11.野菜の色 キノコの影 <女> アンヌ・ド・ブリュイ
夜の名残を残した空が、青と白のあいだで、静かに揺れる。
石組みの炉に、灰の匂いがただよう。
露に濡れ、まだ誰も歩くことのない道の先で、鶏が、最初の声をあげていた。
心の中に、男の姿が、浮かんでいる。
静かで、どこか強さを感じさせる。
言葉は、多くない。
こちらが賑やかに話しかけても、ただ、静かに耳を傾けることが多い。
だが、口を開くと、不思議とその声が、心に残る。
彼を思い浮かべながら、暖炉の前にしゃがみ込んだ。
灰をかき分け、昨夜の炭を掘り出す。
炭の上に、乾いた藁をそっと押し込み、火打石を打った。
火花が藁に落ち、弱い煙が上がる。
軽く息を送ると、それは、赤さを増し、強くなった。
炉の前の薄暗い空気が、温かい色を取り戻す。
鉄鍋を炉の上に掛け、水を注いだ。
まだ、冷たい。
井戸から汲んだばかりの水の冷たさを、指先に感じる。
鍋の底で、水がわずかに揺れる音を聞きながら、卓上の袋を開いた。
淡い赤茶色の豆。
庭の土の匂いを、思い出す。
春のまだ寒い朝、指先を使って土を掘った。
芽が出るまで、雨と日差しを見守った。
やがて、豆の鞘が乾き、ぱきりと音を立てて割れた。
小さな庭だが、そこで育った豆であった。
鉢に豆を入れ、すり棒を手に取った。
ごりごりという鈍い音が、やがて柔らかくつぶれていく。
単調な作業・・・手は、迷いなく動く。
静けさの中、規則正しく音が響いた。
つぶれたそれを、木の椀に移し、鍋の湯を少し掬って注いだ。
湯は、まだぬるい。
つぶれた豆は、ゆっくりと沈み、やがて淡く赤い濁りを広げる。
木の匙で、それを混ぜた。
とろりとした、薄い赤粥の色。
棚から、布を取り出した。
使い込み、よく洗われ、柔らかくなった布。
鍋の上に広げ、ゆっくりと豆の混ざった液体を流し込む。
最初は勢いよく、やがて、ぽたぽたと静かな音。
鍋の中に、淡く、赤く、濁った液体が、滴り落ちた。
布の上には、細かな皮と、どろりとした残渣が残る。
軽く絞り、最後の一滴まで落とした。
まだ、火にかける前なのに、豆の匂いが、立っていた。
鍋の中の液体は、泡をたてていた。
どろりとした赤色は濁り、ゆっくりと揺れていた。
静かに、息を吐く。
リーパの街は、まだ眠っている。
今頃、あの人は、祈祷書を片手に持っているのだろう。
火の様子を確かめ、細く黒い炭を加えた。
炎は、強くなり、鍋の底に触れる熱が増す。
市場で手に入れた野菜とキノコ。
小さな木の桶に水を張り、泥を落とす。
指でこすると、土がゆっくりと剥がれ、桶の水が濁った。
水面に映る窓の光が揺れた。
光の揺れに合わせ、皮をナイフで薄く削る。
野菜が、細かく刻まれていく。
キノコは、森の匂いを含んでいる。
湿った土と、落ち葉の匂い。
それを指で払い、軸の固い部分を切り落とした。
キノコは、刃を使うより、指で裂くほうが、自然な形でおいしい。
裂けた断面。
白い繊維が、さくりとほぐれた。
鍋の中では、豆の液が静かに温まり、ぶくぶくと小さな泡が表面へと浮かんでいた。
野菜を鍋へ。
沈みこんだそれは、赤白く濁った液体の中に姿を消す。
キノコを、加える。
鍋の中が、ゆっくりと揺れる。
木の匙を手に取り、ゆっくりとかき混ぜた。
底から持ち上げるように、丁寧に。
とろみを帯びた液体に、野菜の色がぼんやりと浮かび、キノコの影が揺れた。
火の音、鍋のかすかな揺れ、立ち上る蒸気。
それらが合わさると、小さな世界が生まれる。
ふと、自分の手を見つめた。
豆を砕いた手、野菜を刻んだ手。
それを、乾いた布で拭きながら、ゆっくりと息を吐く。
赤白く濁った液体が、少し匂いを強くしていた。
香りを吸い込み、わずかに目を細める。
豆の匂いに、野菜とキノコの香りが混ざっていた。
あの人は、今日、この家に泊まると言ってくれるだろうか?
静けさの中で、鍋の中の小さな変化は、確かな意味を持っている。
火の上で、鍋の中で、何かが、ゆっくりと温まっている。
陽光は、まだか細く、東の空にわずかな橙色の帯を作るだけ。
あの人に、食べてもらいたい。
ただ、それだけのこと。
想いが、胸の奥で広がっていく。
言葉にするほど、大きなものではない。
木の匙を動かすと、野菜が、柔らかく崩れそうになっている。
キノコは、すっかり煮え、豆の液と混ざり合っている。
匙の先で掬い、息を吹きかけてから、口へと運んだ。
舌に触れると、豆の優しい味が広がる。
野菜の甘みが加わり、キノコの香りが、ゆっくりと残った。
目を閉じた。
大げさに、褒めることはないだろう。
静かに、頷いてくれるはず。
ゆっくりと食べ、最後に、ふぅと小さく息をつくだろう。
その姿を想像すると、自然と笑みが浮かんだ。
火が、ぱちりと小さく音を立てる。
気が付くと、窓の外が、鮮やかな朝の色に変わっていた。




