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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第五章 流転
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6 試金石


「そもそも誰が、『マール嬢を私の妻に』などと言ったのかな?」


 フロイタール宮、竜将閣下の執務室。

 ディフリードが佐竹とマールを前に、いつものどおりの美麗な笑顔のまま軽やかな声で訊いた。


「は? それはその……閣下が」

 多少遠慮はしながらもマールがすかさず答えた。こちらは灰色の女官服姿である。

 ディフリードがふわりと笑った。

「本当に? お二人には、よーくあの時の状況を思い出してもらいたいのだけれどね……?」


(なに……?)


 菫色(すみれいろ)の瞳が悪戯っぽい光を(たた)えてきらきらと輝いている。

 佐竹は言われた通り、前回の場面を脳裏で再生してみた。

 ディフリードがヨシュアを初めとする面々に向かって「身を固めたい」と宣言した。 

 次いで「マールを我が家に迎え入れたい」と申し出て――。


「ちょっと待ってくれないか」


 佐竹がそこまで口にしたところで、ディフリードがついと片手を上げた。


「みんな、どうやら誤解をしているよ?」

「……どういう事でしょうか」

 訝しげに問い返す。マールもソファに座ったまま、固唾(かたず)を呑んでディフリードの美貌を見つめている。

「どうして『身を固める、結婚する』と、『マール嬢を我が家に』というのが同じ話になっているんだい? 私は別に、マール嬢と結婚したいなどとはひと言も言っていないのだがね?」


(……何を言ってるんだ、この男)


 佐竹は内心あきれ返った。いや、限りなく無表情ではあったけれども。

 あの流れでそう言えば、そう取らない人間などいないはずだ。むしろこの男は間違いなく、皆にそう取らせるために二つのことを続けて話したに違いない。


「私が結婚しようとしているのは、とある貴族のご婦人さ。こう申し上げてはなんなのだけれど、マール嬢とは似ても似つかぬ、それはたおやかで(つや)めいたお方なのだよ?」


 要するに、マールのような「小便臭い小娘」はお呼びでないと。将軍閣下はそう言いたいらしかった。

 なにやら随分と失礼な物言いをされている。しかしそれにも関わらず、マールはそこには反応しなかった。まあ、それどころではないのだろう。さっきからもう口をぽかんと開けて、呆然とディフリードを凝視しているだけだ。


「え? じゃ、じゃあ、閣下は……?」

「ちょっと思うところがあってね」

 ディフリードが華麗に片目をつぶってみせた。さも物慣れた仕草である。

「マール嬢。君、我が家に養女に来る気はないかな?」

「……え?」


 さらっと言われたその台詞。

 その意味を咀嚼するのに、マールは相当の時間を要した。

 佐竹も片方の眉をぴくりと上げた。沈黙と、しかめっ面はそのままだ。


(養女……?) 


 驚愕している二人には構わず、ディフリードはにこにこと話を続けた。


「君のお婆さまにお話ししたのも、飽くまでもそういう話だよ? 君を養女に迎える話。いったい全体どこでどうして、それが結婚話になったものか。それは私の預り知らぬことだけれどね?」


(この男……)


 佐竹が半眼になる。

 間違いなく、これは確信犯だろう。

 この男は明らかに、ヨシュアたちにそのように誤解されることを意図していたのだ。


「だ、だだだって、おばあちゃんも……!」

 マールが必死に言い返そうとするのを、ディフリードは指一本で遮った。

「それも、よ~く思い出してごらん? お婆様は本当に、君を私に輿入れさせるとお話しされていたろうか?」

「えっ? えーと……」


 マールの頭の中は疑問符でいっぱいらしい。必死に以前の記憶を手繰り寄せようとしているのだろう。ディフリードはそこへさらに畳み掛けた。


「君のお婆さまは、恐らくは『あのようなお家に入れれば、これからは苦労のない暮らしができる』などとおっしゃっただけではないのかな。違うかい?」

「あ……」


 マールの目が見るみる見開かれてゆく。握り締めた小さな拳が、(はた)で見ていてもぶるぶる震えているのがはっきり分かった。


「それは当然というものさ」

 ディフリードはさも楽しげだった。

「だって私は、かのご年配のご婦人に、君を養女にお迎えする話をしただけなのだから……!」


 もはや「さあどうだ」と言わんばかりだ。両手をぱっと頭上で開き、明るい笑声を上げている。

 二人はただもう絶句して、美貌の将軍を睨み返しているばかりだ。


(しかし……恐らくは)


 佐竹は心中、見抜いていた。そのディフリードの言葉が、全部が嘘ではないまでも全てが本当でもないだろうということを。

 恐らく彼は、事前になにがしかのことをマールの祖母に言い含めておいたはずだ。それは多分、マールに話をする際に「決して『結婚』や『輿入れ』や『養女』といった言葉を使わないこと」等々だったのに違いない。

 そこはやはり、ディフリードの「大人としての狡猾さ」「抜け目のなさ」とでも言うべきものだったろう。

 しばしの恐ろしい沈黙ののち、佐竹はとうとう訊いた。


「で? 将軍閣下の、目的は」


 腹の底に響くような声だった。

 腕組みをし、流麗な銀髪を流した青年将軍を睨みおろしている佐竹の目には、もはや殺気に近いものが宿っている。

 周囲の者、特にあのヨシュアにとってはいい迷惑と言うにも余りある。あの素直で心優しい少年王が、この一事でどれほどの心労を抱える羽目になったことか。この将軍は一体、この落とし前をどうつけるつもりでいるのだろう。

 しかし、ディフリードは佐竹の意に反して「やれやれ」とばかりに肩を竦めてみせただけだった。それはさも「そこまで言わなければわからないのか」と揶揄(やゆ)せんばかりの顔だった。


 が、やがて将軍は諦めたように静かに言った。

「でも、それで陛下もお気づきにはなった。……違うかな?」

 まるで子供に言い含めるような声だった。

 見返すと、その菫色の瞳は相変わらず、いたずらっ子のように笑っていた。


「えてして人間というものは、(おのれ)の心に気付くのにすら時間のかかるものだからね。とりわけ『恋心』などという、境界の曖昧な感情に至ってはそうだ」


 マールがこれ以上ないほど目を見開いて、じっとディフリードを凝視している。

 だがディフリードは、なぜか少し遠くを見るような瞳をしていた。もしかすると、脳裏に秘かに誰かのことを思い描いているのかも知れなかった。


「それに気付いていただくのに、『嫉妬』と名のつく感情ほどふさわしい試金石はない。そうだろう――?」

「え……? で、でも、じゃあ――」


 マールはもう、顔じゅうで「信じられない」と言っている。鳩が豆鉄砲を食ったかのようだ。それを見返して、ディフリードはまたにこりと笑って「まあ」と言った。


「たった今から、ここでの話はすべてなかったことにしてもらうわけだが。マール嬢、一応そういうことなのでね。今後は君が、好きに考えてくれればいいのさ」

「え、だだ、だって――」


 マールはもうまごまごしているようだった。救いを求めるような目で佐竹とディフリードをかわるがわる見ているばかりだ。

 無理もないことだろう。他でもない国王陛下が自分に恋心を抱いているなどと聞かされて、平静でいられる少女などそうそういない。あんな辺境の村出身の娘なら、なおさらのことだった。

 ディフリードは物柔らかな声で言葉を続けている。


「もちろん、君の好きにしていいのだよ。陛下のもとへ行く気がなければ、すぐにも女官職を解いてもらって田舎に帰るもよし。はたまた私の養女になった上、貴婦人として恥ずかしくない教養をしっかりと身につけて、どこぞの貴族の家の玉の輿を虎視眈々と狙うのもよし──」

「ちょ、ちょっと待って」


 マールは桃色のひっ詰め頭を両手で抱えた。

 必死に考えをまとめようとしているのだろう。

 ディフリードは楽しげに追い討ちをかける。


「まあ私個人としては、そこいらの変に上品ぶって(さか)しらなだけの貴族娘なんぞより、君のような芯と気骨のある女性がお(そば)にいるほうが、陛下にとって何倍も望ましいとは思っているのだがね?」

「う……、ううう~~……」


 マールの口からは、もはや唸り声しか出てこない。


「しかし、『強要はしたくない』というのが陛下のご希望である以上、仕方がないといえば仕方がない。『げに、動かし(がた)きは人の心』さ――」


 皮肉めいた言葉を形のよい唇にのぼせながらも、美麗な将軍はどこかしら寂しげな風情を漂わせていた。先ほどからこの青年は、相手を弄ぶような言葉の裏で、なぜかずっと物憂げになにかを思う様子だった。それが彼の端正な顔をさらに(なまめ)かしく見せるようだった。

 この若き将軍の深遠なる心の内など、佐竹には窺い知ることもできない。だが彼には彼で、痛みを伴いながら心に掛かる想いの、ひとつやふたつはあるのかも知れなかった。

 青年はふっと軽い吐息とともに「ともあれ」と言葉を続けた。


「陛下は兄王陛下を亡くされてからこちら、お心の休まり(どころ)とてない状態なのだよ。君たちが、少しでもそうしたことに心を砕いてくれるなら、臣下の一人として嬉しく思う。……どうか、よくよく熟考をお願いするよ」


 最後にそう言ってにっこりと微笑むと、ディフリードはついとソファから立ち上がった。そうしてそのまま流麗な仕草で片手をあげ、二人に退室を促した。





 廊下へ出てから、佐竹とマールはしばらく無言のままに歩いた。


(びっくりしたわ、もう……)


 マールは一人、考えている。

 竜将ディフリードの言葉には驚かされた。だがそれ以上に、かの将軍が思った以上にヨシュアのことを考えていたというのが意外だった。まあ、考えてみれば当然の話ではある。彼とて一応、この国の高級武官の一員。つまりは上層幹部なのだから。

 とりあえず、「無理やりあの将軍の妻になる」という話はこちらの勘違いだったらしい。いや、相当に誘導されたことは間違いないし腹立たしいが、一応の理解はできた。ひとまずそのことはひと安心だ。


(だけど……)


 もうひとつの問題も、それはそれで大きな悩みの種になってしまいそうだった。


(本当なの……? 陛下がこのあたしを、だなんて──)


 と、そこまででマールの思考は中断された。

「マール」

 佐竹が隣から呼んだのだ。

 マールは立ち止まった。長身の彼を下から見上げる。

「なに……? サタケ」

 自分から言いだしておきながら、佐竹は言葉を選ぶように少し黙った。


「俺が言う事でもないとは思うが。あとはマールが、よく考えて決めてくれればいい」

 互いの間に、少しの沈黙がおりた。

「くれぐれも、やけを起こして短絡的な結論だけは出さないでくれ。頼む」

 ひとつ、頭を下げられる。

 じっと見上げるマールの目を、頭を上げた黒い瞳が見下ろしてきた。いつもの、真摯でまっすぐな、静かな瞳だ。

「陛下も、オルクも、お婆さまも、村のみんなも、マールが幸せになってくれることを願っている」


 マールはじっと佐竹を見つめて、続く言葉を待ってしまった。

 あとひと言だけ、どうしても言って欲しかったのだ。


「……もちろん、俺もだ」


 最後にぽつりと、黒髪の青年がそう言って、ふいと目を逸らした。

 マールはやっと納得する。


 そうだろう。佐竹ならきっと、そう思ってくれているはず。


──ただし、それは「自分の手で幸せにする」という意味ではないが。


 ちょっとこみ上げて来そうになったものを押し殺して、マールは無理やりに笑顔を作った。


「……うん。わかってる。ちゃんと考えるわ。心配しないで」


 佐竹はマールの顔を少し見下ろすようにしていたが、やがてひとつ頷くと踵を返し、大股に廊下を去って行った。

 マールは黙ってその背中を見送った。黒い上級文官の長衣を(まと)った広い背中がどんどん遠のいてゆく。


──「試金石」。


 あの将軍はそう言った。

 あの時、王の執務室で、マールが将軍の妻として望まれていると思い込み、慌ててくれたのは二人だけだった。

 もちろん、そのことは有難いと思っている。


(だけど……)


 佐竹は、その中には入っていない──。


「っ……!」


 途端、もう遠くなった佐竹の後ろ姿が熱く霞んだ。


 試金石。

 佐竹の心は、やっぱり自分の望む場所にはないのだ。


 マールは唇を噛んで立ち尽くし、やがてぐいっと顔を拭った。

 顔を上げる。くるりと振り向く。

 そうして、一目散に廊下を駆け戻った。



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