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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第五章 流転
118/141

13 賜暇


 翌日。

 晴れ渡った爽やかな早朝の空を眺めて、美貌の将軍がひと言いった。


「今日ぐらい、皆でゆっくりしてくるといい」


 ディフリードによる有難い「鶴の一声」で、佐竹とマール、オルクとゾディアスは丸一日の休暇を貰った。

 さらにそこに付け加わった「陛下も少し、気晴らしなどなされてみては」というひと言により、ヨシュアも一日時間が取れる運びとなった。

 なお「それなら自分もご一緒を」と息巻いていた侍従長の男には、ディフリードがさり気なく、しかしきっちりと待ったを掛けてくれた。「貴方様には大切な仕事の話がございますので」と。


 マールは飛び上がらんばかりに大喜びした。さっそく近隣の山への散策を決定して、村の女たちにも手伝ってもらい、張り切って皆のための弁当作りを始めた。

 山とは言うが、もちろんはじめから凶暴な野生の獣の少ない地域を選んでいる。当然、佐竹とゾディアスは帯刀しているので、少々のことなら危険はないはずだった。





「結構気が利くじゃねえか、あの野郎」


 先頭を行く巨躯の竜騎長は、しらけた顔のまま馬上でそんな事を(うそぶ)いている。もちろん竜将ディフリードのことである。

 けれども実のところ、あれほど「気の利く」男もそうそういない。それはもはや事情を知っている周りの者には、ただの「素敵な悪友」に関するある種の惚気(のろけ)にしか聞こえなかった。


 明るい木漏れ日が皆の肩の上にちらちらと落ちかかっている。まことに平和そのものといった風情だ。

 森の小道や(こずえ)の上には、ときどき小さな栗鼠(りす)のような生きものや小鳥の姿が見えた。かれらは突然の珍妙な訪問客の出現を、好奇心いっぱいの目で覗きに来ているようである。

 佐竹とオルク、それにヨシュアはそれぞれ自分の馬に騎乗している。マールは女官姿のまま、佐竹の馬に二人乗りをさせて貰っていた。スカートなので横乗りになっている。

 自然、手綱を握った佐竹の腕が彼女を抱きこむような形になる。そのためなのかどうなのか、マールは至極ご機嫌だった。昼食の入った籐かごは、オルクの馬に括りつけられている。


「あっちに綺麗な小川が流れてるのよ、サタケ! もう少し上には、とっても澄んだ泉があってね……」

 マールが佐竹の鞍の前のところでうきうきとしゃべりまくっている。もう大はしゃぎといった様子だ。

「そのあたりでお昼にしようと思ってるの。天気がよくて本当によかったわ」

 昨日のことなど綺麗に忘れたような顔で、にこにこと楽しげに笑っているばかりだ。

「……そうだな」

 佐竹は馬をゆっくりと常歩(なみあし)に歩ませつつ、マールの指さす方へあちらこちらと素直に視線を動かすだけだった。

 時折り、先頭をゆく巨躯の男の背中をちらりと見やる。


 今回の佐竹の<鎧の稀人>としての務めについては、この鬼の竜騎長殿にも相当思うところがあったはずだ。だが今日のゾディアスはもうけろりとして、そんな気分は噯気(おくび)にも出そうとしなかった。少なくともこの男には「ヨシュアたち少年少女の前でそんな態度に出るつもりは微塵もない」ということらしかった。

 佐竹はそんな上官に安堵する一方、多少の懸念も覚えている。


 あれ以来、この巨躯の男ときちんと言葉を交わしていない。

 佐竹にしてみれば、これで一生の別れということになるのなら、やはりそれなりのきちんとした礼と別れの言葉ぐらいは交わしておきたかったのだ。だが、なかなかそんな機会は訪れなかった。

 いや、敢えてこの男の方で、そうした機会をすべて潰してくれているような気配さえ感じられた。その手際たるや小憎らしいほどに徹底していて、佐竹などには到底、つけいる隙などなかったのである。


 ともかく、このゾディアスにしろマールにしろ、あれから一切<鎧>の「よ」の字も口には出さなかった。この二人だけでない。今日は隣で馬を歩ませているヨシュアもオルクも、ただ楽しげに笑っているばかりで、やはり一言もそれに触れることはなかった。

 皆がただ、この時間を楽しもうとしているのだ。

 そのことだけは、佐竹にも十分に理解できた。

 だから佐竹も、もう彼らの意図に逆らうつもりは毛頭なかった。ただ穏やかに凪いだ気持ちで、時折り頬を掠めてゆく薫風(くんぷう)を感じているばかりだ。


「あ、ここよ! ここで食事にしましょう」


 マールが明るい声で言った場所は、小さな泉の(ほとり)だった。ちょうど、少し砂利が敷き詰められたようになって開けている。周囲は森の木々に囲まれて、平和な鳥の声が時々聞こえるばかりだ。深く澄み切った水を湛えた泉に向けて、崖になった岩肌の上から滝の細い糸が落ちている。

 ごく静かで、心休まる場所だった。


 マールはオルクと一緒に、持ってきた昼食を手早く広げて準備をした。オルクは物慣れた様子で大きめの石を組み、小さな(かまど)を作った。持ってきていた火種を使い、その中で火を(おこ)す。

 ヨシュアも楽しげにそれを隣で見学させて貰い、作業を少し手伝ったり、やり方を教わったりしていた。

 マールは小さな鍋に泉の水を汲んできて、彼らの熾した火の上にかけた。田舎育ちの少年少女の手際は、それは見事なものだった。


「マールもオルクも、大したもんだな」

 佐竹が心からそう言うと、二人は途端に顔を輝かせた。

「や、こんなの、当たり前だって……」

 真っ赤になってそう言いながら、オルクは照れきって頭を掻いた。


 食事と後片付けが終わると、ヨシュアとオルクは佐竹とゾディアスから剣の指南を受けたがった。二人とも初めからそのつもりだったらしく、ちゃっかり木剣を携えてきている。

 ゾディアスは面白そうな顔で「お前が教えてやれ」と言ったきり、自分はそのあたりの木陰を見つけ、木の根方に頭を乗せてさっさと昼寝を始めてしまった。

 仕方なく、佐竹が一人で二人に教えることになった。


 佐竹はまず、父、宗之から教わってきたような剣道の(かた)のいくつかを二人に見せた。佐竹の朝晩の鍛錬を少しは見たことのあるオルクはさほどでもなかったが、初めて目にしたヨシュアはもう見惚れるようにして、彼の流れるような動きを目で追っていた。

 いよいよ実践ということになる。オルクとヨシュアは最初のうち、おっかなびっくりといった様子で木剣を振っていた。が、次第に慣れて集中し始めると、二人とも周囲が見えなくなるほどにそれに没頭していった。


「お二人とも、なかなか筋がいいようです」


 片方が国王であるため、佐竹は敬語でもって二人を褒めた。こめかみにうっすらと汗を光らせた少年たちは、ひどく嬉しそうに笑顔を輝かせた。

 マールは高鼾(たかいびき)をかいているゾディアスから少し離れた別の木陰に座って、佐竹と少年たちの稽古を眺めていた。


「……嬢ちゃんよ」

「きゃっ」


 突然隣から野太い声で呼ばれ、マールはぎょっとなって飛び上がった。

 どうやらこの巨躯の男、眠ってなどいなかったようである。


「え? ななな、なんですか……?」


 ばくばく言っている心臓をなんとか(なだ)めつつ聞き返すと、ゾディアスは(まぶた)に掛けていた手拭き布をひょいと摘み上げてこちらを見た。


「向こうっ気の(つえ)え女は嫌いじゃねえが。……たまにゃあ素直にもなっとかねえと、先々、いろいろ後悔すんぜ?」


 いきなり飛んできた言葉の矢は、マールの心の真芯(ましん)にとすりと刺さった。

 言葉を失って見返した彼女の瞳を、男の鈍色(にびいろ)の瞳がやや自嘲気味な色を湛えて見つめていた。


「……ま、あれだ。あんまり俺も、人のこたぁ言えねえけどよ――」


 言うなり男は布を元通りに顔に乗せ、再び昼寝を始めたようだった。「言うべき事は言い終えた」と言わぬばかりだった。

 マールはしばらく呆然と、寝転がった巨躯の男を見つめていた。

 が、やがて視線を向こうの三人に戻して溜め息をついた。


(……ほんと。苦労しないわよ、そうできたら)


 立てた両膝を抱え込んで顔を(うず)める。膝の後ろからそっと、彼の黒い長衣(トーガ)の背中を見やった。


(でも……今日は)


 今日、せっかく与えられたこの日だけは。

 ただ一日、明るく楽しく過ごしたかった。そんな悩みも逡巡も、いっさいなんにも考えないで。

 そもそもあの少年たちが、自分のために機会を作ってくれるとも思えなかった。そう、このゾディアスとは違って。これはこれで彼らにとっても、佐竹との貴重な「別れ」のための時間なのだ。


(だから……今日は)


 今日は、佐竹には何も言うまい。

 それはマールなりに考えて、そうしようと決めたことなのだから。  

 と、隣でくくっと小さな笑声がした。


「難儀だぁなあ――」


 驚いて振り向いた途端、巨躯がぐいっと起き上がった。その体躯としては驚くような俊敏さで立ち上がる。一瞬、風が巻き起こった。

 男はそのままマールを顧みることもなく、佐竹たちのいる方へのしのしと歩いて行った。


「お~う、俺も混ぜろや。一日怠けると、腕が錆び付くってもんだしよ――」


 肩からぶんぶんと腕を回しながら、そんなことを言っている。

 マールはちょっと目を丸くして、そんな男の広い背中を見つめていた。

 が、思わずくすっと笑みを零した。


(な~んだ。そうか……)


 あの男も、きっと自分と同じなのだ。

 佐竹に言いたい事は山ほどあるのに、なにかが邪魔をしていて言えない。

 きっとそうだ。

 だから、あんなに――。


(あんな、おっきな体して――)


 くすくすと、こみ上げてくる笑いが止まらなくなる。

 じわりと、涙まで滲んでしまった。


「よい……しょっと!」


 マールはぽんと立ち上がると、自分も彼らのほうに向けてぱっと駆け出した。


「ねえねえ、ずるいわよ! さっきから男の子たちばっかりで――!」

 にこにこ笑って声を投げる。

 佐竹がくるりと振り向いて、いつもの静かな瞳でマールを見下ろした。

「あたしも混ぜてよ! 女の子がやって、駄目ってことはないんでしょ?」

「ああ。もちろんだ」


 佐竹が頷く。そうして、自分が元いた世界には素晴らしい女性剣士が沢山いるのだと、簡単に説明してくれた。

 マールは急に嬉しくなった。


「剣、教えて! ねっ? サタケ」


 屈託のない笑顔のまま、にっこりと笑いかける。

 佐竹はまた頷いて、自分の木剣をマールに握らせてくれた。


「では、まずは構えからやってみようか」

「う……いえ、はい!」


 マールがきりっとした返事をした。



「んじゃ、お前らはこっちでやろうぜ」


 佐竹がマールに指南しているのを少し見ていたゾディアスが、何の気なしにといった風情で少年たちにそう言った。相変わらず、相手が国王だろうとお構いなしの言葉遣いだ。だが、ヨシュアもそんなことはとうに気にしていない。

 ゾディアスは片目をつぶり、少年二人をそっと離れた場所へと(いざな)った。

 二人もすぐにその意図を察したように、静かにその後についていった。


 静謐な気に満ちた泉の畔には、とぷとぷと(かそけ)き滝の音がするばかりである。それもすぐに、頭上の梢に吸い込まれては消えてゆく。

 現世(うつしよ)の夢のようにも見えるその滝を背にして、黒髪の青年と桃色の髪の少女は、薄紅(うすくれない)の陽光が傾き始める頃合いまで、いつまでも木剣を振りぬいていた。


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