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 チェザが聖月の宮の広場に戻ってきたとき、騒然としていた広場の大気が一瞬して冷えたかのように静まり返った。

「……月と同じ色の髪」

「我らがサーラ国を壊すために来たんだろ」

「騙されたんだ……」

 そんな声があちこちで囁かれた。

 だが、チェザはむしろ堂々と広場の中央を歩き、自然と民は道を開けた。

 チェザの後ろには金色の長い髪を靡かせるリュシルエールがいる。民のすべての瞳が彼に向かっているといっても過言ではない。

 不信の眼差し。侮蔑。

 チェザはそれらを感じながら、中央の高台の前に立った。リュシルエールの後ろにいるであろうアースの視線をも感じて。

「ネオンさま。月姫の巫女様にリシーを会わせてあげてほしいです」

「……チェザ」

 今この状況にあって、リュシルエールを民に見せることは得策でない。その黄金の髪は、さらに月姫の巫女に対する疑いを強めるだけにしかならないのだから。

「わたしはここにいます」

 清い声が大気を一変させた。

 どす黒い感情で渦巻いていたものを、月明かりのような清浄さに戻した。

 それが月姫の巫女の力。

 彼女の美しさだ。

 リュシルエールに注目していた民が一斉に、高台に登る幼い肉体の月姫の巫女を見つめた。

「わたしはここにいるよ。言いたいことがあるのでしょう?」

「ーーーはい」

 高台に完全に登った月姫の巫女を見届けた民たちは、弾かれたように次々と膝を折った。どんなに疑いが強くなろうとも彼女はサーラ国の象徴であり、美しきシスティザーナの末裔なのだ。尊敬心が薄れてはいない。

 その姿を見れば、聖性がわかるのだ。

 リュシルエールも自然と跪いていた。リアスと月姫の巫女の家族だけが立っていた。

「西へは逃げられません。トゥールの民が計画を立てている。南へ逃げてください。きっと無事にいられます」

「……南、へ?」

 月姫の巫女が一瞬眉をひそめて躊躇を表わした。

「南の森だって……!」

「禁断の地じゃないか」

「……獣に食べられてしまう」

「危険すぎるよ」

 民が口々に不満を囁きあう。

 凶悪な獣が多く住んでいるという南の森。リアスですら足を踏み入れたことのない未知の……。

「西の森の奥には高い壁があって通ることができない。こちらでは貴女たちをそこにおびき寄せて殺してしまう計画があります。西は危険です」

「……信じられるか! 南の森はもっと危険だ。そのような場所に民を連れてなどいけるものか……っ」

 ネオンとともに壇上に立っていた三十歳前後のリアスが声を荒げた。

「北と東はすでに手遅れ。だから南の森しかないのです……」

 民たちもリアスも森の奥深くを知らないから、本当に西の森に壁があるのかはわからない。リュシルエールを信じるならば、危険な南の森にしか逃げ場はなく、虚偽であるなら南の森にこそトゥール国の民が待ち構えていることになる。

「外交なんて……嘘だったんです。我が国の人たちは本当はこのサーラを自分のものにしたいだけだった。でもそんなこと許せない。だからできるだけ速く逃げてください。トゥール国は御剣と金糸を狙っている。金糸はこの国よりもさらに貴重なんです。トゥールにはほとんどない。そしてはじめて見る高度な剣精製の技術、ここは素晴らしい。彼らはそれがほしい。剣がほしいのです。こんな装飾はトゥールではできないから」

 二振りの御剣だけでなく、リアスの扱う双剣や民の使う剣まで、サーラでは美しい装飾を好むのだ。服の装飾技術はまったく知らないこの国は、金属加工においてはトゥール国が足元にも及ばない高い技術を持っている。

 だが、他国を知らないサーラの民はそれに気づけなかった。

 チェザは銀の儀式で見た金色の男が持っていた武器を思い出していた。彼の武器は大きくて飾りはなく、鋭利な刃を持ってはいたが、御剣のような繊細さはない。

「早く南の森に逃げてください。言いたいことはそれだけです。お願いします」

「……そんなことすぐには信じられない。チェザには悪いけれど」

 ネオンが苦い表情で呟いた。

「だけど!」

 金の御剣を、未来を奪った国の民だ。その言葉を信じるといっても、ネオンは十五年前の惨劇を見てしまっている。にわかに信じることなどできはしない。

 だが、月姫の巫女が一歩前に出て、民たちをゆっくりと見回した。

 その聖性たる双眸にさらされて、民の激怒の表情までも静かに消え、やがて困惑だけがわずかに残された。

「わたしはリシーをここに連れてきたチェザの判断を信じたい。ここまできたリシーの勇気と善意を信じたい」

 月姫の巫女の高らかな宣言に、民たちの間で動揺の色が走る。

「わたしたちは南の森を行きます」

「……あ、りがとうございます」

 張り詰めていたリュシルの表情にやっと安堵が見えた。ほっと息をつく。それを見たチェザもようやく笑いを取り戻した。ネオンは少し瞠目したが、口は挟まなかった。

 月姫の巫女がリュシルエールを信じてくれたことが嬉しかったのだ。

 彼はいつまでもここにいられないとわかっているのかすぐに踵を返し、月姫の巫女も高台から降りかけたとき。

「こいつのせいで……っ。俺たちはサーラを出て行かなくちゃなんないんだ!」

「そうだ! なんでこんなことに……」

「私たちの大地なのに、逃げろなんてひどいっ!」

 月姫の巫女の決定に不満を感じている多くの民が、だが、怒りの矛先を彼女には向けられずに爆発した。

 そしてそのとき罵倒を浴びせるべき相手は、今の状況ではリュシルエールしかいなかったのだ。

 元来た道を戻る彼の背中に、容赦なく石を投げつける民。

 泣きながら罵詈雑言を叫ぶ民。

 言葉にならない絶叫を上げる民。

 壮絶で哀しい光景だった。

 これがサーラの現状。

 これが……。

「……止めて! みんな、どうしてそんなことをっ!」

 チェザが叫んでも民の耳には聞こえていない。

「ネオンさま、お願いします、止めさせて……っ!」

「…………」

 ネオンはチェザから瞳を逸らした。

 何も言えない。

 リアスとしての立場上、民のように狂人になるわけにもいかない。だが、月姫の巫女とサーラ国を守ってきたリアスだからこそ、民以上にリュシルエールとその国の民に対する憎悪や憤りの念は強いかもしれなかった。

「月姫の巫女様!」

「……チェザ、ここでわたしが止めてしまったら、リシーは救われない。自分を責めて、他人に責められることで救われようとしてるから。チェザの善意はリシーの心を蝕むの。誰よりも深く鋭く、リシーの心を抉っているの……」

「わからない……っ! わからないよ!」

 頭から血を流してもなお、毅然として歩きつづけるリュシルエール。一言も悲鳴を上げずに、俯かずに。

「リシーーーーーーっ!」

 チェザの声が彼まで届いたかはわからなかった。


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