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「二人とも銀の儀式が近いのに緊張もしないんだな」
太陽が紅く、西の空を染め始めたころ。
鍛冶屋の手伝いをするからと言って、フィーザがなごり惜しそうな表情でカリに別れを告げて、明日も会うくせにとチェザには悪態をつかれてから。
うるさいわねっとチェザよりよほど大きな声で怒鳴りながらも、去っていった少女の背中を二人で見送ってから。
そういえば、チェザはほかの仕事をほとんど経験したことがなかったと今更ながらに思い返す。ほかのどんな仕事に興味はなかった。いつもカリに学んでいたと思う。
リアスとはなんたるか、を。
(……リアスとは?)
まだ、よくわからないけれど、その答えはもうすぐそばにある気が、した。
「んー? だってそんな必要ないだろ?」
カリと交えた短剣を左手でもてあそびながら、淡々とチェザは答える。サーラでは両利きが多い。チェザもカリもそうだった。双剣術では両手で短剣を扱う。どちらかの腕の力が劣っていてはバランスが取り難いのだ。
淡白すぎるチェザの返答に、カリは破顔した。この少年はどうしてこう、素直なのだろう。だからこそ、少し困らせてやりたくもなった。
「俺も見に行こうか」
「えー! いいよべつに来なくてっ」
慌てた様子で口を尖らせたチェザは、身長差のかなりあるカリを見上げた。チェザはまだ伸び盛りだ。同い年の少年たちより少し低いが、その分彼は身の小柄さや軽さをカリとの勝負で利用することを知らず知らずのうちに学んでいた。
カリは、チェザにリアスの素質が十分あると思っている。だが、チェザはリアスというものを簡単に考えすぎている気もするのだ。
「……本当によく考えて未来を決めたのか?」
カリの低い声。
短剣をもてあそぶチェザの手が止まった。
(……み、らい?)
しばらく無言だった。
「…………」
改めて考えたこともなかった疑問を、今カリから与えられたような気がした。月よりも遠い場所から。
一度も悩んだことなどなかった。定められたことだと思っていた。そこに挟む疑問などなかった。
カリと同じ未来。
そして、同じ名前の父と。
(父君様……)
一度もその言葉を口に出したことはない。
チェザが生まれた日に、チェザは死んだ。
見たことはないけれど、いろいろな人の口から父を聞いて、父の姿を描いていた。立派だったと口をそろえて語られる、サーラの英雄的存在を。
「決めたよ」
チェザに迷いはなかった。少なくともリアスであるカリの前で迷いを見せてはならないと思った。
「なんで? おれがフィーザみたいに鍛冶屋とかの手伝いしてないから? 狩りのほうがいい? それとも機織り? レンガ作り? いろいろ考えたけど、おれはリアスにしかなりたくないよ」
「……父親であるチェザ・リアス様を追っているのか?」
「…………っ!」
そんなんじゃない、と叫ぶつもりだった。即座に否定できると思っていた。
だのに、言えなかった。
「どんなつもりでリアスになろうとした?」
詰問に近いカリの言葉は、この短剣の刃よりもずっと鋭く痛い。
十五歳とはいえ、まだ幼いチェザにはその質問に答えられるだけの言葉を持っていなかった。
「……じゃあさ。カリは……? カリはなんでリアスになろうとしたの? 父君様のティエ様がリアスの長だったから?」
「違う」
即答だった。
チェザはそれに驚いた。困らせてやるつもりで言った質問だったのに。
ティエ・リアスは、チェザの父親と同じころに負った怪我が原因で、その数日後に亡くなったと聞いたことがある。リアスの長という地位は、リアスの中で年長が務めるものではあるが、ティエは過去になく五年近くも長であり続けたそうだ。
月霊ルーシファーが彼を選んだのだ、と民は口々に言ったという。
その強さが、カリにもある。
カリの茶色の瞳には、迷いなどまったくないように見えた。それが年の功なのか、本当に迷いがないのかチェザにはわからない。
だが、カリには意志があった。
強く、穢れのない意志。
(おれ、は?)
自問しても、そこに生まれるのは空白だけだ。
「俺はな、チェザ。サーラを護りたいんだよ」
「……サーラを?」
この大地を。サーラという国を。
サーラを護るということがどういうことなのか、チェザにはまったく理解できないでいた。この国に争いごとは少ない。あったとしても誰かを傷つけたりする類の事件はまったくないと言っていい。月姫の巫女の名のもとに、秩序を約束された地なのだ。
サーラは永遠だ。
誰もがそれを疑わない。
「平和ってわかるか?」
「へいわ……。みんなが幸せなことかな?」
今はたぶんきっと、みんなが幸せと言える気がするから。
「そうだな。そうなんだろう。おれは父に、つまり当時のリアスの長様に、十五歳になったばかりのちょうど今のチェザと同じ状況で言われたんだ。もうすぐ銀の儀式があるというとき」
「…………」
チェザは口を挟めなかった。耳をかたむけて、カリの言葉のひとかけらだって逃さないようにしようと思った。
「『おまえは本当にリアスになりたいのか? 私のあとをついてくるなよ』」
(……あ)
今のカリと同じ言葉を……。
「おれは答えなかったよ。銀の儀式の日まで、答えは出なかった」
「……銀の儀式の日にわかったの?」
真摯な瞳で尋ねるチェザに、カリは笑ってみせた。優しい笑顔だった。
「儀式の中でわかった。俺が国のためにできることは、金属加工やレンガ精製ではなくてサーラ国を護ることなんだと。そして月姫の巫女様の瞳が教えてくださった。あの方は当時十八歳であられたがやはり人間ではあられないのかもしれないと思えたよ。月より舞い下りたルーシファー様の娘の化身だ、と」
銀の儀式は、未来を定めるための儀式だと言う。精霊の御名のもと、誓いを立てるのだ。そこでまことの自分が見えて、担うべき仕事を与えられる。
「……へぇ」
カリにそこまで言わせてしまう月姫の巫女とはどのような人物なのだろう。チェザは少年らしい感情で好奇心を抱いた。
「おれも早く会ってみてーなー」
「恐れ多くもお前の叔母君様であらせられるしな」
母の妹といえども、月姫の巫女である彼女に会える機会はまったくない。月に一度の聖月の祭典で見ることはできるが、もちろん話しかけることは不可能だ。彼女と普段から接し、直に話ができるのは直系の家族とリアスだけなのだから。
「そんなん言っても実感ないよ? 母君様は今日も月姫の巫女様に会いに行くって言ってたけど」
小さいころは、妹に会いに行くといってはカリに預けて一人出かけてしまう母が悲しかった。何故我が子を置いてまで妹に会いに行くのかーーー。だが、カリがいてフィーザがいて近所の子供たちがいて、だからチェザは寂しくなどなかったのだ。
「月姫の巫女様も金の儀式を控えておいでだからな。我らリアスの前では何もおっしゃらないがお心細いのだろうさ」
「ルーシファー様なのに」
まだリアスではないチェザにとって、月姫の巫女とは月霊ルーシファーそのものである。チェザだけではない。サーラの民にとって、月姫の巫女は月霊ルーシファーの具現化した姿なのだ。
「月姫の巫女様はルーシファー様の化身であるが、けっしてルーシファー様そのものではないさ」
「…………? よく、わからない。じゃあどうして月姫の巫女様がルーシファー様の化身だとわかるの?」
素直にチェザは首をかしげた。この少年は好奇心旺盛で、ときおりカリですら返答に窮するほど困難な疑問を投げかけるときがある。彼のこのこころがいつまでも消えなければいいとカリは思う。
そして、この場合の解答はたった一つだ。
「おまえにリアスの資格があればわかるさ」