現実は厳しかった
翌朝、3人は森へ出発する前に、ゴブリンについて村人から話を聞いて回った。ちょうど畑仕事に出かけるところだった何人かから話を聞くことができたものの、なかなか有用な情報を得ることができずに焦る。しかし、最後に村の外れに居を構えている狩人から、ようやく役に立つ情報を得ることができた。
「ゴブリンに襲われている村にしては、随分とのんきだね。ボブの村でもそうだったのかい?」
「うん。小さい子供をきちんと守る必要はあるだが、大人だと鍬を振り回していたら追い返せることもあったしな」
もちろん2匹以上で襲われたときは逃げないといけないが、1匹だけなら何とかなることもあったのだ。
「で、ゴブリンは、ここから2日くらいの森の奥にいるんじゃないかというわけだが、この地図を頼りに探すのか……」
トムの手には、狩人とのやりとりを基に地図を描いた紙があった。それによると、ここから山に向かってまっすぐ進み、1日目の終わりに小川が見える。それを渡って更に1日進むと山の麓の岩場に出るので、その辺りにある洞窟に巣を作っているらしい。
「この地図だけで本当に行けるだか?」
「まっすぐ行けばいいから案内はいらないって言われたけど……」
ボブの質問にトムは自信なさげに答える。狩人に道案内を頼もうとしたのだが、手間賃の交渉が上手くいかず、狩人を雇えなかったのだ。路銀の少なさが地味に影響している。
「そんなことを言っても始まらないよ。早く出発しよう!」
昨晩さんざん文句を言っていたジムは、打って変わってやる気に満ちている。いよいよモンスターと戦えるとあって、気が逸っているようだ。
「……考えていても仕方ないか。よし、それじゃ出発しよう」
トムは2人にそう声をかけると、先頭切って森に入っていった。
森の中は3人が思っていた以上に鬱蒼としていた。最初は狩人に教えてもらった獣道を辿って進んでいたが、数時間後に道なき道を進むことになると、途端にどの方向に進んでいるのかわからなくなる。
「なぁ、ここどこだ?」
周囲を見回しながらボブは不思議そうに呟く。
実のところ、3人が本格的に森へ足を踏み入れたのは今回が初めてだった。前回の休憩のときに全員がその事実を知って衝撃を受けたばかりだ。つまり、そもそも森というものがどういうものなのかということを全く知らないのである。当然、そんな3人に狩人のような方向感覚はない。
「たぶん、もうすぐ次の目印を見つけられるはずだ……」
上がりそうになる息を何とか静めながら、トムは自信なさげに答える。手にした地図を何度も見ながら前へ進んでいるが、今この場所が正しいのか確信が持てないのだ。
狩人に教えてもらった通りに描いた地図には、目印になる岩や大木について記してあった。しかし、地図の記述と現実の目印が本当に一致しているのか、断言できる者はいない。
「はぁ、はぁ、ねぇ、ちょっと待ってよ……」
完全に息の上がったジムが、先行する2人に声をかけた。
地図には、目印から目印の間をどのくらいの時間で踏破できるのかということも書かれている。しかし3人は気づいていないが、その記入された時間は狩人の時間感覚だ。更に言うと、体力のないジムに合わせているため、その記入された時間通りに進むことは不可能といえた。
結局、目的の小川らしい川が見えたのは村を出発して2日目の終わりだった。本格的に日が傾き始めたせいで、ただでさえ暗い森の中が真っ黒になってゆく。
「やっと着いた……」
ようやく目的地までの中間地点にたどり着いたトムは、一跨ぎで越えられそうな小川を見ながら安堵のため息をついた。
「けど、小川の1つ手前の目印はなかっただな……」
3人の中で最も体力に自信のあるボブは、あまり疲れた表情を見せていなかった。しかし、目印を1つ見落としたまま小川にたどり着いてしまったことに不安を覚えている。
「こ、これが目印の小川かい……」
息も絶え絶えとなったジムが杖をつきながら最後に小川へ到着した。今戦闘になったら、確実に役に立たないだろう。
「今日はここで野営すっか」
ボブの提案に誰も反対しなかった。時間的な理由だけでなく体力的な理由からもだ。
野営の準備が終わると、3人は焚き火を囲んで食事を取り始めた。とは言っても乾物ばかりで新鮮味は全くない。
「森の中を歩くのが、こんなに大変だとは思わなかったよ……」
囓った干し肉を力なく噛みながらジムが呟いた。既に足は筋肉痛でパンパンだった。
「普通に歩けるならともかく、草葉を切りながら前に進むのは大変だぁ」
「でこぼこの地面を歩くのや、まっすぐ進めないというのも地味にきついよなぁ」
体力的に当てのならないジムを除いて、ボブとトムは交代で先頭に立って生い茂る草葉を軽く伐採しながら歩いていた。一番体力のあるボブが長く担当していたが、それでもトムは全身の疲労がきつい。
「まだ1日歩かなきゃいけないのか……」
「でも、今の様子だと、2日くらいかかるかもしれねぇだよ」
「嫌なこと言うなよ……」
1日と聞いていた距離を踏破するのに2日かかったのだから、当然残り1日の距離も2日かかるということになる。ジムもトムもそれはわかっていたが、あえて考えないようにしていただけだ。
「ねぇ、明日の出発は少し遅めにしないかい?」
「どうしたんだ、ジム?」
「筋肉痛が酷くてさ、動けそうにないんだよ」
2日目の今日も相当我慢していたジムだったが、もう限界のようだった。
「それだったら、これからは毎日遅めに出発しようぜ。正直俺もきついんだ」
ジムほどでないにしても、トムも全身に強い倦怠感がある。ゆっくりできるのならば、そうしたいのは同じだ。
「食い物はまだ充分にあるしな。おらもその方がいいと思う」
ボブも賛成したところで3人の意見は一致した。これにより、この日からは遅めに出発して、早めに野営するということになった。
小川を出発して3日目の夕方、3人はようやく森を抜けた。急に開けた視界の先には河原のような山の裾野が見える。
「はぁ……やっと森から出られたのか」
ジムの独り言は他の2人の気持ちでもある。
「けど、本当にこの辺りにゴブリンの巣なんてあるだか?」
狩人の話によると、ゴブリンは洞窟に巣を作っているということだった。しかし、今見える風景に洞窟がありそうな場所は見当たらない。
「小川を越えてからは目印を1つも見つけられてないんだから、位置はずれてるんだろうな」
次第に赤黒く染まってゆく岩場を見ながら、トムは冷静に判断した。小川を越える前から既に怪しかったので、いきなりゴブリンの巣を見つけられるとはさすがに思っていない。
「んじゃ、どこにゴブリンの巣はあるだ?」
「う~ん、それは……」
「あっちの方じゃないかな」
ジムが指さしたのは右側の森と岩場の境だった。
「なんでわかるだ?」
「左側には洞窟がありそうな切り立った絶壁はなさそうだけど、右側にはありそうだろう?」
確かに、森を背にして岩場を正面に見据えたとき、左側はなだらかな斜面を描きつつも延々と岩場が続いている。反対に、右側は途中から断崖が発生しており、途中に洞窟があっても不思議ではない。
「おお、確かに。さすがジムだなぁ」
「へへ、そうかい?」
ボブの素直な賞賛に、ジムはそのまま応じた。自尊心がいくらか満たされたことで、体にわずかな力が湧いてくる。
「それじゃ、今日はこの辺りで野営して、明日あっちの崖の方に進もうか」
ジムの案を採用することにした一行は、今晩の野営のために一旦森の中に戻った。
村を出発してから6日目の朝は快晴だった。ようやく目的地の一歩手前まで来ているはずなので、森の中を彷徨っていたときよりも3人の士気は高い。
この日はジムの提案通り、断崖のある方へ進むことにした。森と岩場の境が歩きやすかったのでその境界線上を辿ってゆく。
「今日こそゴブリンの巣を見つけられるといいなぁ」
まるで老人のように杖をつきながら歩きつつも、ジムは自分がかっこ良く魔法でゴブリンをやっつけてゆくところを想像しながらにやけていた。順調に依頼をこなして腕を上げてゆき、最後は誰からも一目置かれる魔法使いになっているという筋書きだ。
「へへへ、どんなお宝があるだかなぁ」
一方、足取りはしっかりしているものの、ボブもジムと同様ににやにやしながら歩いていた。こちらは、ゴブリンがどれだけのお宝をため込んでいるのか、ということを想像している。どうも毎回の冒険で一財産が築けるほどの戦利品があると思っているようだ。
(さっさと終わらせて帰りたいなぁ)
無言で先頭を歩いていたトムは、予想以上に苦労していることに辟易していた。それでも、何匹かのゴブリンを殺してしまえば終わることだと自分自身に言い聞かせて、黙々と前に進む。
一体地図とどのくらいずれているのか見当もつかないまま、3人はひたすら歩いた。主にジムが体力の限界に近いので、短い間隔で休憩を取りながら進む。そして出発してから半日、ようやくそれらしい洞窟をトムが発見した。
「おい、見つけたぞ!」
「「?」」
ひたすら妄想することで現実逃避していたボブとジムは、一瞬何を言われているのかわからなかった。
「早く隠れろ!」
「え、何するだ?!」
「何だよ、いきなり!」
強引に森の中へ連れ込まれた2人は驚いたが、トムの真剣な表情を見て察する。
「洞窟を見つけたぞ。ゴブリンらしき生き物もいた!」
「本当かい?!」
森の外に視線をやりながらジムが反応した。先程までと違って表情が真剣なものになる。
「1度2人にも見てもらいたいから、ついてきてくれ。慎重にな」
トムの言葉に2人はうなずく。
そうして森の端からトムの指示する方向に目を凝らすと、確かに洞窟らしき穴がかすかにあった。しかも、その前にはゴブリンらしき生き物が2匹いる。
「あれがゴブリンか」
「おお、確かに2匹いるだな」
書物でしか見たことのないジムと村が襲撃されたときに見たことのあるボブでは反応が微妙に異なるが、目的の場所にやっと着いたことだけは実感できたようだ。トムの方に振り向くと満足げにうなずく。
「確かにここがゴブリンの巣のようだね」
「そうだな」
「で、ここからどうするかなんだが……」
トムはどのようにゴブリンを退治するのか、3人で作戦会議を開くことにした。
「村長の話だとゴブリンは3匹か4匹だったから、洞窟の前に2匹、中に1,2匹ということになるね」
「それじゃ、まずは洞窟前の2匹をやっつけるだか」
「問題は、どうやってやっつけるかだが……ジム、何か魔法でばっとやっつけられないか?」
しゃべっているうちに思いついたのか、トムはジムに何か役立つ魔法がないか尋ねてみた。すると、ジムは得意そうに胸を張って答える。
「もちろんあるよ。ファイアボールなら、森の端からでもぎりぎり届くよ。洞窟の真正面に行かないといけないけど」
「よし、じゃあ、それで1匹を倒そう。もし倒し損ねたとしたら、俺がとどめを刺す。ボブはもう1匹を任せた」
「わかっただ」
「中のゴブリンはどうするんだい?」
「出てきたところを、そのファイアボールってので攻撃してくれ。それで足止めしてくれてる間に、俺たち2人が前のやつを殺すから」
「いいね。派手にやろう!」
自分の出番が来たとばかりにジムは生き生きとしている。先程まで倒れる寸前のように歩いていたのが嘘のようだ。
「じゃ、洞窟の正面まで回り込もう」
トムがそう宣言すると、2人は力強くうなずいた。
1時間後、3人は洞窟の真正面に最も近い森の端にまで来ていた。少し休憩して息を整えた後、3人は見つからないぎりぎりの場所にまで移動する。
手はずとしては、ジムの魔法での攻撃を合図にボブとトムが突撃するということになっている。
ボブとトムがじっと待っていると、ジムが何やら呟き始めた。そして、その呟きが終わったかと思うと、やおらジムは立ち上がり、右手に持った杖を頭上にかざしながら叫んだ。
「ファイアボール!」
「「え?」」
隠れているのにいきなりジムが叫んだことに驚いて2人が振り向くと、杖の先に拳程度の火の玉が現れてゴブリンめがけて飛んでいった。
「「おお!」」
「え?」
ボブとトムが初めて見る魔法に感動して声を上げたのに対して、ジムはファイアボールの大きさが思っていたよりもずっと小さいことに愕然としていた。ジムは人間の頭程度の火の玉を出したつもりだったのだ。
そんなジムの内心など知ることもなく、ボブとトムは大いに士気を上げてゴブリンめがけて突撃する。
一方のゴブリンは、突然現れたファイアボールと人間に驚いたが、すぐに危険を察知し、慌てて今いる場所から身を避ける。そして、仲間を呼ぶべくしきりに不快な声で鳴いた。
外れたファイアボールが岩に当たり、小さく鋭い破裂音を残して消える。その様子を視界に収めながらも、ボブとトムはゴブリン2匹に突っ込んでいく。
「「うぉぉぉ!!」」
突撃の勢いもそのままに切り込んだ2人であったが、その第1撃は空振りに終わった。意外にすばしっこい。しかし、2人はそのまま攻撃を続ける。
「くそっ!」
「当たれ!」
2人とも懸命に武器を振り回すがなかなか当たらない。ゴブリンは、まるで最初から戦う気がないように逃げ回っている。
ジムにもその様子は目に入っているのだが、次の呪文を唱えるのに忙しくてそれどころではなかった。
やがて呪文の詠唱が終わって、2発目のファイアボールを洞窟の入り口めがけて撃ち込む体勢のまま待つ。中からゴブリンが出てきたところで放つのだ。
「よし。ファイアボール!……え?」
洞窟内からゴブリンが出てきたところでジムはファイアボールを撃った。相変わらず拳程度の大きさしかなかったが、それはとりあえずいい。問題なのは、次から次へとゴブリンが洞窟から出てくる光景を目の当たりにしたことだ。
「依頼書には5匹以下ってあったのに……」
村長の話でも3,4匹のはずだった。
しかし、洞窟から出てきたゴブリンは少なく見積もっても20匹以上はいる。そのうちの1匹にファイアボールが当たってのたうち回っているが、それどころではなかった。
もちろん、この大量のゴブリンはボブとトムにも見えていた。戦っている最中によそ見をしていたのではなく、数が増えたせいで嫌でも視界に多くのゴブリンが入ってきたのだ。
「うわ、なんだこれ?!」
「いででっ!!」
あまりの数の多さに2人は愕然とする。予想を遙かに上回っていた。これはとてもではないが勝てない。ボブは既にゴブリンに棒きれで殴られ始めている。
「おい、逃げるぞ!!」
「え?!ま、待ってぐれぇ!!」
瞬時にこれは無理だと判断したトムはボブに声をかけた後、脱兎のごとく森に駆け出した。それに遅れてボブが続く。
「うわっ!こっちに来るなぁ!!」
その様子をしばらく呆然と見ていたジムだったが、2人が自分の方に向かってくるのを見て、自分も回れ右をして走り出す。ローブの裾を両手で持ち上げてたくし上げている姿はかなり情けないが、そんなことを考えている余裕はジムにはなかった。ボブとトムの後ろには多数のゴブリンが追いかけてきているのだ。追いつかれるとただでは済まない。
こうして森の奥へと姿を消した3人は、その後、日が暮れるまで追いかけられることになった。
「おい、馬の掃除は終わったか?」
「あ、じいちゃん。うん、終わったよ!」
屋内で作業をしていた老村長は、仕事が一段落すると馬小屋の様子を見に行った。老村長の孫息子は、ちょうど馬の体を洗う道具を片付け終わったところだった。
「そうか。そんじゃ、次は父さんの仕事を手伝いに行ってやれ」
自慢の孫息子の成長に目を細めながら、老村長は優しく次の作業の指示を出す。
「わかった。ところで、じいちゃん。あの森に入ってった3人はゴブリンを退治できたのかなぁ?」
言われた通りに父親のところへ行こうとした孫息子は、ふと足を止めて思い出したように尋ねた。以前、1度ゴブリンに追いかけ回されたことがあるため、できれば退治してほしいと願っているのだ。
「さぁどうじゃろうなぁ。もう6日も経っとるし、うまく退治しとったら、そろそろ帰ってきてもおかしくないんじゃがのう」
孫息子に対して、老村長は随分とのんびりしたものだ。
「じいちゃんは、ずいぶんとのんびりしてるね」
「まぁ退治できてりゃそれにこしたことはないけどな、できなくても、また他の冒険者に頼めばいいんじゃよ」
ゴブリン退治は、毎年数多く冒険者ギルドに依頼が舞い込んでいる。しかし、その全てが成功しているわけではない。駆け出しの冒険者が引き受けることが多いため、退治に失敗することもあるのだ。そしてそれは、依頼を出す村側も承知の上である。
「え、そうなの?」
「ああ。いくつかのゴブリンの群れが1つの巣を一緒に使っているっちゅー話も聞いたことがあるしの。そうなると、退治する側もある程度頭数をそろえにゃならん。他にも、やたらと強いゴブリンっつーのもおるらしい。だから、勝てんこともよくあるんじゃ」
今回の場合は、別々の村を襲っていたゴブリンの集団が1つの巣を共有していた例である。これでは、駆け出しの冒険者3人だけでは勝てない。
「あの3人は大丈夫かなぁ」
「気にしてても仕方ない。はよう行け」
しばらく森の方を見ていた孫息子だったが、老村長に促されると父親の元へ向かった。