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【夢幻の大陸詩】 月姫楽土の子供たち  作者: 水城杏楠
四章  覚醒のあと
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「カリ?」

 太陽はもう頭上高くに上りつめ、下りの時を迎えていた。

 果物をもらいに行くからと言い残し、カリが出かけてまもなくのことだった。

 チェザが寝かされていた部屋でフィーザと話をしていると、戸口の布がぱさりと音を立てた。チェザやフィーザの聞いたことのない、女性の声だった。

 振り返って戸口を見上げると、薄茶色の髪を持つ小柄な女性が立っていた。

「あ、ごめんなさいね。勝手に入ってしまって。カリはいない?」

 ゆったりと暖かい口調で話す女性だった。月姫の巫女と同じくらいの年齢だろうか。真っ白なラカーユと額の紋章が、リアスであることを告げていた。二人はまだラカーユを纏ってはいない。だが、十字の紋章を相手も認識し、暖かい笑みを浮かべた。

「あなたたちはこの前リアスになったのね」

 二人は慌てて立ち上がり、フィーザが先に答えた。

「はい。フィーザ・リアスですわ」

「よろしくね」

 どこかで聞いた声だ。チェザは即座に思った。だが、いつどこで? チェザは彼女と会った記憶はない。

(……でもどっかで見たことあんだよなー)

 じっと見つめていると、その女性がフィーザからチェザに視線を移した。目があってしまい、おもわずあたふたと下を向いて目を逸らして閉まった。

「貴方がチェザね、チェザ・リアス」

「あー……はい。えっとー」

 彼女はチェザを見知っているような態度を取った。やはり知っているのだと確信した。

「懐かしいわ。私の記憶の中にいる彼とまったく同じね、当たり前なのだけれど」

 意味がわからないというように唖然としているチェザに、彼女は柔らかい微笑を返す。

「ケアラ・リアスです」

「ーーーあ」

 名前を聞いて、チェザははっと瞠目した。

 ケアラ。

 聖月の宮の前で会った、チェザと同い年くらいに見えたリアスの少女の名だ。だが、眼前の彼女は成熟した女性であり、幼さなどどこにもない。

「あれは本当だったのね。私だけにできることがあるとおっしゃった月姫の巫女様のお言葉に従ってここに来たのだけれど……あの闇の日は本当だったのね」

 ケアラにとっては遠い昔のことなのだろう。懐かしむような瞳で、チェザの顔を見る。そして、そこにはきっと、亡きチェザ・リアスの面影を見出していたのだ。

「じゃあ……ホントにあのとき会ったケアラなの?」

「えぇ、私はまだ十六歳だったわ。恐ろしい夜だった……貴方はいつのまにかいなくなっていたわね」

 たぶんあのあと起こった騒動のせいで、聖月の宮に滞在させていた小さな少年のことなどすっかり忘れてしまったのだろう。無理もないことだ。

「……だって、見ちゃったんだおれ。ち……ち、父君、様が……その」

「言わなくていいのよ」

 彼女の笑みは暖かい。表情そのものに体温がある感じがした。

 口に出して言うのはまだ、躊躇う。

 まだ心のどこかで認めたくないと思ってしまっているから。

 あれは過去の事実であり、チェザには干渉できるたぐいのものではなかった。そんなチェザに、ケアラは優しい。チェザにとって、ケアラという存在が、それだけが永い夢の中で唯一つの現実であったのだ。

 二人だけがわかりあえる世界だった。そばで聞いていたフィーザには何のことかまるで理解できない。だが、チェザと秘密を共有できているケアラがどこか羨ましくもあり、少しだけ苦い敗北感を味わっていたのだが、そんな感情にフィーザ自身気づいていなかった。

「ケアラ様……」

「あら、カリ。勝手にお邪魔してしまったわ」

 戸口で呼びかける声に三人が振り向くと、いくつかの果物を持ったカリが立っていた。

「お待たせしてしまいましたか」

「いいえ。可愛らしいリアスたちがお相手してくれたわ」

 ケアラはチェザとフィーザに座るように指示し、カリにもそうした。今は彼女がもっとも年上であり、同じリアスとはいえ権限があるのだ。

「貴方は月姫の巫女様から伺っていたと思うけれど」

「はい。夢で会われた、と」

 フィーザだけが話をつかめない。もどかしく思ったが、リアスであるという自尊心が、好奇心だけで尋ねようとした彼女の行動を押しとどめた。二人の年上のリアスを前にして、だが対等でありたかったから。

 ケアラはチェザのほうに向き直る。

 まるで神聖なものたちを見つめるような、慈愛を持って。

 カリがフィーザの肩にそっと手を置く。見上げると、カリの深い双眸がやさしく語っていた。大丈夫だから。もう心配しなくていい。それだけで救われたような気分になった。ずっと緊張していた思いがゆっくりと溶け出していくのをフィーザは感じていた。こんなに張り詰めていただなんて、自分ではずっと気づいていなかったけれど。

「よかったわ。貴方にまた会えて」

 ケアラのその声はどこまでもやさしくて、チェザの耳朶を緩やかに打ち続ける。

「……ケアラ」

「だってまだはっきり覚えているわ。今思えば、私がチェザ様から預かった少年は、チェザ様にとてもよく似ていた……」

 ケアラが風のような声音で語り出すのを、じっと見つめながら聞いている。

「もう大丈夫なのか?」

「カリ」

 いつも見守ってくれたカリ。猛々しくて羨ましかった。どこか父親の面影を感じながら、たぶん誰よりも慕っていたのかもしれない。

「そうよっ。チェザ、このフィーザに心配させるなんて上等じゃないの」

「フィーザ」

 口喧嘩ばかりの幼なじみ。思えばいっしょにここまで成長してきた。気が強くてチェザ相手に平気で手をあげる少女ではあるけれど、それが不快に思ったことは今までなかった。

(ああそうか……)

 まだ覚えている。

 こんなにも自分を見てくれるひとがいる。長い間、そんなことを忘れていたような気がした。

 ずっとゆらゆらと揺れる夢の中で、父の背中を追っていた。カリが言ったことは正しかったのだ。

「……なんでおれ、忘れてたんだろ」

 憧憬や友情や慈愛や未来を。

「私があの闇の日に会った少年は、とても幼くてどこか強がっているように見えたわ。可愛らしい少年。ずっと疑問に思っていたわ。あの日なぜ少年は外出し、そして祠にいたのか。月姫の巫女様はなにもおっしゃらなかった。ただ静やかに微笑まれたの。でもその意味が今、ようやくわかったのね。過去は未来へ、未来は過去へ。ちゃんとつながっているのだわ」

 ケアラの一言一言そのすべてに、チェザの思いは癒されていく。

 あの日にチェザが出会い会話を交わせた人物の中で、もっとも現実感の強いものがケアラただひとりだったのだ。父親チェザは非現実の象徴のようであったし、金色の男はまるで月霊ルーシファーへの冒涜を具現した姿をしていて、月姫の巫女にいたってはもはや月霊ルーシファーそのもののようにチェザには見えたから。

「……あれは全部、現実?」

(真実を知らなきゃだめだ)

 チェザは無意識にこぶしを握り締めていた。

「…………現実よ。私はその場にいなかったけれど、チェザ様は殺され、未来である金の御剣は盗まれたの。それも金色の髪を持つ者によって」

 それを聞いてもチェザの表情は穏やかだった。どこか覚悟を決めた顔つきだった。

 現実に引き戻され、そして真実を知ったのだ。もうどこにも逃げ道はないことをチェザ自身がいちばんよく知っていた。

「おれが取り戻すよ」

「え?」

「おれ、誓ったよ。月姫の巫女様に。おれが金の御剣を取り戻すんだって、誓ったんだよ」

 なぜあのときそんな言葉が出てきたのか、チェザにもわからない。誰かがそう教えてくれたように思えたけれど、でもそれは紛れもなくチェザ自身の言葉だった。



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