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突然の出来事に、リアスたちは誰もが一様に驚きを隠せないようだったが、それでも月姫の巫女の冷静な言葉によって、特に混乱を生じさせることはなかった。ただ、やはり前回の事件を知らない民にいたずらに話して怯えさせることはないというイーザの判断により、リアスと月姫の巫女の血縁のみの情報に留めることとなった。
この厳しい冬の中、更なる混乱をサーラ国にももたらすわけにはいかないのだ。
早急に月姫の巫女の姉にしてチェザの母親でもあるファーリーも聖月の宮に呼ばれ、事情が説明された。
傷の手当てはすべてイーザが行ない、アースが自ら進んで見張りを申し出て、ほかのリアスが彼に近づくのは禁じられた。
そして、月の半分が巡り、金の日が訪れた。雪が深いときに、彼らは聖月祭を行なわないが、仕事をしなくてよい完全なる休息であることには変わりなかった。
この日はチェザとカリが聖月の宮へ出向くことになっていた。
決められた時間ちょうどにチェザが聖月の宮に現われると、すでにカリはそこにいて、自分が持つ双剣を麻の布で磨いているところだった。リアスは二本の短剣をそれぞれ腕に鞘ごと巻きつけている。普段はラカーユで見えないが、寝るとき以外はそうして肌身離さず持ち歩いているのだ。
「ねぇ、ちょっといい? カリ」
今日の好機を逃がすわけにはいかない。チェザがおもむろに口を開くと、カリが顔をあげて少し笑った。
「お前がそんな殊勝な態度を取るとは珍しいな」
完全なる休息のこの日、聖月の宮にいるリアスは、イーザを除けばチェザとカリだけだった。チェザはこうなるときをずっと待っていたのだ。
「あ、あのさ」
「どうした? お前らしくもない」
いつものチェザだったら思ったことをすぐ口にする。悪いことでもいいことでも、カリだったら口に出す前に悩むであろう事柄でも、チェザは躊躇せずに口にする。それは長所であり、短所でもあることをカリはもちろん知悉しているが、それがチェザなのだ。いい意味でも悪い意味でも。
「……うん」
「悩み事か……」
リアスになって早三ヶ月。大人への道をようやく踏み出したと実感し始めるときだ。誰もがこの暦では悩む。カリもそうしてきたし、きっと他のリアスもそうだし、もちろんリアスだけがサーラ国での道ではないから、ほかの仕事についた若き民も悩みを抱えてきただろう。サーラにはさまざまな仕事がある。リアスという仕事が華やいで見えるのは確かだが、他の仕事がリアスに劣るものだとは決して思われない。どれもがサーラで生きていくためには必要なことだ。
すべての仕事があるからこそリアスはリアスでいられるのであって、その頂点に月姫の巫女は立つことができる。
「イーザ……、さまに言ったほうがいいと思うんだけど、おれ……言いにくくて」
まだ敬語に慣れないチェザはぎこちなく長の名に敬称をつけた。
「イーザ様に諫言したいことでもあるのか」
カリの瞳は正面からゆるぎない意志でチェザを見つめる。サーラ国の年齢による上下関係は厳しいが、もちろん年下が年上に物申すことを禁ずることはない。積極的な意見はむしろ好ましいと映るだろう。とくにあの無口だが責任感の強いイーザならば。
「えっと、ただの報告なんだけど……でもホントはもっと早くするべきだったのかもしれないけどさ……。おれ」
いつになく歯切れ悪く、遠まわしな言い方をする。カリは無理に聞き出すようなことはせず、辛抱強く待つことにした。
「……報告すべきことがある、ということか」
「うん。でも……この暦になってすぐのことで、おれまだリアスじゃなかったときのことなんだけど」
「そんなに話しにくいことなのか」
「……黙ってたこと、カリは怒らない?」
少し上目遣いに心配そうな瞳でそう見つめられれば、カリとて苦笑するしかない。カリには子供や妻はいないが、大きな息子を持った気持ちになっていた。いや、昔からもしかしたらそういった瞳でチェザを見守っていたのかもしれない。
生まれながらにして父親のいないチェザ。
少しでもその寂しさが癒せるのならば、とカリはチェザの近くにいつもいたのではなかったか。
「内容によるさ」
カリは苦笑したままでそう答えた。チェザの眉が不安げにひそめられる。
「……え」
それを見たカリはついに声を出して笑った。やはり素直なままのチェザだった。カリの言葉をそのとおりに受け止める。素直で純粋で、あまりにも邪気がなさすぎる性格。だからこそ誰もチェザを咎めない。叱らない。それなのにわがままな性格に育たなかった。それこそがチェザの気性なのだろう。
「ふっ。冗談だ。俺はお前の判断を信じているさ。そのときお前は誰にも話さぬほうがよいと判断したのだろう?」
「……それは」
確かにそのとおりだった。だがそれはけっしてほかの民のことを第一に考えたからではない。純粋にチェザの、チェザだけの事情でそう思ったのだ。今はそれを少し後悔している。自分の利益を最優先に考える民が本当にリアスにふさわしいのだろうか、と。
あの東の森で出会った金色の男。月姫の巫女の瞳と同じ色だという金色を纏う男が、最初はただ恐ろしく、また畏怖する気持ちもあった。月からの使者かもしれないと思ったからだ。そのうちになぜか急に思った。民に知られて騒ぎ立てられてはならない、と。銀の儀式のあと、それは確信に変わった。父を殺したというあの男と同じ髪を持つ男。昔のことだ。あの男と同一人物であるはずがない、のに……。
だが、チェザは憎しみを抑えきれなくなるのが怖かった。
そんな自分が怖かった。
そして、それを他の民に知られるのが怖かった。
なにより、同じ感情を誰かが持ってしまうことが怖かった。
こんなこと、誰にも相談できなかった。アストやラフィにも。銀の儀式の内容について語ることを禁じてはいないものの、誰も語らないことから、チェザも自然と口をつぐんでいたのだ。彼らには話せない。
同じくしてリアスになったフィーザに話そうかとも思っていた。だが、喧嘩しながらともに育ったフィーザに、そんな悩みを相談できるはずはなかった。チェザにも意地やプライドがある。小さなことで悩んでいると馬鹿にされたくはなかった。フィーザとはいい喧嘩友達でライバルだったから。
そうしているうちに三ヶ月が過ぎ、あの男が見つかってしまったのだ。
「カリ。果実の月の最初のころのことなんだけど……」
目の前の双眸をしっかりと見据えて、チェザは語り始めた。チェザたちが見たすべて、を。
カリはただ黙って、それを聞いていた。