無表情なお前
学校の中庭にあるこじんまりとした噴水。そこで僕は三人の女の子に囲まれてだべっていた。放課後の俺の楽しみだ。
「でさ~、今度の休みに皆で水族館いこうよ~。バイト代はいったから飯ぐらいは奢るからさ~」
仲の良い三人の反応はなかなか好感触だ。もう一押し、大学にいる先輩が車をだすとでも言えば、デートの約束は確実だろう。
「あ。高科くんだ」
一人の女の子が校舎の方にいる人影に気づいて言う。俺はその名前を聞いた途端にイヤな顔をした。
きちっと整えられた黒髪に、キツイほど真面目そうな目つき。この暑い中、第一ボタンまできっちり留め、夏服では使用しなくていいはずのネクタイまでわざわざ締めている。アイロンでピチッと真っ直ぐに延ばされたシャツとスラックス。
それに合わせたかのように、高科の歩き方も機械のように真っ直ぐで、ズンズンとこちらに向かってくる。
「…部活がない者は、放課後、速やかに帰宅するように言われているだろ」
その超真面目発言に、女の子たちも僕も苦い顔をする。そう、見た目通りの人間なんだ。俺とはまったくの対照的だ。
「うん。すぐ帰るよ。あ、あのね。でも、いま今西くんが休みに水族館いこうって…。よかったら高科くんも」
そうだ。高科に惚れている子がいたんだ。ちょっと潤んだ瞳で、高科に向かって一人の女の子がそう言う。俺は額を抑えた。よりによって、こいつに話すなよ。
「水族館? 水族館もいいが、君たちは…古文の課題がまだ未提出だろう。僕が回収する話になっている。次の連休明けには必ず提出してもらう」
無表情で高科が淡々と言うのに、女の子達はサーッと青くなった。水族館を誘った女の子は残念そうな顔をでうつむいた。
「わかった! 帰ってやるから! じゃねー」
水族館を誘った女の子の手をとり、女の子達はその場から逃げていった。ああ、まだ口説き途中だったのに…。
高科はまだ何か言おうとして口を開きかけたが、俺の方をチラリと見て目を細める。
「…あんなー。空気読めよ。お前」
俺がガリガリと頭を掻いていう。高科とは別な意味でセットした茶髪がグシャグシャになった。
「空気が読めていないのは君だ。何のために学校にきていると思っているんだ」
相変わらず真面目な無表情男。俺はこいつがとても苦手だった。
いや、嫌いだといっても言い過ぎじゃないと思う。不真面目な俺を敵視しているんで、やたらと説教じみているからだ。
「はいはい。お勉強のためでしょー」
話を早く終わらせたい俺は、ヒラヒラと手を振る。こいつと話していたって、なんのメリットもない。さっさと終わらせるに限る。
「そうだな。勉強も大事だ…」
高科が小さくそう言う。俺はちょっと意外な顔をした。いつもだったら『真面目に話を聞いているのか?』とか『馬鹿にしているのか?』なんて返答が返ってくるもんだけど…。
「どうしたの、お前?」
高科は相変わらずの能面で、フイッと横を向いた。
「…その、交友も大事だとは思う。水族館の件だが、僕も行こう」
一瞬、時が止まった。俺は目を瞬く。
「は、はあ!?」
「日時と集合場所を教えてくれ。あ、僕の携帯電話の番号も必要だな」
高科は一人で納得して、俺の携帯を奪い、赤外線を使い電話帳登録をサッとすませる。俺は驚きのあまり、何もできずにその光景を見ているしかできなかった。
「お、おい…」
「じゃあ、連絡まっているぞ」
パチンと携帯をたたみ、俺に携帯を返してそう言った。俺はそのときに気づいた高科の耳の先が真っ赤になっていることに……。
某休日。俺は都市部のちょっと有名な水族館に来ていた。でも、高科と二人っきりでだ。
「……女の子たちは?」
俺が問うと、制服とあんま変わらないような私服を来た高科が鬱陶しいと言わんばかりに目を細めた。
いや、休みの日ぐらい襟付きのシャツじゃなくてもいいんじゃないか。それに黒ズボンはないだろ。それこそ制服を思い出すし。まるで学校にいるみたいだ。もちろん、きっちりアイロンがかかっている。ハンケチとティッシュもきっちり持っていそうだしな。
「…古文の課題がまだ残っているって言っただろう。だから、今回は遠慮してもらった」
こ、こいつ…。勝手に断りの連絡しやがったのか。ちくしょう!
「で、でも、俺だって…古文の課題やってないし」
こいつと二人で水族館? 勘弁だ。今回は中止にさせるために、俺がそう言う。
高科はクルッと俺に向き直った。凛とした眉と目の位置が近い。いかにも真面目そうな黒い瞳が俺を捉える。
「…今西。君の課題は、僕が代わりにやって提出しておいた。問題ない」
「は、はあ? でも、それって…ずるじゃねぇ!?」
こういった卑怯なことは、高科は大嫌いのはずだ。なんで、そんなことをするんだろう?
「問題ない。どうせ、大人になってからじゃ使わないものだ。それに、何を言ったって君は課題を提出したことがないだろう。ここで水族館に行こうが、行くまいが、結論は変わらない」
そんな風に馬鹿にされたせいで、俺はますます不機嫌になる。
高科はそんなことお構いなしに、俺の手をパッと握った。いきなりのことだ。それは、暑いのにさらりとした冷たい手だった。正直、男に手を握られるのはあんまり良い感じはしない。
「お、おい! 男同士でなんで手を繋ぐんだよ?」
俺は恥ずかしくなって、手をふりほどこうとする。でも、華奢な見た目とは違って意外に力が強い。握りしめられて、外せそうにない。こんな細い手のどこにこんな馬鹿力があるんだよ。
「ん? 迷子にならないためだ。これだけの人だ。君は迷子になりそうだからな」
高科は人差し指を俺に向けて言う。ガキじゃあるまいし!
わけわかんねー。こんな高科のペースに巻き込まれ、俺は頭を抱えてしゃがみたくなってきた。
「高科。お前、何かんがてんだよ。まったくわかんねーよ。無表情だしよ」
ちょっと泣き出しそうになって、俺はそう言った。高科はちょっと意外だと言わんばかりに目を瞬く。
「…しか考えてないさ」
高科が小さく言ったのは、俺にはよく聞き取れなかった。なんことしか考えてないって?
俺は顔をあげて、高科の顔を見やる。高科は笑っていた。ニヤリと口元だけ。
「まあ、いいじゃないか。…そのうち、僕のことが解るよ。フフフ」
初めてみた高科の笑いは、俺にとって恐怖以外の何ものでもなかった。そして、これが、俺の受難の日々の始まりとなった……。
ああ、そういえば…そろそろ夏休みが近い…。
なんだか、とても憂鬱な毎日が始まりそうだ。
高科くん視点の話もあります。
『愛想よい君』
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