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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第五章 流転
106/141

1 記憶

「……そうか。『アキユキ』に話したか」

「はい……」


 王都クロイツナフトに戻る道すがら。サーティークは愛馬・青嵐(セイラン)速歩(はやあし)に駆けさせつつ、鞍上で小さく微笑んでいた。

 内藤もその隣を、自分用に与えられた水色の馬で並走している。ヴァイハルトはその後ろで白嵐(ハクラン)を駆り、マグナウトは高齢のため、小ぶりの箱馬車を使って更にその後方にいた。他の騎馬兵は、馬車の前後を挟むようにして進んでいる。


 ノエリオール辺境の街道を彩る周囲の風景は、すでに秋の風情を色濃く見せ始めている。刈り取りの終わった農地の(うね)の上には、あちこちに干した稲穂の束が積み上げられていた。所々に生える樹木には、橙色や紅色など、色鮮やかな紅葉の花が咲いている。

 遠方に連なる山並みは、相当の標高をもつ高山らしく、頂に白いものをうっすらと光らせていた。それらが淡く紫色に霞んで、紅葉の(あや)を浮かび上がらせている。


 「第一回二国間交渉」が終了して、再び<黒き鎧>は「充電期間」が必要になり、交渉班の面々は一旦王都に戻ることにした。フロイタール側は様々なことを心配して、どうやらかなりの数の兵士を<白き鎧>の近くまで伴ってきていたようだったが、こちらは総勢十名ばかり。至って身軽なものだ。


 因みに、フロイタール側からの第三の要求だった「国王本人からの謝罪」については、サーティークは二つ返事で了承した。

 マグナウトがその旨を伝えた時、この王は「そんなことでいいのか?」と、軽く笑っただけだった。この男の中には、どうやらそういうつまらぬ意味でのプライドはまったくないらしかった。


 内藤はその精悍な横顔を見ながら言った。

「次回でも、その次でもいいので……。今度、佐竹にお父さんのこと、話してやっていただきたいんです。俺の口から言うより──」

 言いかけた言葉を、サーティークは「わかった」と軽く片手を上げて留めた。それでも少し不安げな内藤の顔を見返って、頬を緩める。

「ムネユキは、俺のもう一人の父だ。心配いらぬ」

 はっきりと言い切ったその言葉に、内藤は少なからぬ驚きをもってサーティークを見返した。黒髪の青年王はその顔を見て、ふと笑みを深くした。

「おかしいか? ……俺は、そう思ってる」

 それだけ言って、サーティークは軽く馬腹を蹴り、歩度を上げて先へ走った。後から追いついて内藤の隣に並んだヴァイハルトが、微笑しながらこちらを見やる。

「本当だよ。だから、心配はいらないさ」

「はい……」

 やっと安心したように頷いて、内藤は愛馬に先を駆けさせてゆく王の背中を、嬉しげな瞳で眺めやった。





 王都クロイツナフトに戻って旅装を解き、夕餉をとると、サーティークはすぐに自分の執務室にマグナウトとヴァイハルト、内藤を呼んだ。

 例の話をするつもりなのだ。そう思って、内藤は緊張していた。


 実はサーティークは、交渉の翌日、早朝に一人で<黒き鎧>に入ってその内部情報を解析したようだった。要するに、過日、あの「ナイト王」の記憶を<黒き鎧>に取り込ませた結果がどうなったか、そのあたりの確認である。

 その詳しい内容については、まだ老マグナウトやヴァイハルトも聞いてはいないとのことだった。「王都に戻ってから話す」と言ったきり、サーティークは以降、この事について何も言及しなかったのである。

 ただ時折り、一人顎に手をあてて考え込む様子であるところを見ると、どうもいい話とは言えないようだった。


 執務室に入ると、例によって客用ソファにマグナウトが座って、自分の隣の座面を叩いて内藤を呼び寄せてくれた。ヴァイハルトもすでに定位置に立っており、人払いも済んでいる。

 すでに日は落ちて、窓外はマーブル模様の明るい星空が広がっていた。


「帰着早々、皆、ご苦労。『対フロイタール交渉』では、よくやってくれた」

 早速、執務机の向こうのサーティークが口火を切る。マグナウトと内藤が頭を下げ、ヴァイハルトは軽く会釈した。こちらは「まあ一応」とでも言わんばかりだ。

「特にユウヤ。『ソロバン』は大活躍だったそうだな? 重畳である」

「えっ? あっ、いえいえ!」

 内藤がびっくりして飛び上がり、顔の前で手を振った。

「俺も嬉しいぞ」

 サーティークがにこにこ笑った。

 が、すぐにその笑みを引っ込めると、腕を組んで厳しい瞳になり、すぐに本題に入った。

「さて。皆を呼んだのは他でもない。例の<黒き鎧>について、さらに分かったことがある。先に皆にだけ話すが、ここでのことはくれぐれも内密に。……いいな?」

「了解した」

「承りましてござりまする」

「あっ、は、はい……」


 マグナウト、ヴァイハルトがすぐに首肯し、内藤も慌てて頷いた。

 サーティークが一旦ぐるりと皆を見渡してから、今度は机に肘をついて組み合わせた。


「皆の理解のために先に言っておく。<鎧>はかの『兄星』による負の遺産とでも呼ぶべきものだが、知っての通り、その機能については様々ある。その多くは、『兄星』の罪人をこの『流刑星』たる弟星へ送り込むためのものだ。しかし――」

 サーティークの声は淡々として、特に何らの感情も含まれていなかった。皆は黙って聞いている。

「さらにもう一つの機能として、『歴史の記録』という側面がある。目的ははっきりしないが、恐らくはあの『兄星』で、その記録を後々利用しようということではなかったかと思われる。要はこの弟星にあの<鎧>が置かれて以降の歴史を、なるべく詳細に蓄積する機能だ」


(歴史の、蓄積……?)


 初めて出てきた内容に、内藤は目を丸くした。

 兄星で<鎧>を作った者たちは、この弟星を流刑地とする前から、この星の歴史をずっと記録し続けることにしていたということか。

 地球においても科学者たちは、とにかくデータの蓄積ということには熱心である。それは今後の研究に役立てるためであり、後の世代に研究を引き継いでもらうためでもあるだろう。それ自体は、別におかしなことでも悪いことでもないけれども。


 内藤が言われたことを咀嚼し終わったのを見てとって、サーティークが言葉を継いだ。

「結論から言おう。我ら王族が引き継いできた『鎧の稀人(まれびと)』は、<鎧>の管理者であると同時に、そのための記録保存者でもあるのよ」

 ほかの誰一人、ひと言も発さない。サーティークだけが、ただ淡々と言葉を紡ぐ。

「この地に起こった様々の歴史を()()に保存し、それを<鎧>に受け渡す。そして<鎧>内部の情報を、逆に<稀人>にも預らせる。……その作業が、かの『儀式』だ」

 サーティークの指先が持ち上がり、自らの頭部を指差すのを見て、内藤は目を見開いた。


(脳……? 脳の記憶を記録する……ってこと?)


 驚愕に言葉を失っているのは、内藤ばかりではない。

 マグナウトもヴァイハルトも、しばし沈黙して若き王を凝視していた。


「だからこそ、それが王族であることには意味があるとも考えられる。なんといっても王なれば、国の全ての情報を集め、また把握しやすい立場にあるからな。これがそこいらの商家の(あるじ)や花売りのおかみでは、こうは行かぬというわけよ」

 頭を指していた指先で、サーティークはとん、と軽くこめかみを叩いて見せた。

「まあ無論、無能な王ならこの限りではなかろうが――」


 やや皮肉交じりの声になり、頬を歪める。こういう表情(かお)をする時、この王は、結構な悪い顔になる。


「当然ながら、記録者が人間である以上、そこに誤謬(ごびゅう)は混ざりこむ。そのあたりは<鎧>のほうで、ある程度の誤差の補正を行なうようだ。何代もの王が入れ替わり立ち代わり<鎧>に入って儀式を行なうことでも、それは補完されるらしい。……ここまでの話は、いいか」


 サーティークは一旦、言葉を切った。

 マグナウトもヴァイハルトも、そしてもちろん内藤も、相当難しい顔になって考え込んでいる。

 内藤は、とりあえず自分に分かりやすいように、地球のコンピューターに置き換えて考えてみていた。

 要は、<鎧>を巨大なコンピューターだと思えばいいのだろう。犯罪者を捕獲する機能ばかりでなく、大量の情報を記録し、蓄積して、後々の世代のために保存しておくための装置だということだ。


(そして……<鎧の稀人>は──)


 内藤の背中に、知らず怖気(おぞけ)が走った。


 <鎧>は、王たちを人だなどとは思っていないのだ。

 あれは、王らをただの記録保存機関としてしか見ていない。

 例えばコンピューター内の情報を保存しておくために、地球でならバックアップを取るではないか。それも外部に、独立した機関として。

 様々な媒体を使って、そう、例えば──


(USBとか……ハードディスクとか?)


 内藤は、顔から血の気が引いてゆくのを自覚した。

 どうしようもない吐き気を覚える。


(そうか……それで)


 あの『儀式』は、だからあれほど過酷なのだ。

 あの、頭の中をすべてひっくり返されるような、すべての脳細胞に針を突き刺されるような苛烈な苦痛。あれは、脳のあらゆる部分を<鎧>が精査するために起こっていたものだろう。要は、脳が上げていた悲鳴なのだ。

 何かのテレビ番組で見たことがある。人は一生の間、脳の大部分を使わないままに過ごし、そして死んでゆくのだと。<鎧>は恐らく、そういう人の脳の中の普段使われていない領域を使って、自らの情報を保全しようとしてきたのだ。


(人の脳を、記録媒体として使う――)


 それも、あれほどの苦痛を伴う『儀式』を行なわせることでだ。

 いったい誰が、こんな非人道的な方法を考え出したというのだろう。


「ユウヤ殿、どうなされた。ご気分でも優れませぬか……?」

 真っ青になって口許を押さえ、うずくまるような体勢になってしまった内藤を見て、マグナウトが心配げに声を掛けてきた。

 かたかたと震えている内藤を見て、ヴァイハルトも歩み寄ってくる。

「ユウヤ殿。いったい……?」

 が、サーティークだけは暗い瞳で内藤の背中を見つめていた。

 やがて、静かな声で訊ねた。

「ユウヤ。どうする? 今日は、ここまでにしておくか」


 内藤は顔を上げた。サーティークの真っ直ぐな瞳と目が合う。

 その瞳は至って落ち着いていたが、その一方で、何かを内藤に問いかけているようにも見えた。


(そうか……この人は)


 内藤は理解した。

 この男は、<鎧>のために愛する人を奪われて以来、何年もかけてかの<鎧>を研究してきた。そしてこれらの事実に行き当たり、理解したことだろう。当然その時、感じたに違いないのだ。いま内藤が感じているような底知れない怒りも、反吐(へど)の出そうな嫌悪感も。


(それを……一人で?)


 この男はずっと一人で、それを胸内(むなうち)に抱えていたというのだろうか。

 もちろん<鎧>研究班の皆も(そば)にいたには違いない。けれども彼らは、王の臣下なのだ。当然ながら、サーティークの心の中にまで立ち入ることは許されない。

 今、この場にいる二人なら、彼らよりはもっとずっとサーティークに近いだろう。

 しかし。


(だってさ……)


 この二人とて、あの『儀式』の何たるかは知らないのだ。

 ……そう、()()()()()()――。

 

 そして、閃くようにして思った。


(……ああ。やっぱり、似てるよ……この人)


 この男はやっぱり、あの強面の友達によく似ている。

 どんなに辛いことがあっても、心の底から苦しくても。

 決して、弱みなど見せてくれない。


(本当は……倒れそうなぐらい、つらい癖にさ)


 あのプライドの高さは、一体どこから来るのだろう。

 自分なんかには、きっと一生理解なんてできないのだろうけど。


(一人で抱え込んで、眉間に皺、寄せちゃってさ──)


 そういう彼を、もちろん凄いとも思っているけれど。

「…………」

 内藤は出しぬけに立ち上がった。

 場の一同は、不意を突かれたように彼を見つめた。

 内藤はそのまま、くるりと執務机のほうに振り向くと、すたすたとサーティークのそばへ歩み寄った。

「え……?」

 老マグナウトとヴァイハルトは、ただ呆然とその姿を目で追った。

 傍らに立った内藤に、サーティークは椅子に座ったまま向き直った。怪訝な様子で片眉を上げ、彼を見上げる。


「どうした? ユウヤ」


 と、いきなり内藤がサーティークの頭を抱きしめた。

 ヴァイハルトとマグナウトは凍りついた。


「おっ、おい──」

「ユウヤ殿……?」


 呆気にとられたような二人の声が聞こえたが、内藤はそのまま、黙ってサーティークを胸に抱きしめていた。

「…………」

 さすがのサーティークも、これにはちょっと面食らったようだった。彼にしては珍しく、二、三度瞬きしたあとは、ただ目を丸くして固まっている。そうして、そのままの姿勢でしばらくは何も言わず、内藤にされるがままになっていた。


 しばし、室内を静寂が支配した。

 サーティークはほんの少し、目を閉じて何かに耳を傾けている様子だった。が、やがて目を開け、そっと内藤の腕を叩いた。

「……ユウヤ。話を続けてもいいだろうか」

 胸元から、多少決まりの悪そうな、苦笑したような声がした。

「あ。ご、ごめんなさい……」


 はっとして、内藤は慌てて彼から離れた。

 今にも零れそうだったものをなんとか堪えて、サーティークの黒い瞳を見下ろす。

 臣下が王を見下ろすなど、本来許されることではない。だけれども、サーティークの相貌はむしろ静かに凪いでいた。いや、少し微笑んですらいるようだった。


「大丈夫か? ユウヤ」


 同じ声のはずなのに、それはあの友達なら絶対に出しそうもない、とても優しい声だった。

 その声を聞いた途端、急に自分のしたことが恥ずかしくなって、内藤の頬がかあっと熱くなった。


(なっ……何やってんだ、俺……!)


 そして、自分を心の中で叱咤した。


(だっ、駄目だ……! こんなんじゃ──!)


 そういう主旨ではなかったはずなのに。逆に自分が心配されてどうするのだ。


「あのっ、えっと……すみません……!」

 内藤は必死でサーティークに頭を下げた。

「大事なお話中に、また、俺っ……!」

 相変わらず心配げな顔で見つめてくるマグナウト翁とヴァイハルトにも、ちょっと頭を下げて言い募る。

「ほんと、すみません……。続けてください、どうぞ──」

 そして、そそくさとソファに戻った。


「…………」


 サーティークは少し黙って、そんな内藤を見つめていた。

 黒曜石の瞳が何を思うのか、それは誰にもわからなかった。

 が、やがてヴァイハルトやマグナウトとも目を見交わすと、サーティークは「そうか」と呟き、続く話を始めたのだった。



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