笑顔の仮面
とある中学校のとあるクラス。少年は戸を開けて、教室へ入る。
今日も、教室の隅にある例の机を目にする。机上には「死ね」や、「消えろ」など、罵倒の言葉が赤い絵の具で書かれていた。イスには雑巾が丁寧に積み上げられている。牛乳による悪臭もしていた。
少年は、机を一瞥しただけで自分の席へ向かった。
でも、僕には何もできないし……
毎朝毎朝、少年は同じ諦念を言い聞かせているのだ。そして、微笑みを顔に浮かべて席に座る。どうしても、微笑むしかないのだ。
その内、少女が教室に入る。いつもの満面の笑みで教室の中へと足を運ぶ。
そして、彼女は汚された机へと向かう。
座ろうと思いきや、イスには雑巾が重ねられていたので、雑巾の塔を割れ物のごとく丁重に床に置くと、自分の席に着いた。イスは湿っていた雑巾のせいで濡れていた。もちろん、牛乳の悪臭を放ちながら。少女もそれがズボンへと浸み込むことを感じていただろう。
しかし、彼女の顔は相変わらずの笑顔である。
少年も、微笑みをたたえて少女を眺めている。
笑顔の仮面の下には、どのような表情が隠れているのだろう……
いつものように、少年は解けぬ疑問を自分に問いかける。そして、わからないことに対して嘲笑うように少女は微笑んでいる。
時間が来て、予鈴が鳴るやいなや教師らしき人物が教室に入ってきた。乏しい髪が歩くたびに大袈裟に揺れ、光を銀色に反射する。彼もまた、無機質ながら上機嫌そうな笑顔を浮かばせている。
――では、出欠を取りたいと思います。
順番に出席番号が呼ばれ、少年も返事をする。――1番。 「ハイ」
笑顔ながら、その声色は暗いものだった。しかし見渡せば、他のみんなも笑顔だ。口の端と端は上に吊り上り、みんな笑顔。他のクラスメイトの返事は、まるで何かの抽選に当たったかのような明朗なものだった。
――2番。 ――ハイ! ――3番。 ――ハイ! ……
そして、最後に、あの少女が呼ばれる。――23番。 「……ハイ」
少女の満面の笑みとは裏腹に、そよ風に運ばれてしまいそうな小さな声で返事をする。
――今日は全員いるみたいですね。よかったです。では、一時限目の準備でもしておいてください。ホームルームは終わりです。
先生は殆どありもしない髪の毛を手で撫でながら教室を出て行った。その途端教室の中は会話と耳打ちと笑いに包まれた。
教室の隅の少女は机上の言葉を眺めながらほくそ笑む。死ね、消えろ、笑うのやめろ、キモい。そんな言葉に喜びを感じるように……
クラスのみんなは蟻が天敵から逃げたかのように、少女の机とは反対の方に集まっていた。
少年はそれに気づくと、孤立した少女を一目見て自分も他の人と集まった。
これが日常。そう諦めてしまった。
少女は机から目を離し、一瞬だけ皆を見た。が、すぐにまた視線を机の上に戻した。
少年は少女と目が合い、苦痛を久遠に感じた。しかし、なぜ感じたかは分からなかった。
ただ、少女の笑顔の仮面の下から、輝く何かが落ちていくのを見ただけだった。
皆さんはこれをお読みになって、「笑顔の仮面」がどのようなものだと思いましたか?
こちらは「本当の仮面」として、描写したつもり、です。