妻の浮気調査をして欲しい
「妻の浮気調査をして欲しい」
男が疑念を抱いたきっかけは些細な――それこそ「態度が素っ気ない」「誰かとのメールの頻度が増えた」などの、五年における夫婦生活のマンネリ化からくる被害妄想のようなものであった。しかし、そこに使途不明の出費の存在に気づくことでマイナスの思考は加速し、確信に変わってしまっていた。
男は決して安くはない調査費を興信所に払い、妻の行動を一ヶ月間監視した。調査費はいつか外国旅行をプレゼントしようと考えて貯めていたヘソクリの一部を使用した。余りにも気持ちとは裏腹な用途に、男はATMから調査費を振り込むときには目に涙を浮かべたものだった。
大きな覚悟を決めての依頼だったが、結果報告はシロであった。他の男との逢瀬はない。喜ぶべきことではあったが、何かが腑に落ちない男はあと一ヶ月の継続調査を依頼した。そしてその足で他の興信所に訪問をした。そこでの依頼内容は妻を調査している調査員の監視だった。対象が同業であるとの理由で調査費も割高となったが、男は二つ返事で契約した。これでヘソクリは底をついた。
結果はまたもやシロだった。妻の生活は潔白であり、調査員の活動内容も適正、対象者との接触もないとのことだった。男は涙を流して喜んだ。思考のベクトルは大きく変わり、使途不明金ですら「そういえば最近おかずが豪華だったな」「シャツも新調されていたな」などとプラスに考え、一片の疑念すらなく心から払拭されていた。そして、あらぬ疑いを掛けた妻に心から申し訳ないと感じ、足取り軽く帰路についた。
翌日、駅近くの地下にある目立たぬバーで、着飾った女とスーツを着崩した男が席を一つにしていた。女は二ヶ月の身辺調査の間、一度も袖を通したことのない服を身に纏っている。そして、同席している男は女の夫ではない。
女はウイスキーで唇を濡らし、一息ついて、バックから封筒を出した。男は中身を確認し、それを懐へ納めた。男は三ヶ月間、女の旦那を監視していた興信所の調査員であった。
「興味本位の質問なのですが、一体何がしたかったのですか?」
男の質問に女は艶のある笑みを浮かべ、質問を返した。
「あなた、ご結婚は?」
「いえ、まだ」
あらそう、と女はウイスキーを一口喉に流した。
「夫婦生活ってのはね、高価なプレゼントや楽しい旅行なんかより大切なものがあるのよ。それは日々の充足感であったり、互いを思いやる気持ちであったり。これはお金では買えないものなの」
女の紅潮した頬が間接照明に美しく照らされていた。女はそっと手を男の手と重ね、ここのお代よ、と男に一万円札を握らせた。そして「今から会社帰りの旦那とデートなの」と少女のような笑顔でご機嫌な鼻歌交じりに店を出て行った。
昔の作品を読み直すと時代の流れを感じます。今ではメールでなくLineの方が主流だったり、イメージしてる携帯はガラケー(二つ折り)だったり。
でも、周りの小道具は変わっても、男と女に降りかかる問題の本質はいつまで経っても変わりませんよね、と無理やり本編に絡ませて後書きとします。