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ミュラの案内で、湖を渡った先の森を二日間歩き続けたら、ようやく目的の場所に辿り着いた。
この森には凶暴な獣が多い。
アースの肉体はすでに原型を留めておらず、無残に散らばった骨だけが遺されていた。
なんて酷薄な運命だろう。だが、この森ではそれが掟。別の獣の糧となり、連鎖し、いつか土に回帰する。
「本当にあと少しだったのに……」
フィーザが呟く。
あと二日だけでも歩いていたら、彼はきっとミールとともにあの里に辿り着けていただろうに。
「ごめん、アース。おれたちはミールを救えなかった……」
せめて生きてほしかっただろうに。
父親としての愛が、今のチェザにはわかるから。
「でもおれたちはサーラを忘れない。アースとミールを忘れない……。約束するよ。二人に誓うよ。リアスとして」
今日が月霊ルーシファーのいる金の日でよかった。二人のためには満月こそが相応しい。
「もしかしたら、他の民は……生きて、いるのかな……」
あれからもう十五もの暦が巡ったというのに、こうして出逢えた。だったら他にもいるかもしれない、そう期待してしまう。だが、この広大な南の森を、サファの森を探し回ることなどできない。
「フィーザたちは、信じましょう。月姫の巫女様ですら見えないほどの遠い未来のどこかで、必ず……出逢えるのだと」
彼らを取り巻く世界はあまりにも広かった。
チェザとフィーザは、サーラという楽土を失って初めてそれを知ることができた。こうして二人の民の変わり果てた姿を見せつけられて、失ったものの大きさを悟った。
それはこの世界よりもずっと大きくてーーー。
ミュラは臆することなく、アースの骨を拾い上げた。金の御剣や銀の御剣を掲げるときのような尊厳を持って。
「父君さま、母君さま、アースさまは幸せを感じてるよ。わたしはわかるよ」
普段は使ったこともなく、教えたことすらないサーラの言葉で、ミュラは呟いた。これは月姫の巫女としての言辞だったろう。アースにとってそれは、娘であるエリェルの言葉と等しいかもしれない。
この小さな少女は、たくさんの民の期待を一身に背負っているのだ。それを今、まざまざと知らされた気がした。
だが、彼女がいるからこそ、アースやミールは死してなお救われたのだ。
長い時が経っているのに、サーラは色褪せていない。アースの中でミールの中で生きていた。
そして、歴代の月姫の巫女が持っていた記憶と瞳を受け継いだ少女たちは、いつまでも憶えているだろう。
世界で最後のリアスたちの姿を。
美しき楽土、サーラを。
あの煌めく夢のような日々の欠片、を。
たとえ、サーラ国の大地や聖月の宮や聖月の祠がなくとも、月から舞い降りた精霊の娘は知っている。
月姫の愛した地。
聖なる乙女の中で、それは永遠になった。
歴史に残らないサーラという国は、だがたった一人の記憶の中で生き続ける。
彼女が回帰していく限り……。
時を越えて、いつかいつの日か、生きて別れた民の誰かと出逢えるかもしれない。
そのときは語るだろう。
愛された大地のことを。
リアスという誇りを。
サーラを支えた乙女、月姫の巫女のことを。
* * *
トゥール国は、剣精製技術の急激な向上と、魔法の更なる進化によって巨大化し、大陸で初めて王制を確立、カストゥール王国となった。
同じ頃、少数派であった妖精族は弾圧を受けさらに数が激減、種の生存のために不老長寿に進化したとされる。
そして、平和だった蒼の時代は終結、血の色に染められた紅の時代が幕を開ける。
紅の時代は実に千年以上も続き、魔法という強大すぎる力を生み出したカストゥール王国は権力を誇示し続け、結果、北の聖王国クリスのしかけた魔大戦の中、自らの生み出してきた魔法で自滅することとなる。カストゥール王国の国宝であった『朝陽』、『黄昏』と名づけられた短剣も、その戦火の中、いつのまにか所在がわからなくなったと歴史は伝えている。
そして、次なる時代、空白の白の時代が始まるのだが、このときはこれらの王国の誕生も滅亡も……まだ誰も知らない。
だが、これで一つの時代が終わった。
大陸歴が始まる、およそ三千年前の出来事である。