第六話 不協和音
全ての〈天使〉を掃討し終えたのは、日が落ちたあとのことだった。
疲れた身体を〈D-TOS〉で無理やり動かして、ミユキたちはユウキに先導されるがままに帰路につく。
真っ暗な草原を数十分ほど飛んだ先、川の流れるほとりに、その兵舎はあった。
ユウキが先に降り立つのに、ミユキは続きながらも問う。
「ここが、おれたちの基地なのか?」
まさか、こんな周囲に何もない、平野にぽつんとあるような場所が駐屯基地なわけ――
「そうだ」
「……」
ばっさりと断言されてしまって、ミユキは言葉を見失ってしまった。
……こんな、周りになにもないような場所が、おれたちが今日から住む基地なのか。
なんとも言えない感情を心に抱きながらも、ミユキは改めて周囲を見渡す。
見渡す限りに視界を遮るものは何も無く、地上には真っ暗な黒色だけがどこまでも広がっている。空を見上げると、そこには、見慣れた二つの銀河が交錯した姿があった。
灯火管制のかかった街でも中々見られないほどに、夜空には様々な星の瞬きが映し出されていた。赤や青の星々に、星間ガスが反射する淡い白光。そして、それらの周りに所狭しと並んだ、遠い宇宙の彼方から飛来する星々の光。
絶景、というのはこんな景色のことを言うのだろうなと、ミユキは思った。
ぼうっと夜空を見つめていると、ふと、南の地平線に星々とは違う光が見えて。ミユキは目を細める。
視界の拡大をしようとしたところで、ミユキの視線に気づいたらしいユウキが口を開いた。
「あそこは技研科の前線研究所だ。ラプラスのメンテナンスのほか、その他の試作兵器の修理やメンテナンス、簡易な改良等を行っている」
「……なら、おれたちもあこそに住んじゃだめだったのか?」
思わず訊ねていた。
ミユキたちの使う〈D-TOS〉――ラプラスも、技研科から供与された試作品だ。部隊の人員もミユキとユウキの二人だけなのだし、わざわざ別に兵舎をつくってまで隔離しておく必要はないようにも思える。
「あそこが壊滅すれば、それは軍の兵器開発能力の喪失を意味する。万が一ラプラスが暴走を起こしたり、〈天使〉の襲撃があった場合には、それに対応する時間を確保するために私たちは分離されているんだ」
「……そんなに危険性のあるものなのか、ラプラスって」
首を横に振るユウキに、ラプラスが鼻で笑うような声音で続けてくる。
「精神接続の機構が改良されただけで、俺の基本的な構造は元のマクスウェルとほとんど変わらん。暴走の場合ってのは建前で、ホントは何かあった時にオレたちに時間稼ぎをさせようって魂胆なんだろ」
「まぁ、そういうことだろうな」
なんの感情もなく言いながら、ユウキは耳の通信機を取り外す。それと同時にミユキも通信機を取り外して――突然、激しい頭痛と倦怠感に襲われた。
「っ……!?」
「お、おい!? 大丈夫か!?」
ラプラスが不安げな音声を発してくる。だが、ミユキにはそれに応える余裕がない。
その場にうずくまるミユキに手を差しのべて、ユウキはいつもの凛とした声で言う。
「それは〈D-TOS〉による脳の過負荷の反動だ。ラプラスは出力制限が廃された関係上、脳内使用率が一〇〇%を超えても人体保護プロテクトが作動しない。次からは、こまめに使い分けて魔導を使用しろ」
……そういえば、今日の戦闘は一時強化を乱発していたんだった。
ユウキに手を引かれながら兵舎の中へと入ると、そこは小隊規模の人員が一同に会せるような広さの食堂だった。
部屋の隅には、二階へと上がる階段が見えていて。おそらく、この上の階が個人部屋になっているのだろう。
食堂の奥には、大きめのキッチンと業務用の冷蔵庫が見えていた。
ミユキを手頃な席へと座らせて、キッチンへと向かいながらユウキは言う。
「明日には副作用に効く鎮痛剤も届く予定だ。……だから、今日は耐えてくれ」
「ああ。わかった」
そう返すミユキも、既に頭痛と倦怠感は解消されつつあった。この程度の痛み、あの時のユウキに比べればなんともないだろうから。
「……私はまだ少し業務が残っているから、先に二階へと上がる。ミユキ、お前は好きなように過ごすといい」
こくりと頷くミユキの前に栄養ドリンクを置き、ユウキはそのまま階段へと過ぎ去っていく。
「ただし。地下には行くんじゃないぞ。あそこはラプラスを保管する場所だからな」
それだけ言い置くと。ユウキは二階へと消えていった。
彼女を見送ってから、ミユキは栄養ドリンクを飲み干す。空のビンをキッチンのゴミ箱へと捨てながら、今一度キッチンの設備を見回した。
大型の業務用冷蔵庫に、二人分の料理をするのには充分すぎるぐらいに広いキッチンと設備。冷蔵庫を開けてみると、そこには少しだけではあるがいくつかの野菜と合成肉が入っていた。
……これなら。
シンク下の引き出しからまな板と包丁を取り出し、IHコンロの上に鍋を用意する。冷蔵庫からじゃがいもと缶詰の合成肉を取り出し、鍋に水を入れていく。
「……お前とユウキは幼馴染だと、データベースでは登録されてあるが」
突然、食堂に佇んでいたラプラスが、そんなことを訊ねてきた。
支度に手を動かしながら、ミユキは感慨と後ろめたさを同時に感じつつも言葉を紡ぐ。
「ああ。生まれてからずっと一緒だったよ。五年前まで」
「……仲は」
「よかったと思う。よく一緒に遊んだりしてたし、大切な幼馴染だった」
少なくとも、ミユキにとっては大切な人だった。
今も大切な人のはずだった。なのに。おれは。
「……なら」
少し、ラプラスは言葉を迷って。それから、意を決したように発声した。
「なぜ、君はそんなにも彼女を怖がっているんだ?」
「……え?」
核心を突かれて、ミユキは思わず声が出ていた。
なんで。おれがユウキに対して怖がって、そして不安になっているのをラプラスは知っているんだろう。誰にも、話したことなんてないのに。
抑揚の効いた声が、静かに補足する。
「精神接続の際に、君の心が見えたものでな。今後の隊のためにも、君たちの問題は把握しておきたい」
その言葉に、ミユキはしばし逡巡して。
笑顔を取り繕って、告げた。
「ちょっと、色々あってな」
おれが彼女の右眼を潰しただなんてことは、言えるわけがなかった。
†
二階の最奥、他の部屋より少し広い自室兼執務室で。ユウキは、上官に対する報告書の作成を行っていた。
ユウキたちの属する特設技術試験部隊は、その性質上、統合作戦司令部直属の部隊だ。そのため、相応に質の高い報告書を作成しなければ、提出してもそもそもとして受理されない。
だから、ユウキは一人自室にこもってその作業にあたっている訳なのだが……。
「……」
その、肝心の報告書作成は、遅々として進まない一方だった。
やはり、今の自分の心理状態が邪魔をしているのだろうな、とユウキは冷静に分析する。
……もう二度と逢えないと思っていた大切な幼馴染と、再会することができた。
そのことによる歓喜と高揚感が思考の邪魔をして、文章作成に必要とする脳のリソースを根こそぎ奪われているのだ。
そして。ミユキとは再会するだけには留まらず、一緒に肩を並べて戦うことができた。なにげない会話をすることができた。
全部、五年前に故郷の襲撃を受けてからは、二度とないと思っていたことだ。
そんな状況で、たかが報告書の作成ごときに集中できるはずもないな、とユウキは思う。
そもそも。今日は感情を抑え、平静を装うのだけで精一杯だったのだ。そんな人間が他に集中力を向けようとすること自体が無謀でしかない。愚策も愚策だ。
頭ではやらなければならないとわかってはいても、自分の感情が制御できないのだからどうしようもなかった。
「……はぁ」
もう何度目かも分からない深呼吸をして。ユウキは眼前のディスプレイに目を落とす。そこには、自分が苦心しながら書いた今日の迎撃戦闘に関する様々なことがらが書き連ねられている。
その一節、ミユキの戦闘に対する評価の欄を、今一度見返す。
――ミユキ・ヘルフェイン少尉の魔導士適性は極めて高く、これからの成長次第では、戦局を覆しうる才能を秘めていると評価する。
彼はユウキと同様、〈D-TOS〉の使用を最適化するための遺伝子――〈天使〉因子が組み込まれている。そのため、ミユキやユウキは、他の魔導士よりも高い〈D-TOS〉適合値を叩き出すことができるのだ。(もっとも、彼はその事実を知らないだろうが。)
もちろん、代償はある。〈天使〉因子を持つ者は、精神侵入自体に対しては高い抗堪性を持つ。しかし、一度内部に侵入されてしまえば、同化――身体が光と化し、崩れ去る現象だ――が一気に進行してしまう副作用があるのだ。
戦場慣れしたユウキだけならともかくとして。まだ新人のミユキは、常に戦場に置くのはそれなりにリスクがある。
それに。なにより。彼は、ユウキの大切な幼馴染だ。私を私でいさせてくれた人だ。絶対に死なせたくはない。
しばらくの間、ユウキは思考を巡らせて。
考えたり末に、一文を付け足した。
――ただし。現状はラプラスの使用感に困惑しており、即時の作戦投入は時期尚早だと思われる。今後の成長に期待する。
と。
†
それから数時間をかけて何とか報告書の作成を完了し、提出を受理されたのは日にちをまたいだ午前一時ごろだった。
相手方の事務員には悪いなと思いつつも、ユウキは渇いた口ではぁ、と一息をつく。
緊張が解けたのと同時に、どっと疲労感と空腹が襲ってきた。
……そういえば、戦闘が終わってからはまだ何も口にしていないんだった。
下で夕食とシャワーを済ませてから寝ようと、ドアに近づく。そこで、ユウキは床の隙間に紙が挟まっているのに気がついた。
なんだろうと拾い上げ、書かれていた文字を読む。
――じゃがいも入りのスープを作った。腹が減ったら、キッチンにある鍋を温めて食べてくれ。
紙切れには、それだけが書かれていた。筆者の名前は書かれていないが、この兵舎で文字を書けるのはユウキの他にはミユキしかいない。
そして。ミユキは、料理が好きだった。
口の端を僅かに吊り上げて、ユウキは上気だった声音で呟く。
「……そんなの、しなくてもいいのに」
一階に降りて、食堂の照明スイッチを押す。
灯火管制のかかった食堂の中央に、〈D-TOS〉XMk.Ⅵ――ラプラスは静かに佇んでいた。
予想外の存在に、ユウキは微かに目を細めて問う。
「……お前は、なにをしているんだ」
「……ん? ……あぁ、ユウキか。なんだ、夕食か?」
「私の問いに答えろ。なぜ、保管庫に移動していない」
ラプラスを使用するにあたり、ユウキたちは未使用時には保管庫にて待機させる、といった規約が設けられている。
技術科いわく、『いくら特殊装甲を有しているとはいえ、こいつは世界にただ唯一の次世代型〈D-TOS〉だ。万が一のことは、絶対にあってはならない』のだそう。
「なぜって……。オレを、あんな何も無い真っ暗な場所に詰め込む気か?」
「詰め込むもなにも、それがお前を使用する上での規定だ」
「それでオレが錯乱でもしたらどうするつもりだ?」
ラプラスの抗弁に、ユウキは呆れの混じった声で応える。
「ライン連邦陸軍人の人工知能が、たった一日暗闇に居ただけで発狂するわけがないだろう。それに、お前はあくまでも人工知能だ。万が一そんなことが起きたとしても、プロテクトが作動して未然に防ぐはずだ」
「そんなプロテクトは、オレには存在しない」
「……なに?」
思わず聞き返していた。プロテクトが、存在しない?
彼にしては抑揚のない音声で、ラプラスはそれを告げる。
「確かに、オレは人の手で創り出された人格だ。だが、最新鋭の技術を駆使して作られたオレは、『人の手による完全な人格形成』の実験体でもある」
「……」
言葉が、出なかった。
彼の話が本当だとするのならば。この特設技術試験部隊には、〈天使〉因子による〈D-TOS〉適合率の強化を目指した試作の子ども二人と、完全な人工人格の完成を目指した〈D-TOS〉付きのAIの、二種類の試作品が寄り集まっている、ということになる。
そして。恐らくは、両方ともが〈D-TOS〉による安定した戦力供給を最終目標としているはずだ。このままでは、人類はジリ貧の果てに間違いなく滅んでしまうのだから。
聡明なユウキの脳裏に、あるひとつの仮説が思い浮かぶ。
「……つまり。私たちは、異なるプロセスをもって造られた〈D-TOS〉“兵器”の試作品の寄せ集め、ということか」
「……」
ラプラスは無言を貫く。だが、その沈黙は何よりの肯定を示していた。
彼の返答に、ユウキはしばらくの間目を閉じて押し黙る。
自身の中で渦巻く様々な感情を整理し、今得た情報を飲み込んでいく。ゆっくりと息を吐き、揺らぐ心を平静へと押し戻す。
冷徹を保ったみどり色の双眸が再び開かれ、真っ直ぐにラプラスのディスプレイを見据える。〈D-TOS〉の接続状況を示した、二人のステータス画面が静かに光を放っていた。
「お前の事情は了解した。……ただし。戦闘に支障が出れば、問答無用で保管庫に叩き込む」
「……ああ。ありがとう、大尉」
感謝の言葉は完璧に無視して、ユウキはキッチンへと通り過ぎていく。コンロの火を付け、一人分の容器とスプーンを棚と引き出しから取り出す。
冷蔵庫から水を取りだし、コップに注いで一気にそれを飲み干した。
ラプラスの声が、深夜の静寂に響く。
「それと。もう一つ、あんたに訊ねたいことがあるんだが」
なんだ、と視線で訊ねる。
「お前は、ミユキのことどう思ってるんだ?」
「……どう、とは」
藪から棒になんなんだ、こいつは。全くもって質問の意図が分からない。
冗談なら答える気はないと言外に告げるのに、ラプラスは真剣そのものの音声で言葉を続けてくる。
「例えば、恨んでたり、」
「それだけはありえないな」
絶対にありえないと、ユウキは食い気味に断言していた。
鍋の中身を置かれていたお玉で確認しながら、ユウキは言う。
「ミユキは、私を私でいさせてくれた大切な幼馴染だ。感謝はしていても、恨んだり憎悪を持ったりしたことなど、一度もない」
「……そうか」
意味ありげに、それだけ呟いて。次の瞬間、ラプラスは思いもよらない言葉を紡ぎ出した。
「なら、オレから一つだけアドバイスだ」
「……」
今度はなんなんだと呆れるユウキに、ラプラスは真剣な、それでいて苦笑の混じった音声で続けた。
「想いは、言葉にしないと伝わらないこともある。……特に、不器用なやつらにはな」
……本当になにを言っているんだと、ユウキは心の底から思った。




