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第八話 表出

 初夏に特有の晴れ渡った夕焼けの中。今日の戦闘を終えたミユキの耳には、ユウキの冷徹な声が届く。


『残存〈天使〉の消失を確認。よって、本日の戦闘任務は終了とする。……以降の迎撃戦闘に関しては、夜間哨戒班に引き継ぐ』


 もう聞き慣れたその言葉を聞きながら。ミユキは、〈D-TOS〉を戦闘状態から巡航状態へと変更していた。〈魔導銃(レーヴァテイン)〉から幻の熱が消失し、〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の刃が(あお)の燐光を失って黒い刃へと戻っていく。

 身体にかけていた一時強化(ブースト)が終了し、そのまま視覚と各種神経系の強化も解除されて、世界の進みが通常の状態にまで引き戻される。

 半透明の翼が更に色味を薄め、飛行魔導が巡航状態へと移行する。

 一連の戦闘システムを終了させてから、ミユキははぁ、と詰めていた息を吐き出した。




 ユウキと同じ部隊(この部隊)の配属になってから、一ヶ月近くが過ぎた。

 特設(S)技術(T)試験部隊(T)の任務内容は、基本的には前線の要請に応じた機動防御だ。日々侵攻を繰り返す〈天使〉に対し、人類はどうしても数で劣る。そのため、対〈天使〉戦闘の専門兵科である魔導士部隊は、基本的に防衛線の後方に拘置(こうち)され、必要な時に必要な数を投入するという戦術――いわゆる、機動防御の体型を採っているのだ。


 そして。特設(S)技術(T)試験部隊(T)の置かれている北部戦線は、特に〈天使〉の攻勢が激しい戦線にあたる。そのため、この一ヶ月間、ミユキたちは一度要請に応じたら最後、今日のように日没までを戦い抜く羽目になってしまっているのだ。


 ……そんな、激戦続きのはずなのに。ミユキは、未だにユウキと打ち解けないでいた。

 普通なら、とっくに互いを心から信頼し合えるような関係が構築されているような状況なのにも関わらず、だ。


『……夜間哨戒班への引き継ぎが完了した。では、私たちも戻ろう』

『了解』

「あ……、うん」


 事務的な口調で、けれども少し砕けた声音で言われるのに、ミユキは曖昧な返事を返す。

 戦闘ではいつもスムーズに連携できているのに、こういう普段の会話がどうしてもできない。

 表面上でだけでも取り繕わないといけないのに、ユウキに対する恐怖と不安が隠しきれないでいる。

 それきり言葉は途切れて、二人はお互い無言のままで駐屯地への帰路につく。ラプラスも無理に会話を作ろうとはしないから、二人が話さない限りは無言だ。


『……怪我はないか?』


 ふと、ユウキが訊ねてくるのに、ミユキはどうにか笑顔を取り繕う。


「おれは大丈夫だよ。……ユウキは?」

『私もなんらの負傷はない。……ラプラス、お前は』

『かすり傷程度だな。まぁ、こんぐらいなら明日には治る』


 ラプラスの装甲は自己修復装甲といって、多少の傷ならば勝手に修復するような素材でできている。彼いわく、普通の銃弾ぐらいまでならば自己修復でどうにかなるらしい。

 それきりまた会話が途切れて――完全に沈黙が支配する前に、二人の目に駐屯地が見えてきた。

 この苦しい時間がもうすぐ終わることに安堵しながら、ミユキは今日の夕食の献立を考える。

 当初は戦闘食糧(レーション)の支給でしかなかったところを、ミユキが無理を言って食品と調味料の支給にしてもらったのだ。


 料理のことを考えている時間は気が紛れるし、なによりちゃんとした食事を摂ったほうが心身の健康にいい。

 その間ラプラスが暇そうにしているが……まぁ、仕方ないだろう。

 この一ヶ月で見慣れた兵舎の前へと降り立ち、扉を開けて中に踏み入る。

 そのままキッチンへと行くミユキの背中に、通信機をとって階段の方へと向かうユウキの声が届く。


「私は先に報告書の作成にあたる。……今日の夕食も期待しているぞ、ミユキ」

「……ああ」


 口の端をわずかに吊り上げて、ユウキは上階へと消えていく。

 それを見送って。ミユキの胸中には、暗い気持ちがほのかに渦巻いていた。


 ……また、言えなかった。聞けなかった。


 この一ヶ月間、ミユキはずっと考えているのだ。

 なぜ、自分がこの部隊に選ばれたのかを。なぜ、ユウキは右眼の傷を遺したままなのかと。

 けれど。どんなに考えても、前向きな理由なんてものは見つからない。ミユキを恨んでいるから。苦しめたいから。そんな理由しか見つからない。


 しかし。ミユキの知るユウキは、そんな非効率的で非生産的な行為をするような少女でもないのだ。

 恨みを果たすのならば、ミユキの行いを暴露するだけでいい。それを言いふらすだけで、苦しめることができる。

 それに。なにより。彼女は、ミユキに恨み言の一言すらも言ってこないのだ。それがどうしようもなく怖くて、わからなかった。


精神接続(クロッシング)、まだ切れてねぇぞ」


 ラプラスに言われて、ミユキははっとする。


「あぁ、ごめん」


 〈D-TOS〉の精神接続(クロッシング)を解除し、通信機を外したところで、気づいた。


「……え?」


 精神接続(クロッシング)はその言葉の通り、使用者の精神を直に接続することによってノータイムで言葉を共有する。つまるところ、読心(どくしん)や〈天使〉の精神侵入と同じような性質を持つものだ。

 ……そして。今の今まで、精神接続(クロッシング)が繋がっていたということは。

 しまったと視線を振り向けるのに、ラプラスはいつもと変わらぬ黒いモノリスとディスプレイで答える。


「……これは、オレの中のデータベースから引用したアドバイスだがな。どんなに怖くても、聞きたいことがあるんなら聞けるうちにさっさと聞いとくべきだぜ」


 ……やっぱり、心の内を聞かれてしまっていた。

 押し黙るミユキに、ラプラスは優しさ半分、厳しさ半分の音声で言葉を続ける。


「言いたいこともそうだがな。オレたちが今いるのは戦場だ。どんなに一緒に居たいと願っても。どんなに死にたくないと望んでも。いなくなるときはいなくなる。呆気なく、理不尽にな」

「……」

「……そういった事例が、データベースには山ほどある」


 分かってはいるのだ。

 聞ける間に、まだ二人とも生きている間に話さなくちゃならないことは。

 でも。もし、聞いてしまったら、今の関係が崩れる気がして。その可能性が怖くてたまらない。

 俯くミユキに、ラプラスは発破をかけるように言う。


「まぁ、なんだ。言いたいことがあるんなら、勇気出してとっとと言ってこい。明日、お前らのどっちかがいなくなる可能性もゼロじゃねぇんだからな」



 その言葉は、ミユキの心に深く、深く突き刺さっていた。




  †




 報告書の作成中、ドアをノックする音がして、ユウキは意識を現実へと引き戻す。

 キーボードを叩く手を止め、視線を扉へと向ける。


「入れ」


 と言った先、入ってきたのはやはりミユキだった。

 彼の紅玉(ルビー)の双眸には、複雑なあかいろが湛えられていて。ユウキは疑問を胸に目を細める。


「……どうした? 体調でも悪いのか?」


 訊ねるユウキの声に、ミユキはなんらの反応を見せない。

 しばらくの沈黙の後、ミユキは意を決したように口を開いた。


「……どうして、なんだ?」 

「……?」


 一瞬、なんのことか分からなかった。 

 感情を抑えた声音で、ミユキは更に言い募る。


「どうしておれを……、おれだけを、この部隊に選んだんだ?」

「それは、」


 言いかけて。ユウキはその言葉に恥ずかしさを覚えて立ち止まっていた。


 ……言えるわけが、ない。

 お前と会いたかったからだなんてことは。


 適合する既存の人たちには全員に拒否されてしまって、新兵の中で適合していたのが、ミユキとレツィーナとアレンの三人だけで。けれど、せっかく生き残った彼らを再び危険度の高いここに呼び込みたくなくて。

 だけど、やっぱりミユキにだけは会いたくて。他の戦場で死ぬぐらいなら、一緒に戦いたいと思って。


 ……そんな自分が抑えられなかっただなんてことは、彼には言えるわけがなくて。

 顔が火照るのを感じつつも、ユウキは右頬をかきながら努めて冷静を装って答える。


「お前なら、必ず引き受けてくれると思ったからだ」


 私を私でいさせてくれたお前なら。五年前のあの時、私を助けてくれたお前なら。

 今回も私の力になってくれるのではないかと、そう思ったのだ。

 ミユキの表情は、俯いていて見えない。


「……あの時、なんでお前はおれのことを誰にも言わなかったんだ?」


 その言葉に、ユウキは首を傾げる。


「言えば、お前が罰を受けてしまうだろう」


 私を救ってくれた恩人に、そんなものを受けてほしくはない。

 私が右眼を潰されたのは私のせいであって、彼の行いはどこまでも正しいものだった。感謝すべきものに対して、それを周囲に言いふらすなど恩を仇で返すことに他ならない。


「だから、お前はおれがやったってことをずっと黙ってたのか?」

「ああ。そうだ」


 なにを言っているんだろう、とユウキは思う。

 お前が、自我を失いかけている私を救ってくれたんじゃないか。なのに。なぜ、お前はそんなにも苦しそうな声をするんだ。

 それきり言葉は途切れて、二人の間にはやけに重たい沈黙がたちこめる。

 雰囲気に戸惑いつつも彼の言葉を待っていると、突然、ミユキは顔を上げてきた。

 見返す彼の表情に、ユウキは更に戸惑いの感情が湧き上がる。


 ……なぜ、お前はそんなに悲愴な覚悟を纏っているんだ。


「おれは、どうしたらお前に償うことができるんだ?」

「……償う? なにを?」


 全くの予想外の言葉に、さしものユウキも戸惑いの声を上げる。


「おれが、取り返しのつかないことをしたのは分かってるんだ。お前の右眼から光を奪って、順風満帆だったお前の人生を傷つけて、めちゃくちゃにして」


 呆気にとられるユウキに、ミユキは秘めていた感情を痛切に吐き出していく。


「だから、おれが許されることなんかないんだって。こうやって許しを乞うようなおれには、そんなことを望む価値もないんだって! ……だけど。まだ、お前になんの償いもできてないのが怖くて……!」


 そんなミユキの吐露を、ユウキは終始戸惑いの感情で聞いていた。

 だって、彼はユウキの命の恩人で。私を私でいさせてくれた、大切な人で。この右眼も、ミユキが私に与えてくれた存在することの証明でしかなくて。

 だから。ユウキが感謝こそすれ、恨んだり憎んだりするような理由は何一つ存在していなくて。

 彼がなぜ、そんなに苦しんでいるのか。ユウキには何一つ分からなかった。


 困惑するユウキを、彼は危険な決意を灯した瞳で見つめ返してくる。

 自己犠牲と自己否定の心が作り出す、静かな激情のあかいろが。


「……ごめん。こんなこと言っても、お前を困らせるだけだな」


 彼がはっとしたのも束の間、ミユキはいつもの笑顔で言ってくる。……とても、嫌な感覚だった。


「ユウキ。おれの残りの命を、お前が使ってくれ。どんな使い方でもいい。お前が望むなら、おれはそうする。……だから。おれを、見捨てないでくれ」


 そう言うミユキの瞳には、様々な感情が滲み出ていた。

 自分がここに存在するという証明がなくなることへの恐怖と、自分の存在意義を求める光。そして。それと同じぐらいの“生きなければならない”という強迫観念じみた決意。

 家族も何もかもを失ったミユキが唯一、この世界に存在価値を見出しているのがそれらなのだと、ユウキは察してしまった。


 そして。その言葉で、ユウキは確信する。

 彼から、重要な記憶が抜け落ちていることに。


「す、少し待て。お前は、色々と勘違いして――」


 早く、その誤解を解かなければ。

 弁明をしようと慌てて席を立った、その時だった。

 突然、眼下のパソコンから特殊な着信音がして、ユウキは渋々視線を落とす。

 届いていたのは、司令部からの直々の司令書だ。それを開いて――驚きに目を見開いた。

 ちっと舌打ちをして、ユウキはミユキに告げる。


「下でラプラスと待機していてくれ。……〈智天使(ケルビム)〉の侵攻が確認された」

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