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【夢幻の大陸詩】 月姫楽土の子供たち  作者: 水城杏楠
九章  世界の広さと狭さ
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 それからまもなくのある日。

「国を出たい?」

 聖月の宮の広場に数人の青年たちが訪れた。宮の内部まで民が入れることはないが、リアスへ告げたい事柄があるとき、彼らはここで話し合うことができる。いずれも二十代前半の若者で、妻子を連れていた。

「リアス様。おれらも出してください。あの金色の瞳。間違いねぇです。あのひとはシスティザーナ様の父君様のようなひとだ。きっと月の世界にいけます」

「サーラの外の国があるならおれら見てみたいです。リアス様!」

 彼らは総勢十七人にもなっていた。そのとき聖月の宮に滞在していたのはチェザのほかには月姫の巫女アンディアの従姉妹シア・リアスだけだった。民の応対などは普通、年下であるチェザの仕事だったが、この問題に関してはチェザの手に負えなくなって彼女を呼び、今にいたる。

「月の国へ行けるんですよね。あの金色の髪を持つお方はそのご使者様なんですよね」

 いつしかサーラの国では、この話で持ちきりになっていたのだ。

 リュシルエールはルーシファー様のおわす月の国の使者であり、またシスティザーナの息子の末裔とも噂されている。サーラの外にあるのは月の国、すなわち精霊の住まう世界だと民は一様に信じていた。そう信じられるだけの容貌を、リュシルエールは持っていたのだ。

 金色の髪、そして金色の瞳。彼らが敬うルーシファーやシスティザーナにしか持ち得ることがないと思われていた神聖なる金の色を、リュシルエールは簡単に備えていたのだから。

「リュシルは異国の民です。我らが月の国の使者ではありえません」

 毅然とシアが否定すると、やはりリアスの言葉だからだろうか、少し迷いの表情を見せた。

「……じゃあどうして、月姫の巫女様のような瞳を持っていらっしゃるんですか」

 呟くように問い掛けられた言葉に、リアスといえども答えられなかった。シアは無言だった。

 リアスとて、それを知らない。彼らの国トゥールとはどのような国であるのか、本当に月の国かもしれないと思う気持ちがチェザにも少しはある。でも月の国であってもなくても、とにかく見てみたかった。単純すぎる好奇心で、チェザは遠い国を夢見ていたのだ。たぶんここに進言にきた彼らとて同じ気持ちであろう。

(おれみたいに思うひともいたんだ……)

 チェザは安心する。そしてそれと同時に少し怖くなった。この先が見えない……。月姫の巫女の力を持ってしても見えない未来に、チェザは不安に思った。サーラでは未来は予測できるものであるのだから、先の見えないものほど恐ろしいものはないかもしれない。だからといって戦々恐々としているのはチェザの性に合わないとも思うのだ。

「彼はわたしたちとはまったく違う国から来たのです。でも精霊のおわす国ではないのですよ」

 シアが苦し紛れに言葉を紡いだ。

「貴方たちも、月姫の巫女様のご采配に従えぬわけではないでしょう?」

「……それは」

 リアスの言葉ということもあり、さすがの若者たちも月姫の巫女の采配とまで言われてしまえば反論できなかった。それが彼らを支えているすべて。月姫の巫女という聖性たる乙女によって、サーラは成り立っている。

 シアのその言葉は少し卑怯かもしれない。でもチェザにはそれが言えない。リアスとしての立場上、彼らを留まらせるように説得しなくてはならない。リアスは月姫の巫女の代弁者でなくてはならない。常に民と会うことができない月姫の巫女の代わりでなくてはならない。

 チェザが口を開きかけた。

(……ん)

 後ろからチェザの手首を誰かが掴んだ。振り返る。その瞬間、彼は口を開けたまま絶句した。

 ここにいるはずのない人物の顔が、チェザの目線のかなり下のほうにあった。

「……月姫の巫女、さま」

 まだ慣れない。この五歳の少女をそう呼ぶことに……。チェザの友達であったのだから。今はもう月姫の巫女であるのだから、友人などと呼んでは恐れ多く思ってしまう。ましてや彼女から手を握られるとは……。

「どうしてここに……」

 チェザの声を聞きとめたシアが振り返り、若者たちも顔を上げてチェザのほうを見た。

「……月姫の、巫女……さま」

 若者たちはもちろん、こんな間近で彼女を見たことはないだろう。だが彼女の瞳は紛れもなく聖性の金色。そして身に纏う生気は、幼い少女とは思えないほど気高くあった。

 シアが頭を軽く下げ、若者たちは誰に強制されるでもなく膝をついていた。彼女の前では頭を高くしてはいられない。そう思える威厳があるのだ。

「……いずれ、遠くない未来にもしかしたらリシーの国にリアス以外の誰かが出向くことがあるかもしれません。でも今はまだ早すぎます。時を待ってください……」

「……時、を?」

 顔すら上げずにいる若者たちに代わるかのように、シアが呟いた。静かに月姫の巫女は頷く。

 エリェルはこんな大人びた、整然たる声で話していただろうか、チェザはそう思った。だが、いくら考えてももうわからなくなっていた。月姫の巫女とはそういうものなのだろう。性格までも変えてしまえるのだろう。

 けれどそれは、相手の記憶まで曖昧にしてしまうのだろうか。それともどこかで月姫の巫女に対してこうあるべきだと期待しているからだろうか。

 月姫の巫女と一介の民人との、歴然たる差を見たような気がした。リアスとてただの民にすぎない。この国で、月霊ルーシファーに聖別されているのはただひとり、この乙女だけなのだから。

「リシーは異国の民。わたくしたちとは違います。もちろんサーラ国の外にあるのは月の国ではないのです。月の国はいつも貴方たちが見ているあの月でしょう?」

 おっとりと話す月姫の巫女の言葉はどんな言葉よりも信憑性があり、また雅びでもあった。若者たちは顔を上げることもできずにただ頷くだけだった。


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