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陽光が真南で輝き、まるでこのサーラ国すべてに広がったように感じられた瞬間。
聖月の宮から、白と緑の衣服に包まれた精霊のような女性が、ゆっくりと歩いてきた。
月姫の巫女である。
広場の中央には、三段になった円形の高台があり、その二段目に十五名のリアスが立っていた。彼女はその段を流れるような動作で登る。それにあわせて、リアスたちは円の中央を向いた。
上段に使われている石は、艶のある光を反射する黒曜石だ。その上に、柔らかい布を何枚も重ねてあり、月姫の巫女はその上に両膝をついた。彼女を囲むように整列するリアスもまた、それに習う。
尊い瞬間だった。
しばらくの間をおいたあと、彼女は静かに口を開いた。
「母なるルーシファー様に御召され、我、アンディアの名を持つ者。今ここにサーラの魂を呼び給う」
月姫の巫女の声は、透明な風に抱かれて遠くまで響き渡る。彼女の長い髪の毛が、ふわりと宙に舞った。
その場にいたすべての民が、息をするのも忘れてその声に聞き入った。ある者は瞳をきつく閉じ、またある者は恍惚の面持ちで月姫の巫女を凝視して。
思考が一瞬だけ止まり。
静謐の中に、ただ玲瓏な声が通り過ぎたとき。
『システィザーナ』
(!)
細く、だが美しすぎる声がチェザには聞こえた。
はっと我に返るが、あたりに変化はないように思えた。多くの民たちを見渡してみるも、先ほどと変わらず一心に月姫の巫女へ祈りを捧げていた。
月姫の巫女も右手に銀の御剣、左手に金の御剣を持ち、その刃を胸の前で交差した姿のまま動かない。
ただ、リアスだけが違っていた。誰もが顔を上げ、月姫の巫女を見つめている。
その感じはいつもとどこか異なっていて、チェザは思わず右側のフィーザを横目で見ると、彼女もチェザを見つめ返して首をかしげた。
そして二人は同時にチェザの左側のカリに目を向ける。
彼は落ち着いているように見えたが、やはりほかのリアスと同様、普段よりそわそわした雰囲気の中にいた。冷静ではあったが、驚愕を隠せないといった感じを抱かせる。
(驚き……? 違う。そんなんじゃない)
これは畏怖だ。
チェザは直感でそう思った。
彼らリアスが一様に感じている思い、それは畏怖。わずかに見開いた瞳だとか、震える手だとかがそれを物語っている。
月姫の巫女がゆっくりと金色の瞳を開くのが、チェザからはよく見えた。
幻想的なその色が露わになり。
「…………ルーシファー様」
月姫の巫女は消え入りそうな声でそうつぶやいた。たぶんその声は民までは届いていない。
(ルーシファーさま? さっきの声が?)
まるで空から聞こえてきた声だった。姿はどこにもない。耳が聴いたようには思えない声。こころに直接届いた印象を抱かせる。月姫の巫女をいとおしそうにシスティザーナと、古い名前で呼んだ。
システィザーナ。
月より舞い降りた、ルーシファーの娘の名。
聖月の乙女の名を持つ彼女は、地上に降り立ち、そして人間と恋に落ちた。それゆえ月に戻ることができず、今もこうしてこのサーラに留まっている。それの末裔が彼女、月姫の巫女と呼ばれるシスティザーナ・アンディア・ルーシファーだ。
『辛いことになっているでしょう?』
響く声に、あいかわらず民はまるで気づいていないように見えた。なぜだろう。チェザにはこんなにもはっきりと聞こえ、それらはフィーザやカリにも聞こえてるように思えるのに。
(リアス……だからだ)
はっとチェザは気づく。
段の下にいる民と今の自分。違う点といえばそれしかない。唯一にして絶対の相違点。
リアスとしてきっと、チェザには声を聴かねばならないのだろう。サーラを創造した、母なるルーシファーの声、を。
「月姫の愛した地サーラにようこそおこしくださいました」
月姫の巫女は高らかにそう宣言し、その金色の瞳を空に向けた。つられるようにして、すべてのリアスがーーーチェザやフィーザまでも示し合わせているわけでもないのに、同時に天を仰いだ。
そして、その場にいたすべての民の視線も。
誰もが無言だった。
言葉を発することも忘れ、その金色の輝きを見つめていた。
それはなんて、神聖な時だっただろう。動いているのか、止まっているのか、それすらもわからない。そんな時間。こんな感情ははじめてだった。こんな思いははじめてだった。リアスはこの儀式の最中、何もすることがないといったネオンの言葉は嘘だ。チェザにはこの場に立って、月姫の巫女と同じように月姫の巫女の言葉を受け止めるだけでも十分すぎる意味があると思った。
『システィザーナ。我が愛しい娘。私がこうして参りましたのはほかでもない。金の御剣に代わり、未来をその手にーーー』
「未来を、その手に」
その言葉に、月姫の巫女はゆっくりとうなずいてまるで予測していたかのように月聖ルーシファーの言葉を反芻した。
もうすべてを受け入れる準備ができているというように。
『ーーーすべては汝の思うがままに。歩みを止めてはなりません。サーラは留まることなく未来へ歩んで行くでしょう』
それは重く、だのに静謐の中にあり。
月聖ルーシファーの言辞はひどく厳然たるもので、だからこそチェザは思わず身震いしてしまうほどの恐れを抱いた。