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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第六章 茫漠
130/141

10 邂逅


 そして、《黒き鎧の儀式》当日。

 朝も早いうちから宿所の村をあとにして、佐竹、サーティーク、内藤、そして宮宰マグナウトはすでに《黒き鎧》の中央制御室に集まっていた。

 今日の予定としては、まず佐竹が《黒き鎧》の中に入ってその内部の記録を自らの脳内へ移植する。次に、問題がなければそのまま再び《門》を開いて《白き鎧の儀式》へと移行する。そういう段取りになっていた。

 

 内藤はこの時が近づくにつれ、どんどん緊張が増してゆくばかりのようだった。次第に言葉少なになり、食欲もないようで、ずっとぼんやりしている。誰かに話しかけられてもすぐには反応できないほどに物思いに(ふけ)る様子だ。

 昨夜もほとんど眠れなかったらしい。目は赤く充血し、顔色もすぐれない。その様子はまるで、彼自身が《儀式》を行なう本人であるかのようにさえ見えた。


 だがそれでも内藤は、佐竹に向かって「《儀式》をやめてほしい」等々とは、やはりひと言も言わなかった。佐竹もまた彼に対して、敢えて何も言うことはなかった。

 ここで「大丈夫だ、心配するな」と言ってやることは容易いだろう。しかし彼なりに覚悟を決めてここまで来たことを知っている以上、それを言うのは彼に対する侮辱になろう。内藤の青白い横顔を見ながら、佐竹はそんなことを考えていた。



 佐竹はいま、簡素な生成り地の袖なし貫頭衣に下穿きという、ほとんど下着同然の姿で《儀式》の開始を待っている。《儀式》には寸鉄も身に帯びてはならないのだ。そのため、「氷壺」をはじめ持ち物すべてはマグナウトと内藤が預かってくれていた。


「では、始めるとしよう」


 サーティークはそう言うと、手馴れた様子で制御盤を操作し、《白き鎧》との通信回線を開いた。画面がすぐに明るく変わり、あちらの「交渉班」の面々が映し出される。ヨシュアと竜将ディフリード、宰相ドメニコスと竜騎長ゾディアスの四名である。()()ヴァイハルトの姿は見えなかった。

 一同はひととおりの挨拶を済ませ、サーティークがさっそく場を仕切りはじめた。皆に今後の流れを簡単に説明すると、王は佐竹に向き直った。


「では、いよいよ《儀式》の開始だ。よいか? アキユキ」

「はい」


 即答した佐竹を、隣の内藤がきゅっと唇を噛み締めて見上げてくる。無意識なのか、その手が佐竹の手首を強く掴んでいる。

 口では何も言わずとも、その目がすべてを語っていた。

 佐竹はそれを見返して、黙って一度だけうなずいた。そしてさりげなく彼の手をそっと外させた。



 サーティークが制御パネルに軽く触れると、制御室中央の(なめ)らかな床面に、音もなく極細の亀裂が入った。そのまま見る間に四角い台がせり上がってくる。それはちょうど、人ひとり分の寝台ほどの直方体をしていた。

 佐竹は無造作に近づくと、その上に身を横たえた。


「……!」


 内藤は思わず一歩前に出て、佐竹を止めるかのように片手を上げかけた。が、ぴたりと動きを止め、ひどくつらそうな顔のままうつむいた。隣のマグナウトが彼の背に手を当て、また(なだ)めるように軽く叩いている。


「どうぞ、いつでも始めてください」


 佐竹が言うとサーティークもひとつうなずき、ふたたびパネルを操作した。

 寝台がゆっくりと()りはじめる。まったくの無音だった。寝台が佐竹の体ごと床の下へ沈んでいったかと思うと、次の瞬間もうそこは嘘のようにもとの床面に戻っていた。


「佐竹っ……!」


 ひと声叫んで、内藤が両手で顔を覆った。

 《黒き鎧》と《白き鎧》の面々は、ただ沈黙してすべてのなりゆきを見つめていた。





 《鎧》に取り込まれてからしばらくは、周囲は墨を塗りこめたように真っ暗なままだった。何事も起こる様子はない。佐竹は微動だにせず、ただそこに横になり、真っ黒な空間を見つめていた。

 やがて皮膚の表面にざわざわと羽虫の這い回るような奇妙な感覚が起こりはじめた。次には頭の中でちりちり、しゅわしゅわと紙を擦り合わせるような乾いた音がしはじめる。

 それは恐らく、脳神経が感じている違和感の表現なのだろう。佐竹は意識の片隅でちらりと思った。


 次第しだいにその感覚が強まってゆき、単なる「奇妙な感覚」に過ぎなかったそれが「不快な痒み」に変貌し、圧力を強めるに従って、はっきりとした「痛み」へと移行してゆく。


(これが……そうか)


 内藤が言っていた。

 それは、脳細胞のひとつひとつに針を刺されるような痛みだと。

 しかしもちろん、完全化した《黒き鎧》はその負荷を随分と軽減したはずだ。

 内藤はこの七年というもの、この数倍、また数十倍の苦しみを否応(いやおう)なしに体験させられてきたというのか――。

 佐竹は知らず拳を握りしめていた。


 やがてそれら痛みとともに、ちかちかと(まぶた)の裏に閃光のようなものが走りはじめた。まるで走馬灯のように、様々な映像や場面が怒涛のような勢いで再現され続けている。そんな感覚だった。


(これは……記憶か)


 恐らくそうであるようだった。

 この《鎧》の中で同様にして《儀式》に臨んできた歴代の《鎧の稀人》の脳内記憶が、いま凄まじい速さでもって佐竹の脳に書き込まれてゆきつつあるのだろう。

 それが一体どれほどの量であり、自分の脳の容量が十分対応できるのかどうかも不明だった。だがともかくも、ここまでは何とかやりおおせているようだ。


 そのうちふと、あることに思い至った。

 歴代の《稀人》の記憶がここに封じられているということは、ここには八年前に一度だけサーティークが入ったときの記憶もあるのに違いない。自分がいまその記憶を選別し、特化して見ることは可能なのだろうか。


(…………)


 佐竹は試しに自分の意識を集中させて、求める「記憶」の分野を特定しようと努めてみた。「禅」を行なうときと同様に、まず精神集中を行なってみる。すると、脳内にいくつかに区分けされたある種のイメージが形成されていることに気づいた。

 これが自分のなかに書き込まれていきつつある情報の全貌であるらしい。区分けされた中身はまだ十分の一も埋まってはいなかったが、時間を追うごとに少しずつ満たされてゆくのが分かる。つまりそれがその分野の「作業終了」を意味するらしい。


 佐竹は相当の長い時間、それらが音もなく埋まって行くのを認識し続けた。

 もちろん、当初からの脳の痛みは続行している。精神集中することにより敢えてそれらを切り離し、理性的に判断できる余裕を作って行ない続けた。

 《鎧》の中に入ってからの時間感覚はひどく曖昧な印象だった。

 《儀式》が始まってからここまでの間、一体どれほどの時間が過ぎたのかはまったくわからなくなっている。ただそれでも、求める情報にたどりつくまで相当の時間を必要としたようだった。


 ……やがて。


 とあるひと区切りの中に、明らかに自分の知っている情報が流し込まれはじめたことに気づいて、佐竹は意識をさらに集中させた。そして、意識的にそれをゆっくりと行なわせるように念じてみた。

 初めのうちこそあまりうまく行かなかったが、やがてそれらの映像は次第に速度を落としてゆき、ビデオの高速早回しの状態から、通常の速度へと落ち着きはじめた。

 


 それは幼き日の、あのサーティークの記憶だった。

 服装や髪形はまったく違うが、父、宗之にそっくりの長身の父王らしき男性。

 黄金色(こがねいろ)の髪をしたドレス姿のすらりとした女性は、おそらく王妃・ヴィルヘルミーネであろう。なるほど、馨子(かおるこ)に瓜二つのようだ。明るく聡明で、誇り高く気の強い性格。そんなところまで、非常によく似ているように見えた。

 そしてオレンジ色の髪をもつ小柄で痩せ型の少女は、王太子妃レオノーラではないだろうか。身近な物を落としたり壊したりしては、真っ赤になって自分に向かって謝っている顔が印象的だった。

 彼女の雰囲気は、どこかがあの友人に似ている気がした。


 ……そして。


(あれは──)


 思わず声を上げそうになった。

 それは冷たい石壁に囲まれた、どこかの塔の上のようだった。

 石づくりのアーチ状の窓の外には、あの「兄星」が巨大な姿を見せつけている。

 その「兄星」を背に、父王そっくりの長身の男が流れるように剣を振っている。


 その動き。

 技の冴え。

 きりりとした立ち姿。


 見まちがいようがなかった。

 全身に静謐(せいひつ)な気を満たして、「演武」を披露するその男は──


(父さん……!)


 ぎりぎりっと奥歯を噛み締めた。

 宗之はもとの世界にいたとき同様、やはり静かな佇まいで、()いだ瞳のままそこにいた。

 彼は自分の息子にそっくりな王太子にも、ごく優しい視線と物腰で様々なことを教えているようだった。


『ムネユキ。ムネユキの知っている剣を、ぜひ私にも教えてくれ』

『ムネユキの、もといた世界はどんなところだったのだ?』

『家族は? 子供は……? どんな風だったのだ――?』


 少年サーティークの聞くこと、教えて欲しいとねだることひとつひとつに、少し困ったように苦笑して「もう遅い時刻だから、少しだけだよ」と言いながらも、父は丁寧に答えてやっていた。

 そして、その世界に残してきてしまったという自分の家族のことも、穏やかに語って聞かせていた。


 ……しかし。

 窓辺の腰掛けに座り、サーティークによく似ているのだという彼の息子について語ったとき、宗之はほんのわずか、寂しげな光を瞳に灯したように見えた。


煌之(あきゆき)は……それはもう、真面目な子でね』

 やや困った口ぶりだったが、それでも宗之は優しい笑顔を浮かべていた。

『真面目すぎて、少々心配になるぐらいだよ』


 少年サーティークが少し声をたてて笑ったらしかった。すべての記憶はこの少年の視点によるものだ。そのため、少年本人の姿は見えない。

 宗之は窓の外を見上げて、遠くの誰かに思いを馳せる風情である。


『今のうちはそれでもいいが……。やがて大人になるためには、いずれは彼にも《遊び》や《幅》が必要にはなるはずだ――』


 少年サーティークが「よくわからない」と首を(ひね)ったらしかった。

 宗之がそれを見て「まだ君にも早いかな?」と、また静かに微笑んだ。

 その手がそっと、宗之の体に(もた)れて座っている少年の肩に触れる。


 と、ふわふわと視界がぼやけ始めた。

 どうやら少年サーティークが眠気をもよおしはじめたらしかった。


(待て……!)


 佐竹は両の拳を握りしめた。


 待ってくれ。

 まだだ。

 まだ、聞きたい。


(聞かせてくれ)


 その人の……その言葉を。


 しかし佐竹の願いも虚しく、宗之の声と姿はぼんやりと輪郭を失いはじめた。

 やがて視界は真っ暗になり、声だけが聞こえてきた。

 まるで遠くの山々に(こだま)するようにして。


『それをもうこの手で教えてやることができないのが』


『心残りといえば……心残りかな――』



 それを最後に、視界が一気に暗転した。

 きゅるきゅる、と場面が再び早回しになり、景色が急に変化する。



(……ここは)


 見回すと、そこは日よけのかかった大きな窓のある、薄暗い部屋だった。

 部屋の中には何人もの人がいて、みな沈痛な顔をしている。そうし部屋の中央に据えてある天蓋つきの寝台のなかをじっと見つめているのだ。

 枕辺には母によく似た高貴な女性が、悲しみも露わな顔で寝台に横たわる人の手を握っている。

 少年が恐るおそるそちらに近づくと、小柄な宮宰の老人がそっと手招きをしてくれた。


(……!)


 思わず目を見開いた。

 寝台にいたのは、父だった。

 明らかな死相を乗せた相貌は、もはやその時が目前に迫っていることを物語っている。痩せ細り、すでに眼窩(がんか)の形がわかるほどに目のまわりも落ち(くぼ)んでいる。顔の皮膚はもはや、白茶けた枯葉のようだった。


『…………』


 少年は何も言えずにその(かたわ)らに歩いてゆき、寝台の脇に膝をついた。

 彼が「父上」と呼びかけようとしたその時、ふと父王が目を開けた。


(……!)


 少年と佐竹は、同時に気がつく。

 それは、「父王」の目ではなかった。

 だがしかし、彼は黙って少年にかすかに首を振って見せた。


『…………』


 それは明らかに「黙っていよ」という意味だった。

 今、「彼」の意識が戻っているのだとしても、それは少年以外の誰にも知られてはならないのだと。


 やがて周囲の人々が少年だけを枕辺に残して少し離れると、少年は壊れものに触れるようにして「彼」の手を取り、今までの礼の言葉を述べた。

 それはもちろん、心からの、「彼」に対する言葉だった。

 「彼」はほんの少し笑って見せて、最後にひと言、こう言った。


『アリ……ガ……トウ』――。


 少年は聞きなれぬ異国の言葉を不思議には思ったが、黙って「彼」にうなずいた。


 そして。

 握り締めていた「彼」の腕が、そこでするりと、寝台に落ちた――。


 王妃ヴィルヘルミーネが、王太子妃レオノーラが、そして宮宰マグナウトが、次々と寝台のまわりに集まってきた。

 薄暗い病室は、人々の悲嘆の声に満たされた。

 ヴィルヘルミーネは「彼」の体に取りすがり、身も世もなく号泣していた。


 少年は少し離れたところに立って、ただ呆然と人々の慟哭を眺めていた。


 そうしてすべての景色が次第に熱くぼやけてゆくのを、

 佐竹も彼とともに見ていた。





「佐竹! 佐竹っ……!」

 内藤が、どこか遠くで自分を呼んでいる。

「佐竹、しっかりしてくれよ……佐竹……!」

 また、半分泣き声だ。


(……しょうのない奴)


 目を開けようとしたが、周囲のあまりの明るさにしばらくそうすることができなかった。光がまるで、凶暴な(やいば)のように目に染みる。

 そして頭が割れそうなほどの頭痛が、脳そのものを責め(さいな)んでいた。

「…………」

 佐竹は思わず片手で目を覆い、起き上がろうとした。が、ぐらりと自分の上体が(かし)いだのが分かった。

「佐竹……!」

 肩を掴んだのは内藤の手だろう。

「無理をするな、アキユキ。しばらくは目が回るぞ」


 静かな低い声は、この国の王のものだ。

 佐竹はそのまま、痛む目許を自分の手ごと内藤の肩に押し付けるようにした。


「さ、佐竹……?」


 戸惑ったような声が耳元で聞こえる。佐竹はそのまま、友達の体に腕を回して力をこめて抱きしめるようにした。内藤の文官服の背中をぐっと握り締める。

 背中に内藤の腕がそろそろと回って、同様に自分を抱きしめた。


「だ、大丈夫……? 佐竹」


 佐竹は黙ったまま、少しのあいだそのままの体勢でいた。が、片手で目許を覆ったまま内藤から体を離した。


「……すまん。少しまだ、(まぶ)しいようだ」


 内藤は困ったように口を(つぐ)んだ。

 目もとに滲んでいるものは、決してそれだけが理由ではない。

 だがそれは、今この場では、自分にしか分からないことだろう。


 それでいい。

 こんなものは、誰に見られるわけにも、

 知られるわけにも行かないのだから。


 ……それなのに。


「佐竹……」


 内藤の声が少し震えて、佐竹はまた自分の体が彼の腕にぎゅっと抱きしめられたのを感じた。


「……放せ。もう、大丈夫だ」

「やだよ」


 片腕で押し戻そうとしたが、意外にも彼の腕の力は強かった。

 いつになくきっぱりとした内藤の声には、少し怒りが含まれているようだった。

 あとはもう、佐竹も何も言わなかった。

 そのまま体の力をふっと抜き、しばし内藤のするに任せた。


「……この、強情(ごうじょ)っぱり」


 ぽつりと降ってきた内藤の声は、やっぱり少し湿っていた。

 青年王と老宮宰もそんな二人を、ただ黙って見つめていた。


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