第二十八話 蒼き世界の境界線
純白の空はいつの間にか異様な星辰へと変わり、銀河と星雲が息を呑むような美しさを醸し出している。眼下に目を向けると、そこには海ではなく空と同じ夜空が広がってた。
唯一、視界の先に空いた円形の漆黒だけが夜空に浮いて見えている。その中に見える十字架状の物体は、異様な存在感を放って佇んでいた。
進む足を止め、ミユキはラプラスに問う。
「……ここ、どうなってるんだ?」
しばし、ラプラスは押し黙って。彼にしては珍しい曖昧な口調で答えた。
『時空がめちゃくちゃな状態に圧縮されてるな。俺たちの世界の物理法則が成り立ってるのが不思議なぐらいだ』
『あの真っ黒なやつは?』
レツィーナが指差した先にあるのは、星空の中でもハッキリと見える程の黒さを持つ円形だ。中に見える十字架も相まって、異様なこの空間の中でも特に異彩を放っている。
『あれについては時空どころの話じゃないな。支離滅裂かつ種々雑多な情報の果てに次元の境界が現出してる』
「次元の境界?」
『俺たちの住む世界が縦、横、高さと時間を合わせた四次元空間なのはお前たちも知ってるな?』
三人がこくりと頷くのを確認してから、ラプラスは続ける。
『この世界には、俺たちの居る四次元よりも更に上の次元があるんだ。五次元なら過去や未来への時間の行き来ができるし、六次元なら別の世界軸に行くことができる……っていったようにな。そんで、あの黒い円――〈門〉って仮称するが、あれはそういった世界と繋がってるんだ』
「それのなにが変なんだ?」
ミユキの問いに、ラプラスは一層険しい声音をつくる。
『本来、次元にはそれぞれ強固な境界がある。五次元や六次元のものが下位次元――例えば俺たちの住む四次元に現れることはあるが、四次元が上の次元――五次元や六次元に行くのはまず不可能だ。ましてや、その境界が目に見える大きさで現れることなんざ、普通はありえない』
よく分かっていないミユキたちをみて、ラプラスは苦笑いの口調で述べた。
『……まぁ、要するに。この空間は色々めちゃくちゃでヤバいってことだ』
「……了解」
とりあえずここが普通の場所じゃないことだけはわかった。幸い〈D-TOS〉の使用に支障がないようなので、ミユキは今一番知りたいことを訊ねる。
「ユウキは、」
『一応反応はこの周辺で発せられている。ただ、細かいところまでは――』
と言いかけて。ラプラスの雰囲気が急激に変わった。
『――〈門〉の上に巨大な時空情報の歪みを検知した。これは…………』
漆黒の〈門〉の上、歪む星空を、ミユキたちは臨戦態勢で見つめる。その歪みが光と化し、実体化する――その時。
今までにない重苦しい声でラプラスは告げた。
『〈熾天使〉だ』
直後、光の爆発がミユキたちを押し包む。それを魔術盾と氷盾の重ね合わせで受け流しながら、アレンは目を細めて呟く。
『……やっぱり来たか』
光の奔流が晴れて、見えてきたのはやはり全高二〇〇メートルはあろうかという巨大な純白の異形だ。八枚の雄大な翼を上下左右ではばたかせ、その中央には人間の顔のようなモノがつぶらな一つ目を湛えてじっとこちらを見つめている。異形の頭上には、王冠のごとき光の輪が浮かんでいた。
――〈熾天使〉。軍の危険度指数においてぶっちぎりの一位を戴冠し、先の〈ルキフェル〉作戦ではライン連邦軍に壊滅的な被害を与えた、最強の〈天使〉だ。
『どうするの、ミユキ』
少し離れたところでレツィーナが視線を送ってくる。
ミユキは少し考えて。決然とした声音で応えた。
「こいつを倒す」
でないと、ユウキを探せないから。
一度ゆっくりと深呼吸をして、眼前の〈熾天使〉を真正面から睨み据える。
『【個は一へと還る。一は全へと還る】』
脳内に響き渡るのは、〈熾天使〉が放つ不快な“音"だ。人から自我を奪い、この世から存在そのものを消し去る忌まわしき呪詛。
〈魔導銃〉をアレンに投げ渡し、〈魔導剣〉を両手で構え直す。生命維持の魔導は必要最低限に設定し、その分のリソースを各種神経系および飛行魔導の出力へと差し向ける。
超加速を予備起動して――
「――全一時強化起動!」
叫んだのと同時。ミユキは全速力で〈熾天使〉へと突き進んだ。
【〈魔導剣〉の出力を一二〇〇%に設定。刀身延伸機能を三五〇%に固定。余剰エネルギーを溶断率に転化】
【視覚及び各種神経系の感応速度を五〇〇%に一時強化】
脳内に、鈍器で頭を打ち付けられたかのような激しい痛みが起こる。けれど、魔導は絶対に解除しない。
相手は〈熾天使〉だ。三人で対抗しなければならない以上、まともな魔導行使だけでは勝ち目はない。無理を押してでもやらなければ、こちらが負ける。
ミユキの後方から、アレンの二丁とレツィーナの一丁、そして機動兵装四つを含めた計七条の光線が一斉に〈熾天使〉へと襲いかかる。それらは一直線に直進し――そのまま、〈熾天使〉の体表面に直撃した。
光の爆発が〈熾天使〉の表面で炸裂し、防壁破壊弾に特有の爆発音を響かせる。だが、続くはずの異様な崩壊音どころか、ミユキたちの視界には薄紫の膜すらも一向に現れない。
光が晴れて見えてきたのは、微かに傷のついた純白だった。
『あいつ、個体防壁がないのか……!?』
思ってもなかった現象にアレンが驚きの声を上げる。|防壁破壊《De.B.U.F.F.》弾は、その名前の通り〈天使〉の持つ個体防壁の破壊に特化した弾丸だ。故に、〈天使〉の体を構成する光子結晶にはほとんど効果がない。
〈熾天使〉から発せられる小さな異次元転移痕の攻撃を避けながら、ミユキはラプラスの声を聞く。
『……いや、そうじゃない。この空間自体が〈熾天使〉の個体防壁の中なんだ』
『は?』
『ど、どういうことよ……!?』
アレンとレツィーナが困惑の声を上げる。言葉こそ口には出さないものの、その疑問はミユキも同じだ。
『より正確な言葉にすると、“ここは〈熾天使〉と同じ次元・時空だから個体防壁は存在しない"だな。〈天使〉の個体防壁は、彼らの発生によって生じる時空のズレが主な要因だ。そして時空のズレは、〈天使〉が異次元転移――つまり別次元から発生していることに起因する。異次元転移痕が“異次元"と呼称されるのはこのためだ』
三人がある程度内容を読み込んだのを見計らって、ラプラスは続ける。
『そして、この空間は本来存在しないはずの次元の扉が開き、時空がめちゃくちゃな状態になっている。――つまり。〈天使〉と俺たちにあるはずの時空のズレがここでは発生していない。そしてそれは、本来あるはずの個体防壁という物理法則の壁がなくなったことを意味している』
『……イマイチよく分かんねぇけど。とりあえず個体防壁はないってことでいいんだな?』
『ま、そういうことだ。使用弾種は|防壁破壊《De.B.U.F.F.》弾以外の使用を推奨するぞ』
『了解。てことでレツィーナ、以降の射撃は劣化ウラン弾に換装だ。射撃箇所はどこでもいい。とにかく奴の注意をミユキに集中させるな』
『りょーかい!』
二人の通信を聞き終えて。ミユキは訊ねる。
「奴の核は」
『中央の目の奥だ』
「了解」
視線を、〈熾天使〉へと振り向ける。
焦点の合わない巨大な瞳は、相変わらず澄んだ色をしていて。視界外にいるはずのミユキを捉えているかのような錯覚を覚えさせる。遠巻きで行っていた回避運動を辞め、直角で進路を変更。瞬間、ミユキは〈熾天使〉へと向かって最大速力で疾駆していた。
周囲に発生しては消えていく異次元転移痕を〈D-TOS〉の予測に従って回避し、不規則に発せられる光線を魔導盾で受け流す。時には〈魔導剣〉で光線を切り裂きながらも、ミユキは一切速度を緩めずに突き進む。ここで止まれば、それこそ死しか待っていない。
悠然と佇んでいた〈熾天使〉が動く。
向きをこちらに変え、中央の二枚の翼が瞳を守るような態勢に入る。次の瞬間、残る四枚の羽根から無数の光線が放たれた。
「っ……!?」
咄嗟にこれ以上の進撃は無理と判断し、魔導盾と氷盾を展開しながら上方へと逃れる。視界の端に映る五個のゼロは〈D-TOS〉が計測した光線の数だ。威力確認のために置いてきた氷盾は、光線に当たった瞬間に蜂の巣状になって消滅していた。
氷盾は即応の防御魔導とはいえ、それなりの硬度はある盾だ。あれをノータイムで破壊できる攻撃など、人間が食らったらまず貫通は免れない。当たりどころが――それこそ胸や頭などに当たってしまえば即死だ。攻撃の範囲と密度から考えると、この中を無理に突撃するのはさすがに無理だ。リスクが高すぎる。
「ラプラス、光線は翼から出てるってことであってるか?」
『ああ。間違いない』
となると。まずはあの六枚の翼からどうにかしないと。
思案するミユキの耳に、遠目から攻撃を観測していたアレンの叫び声が入る。
『俺たちが左上の羽根をやる! お前は右下をやれ!』
同一のタイミングで真反対の箇所を攻撃すれば、〈熾天使〉はそれぞれの対応のために放つ光線を二つに分散せざるを得なくなる。そして。光線の密度が先ほどの半分になるのならば、回避や防御をしながらの攻撃も可能だ。
「了解」と返して、ミユキは言われた通り右下の羽根へと肉薄する。視界の端、左の上空に映るのは、〈熾天使〉の注意を引きつけるためにあえて前進してきた二人の姿だ。アレンが前衛、レツィーナが後衛という布陣そのものは変わっていないが、敵との距離はいつもより明らかに近い。
意識を目の前の戦闘へと集中させて、ミユキは左腿に付けていた拳銃を引き抜く。
【〈魔導拳銃〉起動。出力を一〇五〇%に一時強化】
左手に伝わってくる幻の熱を確認し、眼前に迫る〈熾天使〉の翼へと無造作に狙いをつける。直後、ミユキは〈魔導拳銃〉の引き金を連射した。
超威力の速射に超加速が速度を相殺され、刹那空を進む速度が遅くなる。
【超加速を多重起動。〇.五秒後に解除】
即座に再加速し、再び突撃。着弾を示す大爆発を煙幕代わりに残る距離を突き進む。爆炎が晴れるのと同時に、ミユキは右手の〈魔導剣〉を〈熾天使〉の翼に突き立てた。
三人の激闘をレツィーナの胸元で見守っていたラプラスは、〈D-TOS〉と同時並行で行っていたユウキ・アレスシルト大尉の捜索に進展があったことに気付く。
ラプラス自身の人格データを圧縮し、戦闘に必要な〈D-TOS〉の容量を確保しながらもう一つの作業ウィンドウを開く。
そして。自身の量子コンピュータが示す結果に、驚嘆の声を漏らした。
『……これは、まさか』
右下の翼を真っ二つに両断し、根元から切り離して。極光の爆発が吹き荒れるのを背中に、ミユキは〈熾天使〉から距離をとる。
一度の被弾が致命傷になる以上、一撃離脱戦法は徹底して行わなければならない戦法だ。少しの油断や慢心が、このギリギリの戦場の中では文字通り命を落とす原因になる。
全員で帰ると決めたのだ。絶対に死ぬ訳にはいかない。
十分に距離をとってから振り返る。視界に飛び込んできたのは、二枚の翼が欠けた〈熾天使〉の姿だ。
脳に響き渡る“音"と不規則に動く四枚の翼は、心なしか痛みに喘いでいるようにも見える。
同じく一度距離をとったアレンたちから通信が届く。
『これで光線の数は減った……のよね』
『それは間違いないな。後退の時に計測された数は六万五〇〇〇。最初に計測された数の六分の四にまで下がってる』
ということは、あの翼が光線の発生源なのは間違いないようだ。二枚減ったところでまだ六万も射線があるのは驚きだが……、回避しなければならない火力の光線は半分程度しかないのだ。高貫通のものさえ回避できれば、あとはどうとでもなる。
「この調子で戦えば全員無事に倒せるはずだ。……二人とも、いけるか?」
『ええ。もちろん』『当たり前だ』
帰ってくるのは、二人の力強い応答の声。頼もしい声に思わず笑みがこぼれ出た――その時だった。
『お前たちに報告したいことがある』
話題を切るように、険しい口調でラプラスが口を開いた。
「どうした?」と、代表してミユキが訊ねる。周囲に異次元転移痕が発生していないのを確認してから、ラプラスは告げた。
『アレスシルト大尉の座標が特定できた』
三人の間に衝撃が走る。それから、安堵と歓喜の感情が心の奥底から沸き起こっていた。
……やっぱり。まだ、ユウキは消えてなんかいなかった。
沸き立つ心を抑え、あくまで平静を装ってミユキは淡々と訊ねる。
「場所は」
『今君たちの〈D-TOS〉に情報を送る。アレスシルト大尉の反応は――』
瞬間、ミユキの視界には一つの光点が映し出される。〈D-TOS〉を通じて視界に転写された、ユウキの位置情報のアイコンだ。
「……!」
その光の位置に、ミユキは赤の双眸をきつく細める。
ユウキがいる場所。そこは。
『――〈熾天使〉の核の中を示している』




