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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第四章 接近
105/141

12 逡巡


 フロイタール王国辺境、ミード村。

 自宅である粗末な小屋で、マールは祖母と向き合っている。


「お、おばあちゃん……。本気なの……?」


 マールは顔色を失って、座り込んだまま固まっている。

 祖母はいつもの呑気(のんき)な様子で、板の間に敷いた動物の毛皮の敷物の上にちょこんと座っていた。最近では目だけでなく、耳のほうも随分と遠くなっている。相当大きな声で話し掛けないとなかなか意思の疎通も難しくなってきているのだが、頭は十分にはっきりしていた。


「それはもう、これ以上ない良いお話ではないかえ? マールや」

 祖母は先ほどから、ひどく楽しげな様子である。

「将軍様のお住まいに行けば、お前ももはや、このような貧しい暮らしに甘んじることもないのだわえ。私はもう、一も二もなくご賛成申し上げたばかりですよ……」

 こんな調子で、先ほどからずっと同じような言葉を繰り返している。

「そなたの器量なれば、少しお作法などお勉強しますれば、どこに出しても恥ずかしくない貴婦人になれるであろうと。将軍様はそのように、大層お褒めくだされましたよ。いえいえもう、(ばば)それが嬉しゅうて嬉しゅうて――」

 祖母はもう、目に涙をいっぱいに溜めて言い募っている。

 マールはもはや、目の前がぐるぐる回りだしそうな気分だった。


(冗談じゃないわよ! だからってどうしてこのあたしが、あの将軍様のところへなんて……?)


 もちろん、少し前のことだったら話は違っていただろう。マールも何も悩まずに、大喜びで申し出を受けていたのかも知れない。なにしろ、こんな辺境の山出しの小娘には、降って湧いたような過分のお話なのだ。それは間違いない。普通だったらこんな酔狂なお申し出、どんな少女だって断るわけがなかった。

 しかも、相手はあのディフリードだ。もしもこれで、相手が金まみれ権力まみれの(あぶら)ぎった汚らしい太った親父だったなら。もしもそうなら、中には断る少女もいるだろう。けれどもあの美々しくも上品な若い将軍様を相手に、どんな少女が断るだろうか。


(……でも)


 マールの場合は、事情が違う。

 自分にはもう、心に想う人がいるのだ。

 そうそう簡単に、そんな話に乗るわけにはいかなかった。


(そりゃ……、サタケとうまく行くって、思ってるわけじゃないけどっ……!) 


 癪に障るが、あのオルクの言うとおりだ。今さら、こんな自分が佐竹とどうこうなれるとは思っていない。けれども、だからといって「はいそうですか」と、即座に他の男への輿入れを決められるわけがない。自分をその程度の人間だと思っているのだとしたら、あの将軍の人を見る目は歪みきっていると思う。


(馬鹿にするんじゃないわよ、人を……!)


 胸内(むなうち)に、なんとも言えない焦燥と怒りが湧き上がった。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、祖母は穏やかな声で話を続けている。


「そうは申してもの、マール。結局は、そなたの決めることではあるからのう。どうしても嫌ということであれば、(ばば)はなんにも、反対などしませぬわいのう……」

「そ、そうなの……」


(そりゃ、そうでないと困るわよっ……!)


 心の中でそう言い返しながらも、マールはやっぱり、この優しい祖母に強いことは言えないのだった。


 そもそもこの国では、こういう話で本人の意思が無視されるとしても、まるで文句はいえないのだ。

 王都などでそれなりの作法や教養を身につけた女性ならばいざ知らず、こんな田舎住まいの少女にとって、それは当然のことだった。大した働き手にもならない村の少女に許された発言権は、それはそれは小さなものなのだ。いや、「皆無だ」という人々のほうが断然多いことだろう。


 マールの場合、相手が王宮で教養を身につけた祖母だからこそ、こうして孫娘の意思も尊重してくれている。

 だが、これがもし、村の他の家族に起きたことだったなら。その娘はもうほとんど強制的に、あるいは家族みなから拝み倒されるようにして、明日にも将軍様のもとに輿入れさせられていてもおかしくなかった。

 首尾よく娘を輿入れさせられれば、その実家は将軍様から潤沢な金銭的、あるいは物質的な援助が受けられる。そうすれば、貧しい今の生活がはるかに楽なものになる。場合によってはそのまま一族郎党街へと呼び寄せられて、今よりもずっといい暮らしができるかもしれないのだ。断るなんて、選択肢に入るはずがない。

 残念ながら、それが今のこの国の現実なのだ。


「わかった。お返事はあたしから、将軍様にしておくから」


 遂に、それだけ言ってマールは立ち上がった。ミード村の中にいるとはいっても、マールはもう、お城勤めの女官なのだ。そうそうヨシュア陛下のお側を離れているわけにはいかない。

 午前中、ノエリオールとの交渉のため<白き鎧>に向かったヨシュアたちだったが、そろそろ村に帰ってくる刻限だった。彼の身のまわりの世話を任されているマールとしては、早めに戻って昼餉の支度など、様々の準備にかかる必要がある。


「じゃ、おばあちゃん。あたし、陛下の御宿所に戻るわね? また夜には帰ってくるから」


 そう言うと、マールは自宅の小屋を後にした。

 物思いにふけりつつ大股にずんずん歩いていると、午前の農作業から戻ったらしい村人たちが、三々五々(すき)(くわ)を担いで歩いてくるのに行きあった。中にはあの村の青年、ケヴィンやガンツの顔もある。


「よお、マール。お婆様のとこかい?」


 ケヴィンが目ざとくマールを見つけて、明るく声を掛けてきた。長めの金髪を無造作に後ろに(くく)った姿は相変わらずで、碧い瞳の明るさも変わらない。


「王宮勤めも大変そうだな? でもなんか、早速いい話が来てるんだって?」

「ちょっと待って」

「う?」

 途端にマールがかっと目を()いて、ケヴィンはぎくりと足を止めた。

「まさかもう、村のみんな、知ってるの……?」

「え? あ、いや……」

 目つきと声に殺気が籠もっているのに気付いてか、ケヴィンとガンツはびっくりしたように目を見合わせた。

「そ、そりゃあ、ちっこい村だしなあ……?」

 ケヴィンがぽりぽりと頭を掻く。微妙に半歩さがっている。

「お婆様も将軍様も、別に内緒にはしてないって感じだったぞ?」

 ガンツも落ち着いた声でそう言い足した。彼もまた、朴訥とした巨躯は相変わらずである。


(あ、の、男っ……!)


 マールはかあっと頭に血が上るのを感じた。

 そうやって、勝手にどんどん外堀を埋めていくつもりでいるのだろうか。


(なんって、忌々しい……!)


 たかだか少女一人を絡め取るのに、そんな手練手管(てれんてくだ)を使うのか。そんな男の所に、この自分がおめおめと素直に行くと思っているのだろうか。


(すんなり思い通りにいくと思ったら、大間違いなんだからっ……!)


 あの人を食ったような美麗な微笑みを脳裏の画布に描き、さらにそれをずたずたに引き裂く想像をする。マールはそのまま、さっき以上に大股にルツ宅の離れへと戻っていった。


「な、なんだあ? ありゃあ……」


 ケヴィンとガンツは呆気に取られたように、怒り心頭といった少女の小さな背中を見送っていた。





 ヨシュアら「対ノエリオール交渉班」の面々が戻ってきたのは、マールが宿所の建物に戻って四半刻ほどしてからのことだった。マールとオルクは彼らを迎えるべく、村の入り口まで行って待っていた。

 二人はもう、先日ほどの険悪な状態ではなかった。けれどもオルクは、やっぱりちょっと躊躇してしまうらしく、自分からはマールに何も話しかけてこようとはしなかった。当然ながらここまで、ディフリードとの縁談話についてもいっさい話してはいない。


 が、興味がないはずはなかった。オルクはもちろん、その件が大いに気になっている様子だった。だが、だからといって彼の立場で口の差し挟める問題でないことは明らかだった。

 先日こそ、彼は驚きのあまりに勢いに任せて、竜将であるディフリードに詰め寄ってしまった。だが、それは本来、あってはならないことだった。侍従長の男に言わせれば、将軍に対するあの不敬な口の利き方のことだけでも、きつく処罰されて文句は言えない状況だった。

 「不問にしてやってくれ」とのディフリードの口添えがなかったら、オルクはとうに役を解かれていてもおかしくなかったはずである。


 ヨシュアは佐竹やディフリードたちと戻ってくると、侍従長と共に下馬して馬を村の者に預け、すぐにマールたちの方へと歩いてきた。

 佐竹とゾディアスはさりげなくヨシュアに礼をして、途中で道を折れ、自分たちの宿所へと戻っていく。

 以前と同様、なんだかまた佐竹の顔色が冴えないような気がした。だが遠目だったこともあり、マールは結局、彼に声を掛けることはできなかった。それに、なんとなくだったけれども、今回は声を掛けてはいけないような気もしたのである。

 近づいてきたヨシュアに、マールとオルクは礼をした。


「お帰りなさいませ、陛下」

「ああ、うん……」


 女官としての、スカートをちょっと持ち上げる礼をしたマールを見て、ヨシュアは困ったような笑顔を浮かべた。少し頭を掻くような仕草をしている。なにか言いたいことがあるのに言えないような、なんだか奇妙な間があった。

 マールは不思議な思いがして、少し頭を上げて少年王の顔を(うかが)った。いつも優しく穏やかなヨシュア王のお顔は、気のせいかいつもより赤らんでいるようにも見えた。


(陛下……?)


 どうしたのだろう。もしかしてまた、ご体調でも良くないのだろうか。

「陛下、何か……?」

 首を傾げて訊ねてみるが、ヨシュアはやや目を逸らして、小さく咳払いをしただけだった。

「あ、いや。すまぬ。なんでもない……」


 しかし、侍従長はいつも通りだった。つまり、二人の妙な空気にはとんとお構いなしに、強引に会話に割って入ってきた。

「何をぼうっとしておる、そなたたち!」

 マールとオルクに向かい、まるで犬でも追い立てるようにしてぱんぱんと手を叩く。

「ささ、陛下はお疲れなのだ! 昼餉の時刻も、とうに過ぎておるではないか! 早うごゆっくりしていただかぬか!」

「は、はいっ……!」

 ()き立てられ、マールとオルクは急いで宿所に戻った。そうして、陛下のお手やお顔を清めるための水を準備し、昼餉の支度に取り掛かった。


 ディフリードは一同のそんな様子をしばらくそっと窺っていたようだった。が、やがて静かに微笑むと、例によって一分の隙もない礼をして、自分の宿所へと戻っていった。

 マールには終始、目線ひとつさえも寄越(よこ)さなかった。


(やっぱり……)


 それで確信した。

 彼が自分に、僅かでもそんな気持ちがあるなどということは、絶対にない。

 どんなに経験値のたりない小娘でも、相手の瞳に恋心のあるやなしやぐらいはわかるものだ。そしてディフリードの瞳の中には、そんなものは毛ほどもなかった。

 もちろん、あの外連味(けれんみ)たっぷりの将軍様のことだ。あの方が、そんな仄かな己の感情を簡単に表に出すとはとても思われなかったけれども。


(でも、もしそうだとしたら──)


 あの男の本当の目的は、一体なんだというのだろう……?


 そんなことを考えながらも、マールは忙しげに手を動かしている。

 その背中をなんとなく手持ち無沙汰に見やりながら、ヨシュアがまた困ったような思案顔になっていた。

 だが遂にその場の誰も、少年王のその表情に気付くことはなかったのだった。




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