2
「アンディア」
千人前後の民を従えるこのサーラ国において、彼女の名をそのように呼ぶことができるのはおそらくただ一人であろう。
「姉君様?」
私室で一人、座って空を眺めていた月姫の巫女アンディアは振り返り、戸口に立つ女性をそう呼んだ。
部屋といっても、彼らサーラ国の民が使う住まいは、土レンガを使用して作られた空間を、厚めの麻でいくつかに仕切っただけの住居である。仕切られた部屋の中央には少し太めの土レンガの柱を置き、屋根を支えている。屋根も麻で作られているが、防水のために樹脂を定期的に塗っていた。
民たちの家は、月姫の巫女の住まうこの宮のように、たくさんの部屋に分けられてはいない。だが、貧富の差がないサーラ国だから、月姫の巫女のために建てられた聖月の宮を除けば、どれも同じような大きさであるといえる。
「今日はもう準備は何もないと聞いて、会いにきてしまったわ」
「ありがとうございます。姉君様。あまりに盛大な儀式になりそうで、少し心配していましたから」
「月姫の巫女様が行なう金の儀式ですもの。当然でしょう」
風の音のような清らかな声でそう言い、彼女は微笑んだ。
暦のはじめに訪れる金の日に開かれる金の儀式。それは十日後に迫っていた。
「姉君様はどうでした? 二年前……。不安ではございませんでしたか?」
心細い声ですがる妹をいとおしく思い、彼女は首を振ってみせた。
「私の場合は貴女ほど大きな儀式ではございませんもの。訪れた民も貴女に比べればわずかでしょう」
「不安だわ……」
きっとこんなことは肉親である実姉以外には言えなかったのだろう。一つため息をもらすそのときのアンディアは聖性をもって語られる月姫の巫女ではなく、民と同じ、三十歳になったときに行われる金の儀式を不安の中で待っている民の一人に見えた。
「でも、チェザも今年で十五歳では? 銀の儀式が行なわれるのももうすぐでしょう」
「……ええそうね」
平静を装った声だということが、彼女とうりふたつの美貌を持つアンディアにはわかってしまう。
「どうなさったのですか? おめでたいことですのに」
「時々思うのよ。あの子にはチェザの心が宿っているのかしら……」
「……っ!」
おもわず叫びそうになった。
ため息とともにもらした姉ファーリーの言っていることに、アンディアはもちろん心当たりがあった。
「……まさか、リアスに?」
「今日もカリのところへ行ったわ。ほかの仕事はなにも学ぼうとしないのよ」
サーラ国でもっとも名誉ある称号。それがリアスだ。月の紋章を宿す者とも呼ばれるそれは、サーラ国のために存在し、月姫の巫女を守護し、月姫の巫女を助け、月姫の巫女に絶対の信頼を誓う。
十五歳で仕事を一つに絞り、その自らが選んだ仕事に終身従事するサーラ国には、現在十三名のリアスがいる。
「まさかチェザがリアスになるなんて……」
「チェザは父親の死の理由を少しは知っているわ。それでもなお……いいえ、だからこそリアスへの道を進もうとしているの」
「同じ名前だからかしら? 二人は別の肉体を持っていても同じ心を共有しているのかしら?」
ふと、思い付いたように呟いたアンディアの言葉。
二人ともそれに対する答えは持っていなかった。未来を読み、過去を知る月姫の巫女も、ひとのこころは知らないーーー。
「……でも……まだ、会えない、わ」
小さな声で、アンディアは呟いた。姉ファーリーは何も言わなかった。




