと、途端ににやりと頬を緩め、黙って大股に王のあとに続いた。

「あ、ちょっと、陛下……!」

 内藤が慌てて呼び止めようとしたが、サーティークは「黙れ」と言わんばかりの鋭い視線をくれただけで、ゾディアスと共に、さっさと部屋を出て行ってしまった。



 いきなり、部屋に二人で取り残される。

「…………」

 内藤は、急に何を言っていいのか分からなくなった。全く心の準備が出来ていないところに、こういう真似をされると心底困る。


(まったくもう、陛下のやつ……。)


 それが日本語として正しいのかどうかよくわからないが、内藤は心の中でサーティークに対して毒づいた。

 きっと、いや絶対にあの王は、このために内藤をここへ連れてきたのだ。

「…………」

 佐竹の方でも、少し困ったような風情が見えた。やや視線を床に落とすようにして、先ほど来と変わらずに、ソファの隣に立ち尽くしている。


 しばらくは、ただ沈黙が流れ続けた。

 やがて、とうとうその沈黙に耐え切れなくなり、内藤は仕方なく口を開いた。

 二人きりになったので、使うのは勿論、日本語だ。

「佐竹。あの……、座ってよ」

 へらっと笑って、先ほどまでサーティークの座っていた、向かいの席を手で示す。

 いつまでもそうやって突っ立っていられたら、余計に話しにくい。

「……ああ」

 佐竹の方でも意外と素直に、向かいのソファに座ってくれた。内藤は、どうもその目とは目を合わせづらくて、膝の上で握り合わせた自分の手ばかり見ていた。

「あ……の。ごめんな? ここんとこ、あんまり来れなくて――」

「……いや」

 相変わらず、佐竹は言葉少なだ。こういう時、この友達の喋り方にはどこにもとっかかりが見つからない。

「え〜っと……、あのさ。佐竹がまだ、色々記憶を取り戻してないってのは、わかってるんだけどさ……」

 もじもじと、組み合わせた指を動かしてみる。佐竹はそんな内藤をじっと見つめて、しかしやはり無言だった。

「でも、あんまりこっちに居続けるのも、俺……、まずいんじゃないかな、って思ってて――」

「…………」

「なんか、うまく言えないんだけど……。居れば居るだけ、こう……こっちの世界に捉われちゃうっていうか、離れがたくなっちゃうっていうかさ――」

 佐竹のように、うまく言葉が選べない自分がもどかしい。そのことに苛々しながらも、内藤は必死に話し続けた。

「だ、だから……、もう俺たち、向こうの世界に帰らない? 陛下は、《白き鎧》でなら、俺たちが来た時の、同じ場所、同じ時間に戻れるって言ってたよ。なんかよくわかんないけど、『その時の座標が記録されてるから』とか、なんとか……」

「……なるほど」

 やっと喋ったと思ったら、やはりそんなひと言だけだ。

 内藤は、自分も黙り込みたくなる気持ちを何とか励まして、また言葉を継いだ。

「記憶が戻ってないのに戻るのは、そりゃ不安だろうなって思うけど……」

 佐竹の瞳は静かで、言い募る内藤をただじっと見つめている。

「俺、ちゃんと側にいるし。あっちに帰っても、ちゃんと……、お前の記憶が戻るまで側に居るし――」

「…………」

「ね? 佐竹」

 にへっと笑って首をかしげて見せると、何故かぎゅっと、佐竹の眉間に皺が寄った。


(……あれ?)


 内藤は、佐竹のその表情に戸惑った。

 なんとなくだが、自分は彼の機嫌を損ねてしまったようだ。


(……何だろ。)


 なにか今、自分はまずいことを言っただろうか。

「……ユウヤ」

「………!」

 ぴくりと、内藤は一瞬固まった。それでも、顔に張り付いた笑顔はそのままだった。

「え、ええ〜っと……。なに?」

 へらへらしたまま、聞き返す。


 どうしてだろう。

 その名で呼ばれるのが、内藤はひどく不愉快だった。


 佐竹はそんな内藤を観察するかのようにじっとしばらく見ていたが、急にすっと立ち上がり、内藤の傍にやってきた。そのまま、隣にどかりと座り込む。

 そして真正面から、内藤の顔をひたと見据えた。

「どうも気に入らんな……この顔が」

 ぼそっと、そんなひと言。


(……はあ?)


 どういう意味だ。


(言うに事欠いて、『顔が気に入らない』だとう?)


 「失礼な」、と思う間もなく、今度はぬっと腕を伸ばして、佐竹が内藤の頬の肉をぐいと摘んだ。そのまま、むにいと横に引っ張られる。

「あ、だだだだっ! ……あに、すんだ、よっ……!」

 余りの痛みに涙目になって抗議したが、佐竹は手を放さなかった。それどころか、今度は両手で両頬を摘んで、更にぎゅうっと伸ばされた。

「気に入らん。……ちょっとこの『仮面』を外せ」

「あだ、あだ……痛いってば! こら、佐竹……!」


 なんだ、いきなり暴力か。

 いじめか。

 これはいじめなのか――!?


「あに、言ってっか、わかんな……っ!」

 必死に佐竹の腕をべしべし叩き、手首を掴んでひきはがそうとするが、無駄だった。

 むしろ逆に、佐竹の指は頬の肉に食い込んでくるようだった。

 剣士の握力、恐るべし。

「やめ……っ!」

 痛みのあまりに、両目からぽろぽろ涙が零れた。


 と、ぱっと驚くほどの呆気なさで、佐竹の手が離れていった。

 内藤は思わず拳を振り上げた。

「痛いだろっ、バカ! なにすんだっ……!」

 佐竹の顔面に向かって真っ直ぐ拳を振り抜いたが、案の定、片手で呆気なく止められた。顔色ひとつ変えないところが、非常に憎たらしい。その上、今度はその拳を、そのまま結構な力で握りこまれた。

 ぎりぎりと、音がするほどに指が食い込んでくる。

「つ……!」

 内藤は、その痛みでまた顔を顰めた。


「……そうだな。そのぐらいの顔の方が、まだマシだ」

 静かな低い声が、しれっとそんなことを言う。

 至近距離から、黒い瞳にじっと見つめられて、内藤は言葉を失った。

「お前のあの、へらへら顔――」


(『へらへら』……? なんだよそれ。)


 また顔の話か。いい加減にしろ。

 どうせ俺はお前みたいな、きりっとした顔はしてないよ。


「俺は好かん。……覚えておけ」

「………!」

 内藤は、顔にかあっと血が上るのを感じた。


(偉っそーだな、相変わらず。何様なんだよ、お前はさ。)


 顔が好みじゃないってか。

 意味わかんねえ……!


(お前好みの顔じゃなくって、悪かったな。こんちくしょー!)


 内藤はもう、怒り心頭である。

 本気でもう一方の拳で殴りかかってやろうかと思案していると、また佐竹の手が顔の方に伸びてきて、内藤はびくりと目をつぶった。

「………!」

 しかし、その指はただそっと、内藤の頬や目許の雫を拭ってくれただけだった。

「……だが、悪かった」

 やっぱり、静かな声だった。

「もう泣くな……ユウヤ」

「………!」

 その呼び名を聞いた途端、全身の血が逆流した。


(こい、つ……っ!)


 内藤は目を見開き、いきなり佐竹の胸倉を掴み挙げた。

「やめ……ろっっ!」

「………?」

 胸元を掴み挙げられたまま、佐竹が怪訝な目で内藤を見返した。

「それ……、やめろ。やめてくれっ……!」

 内藤はそのまま、掴んだ胸元に頭を埋めて叫んだ。

「やなんだ……。すっげー、嫌なんだっ……! お前は、俺のこと、そんな風に呼ばないもんっ……!」

「…………」

 自分の胸に押し付けられた内藤の頭を見下ろして、しばし、佐竹は無言だった。

「っで……、忘れちゃうんだよっ……!」

 佐竹の胸を掴んでいる内藤の腕が、ぶるぶる震えている。

「あんなにまでして、助けに来といてっ……!」

 声ももう、どうしようもなく掠れて歪んでいた。

「なん……で、俺の名前……っ!!」

 もうぼろぼろと、とどめようもなく涙が溢れた。


「なんで、お前が……、俺の名前、忘れるんだようっ……!」



「…………」

 佐竹は沈黙したまま、じっと内藤を見下ろしていた。

 やがて、激しく上下している彼の肩に腕を回し、もう片方の手でその頭を抱きしめた。胸の中で聞こえている嗚咽が、それでさらに大きくなった。


「……済まない」

 ぽつりと言ったその言葉は、分厚い絨毯に染み込んでいっただけだった。



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