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【夢幻の大陸詩】 月姫楽土の子供たち  作者: 水城杏楠
十一章  永遠の意味
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 もう何日が過ぎただろう。

 始めのうちは数えていたが、密林の中では月が見えないことも多く、いつしかそれも止めてしまっていた。

 だが、二回は確実に金の日が巡ってきたのではないかと思う。

 月が見えないから毎日が闇の日のようで、それが余計に恐怖心をあおっていた。だが、彼らには歩き続ける以外の道はない。ひたすらに、ひたすらに。

 木々が多すぎるせいか、先に発った民の誰ともまだ会えていなかった。そして後ろを守ってくれているであろうリアスたちとも……。

 ただ、ときおり大昔の人間のものだろう白骨を見つけた。獣たちに食い散らかされた肉片を見つけた。原型を留めていないそれらが、本当にサーラの民のものかはもう確かめる術がなかった。そして、最初のうちは嫌な思いを引きずって歩いていたが、そのうちそれらを見て悲しむ余裕すら、どこかに消えてしまった。

 孤独だった。

 たった七人だけでもう何十日も過ごした。大勢の民たちと暮らしたあの日々を思い出しながら。

 いつまでこの森は続いて行くのだろう。

 もう何日も前からそんな不安が彼らを苦しめている。答えの出ないそれは、だが気力や体力を奪っていく。

 唯一の救いは、この南の森では東の森と同様に食料が豊富であることだ。

「……チェザ」

 最後尾を歩くチェザに、ファーリーが振り返って声をかける。誰もが精神的に限界に達していて、それはリアスであるチェザやフィーザも同じだった。ほとんど言葉を交わすこともなくなってきた中で、唯一ファーリーだけはよく口を開く。

「そんな顔をしてはだめだと言ってるでしょう? 貴方はリアスよ」

 何度も聞いた、母の言葉。

 そのたびに、チェザは生き返らされる。

「……はい、母君様」

「休憩しよう」

 先頭のアースが立ち止まり、腰を降ろした。彼は歩幅の合わない幼い身体の月姫の巫女を抱いて、ウリンは産まれて三ヶ月にしかならない月姫の巫女の弟ミールを抱いて歩いているのだ。

「今日はここで休みましょう。ビアの樹があるわ」

 ビアの樹は水分豊富な実を秋につける。サーラを出て行ったときは夏だったが、ビアの実が赤々としていることから彼らはいつのまにか秋が訪れていたことを知ったのだ。

 今はもう、果実の月なのだろうか。みな一つ、年を重ねていたのだろうか。

「……もう完全に迷っちゃったわね」

 ウリンが座りこみ、腕の中で眠っているミールを見つめて、産まれて数ヶ月の運命をおそらく悲観したのだろう、深く息を吐いた。

 もともと南の森の道などまったく知らない彼らだ。迷う、という表現は正しくないのかもしれない。ただ、太陽も月も見えないのだから、方角もわからないため、自分たちが本当に南の方角に向かっているのかすら定かでないのだ。

 各々腰を降ろして、近くのビアの実を取って食べた。

「ーーーフィーザ」

 アースの腕に抱かれていた月姫の巫女がふと立ち上がり、フィーザのそばに歩み寄った。幹にもたれかかるようにして座っていた彼女はとっさに姿勢を正す。隣のチェザもリアスとしてそうした。

「はい、月姫の巫女様」

 サーラ国がなくとも彼女の尊さは変わらない。

「これ、を」

「ーーーえ……?」

 月姫の巫女が取り出したのは、美しい銀光を閃かせる刃。この森でも月姫の巫女が肌身放さず持っていた銀の御剣ーーー。

「これは貴女が持っていて。わからないけれど、いつかきっと役に立つ日が来ます」

 だが、月姫の巫女なしで聖月の御剣が役立つことなどないのは、彼女自身が一番知っているはずだった。リアスが手にしても過去や未来は見えない。金色の瞳を持つ月姫の巫女だけが唯一、この剣の存在する意味を知っている。

 だが、差し出されたそれを、フィーザは拒否できなかった。月姫の巫女の瞳がそうさせなかった。

 チェザはじっと銀の御剣を見た。

 父が守ったというその剣を。

「……わかりました」

 フィーザが一つ頷いて両手でそっと銀の御剣を受け取った。

 その……ときーーー。

 カーーーっと視界のすべてが強烈な光に晒されたのだ。

 天の、光。

 続いて大地が少し揺れた。どこかに落ちたのだろう。

 それを放つことができるのはサーラの民ではない証。

(……音が、近いっ!)

 チェザは即座に悟った。

「月姫の巫女様、逃げてください!」

「風霊シルフェ、フィーザたちの足音を消して。地霊ノーム、フィーザたちの足跡を消して……っ!」

 チェザとフィーザがそれぞれ叫ぶ。アースが月姫の巫女を抱えて走り出し、それにウリンが続いた。

「チェザ……っ」

「母君様も早く……」

「何をしているんです、姉君様! お早く!」

 振り返っている時間はなかった。アースの緊迫した声を聞いたファーリーは、チェザの背中を見送らずにアースたちを追った。チェザとフィーザは彼らと反対の方角に向かって走り出していた。

「トゥールの民はあっちにいるわ」

 風の声を慎重に聞きながらフィーザが指差した方角は、チェザたちが歩いてきた道の先だ。

「つけられてたの?」

「……わからないけど」

 フィーザが言葉を言い終わる前に、再び天が輝いた。

「きゃあ」

「フィーザ!」

 剥き出しになった太い根に、フィーザが足を取られてバランスを崩した。チェザは思わず手を離しかけたが、きつく握り直す。もう走れないーーーそう思ってしまえば負ける。

(まだ動ける……っ!)

「早く立って」

 チェザは無理矢理立ち上がらせて再び走り出そうとした。まだやれる、生きられる……。

 彼らの背後で、風が動く音がした。

 森中の葉がざわめいたようにすら感じた。次の瞬間、不規則に風が舞い上がり、大気が鋭く切り裂かれた。

「フィーザっ!」

 想像を越えた風圧を受けて飛ばされそうだった。とっさにフィーザの肩を抱いて大木に身を寄せる。

(森霊スプライト……おれたちを守ってっ!)

 きつく目を閉じた。フィーザはチェザの腕に抱かれて身を小さく震わせていた。

 嫌な音が、した。

 不自然にたくさんの何かが、切り飛ばされた。

「うわっ……! ---フィーザ?」

 チェザは思わず耳をふさいだが、急に身体の震えが止まったフィーザに気づいて目を開く。

「…………っ」

 声も、出なかった。

 だが、瞳をそむけることもできなかった。

 眼前に広がる光景のすべてが、一瞬のうちに変貌していたのだ。

 聖月の宮の前にあったものより少し狭いくらいの広場ができていた。あるはずの樹木は広場の外側に向かって無残になぎ倒され、幹は裂かれて、葉は無造作に散らばっていた。

 切り株だけが、そこにはあった。少し目をそらせば、そこには先ほどとなんら変わりない森が存在しているというのにーーー。

 どこからともなく、悲鳴が沸きあがる。

 誰かの声ではない。

 だが、悲痛に泣き喚く哀しみは、呼応するかのようにチェザの周囲を瞬時に覆い尽くした。

(森の、声、だ……)

 森が泣いているのだ。

「……いやあぁぁぁーーーっ!」

 チェザがそう認識するかしないかのうちに、フィーザが甲高い声を上げてその場に崩れ落ちた。

 膝を突いて、顔を大地にうずめるように……。

 チェザも膝を突いてフィーザの肩に手を乗せた。だが、どんな言葉も無意味に思えて、何も言えなかった。

「いやぁ! やめてやめてやめてやめてっっ!」

 フィーザにはチェザよりももっと多くの声が、その悲鳴が聞こえているのだろう。すべての精霊たちが泣いているのだ。チェザにすら聞こえる、耳をふさいでしまいたくなるほどの悲鳴。

 苦痛。

 絶望感。

 イタイ、イタイ……。

 彼らはそう言って、泣いているのだ。

 ふと、草を踏みしめる複数の足音を聞いて、チェザは顔を上げた。

 はっと息を呑む。

 五人の男たちだった。

 知らない顔ばかり、そして色の濃さは違えど誰もが金色もしくはごく薄い茶色の髪を持っている。サーラの民ではないことだけを、呆然とする頭で理解できていた。

<なんだ、ただの子供ではないか>

<しかしご覧下さい。額には同じ模様があります>

<……そうだな。殺しておくか>

 何か言葉を発していたが、チェザに理解できるたぐいのものではなかった。

 ただ、中央にいる男がこの一行の中心らしいということを表情や仕草で読み取っていた。

<確実にしとめろ!>

 中央の男が何かを叫び、残りの四人がチェザたちに向かって走り出した。友好的な表情にはとても見えない。チェザは本能的に殺気を感じた。

「フィーザっ! 立つんだ!」

 チェザはフィーザの両肩を掴んで無理矢理に立たせた。

 その手を取って走り出す。真っ赤に腫れた双眸や、転んで出来た擦り傷や、それ以上に傷ついているだろう心を、今は癒している時間がなかった。

<待って。待ってくださいっ!>

 聞き覚えのある声を聞いた気がした。それと同時に、追いかけていた四人の足音が消えて、チェザとフィーザも立ち止まり振り返った。

 豊かな波打つ金色の髪と、それに隠れる背中しか見えなかったけれど、二人はこの声を知っていた。

<リュシルエールっ!>

 中央の男の怒声が森に響いた。

 かろうじて、誰の名前を叫んでいるのかは聞き取ることができた。

「……リ、シー?」

 不信感を捨てきれない口調だったせいもあっただろうか、彼は肩越しに振り返ると瞳だけで哀しく微笑み返した。

「私たちが風や雷を動かせるのは、言葉が強制力を持っていることを知っているからなんです。けれど、貴方たちのようには森の声を聞いて助け合うことはできない……」

 サーラの言葉で、リュシルエールは呟いた。それは本当にチェザたちに向けられたものだっただろうか、それとも森そのものへ向けられたものだっただろうか。

 私たち、という表現を使った。だがそれは、リュシルエールも彼らの仲間であるからだろうかーーー?

「助けて、くれたの?」

 裏切り者と思ってしまったのに。

 彼を知るリアスたちは、そしてサーラの民たちは、彼をそうやって罵っていたというのに。

「チェザは食べ物をくれて助けてくれた。だから私も助けます」

 これを、とリュシルエールは背中を向けたままでチェザに手を差し出した。そこに握られているものを見た二人は、だが信じられない思いで立ち尽くした。

「何をしているのですか、これは貴方たちのもの」

 それは、チェザやフィーザが一度も見たことのない本物。

 本物の……金の御剣。

 未来の証、だった。

 リュシルエールの手中で輝くそれは、まさに月光と同じく淡い。

「尊きお方に返してあげてください」

 チェザは手を伸ばしかけ、だがそれに触れることには躊躇した。リュシルエールはチェザの胸に押し付けるようにしてそれを渡した。

「早く行ってください。奥へ逃げて」

「……だ、だけどっ!」

 躊躇っているだけの時間の余裕などないことはわかっていたのだけれど……。

 フィーザが震える手でチェザの腕を強く握った。不安や恐怖に押しつぶされそうな思いを味わっているのはチェザだけではない。

<何故邪魔をするか、リュシルエール!>

<この国が彼らのためにしか存在できないからです>

<……何を意味のわからんことを。お前は我らの国が豊かになる邪魔をしているにすぎん!>

 リュシルエールの国の人々がサーラ国を狙う理由は、一国を担う立場であれば当然のことかもしれない。国の利益を優先するのは当たり前だ。あのトリアから出来た金糸は本当に見事だし、剣も精巧だ。

 けれど、そのためにサーラが泣くのを彼は見ていられなかった。

 サーラの一部を知ってしまったリュシルエールだからこそ、そう思ってしまった。

(私は外交官には向いていなかった……)

 こんな陳腐な感情に踊らされて、祖国に弓引くのだから。

「早く逃げてください!」

 リュシルエールはすべての葛藤を振り払って叫んだ。チェザはフィーザの肩を抱いて促した。

「走れる?」

「……ええ」

 二人は頷きあう。まだ生きていることを確かめるために。お互いの十字の紋章を見つめて、リアスとしての自尊心を再認識してーーー。

「行こう!」

 チェザの力強い言葉に、フィーザが頷く。

 そして、彼はリュシルエールの腕をも取ったのだ。

「……え?」

 驚いてリュシルエールは振り返る。チェザの漆黒の瞳はまっすぐで純粋な光を放ち、彼を見上げていた。

「リシーは裏切りものなんかじゃないよ! いっしょに逃げよう!」

 あぁ、この小さな少年はどうしてこれほど大きな心をもっていられるのだろう。初めて会ったときから、見た目の違うリュシルエールをそれほど恐れてはいなかった。柔軟な適応力や既成概念に囚われない意思。

 それだけで救われた気分になる。

「ーーーありがとう」

 その手を振り切ってチェザたちだけを逃がすつもりであったのに、ぐいっと強引に引かれて、思わずリュシルエールも走り出していた。

 なぜか抗えない力が、そこに働いたのだ。

 二振りの御剣を腰にはさみ、右手でフィーザの、左手でリュシルエールの手を握る小柄なチェザの背中は、だが今誰よりも信頼できる。

「……チェザっ」

 悲痛な声を上げ、赤く腫れた瞳でフィーザが後ろを振り返った。チェザも振り向き、リュシルエールが咄嗟に二人を突き飛ばした。

 彼を掴んでいた手が、離れた。

 再び上がる、甲高い悲鳴。

 風が、張り詰めた。

 それを感じた一瞬のちーーー。

 キーンという耳障りな音が、森のすべてを支配した。



 痛い、と思った。

 何が……?



 ゴロン……と足元に転がったものがある。

 丸く、重いものが下に落ちて……。

 チェザは左を向いた。息をすることすら忘れて、見つめた。

 リュシルエールが微動だにせず立っていた。

 そして足元を見遣る。

 大地が受け止めたのは、おびただしい血の紅い色と……。

 ---頭部。

 チェザたちを優しく見つめた瞳と、ありがとうと呟いた唇と、月光と同じ色をした髪の毛。

 それらで構成されているものが今、チェザの足元にただ、転がっていたのだ。

「あ……あ、あぁ……」

 声が出なかった。

 痛いと感じたのは肌ではなかった。

 この心が、痛かったのだ。

 チェザの手をきつく握っていたフィーザの力が、ふと、抜けた。

 ぐらりと傾いだ身体を、なんとか保った理性で受け止めたが、それが精一杯だった。

 血だまりで思い出すのは、ただ一つ。

 銀の儀式で見た父の光景だ。

 チェザと反対の方向に、硬直したリュシルエールの身体がゆっくりと倒れた。だが、それを直視できない。

 ひとの末路とはなんて哀しいものであるのか……。

 涙を流すこともできなかった。

<裏切り者などいらぬ>

 中心にいた男が何かを言っていた。

 四人の男たちを下がらせた彼は、静かな動作でチェザたちに近づいてくる。

<額のその紋章はなんだ? ん? 答えれば助けてやれなくもないぞ?>

 だが、チェザには言葉がわからない。挑発しているような口調に聞こえた。フィーザを抱きかかえたまま、一歩あとずさった。

 男は左手首から下がなかった。先天性のものではないようだ。丸い手首には古傷が残っている。鋭利な何かで切断されたような痕、だろうか。

<……お前、どこかで見たことあるな?>

 男がまた一歩近づく。いぶかしむ表情になった。

 チェザが下がる。

<だが、あれは昔の話だ。お前ではない……>

 また何かを言いながら一歩近づいてきて、チェザが下がった。

(……どうすれば)

 ここで呆然としているわけにはいかない。チェザにはやらなければならないことがあるのだ。

(……父君様は命をかけて守った。でも……おれはーーー)

 このときチェザが考えたのは、もしチェザが殺されてしまったとき、この場所にはフィーザだけが残されるということだけだった。あの未来が現実になってしまうだろうということだ。

 きつく瞼を閉じたままのフィーザの顔は真っ青だ。いつも気が強い彼女だが、こんなにもチェザに縋っているのは初めてかもしれない。

 フィーザは森で一人残されたらどうするだろうか。

 生きて、いけるだろうか。

 ここまで生きられたのはフィーザがいたからだ。一人ではなかったからだ。もしフィーザがいなかったらチェザももう生きていけないだろう。逆の立場をそう考えて、チェザはフィーザを抱く腕に力を込めた。

「……一人だけ残しはしないからーーー」

<何?>

 父のように命をかけるのは、ここではない。

「……生きなくちゃ」

 生きなくちゃ。

 チェザは自らに言い聞かせるように呟く。

「金属が珍しいんだろ? だったらやる。御剣じゃないけど、すごくきれいな双剣」

<何を言っている?>

 チェザは自分の腕から双剣を鞘ごと抜き取り、男の足元に投げた。用心しながらも男が拾い上げるのを確認しながら、チェザが大きく一歩下がった。

「……う、わっ!」

 足元が不安定に揺れた。はっとして背後を見ると、そこに大地はなかった。

 崖だったのだ。

 足元の脆い岩がチェザの体重で崩れた。

 チェザにはその深さを知る余裕も、どこかに手を伸ばす余裕もなかった。

「フィーザっ!」

 浮遊感を覚えたけれど、チェザはけっしてフィーザを離さないと決めた。二人で死ぬためではなく、二人で生きるためにーーー。

 そのまま二人の身体は宙を舞った。


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