ダイモンと帝都オペラ
ダイモンと帝都オペラ
あんたのわたし
帝都オペラの新しいシーズンがやってきた。
帝都オペラの新総監督が、帝都オペラにやって来た。
帝都オペラは、衰退の時期にあり、毎シーズン財政的な危機に見舞われていた。
だから、帝都オペラの新総監督には、大きな期待が寄せられていた。帝都オペラの新総監督は、期待に応えようといろいろ改革を実行した。
オペラハウスの大改革の方針として、新総監督がまず行ったこと。ネズミ退治の訓練を受けた猫を数匹導入し、劇場内で時折見かけるネズミを駆除した。ネズミ駆除は、劇場から完全にネズミが姿を消すまで徹底的に行われた。
オペラハウスのネズミたちは10日もすると、猫たちによりほぼ駆除されていた。
駆除の前後の期間、劇場内のあちこちで、ネズミの死体が見つかった。
死んでいるはずなのにその死体が、なかなか見つからないネズミもあった。そして、その見つからぬネズミの死体の腐敗臭が、そのみつからないネズミの強烈な腐敗臭が、何週間かの間オペラハウスに漂いオペラハウスの関係者を悩ませた。
見つからないのは、オペラハウスのあの主ネズミの死体に違いない。誰かが言った。
いたはずオペラハウスの主ネズミの死体が、大きさといい、容貌といい、主ネズミの貫禄を表現していて、ひと目でそれとわかるネズミであるのに、見つけられたネズミの死体の中にはそのようなネズミの死体はなかった。
どこからか漂ってきていたネズミの腐敗臭がやっと収まった頃から、干からびた干物のような姿の子犬ほどのネズミが、劇場内を闊歩する姿が目撃されるようになった。
この化け物ネズミのせいで、何か悪いことの予兆ではないかと劇場内に不安が広がった。
だから、劇場の有志が、その干からびた主ネズミの亡霊のような、妖怪のようなものを捕らえようとしたのだが、このネズミは一種の化け物であるのだろう。捕まえようとしても、捕まえた瞬間に、影のように姿を変えてその場から消えてしまうのであった。確かにいたはずなのに。
干からびたネズミの死体に息を吹き返した。ネコに殺された恨みから、化け物になったのか? もともと主ネズミの本性は、そうだったに違いない。劇場内の人々は、そう確信した。
化け物ネズミの出現の現場をいあわせたものも、そうでないものでさえ、つまり帝都オペラの全スタッフは、オペラの新総監督によって全滅させられたネズミの復讐、祟りかと戦慄した。
しかし、帝都オペラは、あゆみを止める訳にはいかなかった。帝都オペラは、待ったナシ!存続の瀬戸際にあった。
* *
帝都オペラの新監督は、帝都オペラの存続、将来をかけた、あるいは一か八かの勝負の興行の勝負に出た。
帝都オペラの新監督は、考えた。
帝都オペラの出し物が評判になり、世間で評価されれば、まだ、帝都オペラが立ち直るチャンスはまだ残されている。
帝都オペラ起死回生のためには、誰もが観たがるような、観た人を最高の感動に導くような目玉の演目が必要だ!
帝都オペラの総監督が、勝負をかける演目を決定した。そして、総監督は、この演目については、それに施される企画については、長い間、総監督の緻密なプランを温めていた。
帝都オペラの総監督は、就任するとすぐに自分のプランの実現に向けて、様々な形で、様々な方面に働きかけを開始した。しかし、自分のプランの核心的な部分については、人に知られないように、曖昧な受け答えしかしなかった。
帝都オペラの新総監督は、再起をはかるために、協力してくれる後援者、支援者を集めた。
新監督の企画のために、莫大な資金があつまった。これは、新監督の人望と顔の広さによるものであり、これこそが、単なる音楽ファンでしかない新監督が、帝都オペラの新監督に選ばれた理由であると思われる。ただ、帝都オペラの新総監督の親友だったはずのの汚れた身なりのオペラキチは、帝都オペラに対してなぜか冷淡だった。
* *
占い師が、行きつけのサロンへ足を運んだのは、帝都オペラのシーズンのスタートを飾る公演の日であった。
その日は、帝都オペラの新総監督にとっては、非常に大切な日であった。その日に劇場において演じられる出し物により、帝都オペラの新監督の力量が試されることになるのだった。
帝都オペラの新監督は、この日のために準備に準備を重ねてきたのだった。帝都オペラの新監督は、後援者の大金持ちから集めてきた金をこの演目のために惜しげもなく使った。金を惜しげもなく使って、オペラファンの思いもよらないアイデアを実現した。その一つが、ソプラノ歌手復帰であった。彼女は、ほんの数年前までこの帝都オペラの大スターであった。しかし、キャリアの絶頂において突然引退してしまった。帝都の人々はこのソプラノの歌声に心底魅了されていたので、引退によるロスは大きく、オペラファンの帝都オペラへの燃え盛っていた情熱は一気に冷めてしまうことになってしまった。
もう一つが、一人の指揮者の起用であった。その指揮者は、オペラファンなら誰もが知っているカリスマ指揮者であり、一挙手一投足が、音楽業界のニュースとなっていた。ただし、この指揮者は、近年の政治情勢をめぐる諸事情から、国際的な仕事を失い、自国に閉じこもり、オーケストラファン、オペラファンは、この数年この指揮者についての情報に触れることはなかった。
占い師は、帝都オペラで観劇するのは年に一、二度くらいの頻度であった。そんな占い師でも、その日、帝都オペラのシーズンがスタートしたその日、どこか一日中何か気持ちが落ち着かなかった。占い師は、その日の仕事の予定を早めに終え、予定した通りに、会員制のサロンに向かった。
サロンは、占い師の予想の通り、サロンでは閑古鳥が鳴いていた。マスターとスタッフの女の子が占い師を出迎えた。サロンのメンバーは、もれなく帝都オペラに向かって行ったに違いない。占い師の他にはサロンには会員はいなかった。たいてい、サロンの客は、帝都オペラの会員が多く、帝都オペラの評判の公演のさいには、サロンは客を帝都オペラに奪われていたのだ。
「会員さんたちは、皆さん帝都オペラに行っちゃいましたよ」
マスターは、苦々しい表情で、空のサロンの言い訳をした。
「今日、今年度の帝都オペラの公演がスタートするのです。しかも、新総監督が。。」
占い師は、今日、朝から胸がザワザワしていた、その謎がいくらか解けた。
会員のいないサロンで、マスターと面と向かって時間を過ごす居心地の悪さを占い師は感じた。
サロンのスタッフの女の子も、何か気まずさを感じ取ったのか、占い師に声をかけた。
「ダイモン(魔神)は、帝都オペラに集中していますね。帝都オペラは、熱狂のるつぼで、ダイモンは、帝都オペラに居座っているはずです」
サロンスタッフの女の子は、続けた。
「ダイモンは、人の心の高揚感の高まるところに現れ、時として奇跡としか思えないようなものを実現してしまうのです」
占い師は、このスタッフの言葉をなぜか飲み込めた。占い師は不意をつかれる思いがした。占い師は、サロンに入ると心がなぜかざわざわし出した。
* *
空のサロンに、占い師に続き、二人の会員が姿を現した。最初は、汚い身なりの男で、オペラファンで、音楽についてはかなり博識の人物であった。
この汚い身なりの男の登場は、サロンにいた、占い師、マスター、スタッフを驚かせた。
占い師に続いてやってきた汚い身なりの男は、会員制のサロンには似つかわしくない、全体的に不潔で貧乏臭い身なりの男であった。彼は、若者ならまだしも、中年の男であったので、会員は分別のある人物ばかりのサロンの雰囲気を乱す存在であった。その見かけ以外は、金の使いっぷりから、その男は、金に困っているわけではないことがはっきりしていた。しかし、彼はその醜悪に近い姿にも関わらず、サロンでは、それは、大目に見られていた。それは、会員たちが、汚い男のウイット(機知)を好んでいたからでもあった。彼の存在は、サロンの雰囲気に活気を与えてくれていた。
この汚い男は、帝都オペラの初日とか興味がなかったというわけではない。チケットの入手競争に敗れてしまったからというわけでもない。彼は、どんな公演のチケットも、それがどんなに入手困難であろうとも、必ず欲しいチケットは手に入れた。だから、この汚い男が、帝都オペラにいないのは、驚くべきことであった。
金満の汚い男が、オペラファンなら見逃す筈のない評判の演目を、それもシーズン初日の公演を見送ってサロンにやってくるなんてどんな理由があったのだろう、サロンのマスターは思った。
続いて、汚い男とは対照的な、若い几帳面にスーツを着こなした真面目そうな痩せ型の男性のサロンの会員がやってきた。この痩せ型の男の沈痛な表情から、マスターは、この男がチケットの争奪戦に敗れてしまっていることを理解した。この男は、帝都オペラの新監督による新シーズンに、期待と希望を寄せていた。新シーズンについて、しばしば夢を語っていた。だから、この几帳面にスーツを着こなしている男の表情から、彼が、新シーズンの初日のチケットの争奪戦に敗れてしまったことは、容易に想像がついた。
几帳面なスーツの男は、スタッフの女の子に案内されてホールに入ってきた。若い几帳面なスーツを着こなす男の表情が、落胆の無表情から、何かに関心を向けた表情に変わった。
男は、ホールの一番奥のテーブルを見た。男は、何か理解できないようなものをその視線の先に発見したようだった。
マスターは、後から来た痩せ型の男のこの異変に気づいていた。
すると、マスターは思い当たるところがあるのか、汚い男の様子を見てみた。
「この男は、ダイモンに気づいているのか」
すると、マスターの様子を見ていたスタッフの女子がつぶやいた。
「ダイモン。。。」
マスターの表情が、何か緊張したようにも見えた。
実際に、マスターは見えたものが、実は現実ではなく、それは、本当はなかったものなので、結局、ダイモンなんてものは、このサロンをめぐる世間で言われている噂は、都市伝説であるとして、断固否定しようとしたのだ。
後から入ってきた男は、自分が見つけたものの正体を見るために、ホールの一番奥のテーブルの方に歩いて行った。
しかし、そこには怪しいものは何も存在していなかった。後から入ってきた男は、少し安心したようであった。後から入ってきた男は、何か本当に怖いものを見てしまった、しかし、確かめてみて異常がないことを確認できて一安心。
その次の瞬間である。
スタッフの女の子が、ホールにいる全員に耳を澄ますよう、シーッと言ったのだ。すると、ホールに静寂が訪れて、そして、その結果ホールにかすかに音楽が、鳴り響いているのが分かった。
占い師は、サロンのマスターに尋ねた。
「帝都オペラの今シーズンの開幕の演目は『トリスタンとイゾルデ』。。。?」
「『トリスタンとイゾルデ』。。。確かに」
サロンのマスターは、そう答えながら、時計をチェックした。ちょうど、午後5時過ぎ、帝都オペラの今シーズンの開幕の上演がスタートする時間であった。
これは、サロンにいた占い師、マスター、スタッフの女子、汚いオペラきち、後から来たチケットが買えなくて帝都オペラの初日に聴きに行けなかった男の全員を驚かせた。これは、怪現象!しかし、驚いても誰も声を発しなかった。全員は、同じことを思っていた。同じことを確かめたいと思っていた。
いかにもライブの演奏、あの大げさな、独特の身振り何かを表現し、それと同時に、指揮棒も別で表現される、ググぃとググぃと、また、スイスイとなにかの念であるかのような信号を発していた。
あのやり方は、「念」とは、妖術を連想させて物騒だが、音楽の括りには収まらない、呪術的な、祈祷的な、クセの強い演奏のやり方は、あの指揮者の独特のやり方であったし、やがて登場してきたソプラノは、かっては、帝都オペラの看板スターであったあのソプラノ歌手の歌声そのものであった。そのソプラノ歌手は、噂通り最初から絶好調のようで、サロンにいた。
「今、聴こえているのは、ひょっとしたら、帝都オペラでやっている演奏。それが、このホールに漏れ聞こえてきている。。。」
汚いオペラファンは、独り言を言った。
「。。。」
サロンのマスターの表情が曇る。サロンのマスターには何か隠し事がある様子だった。
スタッフの女の子は、「ダイモン。。。」と言いかけて、マスターから、目で制止され、黙り込んでしまった。
マスターは、秘密を守ろうとした。しかし、すぐに諦めた。
この状況について、占い師が説明を始めたのだ。
「これが、世間で言われているこのサロンの秘密というやつですね。つまり、オペラファンの間で、語られる都市伝説、ダイモン伝説。。。」
マスターや、スタッフの女の子に代わって、占い師がこのサロンにまつわるダイモン伝説について説明を始めた。
「このサロンにオペラファンが多いのは、偶然のことではないのです。確かに、サロンのあるビルの通りの向こう側には帝都オペラハウスがあります。このサロンでは特異な現象がたびたびみられるのです」
「私は、気になって仕方がないのですが、このホールの各所で何やら影が蠢いているのです。。。」
几帳面なスーツの男は、占い師にたずねた。
占い師は、相槌を打った。
占い師は黙り込んでしまった。サロンに流れる音楽にいつしか心を奪われていた。
* *
時はすぎ、音楽は、続いていた。そして、もう音楽は終盤にさしかかった。
サロンのホールに、蠢く、小さな数十の影が、現れた。
その影が発する足音から、それがネズミの群であることが分かった。
ネズミの影は、存在感を現し始めた。スタッフの女の子は、顔を歪めた。
「キャっ。。。」
スタッフの女の子は、ドアの方に駆け出そうと、立ち上がった。
「舞台は、まもなく終わりですから、何も酷いことは起こりませんから落ち着いてください」
占い師が、落ち着いた口調で、焦るスタッフの女子を制止した。
占い師は、説明した。
「劇場で、死んだネズミたちは、ダイオンに誘われて、天国に行きました。」
占い師は、続けた。
「舞台は、ついに終演を迎えて、そして、不思議な生と死の循環の一貫をわれわれは、間近に目撃しました。『トリスタンとイゾルデ』というオペラは、このダイオンの活動の背景としては、まことに好ましいものでありました。『トリスタンとイゾルデ』の二人の主人公たちも不思議な形で天国に向かって行くからです」
* *
「すまなかった。欠席して。。。恥ずかしい私の嫉妬。。。」
「あのダイモンを守るために、資金が必要であるというのなら、サロンが必要というのであるのならば、そして、オペラキチである必要があるのならば、そうであることに異議はない。。。」
「ダイモンは、人の心の高揚感の高まるところに現れ、時として奇跡としか思えないようなものを実現してしまうのだ。。。」
汚れたオペラキチより帝都オペラ新総監督に、送られた手紙には、二十億円の送金の証書が同封されていた。
了




