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【夢幻の大陸詩】 月姫楽土の子供たち  作者: 水城杏楠
三章  揺るぎなき決意
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「うわっ」

 驚きの声とともにチェザは立ち止まる。

 道が少し曲がっていて、前がよく見えなかったのだ。何かにぶつかってしまった。

「まさか誰かいるなんて思わなかったしさ」

 言い訳のように、チェザは眼前の影にそう言った。

 このあたりの天井は低くない。凹凸はあるものの、チェザが手を伸ばしても天井に届かないほどになっていた。

 眼前の影は中肉中背。ごく平均的な男性の体型に見えた。焔が灯された木杖に照らされた身体を包むのは、まぎれもなく白いラカーユという衣装。

 これを纏うことができるのは……。

(リアス?)

 チェザは木杖を高く掲げてその影の顔をよく見ようとした。

「……あれ?」

 自分の声が洞窟に奇妙な音で響いた。

 見えないのだ。なぜか。

 その顔は炎に照らされているというのに、どうしてもチェザに見ることはできなかった。目を細めてみるが、それは変わらない。

 突然、その影に腕を引かれた。

「早く逃げるんだ! なぜこんなところに子供がいる?」

「え? え?」

 若い青年の声と手だった。彼はチェザのまだ細い腕を無理矢理につかみ、チェザが来た道を早歩きで進み出した。

「え? ちょ、ちょっとっ!」

 立派に青年である彼とまだ少年のチェザでは歩幅がまったく違う。当然ながら、青年が早歩きということは、チェザでは少し本気で走らなければならなかった。

「ここは遊び場ではない。おまえがここにいる理由は聞かぬから、この中のことは忘れなさい」

 青年の命令口調に、勝ち気なチェザが黙っていることなどできなかった。

 まるでこちらが悪者だと断言する言葉。チェザは正当な理由があってこの聖月の祠にいるのだ。それを頭ごなしに否定されてはたまらない。

「なんで! あんた誰だよっ。おれは銀の儀式でここにいるんだ! 戻るわけにはいかないんだよっ」

 チェザの名誉をかけて、精一杯の声で怒鳴った。

(わけわかんねーやつに引きずられて戻るなんてなさけねーしっ)

 すると、振りほどこうともがいていた手がふいにするりと抜けた。青年が力を緩めて足を止めたのだ。

「……なんだって?」

 ゆっくりと振り返りながら、彼はひどく驚いた語調で問い掛けた。顔はわからないが、たぶん目を瞠っていたのだとチェザはなんとなく想像した。

「だから! おれは儀式でここにいるんだよっ」

 なんだよこいつは、とチェザはきつく捕まれた右手を押さえながら見えないその顔をにらみつけた。今日が銀の日であり、何人もの少年少女たちの銀の儀式が行なわれていることを知らない民は、このサーラにはいないだろうに。

「銀の儀式を闇の日に行なっているのかおまえは。嘘をつくならば、まことに近い嘘をいてみたらどうだ?」

「闇の日?」

 何を言っているのだろう。

 今日は、暦が改まってから二度目に訪れた銀の日。誰もがそれを知っているし、闇の日は七日前に終わっている。それに、闇の日ならば誰ひとり民は家から出ないしきたりではないか。

(サーラの民がしきたりを知らないなんてことあるのか……?)

 サーラの民たちはサーラの民でないひとたちをまだ知らない。この国は山々に囲まれていて外との交流がまったくないのだ。そんな民がいることすら、誰も考えたこともないだろう。

(じゃあなんで銀の儀式は知っているんだ?)

 自分の疑問の穴を自分で見つけてしまい、チェザはまた悩んだ。だが、それ以上思考は進んでくれない。

 そうしているうちに、生暖かい風が足元をすり抜け、緑の香りがしはじめた。

(外だ)

 だのに、明るく照らすはずの陽光がなかった。

 あたりは暗い。

「……もう、夜?」

 たしかに聖月の祠は森の中央にあり、陽光は届きにくい。それでもチェザは祠に入る直前まで視界が明るかったのを覚えている。

 銀の儀式は朝早く、太陽が昇ると同時に開始される。夜になるほど時間が経ったとはチェザには思えなかった。

 空は晴れているが、たしかに月はどこにも見当たらなかった。見える風景はそれ以外に、変わっていないように見えた。

 木々のすきまから遠くに見えるひときわ大きな天蓋は、聖月の宮。緑色の屋根だからすぐにわかる。

 チェザが祠に入る前に振り返ったときも同じような光景が見えたから、それに少しだけ安堵した。

「もう? いつからいたのだ、この聖月の祠に」

 青年はようやくチェザの腕を放して、呆れたような口調でそう言った。

「だって銀の儀式は朝からだろ。おれ一番だったから、一番に月姫の巫女様に会えると思ったのにさ」

「月姫の巫女様はリアス以外と謁見することはほとんどない。知らないのか」

「知ってるよ! だからおれはリアスになるんだ!」

「……月姫の巫女様はおまえと同じくらいの御歳でいらっしゃるが、もっと分別がおありになるぞ」

「同じ歳? 月姫の巫女様は、もうすぐ金の儀式を行なうって……」

「なにを言っているんだ。今の暦の果実の月で銀の儀式を行なったばかりだろう」

 青年は、子供の遊びには付き合っていられないとでも言いたげにため息をついた。ばかにされたようでチェザにはおもしろくなかったが、それよりもなにか違和感を覚えてどことなく振り返った。

(風があったかい……?)

 果実の月を迎えたサーラ国はまもなく極寒の冬に入る。初雪の月と寒冷の月、氷結の月、そして深雪の月だ。雪解の月を迎えるまでの四ヶ月、サーラ国は深い白銀に覆われるはずだった。

 だのになぜ、こんなにも暖かい風が流れているのだろう。

 ふと、足元に瞳を向けた。

 そこにはーーー色鮮やかな真紅の華。果実の月に咲くはずのない色。

「……なんで、アスラの華が咲いてんの今」

「そりゃ、蒼穹の月だからな」

 ぼやいたチェザの言葉に、当然とばかりに青年が答えた。

「蒼穹の月!」

 それはアスラの華が満開になる真夏の月。

(…………)

 チェザは言葉を失って、呆然とアスラの真紅を見つめた。

 今日は闇の日で、蒼穹の月で、月姫の巫女は十五歳だという。

 チェザの認識によると、今日は銀の日で、果実の月で、月姫の巫女は三十歳だった。

「そんなことはいいから早く帰ったほうがいい。闇の日にうろついているなんて、よっぽど重要なことがあったか、それとも無知なだけか」

「……だからおれは違うっつってるだろー」

 なんでわかってくれないんだ……とチェザは胸中で呟く。

「おれは聖月の宮に参らなければならないが、おまえの家はどこにある? 先に送っていくから。闇の日に子供一人をうろつかせるなんて心配だからな」

「子供扱いすんなよ。おれの家は西の屋根油を売ってる家だよ」

 しばらく、青年は無言だった。

 じっとチェザを見詰めていた、ただ。チェザにはその表情はまだ見えなかったが。困惑しているように感じた。二人の間を流れる大気がそうだったから。

「……おまえ、私を知っているのか?」

「は?」

 なぜ家を教えてその質問が来るのか、チェザにはまるでわからない。まったく的外れなことをこの青年が言っているのだと思った。無知なのはどっちだよ、と言いかけてやめた。

「知らないよ」

「嘘をつくな。すぐにわかる」

「はぁー?」

 そうはき捨てると、くるりと踵を返して大股に歩き出す青年の背中に、チェザは最大級の怒声を投げかける。

「なんだよそれーーーっ!」

 だが、青年は気にした様子もなく、足も止めなかった。

 ……意味が分からない。

 急にチェザは恐怖を覚えた。

 闇の日。それはなぜか、ここでは正しいようだ。たしかに月が見当たらない。

 星だけが満天に煌く、真の闇だ。

 こんな日に外を歩いたことはもちろんなかったから、未知なるものへの恐怖が急に襲ってきたのだ。闇の日の畏怖とともに。

「置いていくぞ。来ないのか」

 青年が振り向かずに、だが遠くからそんな意地の悪い声をかける。チェザはプライドが少し邪魔をしたが、それでもおとなしく彼の背中を追うことにした。

 異常な世界でひとり、取り残されて気丈でいられるほど少年はまだ、世の中を知らない。


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