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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第六章 茫漠
125/141

5 焔


 <白き鎧>の一同は意外そうな目で、その楽しげな青年将軍をしばし見つめていた。

 先ほど信じられぬ光景と共にあの<暗黒門>を潜り抜けてやってきたこの青年は、男らしい美貌と精悍ないでたちで、一見して好感の持てる男だった。

 そうは言っても長年敵対してきた隣国の将軍であることには違いない。そういうわけで、ゾディアス以外は完全に遠巻きにしてしばし沈黙し、不審げな目で彼を眺めていた。

 口火を切ったのは、ヴァイハルトだった。


「いやだなあ。いくら人質でも、別にすぐさま命のやりとりをしようという話でもないのでしょう? この通り、私は丸腰なのですし。会話ぐらいは普通に致しませんか、皆様」


 にこにこ笑って、そんなことを言っている。敵国にただ一人、丸腰で送り込まれてこの態度というのは、それはそれでなかなかの胆力というものだろう。さすがはあのサーティークの側近と言うべきか。


「おっと、それから。忘れないうちに」


 言って無造作に懐に手を入れる。途端、ぎらっと隣のゾディアスの眼が光った。後の三人も思わず身構えた。


「ああ、申し訳ない。刃物を出すわけではないのでご安心を」


 わざと警戒させようとしたのが見え見えだったが、やっぱりヴァイハルトの口調は暢気(のんき)だった。


「さあどうぞ。ご確認を」


 取り出したのは、ノエリオール王家の封蠟の施された巻紙である。公式文書であることは一目瞭然だった。

 文書はすぐさま、ゾディアスとディフリードの手を介してヨシュアに渡される。

 ヨシュアはすぐに目を通した。

 それは、先日約束していた公式の謝罪文だった。すべてサーティーク本人による直筆の文書である。最後には、ノエリオール王家の紋が捺され、サーティークの署名が入っていた。


「……確かに、いただきました。お手数をおかけしました」


 ヨシュアは静かに言って、ヴァイハルトに目礼をした。青年のほうは、ずっと変わらぬ笑顔のままだ。


「本当に、兄上さまによく似ておいでですね」

「えっ……?」


 出し抜けにそんなことを言われて、ヨシュアは驚いたようだった。目をぱちくりさせている。

 白いマント姿のそんな少年王をじっと見て、ノエリオール将軍の青年は微笑を深くしたようだった。低いが張りのある声は、同じ美形の青年でもディフリードのものとはまた違っている。

 ヨシュアは「なぜ今、兄の話を」と言わんばかりに、やや咎めるような視線で青年を見返している。ヴァイハルトはやはり、穏やかな表情のまま彼を見つめていた。


「ともあれ、ご一緒にあのアキユキ殿の<儀式>の成功をお祈り致しましょう。ヨシュア公にとっても恐らく、それは大きな喜びとなりましょうほどに」

「…………」


 ヨシュアは(いぶか)しげな顔になった。彼の言わんとすることを計りかねているのだろう。が、ヴァイハルトはもうそれ以上は何も言わず、ただ爽やかに微笑んでいるばかりだった。





 ノエリオール南方辺境。

 <黒き鎧>を出たサーティークとマグナウト、内藤と佐竹は、そのまま外で待っていた兵士数名とともに山道を下っていった。

 <鎧>の入り口のところで一度マグナウト翁から匕首を借り、佐竹の血液で扉が開くことはすでに確認済みである。

 現在は初春という時期のフロイタールとは対照的に、こちらは初秋の森の様相だった。色づいた木々の葉がときおりちらほらと舞い落ちているさまは、風情ある趣に満ちている。


 サーティークが伴ってきていた兵士たちは、最初、佐竹の顔を見るなり驚愕の表情を浮かべた。が、敢えてそれに言及する者は一人もいなかった。佐竹が自分たちの王に酷似していることに相当の驚きはあったようだったが、それをあっさり口に出すほど統制の取れていない兵士は、ここにはいないらしかった。

 そう、たとえば北の、あの鬼の竜騎長のような。


 佐竹の「氷壺」は、あれからずっとマグナウトが預かっている。

 内藤はほとんどぴったりと佐竹に寄り添うようにして、ずっと彼の近くから離れなかった。その表情には、北の国の面々同様、これからの佐竹の<儀式>について心配する色がありありと浮かんでいた。

 だが内藤は、佐竹がこちらに着いてからというもの、それについてはひと言も言わなかった。彼には彼なりに、この五日間、考えるところがあったのかも知れない。

 一行はある程度山道を下ると、待たせていたそれぞれの馬に騎乗した。


「そう言えば、アキユキ殿。当然、馬には乗れような?」

 ごく軽い調子で訊いた青年王は、すでに自分の愛馬青嵐(セイラン)(またが)っている。

「はい」

「では、すまぬがヴァイハルトの『白嵐(ハクラン)』を試してみてくれ。気性はさほど荒くはないが、好みのうるさい馬らしくてな。無理そうならば、爺とでも同乗していただこう」

「はい」


 簡潔に答えてその場を見回すと、まだ騎乗していない内藤がすぐにその馬を教えてくれた。

 白嵐は、どうやら自分の主人だけがここへは戻らなかったことに気づいているらしかった。少し苛立ったように前掻きをして、軽く頭を振りたてている。

 佐竹はそのほとんど白い色をした馬の脇に静かに近寄った。白嵐のほうでも、近づいてきたこの見知らぬ男のことを大きな蒼い瞳でじっと値踏みする様子だった。


「白嵐、大丈夫。佐竹、俺の友達だから」


 一緒にそばにやってきた内藤が、先に穏やかな声で馬に話しかけた。

 どうやら内藤のことは気に入っているのか、白嵐は彼の首筋あたりに鼻づらをこすり付けている。


「ほら……大丈夫。佐竹、触ってやって」


 促されるまま、内藤と一緒に首筋を軽く叩くようにしてやると、馬はぶるる、と首を何度か回すようにして、やがてぴたりと体を止めた。

 内藤はにっこりと頷いて、ちょっと佐竹を見やってから、自分の馬の方へと戻っていった。意外な友人の姿に少し感心して、佐竹は少しその後ろ姿を見送ったが、すぐに白嵐に向き直った。


「白嵐。お前のご主人でなくて申し訳ないが、どうか少しの間よろしく頼む」


 静かにそう言ってもう一度だけ首を撫で、鐙に足を掛けて鞍上に跨る。

 白嵐はおとなしく、耳をぴょこぴょこさせているだけだった。


 サーティークはそんな一連の様子を面白げに眺めやっていたが、やがて馬首を巡らして、常宿にしている村へと戻り始めた。





 宿である村長宅へ着くと、佐竹は兵卒二人から、その二階の最も奥の部屋へと案内された。警護兵というのは飽くまでも表向きのことであって、かれらは要するに佐竹の監視兵らしかった。それが証拠に、二人の男は佐竹が部屋に入ってもそこから離れず、扉の外でそのまま「警護」に立っていた。


 簡素な木製の寝台と机、椅子が二脚あるだけの、清潔だが飾り気のない部屋である。

 寝台の上に腰掛けると、ものの五分もしないうちに内藤が部屋にやってきた。食事の乗った盆をふたつ持っている。遅めの昼餉(ひるげ)のようだった。


「佐竹、昼メシだって。……俺も、ここで食べていい?」


 なんだか顔じゅう、申し訳なさで一杯にしているようだ。まあ、理由は聞いてみるまでもなさそうだった。

 佐竹が「ああ」と答えると、盆をテーブルの上に置いて、内藤はそばにあった椅子に座った。


「あの……ごめんな。なんか、捕虜みたいだよな……?」


 表の監視兵のことが相当気になっているらしい。ちょっと凹んで、頭を掻いている。


「構わん。別にこの程度のこと、普通だろう」

「え? そ、そうかなあ……?」

「当然だ。一応、敵国の臣下だぞ」


 「お前の待遇が普通じゃなさすぎるんだろう」とは思ったが、それについては何も言わなかった。この友人を見ていると、ここへ至るまでの経緯がなんとなく仄見(ほのみ)える気がしてしまう。

 あの「狂王サーティーク」をして、ここまで心の垣根を取り払ってしまえるのだから大したものだ。やはりある意味、それはこの友人の才能なのだろう。

 佐竹は立ち上がり、もうひとつの椅子に座った。二人で体の前で手を合わせ、食事を始める。


 内藤は食べながらも、ずっと日本語で話していた。久しぶりに使える「母国語」が嬉しくて仕方がないといった様子だ。

 考えてみれば、あの「二国間交渉」の間、自分たちはずっとこの世界の言語で話していた。周囲の人々への公平性も考えてのことだった。お互い国の代表として話をしていたわけなので当然ではあるけれど。


「ベッドが二つある部屋もあるんだから、俺、佐竹と一緒でいいって言ったんだけどさ。なんか陛下に、速攻『却下だ』とか言われちゃって――」

 内藤は、さも不服そうに頬を膨らませている。

「なんであんな、怒るんだろーな?」


(……いや。それは俺の方でも却下だ)

 

 修学旅行ではあるまいし、なぜそんなに同室に(こだわ)らねばならないのか。


(お前は部屋割りでもめる女子高生か何かか)


 心中、そんな思いで半眼になった佐竹を、内藤が恨めしそうに見つめた。


「わけわかんないよ~。別にいいじゃん、男同士なんだから」


 固パンをちぎって口に放り込みながら文句をたれている。

 色々コメントに困るので、もはや佐竹は沈黙を貫く(てい)になった。

 内藤にしてみれば、せっかく久しぶりに会えた佐竹に話したいことが山ほどあるのだろう。そのために同室にして貰いたいというのも、分からないわけではないのだが。

 しかし、一応名目上、こちらは敵国の臣下だ。そして最初はどうだったにせよ、今や彼とてこの国の臣下の一人である。


(……なるほどな)


 佐竹はひとつ、溜め息をついた。

 恐らくは、終始こんな調子でサーティークも毒気を抜かれたのに違いない。

 かの王も、あの真面目で穏やかなナイト王の下からいきなりこんなのが現れて、さぞや目を丸くしたことだろう。


(気の毒に――)


 内心溜め息をつきつつ、そっぽを向いたまま食事を続ける佐竹を見て、内藤は不満いっぱいの顔でまだぶーたれていた。


「なんだよ~。そんな、呆れた顔しなくったっていいじゃんかあ!」


 と、扉を叩く音がした。そして返事も待たずにそれは開いた。


「楽しげなところ、申し訳ない。少しいいか」


 サーティークだった。

 背後に、やや苦笑したような顔のマグナウト翁が立っている。どうやら少し前からそこで話を聞いていたようだ。とはいえこちらはずっと日本語で話していたわけだから、内容まではわかっていまい。


 佐竹はすぐに「どうぞ」と立ち上がり、食事の盆をわきへよけた。

 内藤も慌てて立ち上がる。彼は耳まで真っ赤にしてしまっていた。どうやら一連の話を聞かれていたらしいことに気付いたのだろう。

 彼の赤面を横目に捉え、佐竹は心中で頭を抱える。そんな顔を見られた日には、それこそ、この王らからどんな邪推をされるか知れたものではないではないか。

 しかし、そんな佐竹の内心などどこ吹く風で、黒髪の王は内藤の百面相を面白げに眺めているだけである。見れば、彼は腰に自分の愛刀を差した上で、片手に佐竹の「氷壺(ひょうこ)」を携えていた。


 佐竹に着座を勧め、自分ももうひとつの椅子を少し離して向かいあうように座ると、サーティークは早速話を始めた。内藤とマグナウトは、ふたりでちょこんと寝台に座っている。


「さきほど預からせてもらったこの刀、なかなかの品と見た。勝手に抜くのも申し訳ないと思ってな。ここで見せて頂いても構わないか」


 真正面から佐竹を見据えて訊いてくる。サーティークは初めから、佐竹を文官としてではなく、一人の剣士として遇するつもりのようだった。

「どうぞ」


 佐竹は二つ返事で了承した。

 サーティークはひとつ頷き、体の正面でぱちりと氷壺の鯉口を切った。

 すらり、しゃりんと微かな金属の擦れる音がして、その場に朝露のような冷気がはじけた。


「……おお」


 マグナウトも思わず声を出したようだった。

 氷壺は相変わらずの静謐ないでたちで、刀の発する独特の「気」でもって、見る者を静かに圧倒していた。

 サーティークは(つか)を握って何度か刀を返し、その刀身を眺めていたが、やがてひとつ頷いた。


「……見事だ」

 そうして視線を佐竹に戻す。

「銘は」

「『氷壺』」

 簡潔にその意味を伝えると、王の瞳は(たの)しげな光を(たた)えたようだった。


「なるほど。そなたらしい。……刀匠のお名前は」

「ロト師匠と申されます。フロイタール辺境、ウルの村のお方です」

 一切の澱みなく答えると、サーティークは満足げな顔で笑った。

「そうか。機会があらば、俺もお会いしてみたいものよ」


 佐竹はそれには、ただ沈黙で答えた。

 サーティークは慣れた手つきで丁寧に氷壺を鞘に納めると、今度は自分の腰のものに手をかけた。


「では、お返しということでもないが」


 腰から己の愛刀を鞘ごと引き抜き、ぐいと佐竹の面前に差し出してくる。

 (つば)(つか)や鞘には凝った意匠の装飾が象嵌されているが、全体に黒光りするような鈍い光沢を放っており、決して派手すぎるということはない。なかなか品のいい(こしらえ)だった。


「もし良ければ、ご覧あれ。愛刀、『(ほむら)』だ」


(俺に……?)


 一応、捕虜に準じる立場である自分などに、この王はこんな所で、得物を手渡しても構わないのだろうか。

 佐竹はちらりと、訊ねるような視線で寝台の上のマグナウトを見やった。が、老人は常と変わらず、飄々とした様子で微笑んでいるばかりだ。対する隣の内藤は、少し心配そうにこちらを見つめている。

 とは言え、あまり躊躇(ためら)うのも相手に対する非礼となる。佐竹は心を決めた。


「では」


 改めてサーティークに向き直って立ち上がり、両手で刀を押し頂いた。そして元のように椅子に戻ると、手にした焔の鞘を払った。


(……これは)


 抜いた瞬間、ぶわっと見る者を圧するような気を放って、「焔」はその姿を現した。


 「氷壺」が「静」の剣だとするなら、こちらはまぎれもない「動」の剣だ。

 その(たたず)まいは、逆巻く劫火(ごうか)や嵐中の閃光を彷彿とさせた。

 美しさと言うなら、「氷壺」に負けずとも劣らない。

 刃文は全体に大きな波のうねっているような、(のた)れと呼ばれるものである。それが刀身を大胆に、白くうごめくようにしてのたうっている。

 またその地鉄(じがね)は板目肌で、その名の通り木の年輪を思わせるような紋様が、刀身全体を覆っていた。

 氷壺とは違い、この刀は持つ者の魂の奥底に眠るものすら揺り動かし、鼓舞する熱さを秘めているようだった。それは同時に、持ち主、つまりサーティークの精神(こころ)のありようをも映し出しているのかも知れなかった。


 氷壺は、いまだ人の命など奪っていない。

 しかし、この刀は違う。

 これまで幾度となくこの王が戦場に伴って、いったいどれほどの敵兵の血を吸ってきたことだろう。最近ならば、あのフロイタールの宰相ズールも間違いなくこの刀の餌食となったのだ。

 そのことを思うと、刀をかざした佐竹の胸は痛んだ。

 今もその懐には、かの老人の残した遺書が大切にしまわれている。

 佐竹はしばし沈黙し、やがて静かに「焔」を鞘に戻すと、再び立ちあがって両手に捧げ持ち、サーティークに返戻(へんれい)した。そのまま一礼する。


「ありがとうございました」

 「しかしなぜ」と問うより先に、サーティークが少し笑いながら佐竹を見やった。

「なぜ敵に、わざわざ得物を手渡すのかと聞きたそうだな?」


 沈黙によって「肯定」を返すと、青年王は寝台の上のマグナウトとちょっと目を見交わしたようだった。


「理由は二つある。ひとつはそなたが、あのムネユキの息子であること」


 そちらは何となく佐竹自身にも予測はついた。

 しかし。


「そして二つには――」


 そちらについては、思わずわが耳を疑うことになった。


「あの『白嵐(ハクラン)』が、そなたを黙って乗せたことよ」


 サーティークが言い放った途端、部屋の中がしばし、しん、と音をなくしたようになった。


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