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久しぶりに雪も止み、澄んだ広い空が頭上にあった。
外にはチェザの身長ほども雪が積もっている。サーラではそれゆえ、土で高く盛り上げた上に住居を構える。その土の中央に焔霊サラマンダーを置いて床から住居全体を暖めているのだ。もちろん、月姫の巫女の住まう聖月の宮も同じ造りだ。雪に閉ざされるサーラ国は、そうやって暖房の取り方を様々に工夫している。
この寒冷の月は、十二の月の中で一番冷え込む時期であった。
「集まったか」
聖月の宮の中央には、四角形の小さな広間がある。床には石が整列に敷き詰められており、冬以外は屋根がなく開放的な造りであるのだが、今は厚い麻で天井を覆っている。リアスが集まって話し合いを行なうのはたいていこの広間であった。
上座の石の上に座る月姫の巫女の左前にイーザが立ち、リアス十四名を見渡した。
現在のリアスは、総勢十五名である。いつの暦にも新しいリアスが輩出されるわけではないし、リアスは一生リアスであり続けるため、突然の減少はあるものの、たいていの人数は決まっているようだ。十五というのは月が半分めぐる日数と同じである。サーラでは重要な意味を持つ数字であるがゆえに、リアスの選出もルーシファーや月姫の巫女の采配であると神聖視されている。
「何が……あったのですか」
月姫の巫女とイーザを中心にして半円を描くようにして端座しているリアスの中で、イーザとネオンの次に年長であるシア・リアスが端的に尋ねた。現在三十三歳。システィザーナ・アンディア・ルーシファーの従姉妹にあたる、かなり月姫の巫女と血が近いリアスである。
経験ある彼女の、緊張を含んだ声を聞いて、チェザも無意識に居住まいを正した。
「突然、召集をかけてすまない。休日を楽しんでいた者もいただろう」
イーザが威厳ある口調で労った。
今日は快晴とはいえ、雪が深く容易に外出できる季節ではなかった。食料不足や、凍死者が続出したのならともかく、基本的にリアスといえども不要な外出を控えるのが常だった。
「……言葉を濁しても事実は変わらぬ。単刀直入に言う」
そこでイーザは月姫の巫女を振り返った。上座の彼女は、感情を殺した瞳を浮かべておもむろに頷いてみせた。
大気が痺れるように揺れていた。
チェザの隣に座るフィーザにもそれがわかるのだろう、膝の上で握り締めた小さなこぶしを震わせて、イーザの次の言葉を待った。
「ーーーおとといのことだ。リィウが……金色の男を、見つけた」
その口調はあまりにも淡々としすぎていたから、言葉の意味の重要性に気づくのにきっと時間がかかっただろう。
しばらく沈黙していた。
発する言葉など、そこにはないかのように。
「金色の、男ーーーですか」
どのくらいか時が過ぎて、誰かが確認した。
「……金色、の?」
言葉に出してそれを脳裏まで届かせる。
それでもまだ現実味に欠けるものだったのだ、リアスにとっては……いや、サーラの民にとっては。
彼らは一様に言葉を失った。
(……う、そ)
チェザは全身が身震いするのを感じていた。顔を上げようとして、だが何かが重くのしかかっているようにできなかった。
金色の、男。
戸惑いの色が、リアスたちの顔に表われてきた。
たぶんきっと、十五の暦をさかのぼるあの時にリアスでなかった若いリアスには、さらにひどく現実味に欠けるものであっただろう。チェザが金色の髪を持った男に殺されたという事実を話には聞いていようが、それは空々しく聞こえたであろうから。
まるで夢かなにかのように。
「おととい……というと、闇の日ですか」
冷静な声で尋ねたのはカリだろうか。チェザには遠いもののように聞こえる。
「そうだ。闇の日で、大雪が降っていた。誰も外に出ていなかった。東の方角からゆっくりとした足取りで歩いてくる人影を、聖月の宮にいたリィウが見つけた。吹雪の中を金色の髪をした男が歩いていたのだ」
「私はその男を聖月の宮の奥へいざないました。男は奇妙な声を発していましたが、私に抗うことはありませんでした。怪我を負っているようで、片足を引きずっていました。誰かに見つかってはならぬ、と直感でそう思いました。そして、そのままイーザ様へご相談して、このような緊急の話し合いとなったのです」
もしかしたらこの事態に直面したリィウこそが、もっとも彼の存在を否定したいのかもしれない。それほどまでに淡々と、感情なく言葉を紡いでいた。リィウはチェザやフィーザより二つ年上なだけのまだ若い少年である。一つ前の暦でリアスに選ばれた民はいないから、リアスの中でチェザ、フィーザに次いで三番目に若いことになる。
「……チェザ、大丈夫?」
フィーザに腕をつかまれた。周りに聞こえないほどの小声に、チェザはようやくはっと我に返った。青ざめた表情のチェザを見て、彼女は父親の事件のおぞましさを思い出しているのではないかと考えたが、実際にはそんなことはそのときチェザの脳裏のどこにもなかった。
(……あのひとだ)
数ヶ月前に会った、あの綺麗な顔立ちをした男。東の森で倒れていた。あまりに寒くなったから森を抜けてきたのか。あの場所はかなりわかりにくいところだったし、すぐ雪の季節になってしまって、東の森の奥深くに入る民がいなくなったから、今まで民には見つからなかったかもしれない。チェザたちの歩いた方向さえ知っていれば、もしかしたらここにたどり着けるかもしれない。
(あのひと……闇の日でも平気なんだ)
金色の男がリアスであるリィウにしか発見されなかったのは、その日が闇の日であったからにほかならない。誰も外には出ていない上に、冬の厳しい寒さと雪のせいで窓は完全に閉めてあるのだから。そうでなければ、サーラ国の中央にある聖月の宮に来るまでに民に見つかり、大騒ぎになっていただろう。
そんな闇の日に出歩いていた金色の男。
「今、どちらに?」
「聖月の宮の奥におります。アース様が見ていてくださっています」
ケアラの問いに、穏やかな声でリィウが答えた。リィウはまだ若いが、大人びて落ち着いた性格だった。
「……また、御剣を奪いにきたのでしょうか」
彼を含め、リアスたちが最も懸念していること、それが月姫の巫女への危害である。怪我をしていることや闇の日にひとが外にいたこと、さらにその日は荒れた天候であったこともあり、独断で聖月の宮に招き入れてしまったことを咎められはしなかっただろうが、やはり注意すべきであることはリィウもわかっているのだろう。
リアスたちは月姫の巫女を見た。
美しい彼女は、それらの視線のすべて受け止めてゆっくりと口を開く。
「十五の暦をさかのぼったあの日のように、武器を持って忍んできたわけではありません。わたくしたちはただ、怪我をしているから助けたにすぎないのです。それは当然のことではありませんか」
彼女の言葉はどうしようもなく真実で、だからこそチェザは数ヶ月前の体験を言いそびれてしまった。