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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第六章 茫漠
131/141

11 泥濘


 ほんの二、三分ばかりそうしていただろうか。

 佐竹は静かに内藤の体から離れると、寝台の上に座ったままサーティークに向き直った。相変わらずの激しい頭痛が、佐竹の脳を厳しく責め(さいな)んでいる。


「では、さっそく次の《儀式》へ移行してください。《白き鎧》への《門》をお願いします――」

「な……」


 内藤が驚愕して佐竹を見つめた。

 彼ばかりではない。サーティークとマグナウト、それに画面の向こうの《白き鎧》の面々も、我が耳を疑う表情で唖然と佐竹を見つめていた。


「だめだって、佐竹……! そんな、そのまま次の《儀式》なんてっ!」

「構わん。いずれにしても、この状態が続くことには変わりない」


 内藤が肩を掴んでくる手を、佐竹はふり払った。

 脳はもはや爆発しそうなほどに熱を持ち、ずくんずくんと凄まじい圧力ですべての細胞を苛んでいる。

 これが《黒き鎧》内部の記録をすべて書き込んだために起こっているのは明白である。そうである以上、それを《白き鎧》に移し変えなければおさまるはずはないのだ。

 それならば、ことを急ぐに()くはない。


「一刻も早く、次の《儀式》を。……あちらへの、《門》を――」


 頭を抱えながらとぎれとぎれに言う佐竹を見下ろして、しばしサーティークは考えていたようだった。が、制御盤の画面へくるりと振りむき、《白き鎧》の面々を見た。


「いかがですか? そちらの皆様。この者はこう申しておりますが」

『…………』


 あちらからも明らかに逡巡する空気が伝わってくる。ディフリードもドメニコスもすぐには返答しかねる様子だ。ヨシュアはすでに蒼白で、唇にも色がない。

 一方、画面奥で仁王立ちになったゾディアスは、腕組みをしたまま厳しい視線で佐竹を睨みつけていた。

 佐竹は言い募る。


「今からどんなに休んでも同じことです。……どうか」

「佐竹ってば……!」

 内藤が珍しく佐竹の胸倉(むなぐら)を掴みあげた。

「いい加減にしろよ! 完全化してる《黒》の《儀式》だけでこんなにへばってる奴がなに言ってんの!? 一日だけでもいいから休め! 死んじまうぞっ……!」


(いいから、耳元で怒鳴るな)


 佐竹はさらなる頭痛を覚えて頭をおさえた。

 彼の怒声が耳のなかで(こだま)して、ぐわんぐわんと無遠慮なまでに脳内をかき回してくれる。それだけでも結構な嘔吐感をもよおした。

 二日酔いというのは、ちょうどこんな感じなのかもしれない。


「少々頭痛が酷いというだけです。体力的には、なんの問題もない――」

 片手で額をおさえながら、佐竹はサーティークと《白き鎧》の面々に懇願した。

「どうか、早く――」

「佐竹っ……!」


 内藤が佐竹の体に取りすがった時だった。制御盤の中から太い胴間声がした。


『俺が行く。いいよな? 陛下』

 ゾディアスだった。

『野郎、自分じゃ歩けねえらしいしよ。丸腰で行く分には構わねえだろ? そっちの王さんもよ』


 面倒くさげな声でこちらにも確認してくる。サーティークはちらりと内藤に目をやったが、すぐに画面に向き直った。


「問題ない。では、すぐに《門》を開く」

「陛下っ……!」


 サーティークは構わずパネルを操作した。

「ユウヤ」

 指先をすばやく動かしながら背を向けたまま言う。

「ある意味、アキユキの(げん)は正しい。その頭痛はいずれにしても、《白き鎧》に記録を移動させねば収まる道理はないからだ」


 目許をおさえた佐竹の体を抱きしめるようにして、内藤は言葉を失っている。

 サーティークはひと通りの操作を終えると、二人のそばへやってきた。


「それに、これはアキユキ殿も重々覚悟の上のことのはず」

 サーティークは内藤の肩に手を置いている。

「お前がまこと、この者の友人だと言うのなら。もうこれ以上、この者の覚悟に水を差すな」


 内藤が黙り込んだ。

 それでもまだ佐竹の体を抱いているその腕を、サーティークはそっと外させた。


「……よいな」


 そうこうするうち、制御室内には前回と同様、きな臭い匂いとともにあの《暗黒門》が丸い口を開いている。空間を切り裂く不気味な音と共に、それはあっというまに三メートルほどの大きさになった。

 そこからまったく出し抜けに、ぐいと巨躯の男が現れる。部屋の隅にいたマグナウト翁は目を丸くした。

 男の頭は、この狭い制御室の天井に届きそうなほどだった。





 ゾディアスはぎろりと部屋の一同を睥睨(へいげい)してから、特に挨拶らしい挨拶もせず、部屋の真ん中にある寝台に大股に近づいた。佐竹は半身になって座り込み、内藤に上体を(もた)れさせるようにしている。

 見れば額には玉の汗が浮かび、ぎりぎりと奥歯を噛み締めている。どうやら相当、頭の痛みに耐えているらしい。それでも呻き声のひとつも上げようとしないところは、相変わらずのクソ根性と言ったところか。


「ちっ……」


 ゾディアスはぴくりと片眉を上げて舌打ちをした。


(可愛くねえな、この野郎――)


 そのまま佐竹の体を内藤から引きとるようにして、ひょいと無造作に抱き上げる。いかにも軽々と、まるで子供を抱くかのようだ。

 が、片手で頭をおさえたままの佐竹がすぐに抗議の声をあげた。


「下ろしてください、竜騎長殿。……自分で歩けます」

 ものを言うのも苦しげだというのに、まだそんな事を言っている。

「肩だけ、貸して頂ければ――」


 途端、ゾディアスのこめかみに、びききと青筋が走った。

「うるせえ、クソ餓鬼。黙ってろ」

 地獄の底から響くようなその声は、完全に怒りの色に染まっている。

「ぶん投げられてえのか、てめえ」

 鈍色(にびいろ)の瞳がぎらりと光って、全身から怒気を放散させている。

「ひ……」


 なぜかその脇で、内藤のほうが真っ青になって震え上がった。

 サーティークとマグナウトは、なぜだかちょっと面白げな目をして巨躯の男を眺めている。

 佐竹は頭を抱えて黙りこんだ。どうやらようやく諦めたようである。

 「けっ」という目でゾディアスは彼を見下ろした。


最初(はな)っから、そーやって素直にしてりゃあいいもんをよ――)


 そのままちょっとふり向いて、そばにいる青年を見下ろす。


「心配すんな、『ナイトウ』さんよ」


 内藤はおずおずと無骨なゾディアスの顔を見上げた。震えているその目には、今にも涙が溢れそうになっている。


「信じてやんな。こいつが、そんな簡単にくたばるもんかよ――」


 軽く片目をつぶって、にやりと笑う。

 内藤は急に顔をくしゃりとさせて、巨躯の男に向かって必死にうなずき返した。


 ゾディアスはサーティークとマグナウトにもちらりと視線をくれてちょっと頷くと、来たとき同様、また素早く《門》の中へと飛び込んだ。巨大な背中があっという間に、真っ黒な穴の中に溶け込むように消えてゆく。


「佐竹……」


 内藤が呆然と床に膝をついた。先ほどまでそこにあった無機質な寝台はいつの間にか消え去って、もとの滑らかな床に戻っている。

 マグナウトがそっと背後にやってきて、内藤の肩に手を置いた。


「あの者の申す通りにござりまするよ、ユウヤ殿」

「…………」

「我らにはもう、あの方を信じるよりほか、できることなどござりませぬ……」


 老人の声には(いた)わる色が濃かった。

 内藤ももう黙って、こくんとひとつうなずくことしかできなかった。





 《白き鎧》の中では竜将ディフリードが制御盤を操作している。

 部屋の中に開いた《黒き鎧》による《暗黒門》から佐竹を抱えたゾディアスが戻ってきたときには、すでに部屋の中央に、あちらと同じ寝台が出現していた。

 制御盤の画面の中からサーティークがこちらを見つめている。


『《儀式》の行ない方については、こちらからある程度の指示を出す。ご準備はよろしいか、ディフリード卿』

「結構です。どうかよろしくご指導のほどを」


 ディフリードが柔らかな声で答えると、サーティークは軽くうなずき、てきぱきと操作の指示を出しはじめた。

 ゾディアスは寝台の上に佐竹の体を横たえると、壁に(もた)れて腕組みをし、もとどおりの不動の像に戻った。鈍色(にびいろ)の眼光はしかし、寝台上の佐竹の様子をひたと見つめている。一分(いちぶ)の変化も見逃すまいとする目だった。

 ヨシュアは寝台のそばに駆け寄って、佐竹の腕を握りしめた。


「サタケ、しっかりしてくれ、サタケ……!」


 その瞳には内藤同様、涙が(あふ)れている。

 佐竹はきりきりと奥歯を噛み締めるようにして痛みに耐えているらしかったが、次第に意識が失われつつあるようにも見えた。


『急いでくれ、ディフリード卿。アキユキの意識が失われるのはまずい』

 画面の向こうからサーティークの指示が飛ぶ。

『記憶とは、すなわち人格の一部だ。それに侵食されすぎれば、アキユキの人格が崩壊する恐れもある』

「了解しました。準備、完了いたしました。これより、《儀式》に移ります」

「陛下、危のうございます。サタケからお離れください」


 ドメニコスに促され、ヨシュアは悲しげに佐竹を見つめたまま、ゆっくりとその場から退いた。それを確認して、ディフリードが即座に制御盤に指を走らせた。

 寝台が静かに床の中へと沈みこみはじめる。

 一同は声もなく、その床が元どおりの平面に戻ってゆくのを見つめていた。





 覚悟はしていた。

 しかし。


(これは――)


 そのような思考をするのも、相当な努力を要した。

 それほど、こちらの《白き鎧》の《儀式》は厳しいものになったのだ。


 脳の激痛だけではない。体中の骨が軋み、筋肉が引きちぎられ、臓腑を握り潰されるような凄まじい痛みだ。

 それが、もはやいつ果てるともなく断続的に繰り返される。


「く……ああああッ……!」


 思わず喉から声がほとばしった。

 いっそ意識を手放してしまえれば、楽になるのかも知れない。

 しかし。


 黒き鎧の王の声が、脳裏のどこかで響いている。


『意識は、決して手放すな。それはそのまま、そなたの死を意味するだろう』――。


 人は、記憶なのだと王は言った。

 確かに《鎧》によって記憶を上書きされたことで、内藤は「ナイト」に意識を乗っ取られた。つまり、「内藤」であり続けることを許されなくなったのだ。そしてそのまま「ナイト」であり続けることを余儀なくされた。


 今、佐竹のなかには多数の人格の欠片が埋め込まれている。

 この数百年という歳月の中で《黒き鎧の稀人》としてその記憶を《鎧》に書き込まれた人々すべての人格が、この脳のあらゆる部分を駆使して写し取られているのだ。

 それを、このたった一人の「佐竹」という人格で押さえ込み、凌駕できなければ、この人格はそれら多数の「記憶」の渦に飲み込まれ、雲散霧消するしかない。


 ……それはすなわち、「佐竹」の「死」だ。


 たとえ書き込まれた記憶のすべてを恙無(つつがな)く《白き鎧》に移し終え、その完全化を成功させることができたとしても、そこから「佐竹」自身が生還しなければ、内藤は元の世界に戻ることなど了承すまい。

 彼はこのまま、この世界にとどまることを選択してしまうだろう。


(内藤……!)


 佐竹は唇を噛みしめた。

 口中に血の味が染み広がる。


 それだけは、だめだ。

 本来なら、今ここで自分がどんな結末になったとしても、あの友人には元どおり、もとの世界に戻って欲しい。

 年齢がどうだとか、馨子に合わせる顔がないだとか、そんなことはどうでもいい。

 

(お前は、帰れ。……元の世界へ)


 自分は、そのためにこそ、ここへ来た。

 この先なにがあるにせよ、そこに命がある限り、それを持って向こうへ帰れ。

 それでたとえ、自分の命を踏み台にするのだとしてもだ。


(生きろ……! 内藤――)


 『いやだ』と泣き叫ぶ、彼の顔が脳裏に浮かぶ。


 ……だが。


(……恐らくは)


 きっと、彼がそうしてくれることだろう。

 あのサーティークは、自分の望みを理解しているはずだから。

 あの男なら、内藤が泣こうが喚こうが、きっと彼を向こうの世界に戻してくれよう。

 たとえ彼を殴りつけ、昏倒させてでも。


 宿敵だったはずのかの王を、今では自分は、他の誰よりも理解している。

 父、宗之が出会わせてくれたかの王は、今や自分にとって文字通り「同じ血」を持つ、兄弟以上の相手になった。

 (やいば)を合わせ、その心胆を見せてくれたかの王は、厳しい中にも信義を重んずる、至って理性的な男だった。


 彼が内藤を愛し、できることなら手許に置きたいと望んでいることは知っている。

 しかし。


(……いや。だからこそ)


 それでも恐らく、最後には、

 サーティークは佐竹の望みを優先させてくれるに違いない。

 なぜなら。


 かの王は、知っているからだ。

 愛する者を引き裂くようにして奪われる、その(むご)い痛みのすべてを。


 ……今は、そう信じられる。


 たとえ自分がここで(たお)れたとしても、

 彼ならきっと、内藤を――。



 ……と。

 その瞬間、佐竹を取り巻いていた多くの意識が、ぶわっとその圧力を強めた。


(……!)


 それら「意識」は鋭い爪と牙をもって、ざくざくと「佐竹」の意識に(かじ)りつき、食い散らし、己のものにせんと責め苛んでくる。

 それらのどれかに取り込まれてしまえば、恐らくそれが「佐竹」の最期になるのだろう。


(く……!)


 佐竹はそれを意思の力で押し戻した。

 こちらを虎視眈々と窺う「意識」どもは、また黒い霧のようになって周囲をぐるぐると取り巻き始めた。

 激しい痛みはばりばりと音を立てて、まるで骨を砕くかのような苛烈さだ。


(……気弱に、なったか)


 佐竹は多少、自嘲気味の笑みを頬に浮かべた。

 そんなことではだめだ。

 この程度のことでやすやすと自分の命を諦めるのは、それはそれで自分の信義に(もと)る。

 内藤に命の重さを言いたいならば、自分も同等であらねばならない。

 己の命を易々と手放しておきながら、彼にはそれを守れと、大事にしろなどと言う資格があるものか。

 自分は逃げておきながら、相手には「敵に立ち向かえ」と言う。それは卑怯者の(いい)に他ならない。


(くそッ……!)


 佐竹は一段、精神集中の度合いを高めた。

 意識から放たれた殺気の渦が、ごうっと周囲の「意識」どもを塵にした。

 しかし塵になったはずの「意識」たちは、すぐに集まり、大きな渦の塊を形成して、再び佐竹の意識を喰らおうとばかりにその周りを取り巻いた。

 それらはまるで泥炭(タール)のようにべたべたと体の回りに張り付いて、粘りつくように積み重なってゆく。

 次第しだいにその(おり)のようなものに包まれて身動きが取れなくなってゆく。それとともに、まるで胸の奥に氷を咥え込まされたかのように、ずしりと冷たい重石(おもし)が叩き込まれたような感覚が起きた。

 

 佐竹はただひたすらに、「自分」を保つことに集中した。

 ありとあらゆる細胞が、激痛のために悲鳴をあげ続けている。

 ぞわぞわ、ざわざわと見知らぬ「意識」が体じゅうを幾重(いくえ)にも縛りあげ、真っ黒に塗りつぶしてゆく。

 そのままぞぶぞぶと、真っ暗闇の泥の中に沈んでゆく感覚があった。



 ……沈んでゆく。



 沈んでゆく……。



 暗く冷たい闇の口が、佐竹の「意識」を喰らう瞬間を待ちわびるようにして、(たの)しげに「ひひひ」と、奇妙な笑声をたてた気がした。


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