“二見さんお断り”の料理屋
仕事が終わり午後七時頃、僕は最寄り駅から自宅への道を歩いていた。
家につけば食事はあるけど、この間給料日だったこともあって、懐は結構温かい。
たまには外食もいいか、という気分になっていた。
そして、どうせならチェーン店よりも個人でやっているような店……と普段あまり通らない通りに入ってみる。
すると、一軒の料理屋が目に入った。
店先には控えめな看板が置いてあり、僕は知識もないのに「こういうところの方が美味しいんだよな」と心の中でつぶやく。
入口は引き戸で、さっそく入ってみようとすると、そこにはこんな張り紙があった。
『二見さんお断り』
二見さんお断り……? 一見じゃなくて?
格式の高い料理屋なんかだと、常連客を大切にするために「初めてのお客は入れない」「紹介無しじゃダメ」という『一見さんお断り』ルールがあるのは聞いたことがある。
個人的にはお高くとまってるなぁと思うけど、結果的にそうした方が利益になることもあるんだろう。
だけど、二見さんというのは……?
とりあえず僕はこの店は初めてで、いわゆる一見さんだし、おそるおそる入ってみることにする。
中は狭く、カウンター席があるだけだった。
カウンター席には店の主人とおぼしき男がいた。和風の白衣が、絶対この店は美味しいと思わせてくれる。
「いらっしゃいませ」
「初めてですけど、よろしいですか?」
「もちろんです。好きなお席にどうぞ」
僕は端っこの席に座る。
おしぼりを渡され、それで両手を拭く。
しかし、肝心のメニューが見当たらない。こういう店だとお品書きというべきか。
主人は僕の考えを察したのか、こう言った。
「うちは出す料理がその日によって異なるスタイルなんですよ」
あー……なるほどね。
その日仕入れることができた材料で決まるとか、そういう店もあるらしいな。
「今日の料理はですね……」
言いかけた店主に僕は割って入った。
「あ、言わなくていいです。なにが出てくるか知らない方が楽しいってこともあると思いますし。嫌いな食べ物やアレルギーもありませんから」
「そうですか。では、できた順にお出ししていきます」
店主が調理に入る。
僕はなるべくそっちは見ないようにしつつ、気になっていたことを尋ねることにした。
「ところで扉の『二見さんお断り』ってなんなんです?」
「ああ、あれは『この店で料理を食べられるのは一度きり』って意味ですよ」
二回目以降の入店はお断り。リピーターは入れないということか。
普通、飲食店ってリピーターありきの商売じゃないんだろうか。
だからこそ、『一見さんお断り』の店も、常連を大切にするため、興味本位なだけの客は弾く選択をしてるんだろうし。
「ええ……? そんなんで儲かるんですか?」
「はい。一応この通りやらせてもらってます」
「ちなみに、二回目の客が来たらどうするんです? 追い返すんですか?」
主人は首を横に振る。
「来れません」
「へ……」
「二回目は来ることができないんです」
「はぁ……」
なんだか急に不安になってきたぞ。
もしかしたら、メチャクチャまずくて、二度と来る気がなくなる店なんてオチじゃないだろうな。
あるいは食中毒になっちゃうとか……。
でも、店内は清潔そうだし、漂う匂いも悪くないし……。
あれこれ考えていると、店主が一品目をカウンターの上に置いた。
「どうぞ」
冷や奴だった。
四角形の豆腐の上に、ねぎと生姜がのったシンプルな物。
備え付けの醤油をかけて、さっそく食べてみる。
味の想像はつくので、全く期待せずに――
「……!」
あっさり想像を超えてきた。
なんだ、このうまさは。
豆腐は絹ごしで、滑らかな舌触りととろけるような柔らかさなのだが、確かな歯ごたえも感じさせてくれる。
そんな豆腐をねぎと生姜のコンビがピリリと引き立て、豆腐のうまみをより高みへと引き上げる。
これがメイン張れるんじゃないかというおいしさだ。
僕が冷や奴に夢中になっていると、次々に料理がカウンターに置かれる。
ご飯、味噌汁、カレイの煮つけ、きんぴらごぼう。
おお、どれもおいしそうだ。
まずはカレイの煮つけから……うん、ほくほくだ。
カレイの旨味が凝縮されており、噛むごとにその味が口の中に広がる。
飲み込むと、絶対そんなことはないのに、そのとたんにカレイの栄養素が体じゅうに広がる感覚を味わえた。
食べ物として一番好きな魚、今まではサーモンだったけど、カレイになりそう。
きんぴらごぼうも一口。柔らかさを保ちつつ、シャキッとした歯ごたえ。
なんていうか、きんぴらごぼうとはこうでなくてはいかん、というルールをしっかり守っているって感じだ。唐辛子の辛さも実にちょうどいい。
こうなると、ご飯も頬張りたくなる。
当然だけど、家で自分で炊くお米とは全然違う。いい米を使ってるのもあるんだろうけど、これはもう炊き方からして違うんだろうな。そんな気がする。家で食べるご飯とはなんていうか次元が違う。
おかず無しでこのご飯だけ一合食え、と言われても全然いける。
味噌汁もずずりと飲む。
温まる……。一流料亭が出す汁物のような上品さと、昔母さんが作ってくれた味噌汁のような懐かしさを併せ持つ感じだ。体だけじゃない。心まで温まる。この味噌汁一口飲むだけで、明日からも頑張れるような……。
しかも、これらを交互に食べるとそれはもう最高だ。
きんぴらを食べてご飯を食べる。煮つけを食べてご飯を食べる。そして味噌汁。ああもう最高すぎる。ちょっと残ってた冷や奴もほんの欠片も残さず食べちゃおう。
食べるごとに最高が更新されていくような感覚……たまらない。
この店に入ってよかった……心からそう思った。
やがて食べ終わる頃には、僕はお腹はもちろん、なにもかもがすっかり満足していた。
しばらくお冷やなどを飲んで過ごし、店主に声をかける。
「お勘定をお願いします」
そういえばいくらだろう。
これほど極上の味なんだ。少なくとも数千円、いやもっと払う価値はある味だったけど――
「千円いただきます」
「え、たった千円!?」
「はい」
この味で千円……!
安い、あまりにも安すぎる。
穴場なんてレベルじゃない。こんなのリピーターになるしかないじゃないか。
「また来ますよ」
僕が言うと、店主はうってかわって厳しい目で僕を見てきた。
「いえ、二回目は来ないでください」
そういえば、そういうルールだった。
僕は不満げに当然の疑問を口にする。
「なんでです? こんなにおいしいんだからもう一回、いえ何度だって来たいですよ」
「ですから、来ることはできないんですよ」
「だから、それはどういう意味なんですか?」
「これは必ず教えているんですが……うちの店に二度入ろうとしたら、あなたは消えます」
一瞬、意味が分からなかった。
「消え……る?」
店主はうなずく。
「正確には戸に手をかけたらですが、あなたの存在は跡形もなく消えてなくなります」
「な、なんで……?」
「分かりません。しかし、事実なのです。ですから、この店には二度と近づかないようにしてください。よろしいですね」
「は、はい……」
店主はこれ以上は聞くなという態度だったし、同時にこれは紛れもない真実なんだという雰囲気を醸し出している。
僕は千円札を置いて、おとなしく店を出るしかなかった。
二見さんは来ることができない。もし入ろうとすれば僕の存在は消える。
だけど、大丈夫さ。この店に来るには普段通らない道に入らなきゃならないのだし、二見さんになる心配はない。
そう思い、僕は帰宅した。
***
一ヶ月が過ぎた。
「なんだね、この報告書は! ふざけてるのか!?」
「すみません……」
僕は課長に怒られていた。
怒られて当然のあまりにも下らないミス。
理由は分かっている。なぜなら、あの店の料理をもう一度食べたいから。
食べたくて、でも食べるわけにはいかなくて、でも食べたくて。
ずっとそんな葛藤をしているから、仕事どころではなくなってしまった。
怒られても、励まされても、呆れられても、どうすることもできなかった。
仕事もろくに片付いていないのに定時に上がった僕は、最寄り駅から自宅への道を歩いていた。
今日もあの店は開店しているのだろうか。
今日行ったらどんな料理を出してくれるのだろうか。
あの店の料理を食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい……。
この一ヶ月で理性はすっかりすり減った。
僕の足はふらふらとあの店に向かっていた。
あの料理屋は――あった。
『二見さんお断り』
控えめな看板も、この張り紙もそのままだ。
口の中にあの日食べた冷や奴やカレイの味が鮮明によみがえる。
僕は吸い込まれるように引き戸に手をかけた。
――すると、僕の体は砂になったかのように、霧になったかのように、消えていく。音もなく、痛みもなく。
ああ、店主の言う通りだった。
やっぱりこうなってしまうのか。
忠告を無視した者は破滅する。昔話や童話でも、よく見たよこういうの。
だけど、よかった。
この店の料理を二度と食べられない苦しみをずっと味わうくらいなら、いっそこうして消えてしまった方が――
完
お読み下さいましてありがとうございました。




